著者
大貫 挙学 松木 洋人
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.68-81, 2003

本稿の目的は,いわゆる「足利事件」の法廷において,事件の理解可能性がいかなる実践を通じて成立しているのかを明らかにすることにある.1990年5月,栃木県足利市で4歳の女の子が行方不明となり,扼殺死体となって発見される.この事件で逮捕・起訴されたSさんは,一審の途中までは,犯行を認めていたが,控訴審以降は,無罪を主張するようになった.だが,一審でなされた精神鑑定によって,Sさんは「代償性小児性愛者」と診断され,これが事件の動機と認定されていた.そして,そのような成員カテゴリー化実践が,控訴審以後においても,かれを犯人として事件を理解することを可能にしている.つまり,Sさんの犯行を前提に,それに適合的なものとして構成された動機が,かれが否認した後も,その属性として脱文脈化され,かれは<動機を有する真犯人>と理解されたのである.本稿では,動機の語彙論(C.W.ミルズ)と成員カテゴリー化分析(H.サックス)を架橋することによって,犯行動機の構成と行為者への成員カテゴリー化が相互反映的な関係にあることを論じるとともに,法廷場面における精神鑑定の用法が含んでいる問題とその帰結を経験的に指摘する.
著者
大貫 挙学
出版者
三田哲學會
雑誌
哲学 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.183-229, 2001-03

特集変容する社会と家族投稿論文1. はじめに2. ジェンダー概念の言語論的転回とジュディス・バトラー 2-1. 反本質主義のジェンダー概念 2-2. ジェンダーのパフォーマティヴィティ 2-3. 法の産出機能と異性愛のマトリクス3. マルクス主義フェミニズム理論の再考 3-1. マルクス主義フェミニズムと「家父長制」 3-2. 近代における公私の二重構造 3-3. マルクス主義フェミニズムの意義と課題4. 近代家族と異性愛主義 4-1. セクシュアリティの発明と「同性愛者」の誕生 4-2. セクシュアリティのジェンダー化 4-3. 有性生殖と再生産5. ジェンダー/セクシュアリティ/主体 5-1. ゲイ・アイデンティティの成立 5-2. レズビアンの不可視性と「女」という主体 5-3. 主体と(非)主体6. おわりにThe purpose of this study is to consider the subjection of gender/sexuality in modern society from the viewpoint of antiessentialism (social constructionism). My special concern here is to describe how gender category and sexual identity (or gendernization of sexuality) have been constructed, and how that has made modern society experienced. Though modernity appears very pluralistic and complicated, in this paper I focus my attention on the public/private dichotomy in terms of the modern family. Referring mainly to Marxist Feminism and Judith Butler's theory on performativity of gender, I tried to define the subjection of gender/sexuality in relation to a social structure or a social institution. I would like to make it clear how the subjection of gender/sexuality is acted out between public and private spheres, production and reproduction processes, and the subject and the (un) subject.
著者
大貫 挙学 藤田 智子
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.72-83, 2012-04-30 (Released:2013-07-09)
参考文献数
27

1970年代以降,フェミニズムは,ドメスティック・バイオレンス(DV)の背景に,近代家族における男性支配の権力構造があることを指摘してきた.これまで,多くの女性がDV被害に遭ってきたが,「被害」女性が「加害」者となってしまうケースもある.本稿では,DV被害女性が夫を殺害したとされる事件を取り上げ,動機の構成という点から,刑事司法における家族規範について考察する.裁判で弁護人は,被告人の行為を, DVから身を守るためのものだったと主張した.しかし裁判所は,弁護人の主張を退けている.検察官は,被告人の「不倫」を強調していたが,判決においては,「不倫」に対する非難ゆえに,弁護人の動機理解が否定されたのだ.本件裁判は,「不倫」を「逸脱」とみなす規範によって,弁護人のストーリーが排除される過程であった.近代家族モデルの犠牲者たる被告人が,家族規範からの「逸脱」ゆえに処罰されたといえよう.
著者
大貫 挙学
出版者
Japanese Council on Family Relations
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.39-56, 2013-07-10 (Released:2017-02-14)
参考文献数
50

「言語論的転回」以降のフェミニズム理論において、性別カテゴリーやセクシュアル・アイデンティティは、言説による構築物とみなされるようになっている。J. バトラーによれば、主体は、言語行為によってパフォーマティヴに構築されるものである。 しかし、こうした理論的傾向に対しては、「文化的」次元のみが過度に強調され、「物質的」不平等の問題が軽視されているとの批判がある。一方、性差別の物質的側面を重視してきたのが、マルクス主義フェミニズムであった。とはいえ、マルクス主義フェミニズムにおいては、性的主体化の言説的機制が適切に理論化されていない。     そこで本稿では、主体の言説的構築を前提とする立場から、マルクス主義フェミニズム理論の再検討を行いたい。とくに、社会の内部/外部の非決定性が、物質/文化の相互還元不可能性を示していることを主張する。
著者
大貫 挙学
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 = Supplement to the bulletin of the Research Institute of Bukkyo University (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
no.8, pp.119-123, 2021-03

本稿では,大学への「アクティブ・ラーニング」の導入が推し進められる社会状況を,新自由主義における主体化という観点から考察する。文部科学省や中教審の言説において,アクティブ・ラーニングは「社会」に役立つ「能動的」な「主体」の育成を志向している。これに対し,次の 2 点を指摘できる。第 1 に,「主体」であるとは権力に服従することである。第 2 に,ここでの「社会」は新自由主義という時代状況を前提としたものにほかならない。だとすれば,アクティブ・ラーニングは新自由主義体制に適合的な主体を形成するものといえる。そのうえで本稿が強調したいのは,第 1 と第 2 の論点が不可分であるということだ。学問の価値を守るためには,かかる社会状況への批判的視座が不可欠である。主体化新自由主義アクティブ・ラーニング
著者
大貫 挙学
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.90-102, 2018 (Released:2020-03-09)

本稿の目的は、J. バトラーの「倫理」概念を、パフォーマティヴィティ理論から導出される「他者性」に着目して考察することにある。 1990 年代のジェンダー・パフォーマティヴィティに関するバトラーの議論は、彼女をフェミニズム理論家として知らしめることになった。一方2000 年代以降、彼女は、従来以上に、エスニシティやナショナリティの問題に焦点をあて、国民国家による暴力についても直接的に論じるようになった。バトラーによれば、現代社会においては主権と統治性の共犯関係によって、私たちの「生」は不安定なものになっている。そして、「生のあやうさ」が格差をともなって配分されているという。かかる現状にあって、彼女は「生の被傷性」を指摘するとともに、「自己の倫理」を主題化する。近年のバトラーについては、ジェンダー・パフォーマティヴィティから倫理一般への「回帰/転回」が指摘されてきた。 これに対し本稿では、「倫理」をめぐる彼女の議論を、パフォーマティヴィティ概念との連続性のなかで考察したい。こうした作業によって、「他者」についての社会理論と政治的実践との関係も再考できると思われる。また、現代社会における権力批判のあり方にも言及する。すなわち本稿は、バトラーについての学説研究であると同時に、後期近代の権力論を模索するものでもある。
著者
大貫 挙学
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.128-140, 2016 (Released:2020-03-09)

本稿の目的は、D. コーネルの法哲学における「自由」について、社会理論的な再検討を行うことにある。 コーネルの提示する「イマジナリーな領域」という概念は、自分が何者であるかを自由に再想像できる「心的空間」を意味する。彼女は、フェミニストの立場から、リベラリズムにおける自律した「主体」という想定を否定したうえで、より根源的な意味での「(性的)自由」の擁護を試みている。「イマジナリーな領域」は国家への権利ともされているが、一方で彼女の議論は「心的」な側面のみに焦点を当てているとの指摘も受けてきた。これらの批判は、コーネルがアイデンティティの「脱構築」を強調しすぎていることに向けられている。 そこで本稿では、コーネル理論の再解釈を通して、「心的」な領域でのアイデンティティ再想像が、社会構想のあり方といかなる関係にあるのかを改めて考えたい。その際、J. バトラーの「パフォーマティヴィティ」概念がひとつの手がかりとなるだろう。コーネルとバトラーの比較については、これまでも研究がなされてきたが、本稿は、それらの議論を受け継ぎつつ、「イマジナリーな領域」概念を、社会秩序の「外部」を否定したものとして位置づけ直すものである。かかる作業によって、シティズンシップをめぐる「普遍性」と「差異」の問題にも新たな視点を提供できると思われる。
著者
大貫 挙学 松木 洋人
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.68-81, 2003-10-18 (Released:2017-03-30)

本稿の目的は,いわゆる「足利事件」の法廷において,事件の理解可能性がいかなる実践を通じて成立しているのかを明らかにすることにある.1990年5月,栃木県足利市で4歳の女の子が行方不明となり,扼殺死体となって発見される.この事件で逮捕・起訴されたSさんは,一審の途中までは,犯行を認めていたが,控訴審以降は,無罪を主張するようになった.だが,一審でなされた精神鑑定によって,Sさんは「代償性小児性愛者」と診断され,これが事件の動機と認定されていた.そして,そのような成員カテゴリー化実践が,控訴審以後においても,かれを犯人として事件を理解することを可能にしている.つまり,Sさんの犯行を前提に,それに適合的なものとして構成された動機が,かれが否認した後も,その属性として脱文脈化され,かれは<動機を有する真犯人>と理解されたのである.本稿では,動機の語彙論(C.W.ミルズ)と成員カテゴリー化分析(H.サックス)を架橋することによって,犯行動機の構成と行為者への成員カテゴリー化が相互反映的な関係にあることを論じるとともに,法廷場面における精神鑑定の用法が含んでいる問題とその帰結を経験的に指摘する.