著者
大貫 挙学 藤田 智子
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.72-83, 2012-04-30 (Released:2013-07-09)
参考文献数
27

1970年代以降,フェミニズムは,ドメスティック・バイオレンス(DV)の背景に,近代家族における男性支配の権力構造があることを指摘してきた.これまで,多くの女性がDV被害に遭ってきたが,「被害」女性が「加害」者となってしまうケースもある.本稿では,DV被害女性が夫を殺害したとされる事件を取り上げ,動機の構成という点から,刑事司法における家族規範について考察する.裁判で弁護人は,被告人の行為を, DVから身を守るためのものだったと主張した.しかし裁判所は,弁護人の主張を退けている.検察官は,被告人の「不倫」を強調していたが,判決においては,「不倫」に対する非難ゆえに,弁護人の動機理解が否定されたのだ.本件裁判は,「不倫」を「逸脱」とみなす規範によって,弁護人のストーリーが排除される過程であった.近代家族モデルの犠牲者たる被告人が,家族規範からの「逸脱」ゆえに処罰されたといえよう.
著者
藤田 智子
出版者
日本家庭科教育学会
雑誌
日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.47, pp.46, 2004

【研究の目的・背景】<br>「食育」という言葉の流行や栄養教諭の設置など、栄養の知識を身につけることが重要視されている。さらに、自己の食生活に対して意識的に行為できる力、すなわち意思決定能力を身につけることも必要とされている。高校生では、自己と食生活の関わりにおいて、自分自身に直接関係することに価値をおく傾向が高く、学習したい内容として「ウェイトコントロール」が挙げられることが明らかにされている(佐藤・山中 1994)。家庭科教育の中で自己の「食生活をみつめる」際に効果的な方法を考察するため、女子高校生がどのように「ダイエット」を認識しているのか、高校1年生で食物を学んだ後のレポートを分析する。<br>【研究の方法】<br>対象は東京都内の私立女子高校に通う高校1年生122名である。家庭総合の食物分野を教科書(実教出版『家庭総合』)にそって授業を行った(2003年10月~2004年3月)。授業の最後に、「食生活」に関する新聞記事を読ませ、「特に自分が関心をもった点を記述した上で、自分の食生活を振り返ること」を課題とするレポートを提出させた(有効回収数91件)。そのレポートをKJ法によって分析した。配布した新聞記事:「食大全 第六部 ダイエットしますか?」?~?(?「理想体形」という幻想20代女性2割が低体重 ?やせすぎは「慢性飢餓状態」・健康には「普通体重」 ?人口甘味料の落とし穴ノンカロリー「ゼロ」ではない ?断食やめれば元に戻る・自分の体と向き合う機会 ?必ず起こるリバウンド」・生命維持機能活動の証拠 ?エステで本当にやせる?・効果は「施術」より日常生活 ?アミノ酸に大きな誤解・飲むだけで脂肪は燃えない ?問題多い「効果食品」・無理な制限、健康障害も ?増え続ける小学生の肥満・食生活の変化も一因)産経新聞朝刊 2003年10月1日~9日。「怖い思春期の過激ダイエット 骨粗しょう症の危険性も」東京新聞朝刊 2003年11月7日<br>【研究の結果】<br>レポートの内容のうち、ダイエットに関する記述をKJ法により分類した結果、以下の7つのカテゴリーに分かれた(なお複数のカテゴリーわたる内容のレポートは重複してカウントしている)。〈ダイエットに関係する商品表示やマスメディア情報〉(52名) 商品の表示やマスメディアからの情報を誤信していたことに気づいたという記述が中心(33名)であるが、情報リテラシーが必要(17名)、表示改正が必要(2名)という記述もあった。〈「良い」ダイエットと「悪い」ダイエット〉(25名)摂食障害など心身の健康を害する「悪い」ダイエットに対し、「良い」ダイエットとは「健康的」に「努力と自己管理」であり、「良い」ダイエットをすべきであるという記述である。〈心身の健康とダイエット〉(25名)ダイエットよりも「体が健康であること」「内面の美しさ」の方がより重要だだという記述である。〈痩身願望の肯定と否定〉(36名)「女性」「思春期」「流行・時代」を理由に痩身願望を抱くことは当然である、痩せている方がやはり良いという「痩身願望を肯定」する記述である(28名)。一方、現代のダイエットブームや過剰な痩身志向への疑問も述べられていた(8名)。〈自己のダイエット経験と評価〉(13名)自己のダイエット経験、ダイエットへの強い興味に関する記述である。〈友人のダイエット経験と評価〉(2名)友人が過剰なダイエットをしてぼろぼろになるのをみた経験があるという記述である。〈自己理解とダイエットの必要性の判断〉(5名)「自分のことをもっと知ればダイエットが必要か判断できる」「今は必要ない」「痩せることが幸せにつながるわけではない」といった、ダイエットをすることと自己理解を関連付けた記述である。<br>【考察】ダイエットに関係する商品表示やマスメディア情報に関する記述が最も多かった。情報の誤信に気づいたことから、情報リテラシーの必要性を考えた者もいた。体を壊すような「悪い」ダイエットではなく、「健康的」なダイエットを行うべきである、心身の健康のほうがダイエットより重要であるといった、比較的教科書の内容に近い記述もかなり多かった。だが、なぜダイエットが必要なのかは考えられていなかった。心身の健康が重要であると考える者は、痩身願望に対して否定的であった。一方で、痩身願望を肯定する意見を持つ者は、ダイエットの危険性をあまり考慮していなかった。自己のダイエット経験からは痩身願望を肯定する意見と否定する意見に分かれたが、友人の経験を目にした者は、否定的な意見であった。自己を理解することによって{当に自分にとってダイエットが必要なのかlえた生徒は、その前段階に、商品表示やマスメディア情報に関する記述を誤信していたという気づきがあり、誤信に気づいたことが自己理解の必要性へとつながっていた。
著者
藤田 智子
出版者
オーストラリア学会
雑誌
オーストラリア研究 (ISSN:09198911)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.16-31, 2016 (Released:2017-04-28)
参考文献数
50

The Australian Government has repeatedly restructured its social policy since the 1980s, making welfare payments conditional and increasing work incentives. This welfare reform, influenced heavily by neoliberalism, has been legitimised by the problematisation of“ welfare dependency,” emphasising the obligations and the responsibilities of welfare recipients. The Howard Coalition Government in particular promoted an insistent neoliberal turn in social policies, asserting the importance of a social welfare system encouraging“ responsible behaviour.” In 2007, the Government introduced a measure called“ income management” or“ welfare quarantining” which linked welfare payments to the“ socially responsible behaviour” of parents. Income management was taken over by the Rudd-Gillard Labor Government, and eventually by the Abbott Coalition Government, and has been a prominent feature of welfare reform, indicating the importance of analysing income management in the context of welfare reform from the perspective of parenthood. This paper analyses the policy process of income management and the logic that has supported it to consider the issue of neoliberal welfare reform and social inclusion/exclusion. Income management, introduced by the Howard Government as a part of the Northern Territory Emergency Response (NTER), was actually a scheme to advance welfare reforms based on the principle of“ mutual obligation” by urging parents to show responsibility for the care and education of their children. While supporting the NTER and echoing the Howard Government’s arguments on parental responsibility, the Rudd and Gillard Governments more obviously referred to income management as a significant welfare reform scheme and broadened its application. In that whole process, welfare dependency and its intergenerational cycle have been problematised, and individuals“ depending on welfare” have been referred to as“ bad parents” who behave“ against normal community standards.” Parenthood has been the core element of this welfare reform by connecting normative parental behaviour with provision of welfare payments and thus making parents subject to intervention. Furthermore, attributes such as Aboriginality, class, age and family type have had a close relationship with representation of welfare recipients as“ bad parents.” Whereas income management intends to encourage welfare recipients to achieve social inclusion, this very process excludes them from social citizenship by referring to vague norms of parenthood.
著者
藤田 智子
出版者
日本家庭科教育学会
雑誌
日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.48, pp.18, 2005

<B>【研究の目的・背景】</B><BR>過剰な痩身願望を持つことは、特に青年期の女性にみられる現象とされ、その影響としての摂食障害の増加も問題視されている。近年、摂食障害の患者の低年齢化、男性における発症なども指摘されている。摂食障害の大きな原因として、身体像(ボディ・イメージ)の歪みと、それに基づくダイエット行為が挙げられる。田結庄(1997)は家庭科における学校知と日常知の検討において、栄養や食品に関する知識、特にダイエットに関する知識は学校知より日常知が先行し、「学校知が日常知を後追いするか、あるいは両者が対立することになってしまうという事情をどう解決するかが課題」であると指摘している。学校知が日常生活において実践されるためには、生徒たちがどのような日常知を持っているかを明らかにすることが必要であると考えられる。よって、高等学校において、家庭科で食物領域を学ぶ前の生徒たちが、ダイエットについてどのような知識を持ち、ダイエットを実践しているのかを明らかにすることを本研究の目的とする。<BR><B>【研究の方法】</B><BR>高等学校において、家庭科の食物領域を学ぶ前の都内の高校1_から_2年生を対象とする質問紙調査。有効回答数269名(男子校84名、女子校115名、共学校70名。男子113名、女子156名。2004年1~2月に実施。)なお質問紙は高校生14名(男子8名、女子6名)に対するインタビュー調査(藤田 2003)を元に作成した。具体的には、知っているダイエット、実際に行ったダイエット、ダイエットの情報源、他者(家族や友人)との関わり、実際のBMI、理想の身長と体重、属性などである。<BR><B>【研究の結果と考察】</B><BR>(1)知っているダイエット りんごダイエット、マイクロダイエット、ダイエットテープ、カロリー計算、断食ダイエットをそれぞれ知っているか尋ねた結果、知っていると回答した生徒は、53.5%、36.9%、36.1%、73.2%、81.4%であった。知っているダイエットの数と、性別×学校属性の一元配置分散分析の結果、女子校、共学・女子、男子校、共学・男子の順で有意差があった。同じ性別の場合、学校属性によって差が生じていた。<BR>(2)実際に行ったダイエットの種類 上記の5種類のダイエットのうち少なくとも一つは行ったことのある生徒は、男子生徒は0%、女子生徒は1割強であった。自由記述欄を入れても、男子でダイエットを行ったことのある生徒は1人であった。χ2検定の結果、性別による差は有意であった。現在の身長とそれに対する理想の体重、理想の身長とそれに対する理想の体重を聞いた結果から、男子は身長、体重とも増加するのを望んでいるのに対し、女子は身長は男子と同様に高くなることを望んでいるが、身長が高くなっても理想体重はほとんど変わらなかった。男子の場合、理想の身体に近づこうとする際、やせるということが重視されないため、ダイエットといった場合、実践率が低いと考えられる。<BR>女子生徒のうち、どのような生徒がダイエットを実践しているのかを明らかにするため、クロス集計をした後、χ2検定行った。その結果、知っているダイエットの数、学校属性において有意差が見られたが、自分は太っていると思う、今よりやせたいと思う、BMIとの有意な関連は見られなかった。また、家族、同性の友人、異性の友人から体型について言われた経験がある女子生徒は、それぞれ6割以上が実際にやせようとしたと回答した。<BR>高校生において、ダイエットに関する知識および実践において、性別差のほか、学校属性による差がみられた。また身近な他者とのかかわりの中でダイエットは実践されており、身体像や実際のBMIではなく、日常生活環境の中でダイエットに関する知は影響を受けているといえるだろう。
著者
藤田 智子
出版者
日本家庭科教育学会
雑誌
日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.58, 2015

<b>【研究の背景と目的】</b><br>家庭科が男女共修となって20 年が経過した。男女共修家庭科の履修経験は、ジェンダー・イクイティ意識の形成や、高校生の多様な家族形態の受容、家事参加率、親準備性等に影響すること(荒井他1998、中西2000等)が明らかにされている。だが、家庭科に対するイメージには根強いジェンダー意識がみられる(中西2006)。<br>本研究では、家庭科に対する「学習レリバンス(学習にどのような意味や意義を感じているか)」の構造を明らかにすることを目的とする。それを通し、男女共修家庭科の意義と課題を検討する。「学習レリバンス」は、学習そのものを面白いと感じる「現在的レリバンス」と学習が将来役立つという感覚である「将来的レリバンス」に分けて捉えられる(本田2004)。<br><b>【方法】<br></b>男女共修家庭科を学んだ大学生に対してインタビュー調査を行った。調査人数は39名(女性27名、男性12名)である。所属は教育学部生21名(家庭科専攻10名、家庭科専攻以外11名)、その他の学部生18名である。インタビュー調査協力依頼の文書を配布・掲示し、同意の得られた人に対し1対1の半構造化インタビューを行った。調査時期は2014年11月~2015年3月である。対象者に了解を得た上でICレコーダに録音し、文字起こしを行い1次データとした。大まかな質問項目ごとに、共通するキーワードに着目してコード化し分析した。<br> <b>【結果および考察】<br></b> 家庭科の学習で楽しかった・面白かったこととして、調理や裁縫が多く挙げられた。自分たちで自由にメニューやデザインを決められる場合、特に楽しかったと記憶されていた。「失敗して『もうちょっとこうすればよかったね』と反省は色々結構するんですけど、それでもやっぱり楽しいという方がみんな勝っていました」というように、失敗しても「自分たちでやった」とことが学びの楽しさとなっていた。「個人的に私がちょっとクラスに行きづらい時期で。でも、(調理実習の班員に恵まれて)仲良くできたのがすごく印象的で。その授業はすごく楽しくて印象に残ってます。」と、学びの状況に関する語りもみられた。<br> つまらなかった・嫌だったこととして、座学の授業を挙げる者が多かった。学校の雰囲気に左右される部分も大きく、「荒れた」環境の場合、授業はつまらないと認識されていた。摂食障害を発症していた学生は、自分が作ったものなので絶対に残さずに食べなければならないことや、友人と一緒に食べなければならないことが苦痛だったと語った。<br> 役に立っていることとしては、調理と簡単な裁縫技術が多く挙がった。ミシンを家庭科の授業で初めて使ったという学生も多く、サークル活動などで衣装を縫う時などにも役立っているようだ。<br>男女が共に家庭科を学ぶことについては、全員が肯定的な意見を述べた。授業中の男子の様子として、男子だから要らないという雰囲気はなく、「『料理、俺やりたい』みたいな人がいたら結構その人が率先して」行動する男子もいたり、家庭科が得意で上手い男子に対しては、「素直に『あ、それ、綺麗ー』みたいな。『すごいね、ってか、どうやってやったの』とか」といったように、称賛の声が上がり、教えてもらうこともあるようである。男子は苦手と感じる者もいたが、「女子にも苦手そうな子はいると思うんですけど、あまり言わないというか。男子は苦手と言って助けてもらおうというのがある」というように、必ずしも男女による得手不得手ではないと考えられる。「(お米を研ぐときに、女の子の)友達が洗剤を取り出そうとしたんでそれを止めて」といった経験がある者もいた。進学校のため、男女ともに軽視していたと語りもあった。<br> 男子が家庭科を学ぶ必要性については、母親の大変さや結婚後の女性の仕事を理解するため、一人暮らしでも生きていくために必要と考えられていた。生活をする上で必要、自立のために必要と語る者が多かったが、男性が中心的に家庭の仕事を行うことを考えている者は少なかった。<br> なお、本研究はJSPS科研費26780493の助成を受けた。
著者
藤田 智子 坂本 有芳
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.66, 2014

<b>目的</b> 共働き世帯が子の発達段階に応じた生活設計を行なうために必要なことを明らかにするため、子の発達に伴い、夫婦の家事遂行状況がどのように変化するのかを検討する。<br><b>方法</b> 東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県に居住する、末子が中学生以下の有配偶女性を対象に、Webアンケート調査を行い、得られた個票データを統計的に分析する。層化無作為抽出法を用い、株式会社マイボイスコムの登録モニターより、末子学齢別の就業率に応じた比例割り当てをおこなった。実施は2013年9月、有効回収数502人、有効回収率30.2%である。<br><b>結果</b> 末子学齢によって、夫婦の家事遂行状況がどのように変化するか、夫婦の「家事頻度」「夫の分担割合」「家事育児の外部化」、妻の夫への「家事促進行動」の単純集計、相関分析、分散分析により検討した。夫婦合計の家事頻度は長子よりも末子年齢による差がみられ、最も高いのは末子が0~2歳と小学4~6年生の時点である。夫婦合計家事頻度を100とした夫の相対頻度は12%であり、末子学齢が0~2歳のときに最も高いが有意な差はみられなかった。家事育児の外部化はほとんど行なわれていなかった。夫への促進行動をする妻は全体の半数程度であり、妻の促進行動が多いほど夫の家事分担割合は高かった。夫に対して家事促進行動をする妻には、家事・育児を外部化している、末子の学齢が低いという特徴がみられた。<br> なお、本研究は、お茶の水女子大学・社会連携室外部受託研究(代表者:石井クンツ昌子)の一部である「子の発達段階に応じたキャリア・デザイン研究会」(代表者:坂本有芳)の一環として実施した調査に基づく。
著者
藤田 智子
出版者
法政大学国際日本学研究所
雑誌
国際日本学 = INTERNATIONAL JAPANESE STUDIES (ISSN:18838596)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.257-279, 2017-01-31

This paper deals with illustrated storybooks with yellow covers called kibyōshi, which were published in Edo from the late 18th century to the beginning of the 19th century. In kibyōshi there were many expressions relating to the various kinds of potatoes that were daily food, such as sato-imo, yamano-imo, naga-mo and satsuma-imo (sweet potato). In particular, the kibyōshi which included the word imo (potato) in their titles or stories were 40. From their analysis emerged 4 patterns of the funny image of potatoes, which are discussed in the following sections, focusing on a representative title each.
著者
佐藤 安沙子 藤田 智子 阿部 睦子 菊地 英明 桑原 智美 西岡 里奈 倉持 清美
出版者
日本家庭科教育学会
雑誌
日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.61, 2018

【目的】<br> 近年、学校現場における安全・衛生面への配慮が期待されている。中学校家庭科の学習指導要領には、「安全と衛生に留意し、食品や調理用具等の適切な管理ができること。」(文部科学省,2008)とある。田中他(2015)は、大学生の食の衛生管理の実施状況は、下準備・調理時、後片付け時で特に意識が低いことを指摘している。さらに、河村他(2006)によると、生徒にとって調理実習は、楽しい時間であると同時に、調理技能の習得を目指すものであることが明らかとなっている。これらのことから、小・中・高等学校家庭科で衛生管理について学んでいるはずであるが実践されておらず、学校での調理実習においても衛生管理に意識が及ぶことは少ないと考えられる。<br> 本研究では、小・中・高校生の食の安全における衛生管理に関する意識を調査する。学校種間の衛生意識の相違と、ICTを活用した衛生管理に関する授業と調理実習での実践前後の衛生意識の変化を明らかにする。それを通し、授業での衛生管理の扱い方を検討する。<br>【方法】<br>(1)調査対象および調査方法<br> 調査は、東京学芸大学附属小・中・高等学校の児童・生徒を対象に、2017年9~11月に2回行った。1回目は、409名(小5:102名、中2:149名、高2:158名)を対象に、無記名自記式質問紙調査を実施した。2回目は、248名(小5:100名、中2:148名)を対象に、食の安全における衛生管理に関する授業実践と調理実習の後、1回目と同様の調査を実施した。なお、高校では2回目の調査は行わなかった。質問紙調査の有効回答率は、全て100%であった。<br>(2)質問紙調査内容<br> 食の安全における衛生管理について、「家庭」と「学校での調理実習時」の2つの状況において気を付けている程度を5件法で質問した。質問項目は、下準備・調理時、食事時、片づけ時などである。<br>(3)授業実践の概要(小・中学校)<br> ICTを活用した衛生管理に関する授業と調理実習を行った。<br>・小学生:衛生を意識した手の洗い方についての授業を行った。蛍光剤入りローションを手に付け、手洗いの様子を撮影し、手洗い方法や洗い残しについて検討した。調理実習は青菜をゆでた。<br>・中学生:バナナケーキの調理を通して、衛生を意識した食材の扱い方と手洗いについて、授業を行った。バナナの皮を触った後、触れた箇所をシールと映像で記録し、食材の菌の繁殖や手洗いの重要性について検討した。調理実習は煮込みハンバーグである。<br>【結果】<br> 衛生管理に関する授業前の学校種間の意識について比較をした。その結果、家庭においてはほとんどの項目において、「大変気を付けている」と回答した者の割合が、小・中・高の順に高かった。学校においては、小・高・中の順に高かった。これは、小学生は保護者や教員からの衛生管理への意識付けが高いことが考えられる。また、生肉の取り扱いに関しては、家庭・学校ともに中学生よりも高校生の方が気を付けている者が多かった。中学生はまだ学校で生肉を扱った経験がなかったことが影響していると考えられる。<br> 次に、授業前後の意識について比較をした。中学校では、ほぼ全ての項目で気を付けている割合が高まった。特に、手洗いに関する項目は大幅に増加していた。これは授業で重きをおいた、食材に触れた後の手洗いに関する学びの効果であることが考えられる。一方小学生では、意識変化があまり見られなかった。小学生は、衛生管理に関する授業前から意識が高かったことに加え、衛生に関する授業において食材を扱っておらず、具体的な調理場面における衛生意識との関連付けが難しかったことが考えられる。<br> なお、本研究は東京学芸大学平成29年度教育実践研究推進経費「特別開発研究プロジェクト」の研究成果の一部である。
著者
桑原 智美 藤田 智子 倉持 清美 阿部 睦子 菊地 英明
出版者
日本家庭科教育学会
雑誌
日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.60, 2017

【研究目的】<br /><br />厚生労働省の2016年食中毒統計資料によるとノロウィルス、カンピロバクター、植物性自然毒などの食中毒の患者総数が多く挙げられている。小学校家庭科の調理実習で作ったカレーのジャガイモのソラニンによる食中毒(2015年読売新聞)や、高校における冷やし中華によるカンピロバクター食中毒(1992年)なども報告されている。後者では鶏肉に付着したカンピロバクターが手指、器具などを介して調理食品を汚染する二次汚染が発生要因として推定(群馬県伊勢崎保健所)されている。このように調理実習で生じる食中毒は度々報告されており、衛生に関する授業開発は喫緊の課題である。学校現場での衛生管理の問題点を明らかにするために調理室や手洗い後の細菌検査を行った研究(石津、大竹、藤田他 2016)はあるが、生徒の食材の扱い方や食材管理上のリスクついては十分に検討されていない。本研究では、まず、調理実習で使用する食材に付着する菌について調べ、教師が食材管理上気を付ける点を整理する。次に、生徒の食材の扱い方の実態を把握し、衛生面についてどのような指導が必要なのかを明らかにする。生徒が衛生を意識した行動をとれているのかも検討する。<br /><br />【研究方法】<br /><br />1.食材調査:小学校、中学校、高校の教員9名に、調理実習時に使用する食材、衛生面で気になる点について調査した。それを基に、頻回に使われる食材について、培地を使用し菌の発生を調査した。<br /><br />2.調理実習時の生徒の食材の扱い方:都内S中学校、第3学年4クラスで、バナナケーキ調理時にバナナの皮を触った手で、そのまま触る場所を調査した。バナナは皮に菌が付着していることが多いため食材として選定した。2016年11月家庭科の授業(50分)で行った。実習グループ4人のうち1人は、バナナの皮を触った生徒が、その後に触れた箇所を、調理器具や調理台など17箇所を写真で示したチェックシートにシールを用いてチェックした。もう1人はバナナの皮を触った生徒の動きをiPadで録画した(アプリケーションソフト「ロイロ・ノート」使用)。バナナの皮を触った生徒が皮を捨てて手を洗った時点で記録の終了とした。<br /><br />【結果と考察】<br /><br />食材管理の観点から、食材配布時のトレーおよび食材について細菌検査を行った結果、肉には細菌が付着していることが明らかになったが、他の食材については結果にばらつきがあった。食材購入時にすでに細菌が付着している可能性があると考えられ、教員は細菌付着の可能性を踏まえたうえで食材管理をすることを再認識する必要があるだろう。また、細菌検査の結果を、他の教員および児童・生徒向けの教材として用いることは有効ではないかと考えられた。<br /><br />調理実習時の生徒の食材の扱い方について、バナナに触れた38名が、手を洗わないまま触った箇所は、17箇所のうち、0~15箇所、平均は6.9箇所であった。触ったのべ回数は、0~68回、平均は22.2回であった。バナナを触った直後に皮を捨てて手を洗った生徒もいれば、手を洗わずに多くの箇所を触る生徒もいるといったように、個人差が大きかった。触る回数が多い箇所は、蛇口、カップ側面、まな板、カップ内側、包丁であった。食材を触った手で様々なものに触れる生徒もおり、食中毒予防には生徒側の衛生に関する理解が必要であると考えられた。生徒の衛生面に関する配慮は個人差があると推察され、安全に調理実習を行うためには、教育の必要性が再認識された。また食材の扱い方調査において、記録をした生徒の衛生意識が高まっていることが授業後の感想から見て取れた。生徒たちの実態把握の方法としてだけでなく、授業方法としても今回のシールと映像を使った記録方法の有効性が示唆された。<br /><br />なお、本研究は東京学芸大学平成28年度教育実践研究推進経費「特別開発研究プロジェクト」の研究成果の一部である。
著者
杉浦 なぎさ 藤田 智子 大竹 美登利 菊地 英明
出版者
日本家庭科教育学会
雑誌
日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.60, 2017

<strong>【目的】</strong><br /><br /> 男女が協力して生活することの重要性が謳われている現代において、男女がともに家庭科を学ぶ意義を感じられることは重要である。しかし、高校生は、家庭科の必要性は「現在」ではなく、「将来」の家庭生活にあると感じており(中西 2006)、中学生においても「現在」学ぶことに意味があると感じられるかは疑問である。また、高校生において、家庭科の有用性を認知することが食生活行動に結び付いていることが明らかにされており(藤田 2012)、実感をともなう学びにすることこそ、子どもたちが生活実践につなげるために有効なのではないかと考えられる。本田(2004)は、「子どもが学習にどのような意味や意義を感じているか」を「学習レリバンス」と定義し、学習そのもののおもしろさを示す「現在的レリバンス」と、学習が将来何かに役立つ感覚を示す「将来的レリバンス」の2つがそろうことで、男女ともに学習を長期にわたって継続したいと思えることを明らかにした。本研究では、中学生が家庭科を学ぶ意義を感じているかを明らかにするとともに、家庭科を学ぶ意義の感じ方の違いに着目して、生活実践行動を分析する。<br /><br /><strong>【方法】</strong><br /><br /> T大学附属中学校2年生、3クラス89名(男性31名、女性58名)を対象に、アンケート調査を行った。実施時期は、9月(単元前)、10月(単元後)、1月(単元後の追跡調査)の計3回である。単元については、2時間×3回の計6時間の授業構成として、「洗剤や柔軟剤の性質の理解を踏まえた選び方」「消費者が洗剤購入に必要な情報を考える」など実験や実習を取り入れた。3回の調査すべてに回答した86名(男性31名、女性55名)を分析の対象とする(有効回答率96.6%)。また、授業者が積極的に授業に取り組んでいると思う生徒を有意抽出してもらい、各クラス男女1名の計6名(男性3名、女性3名)にインタビュー調査を行った。10月に2回(単元途中と単元後)実施した。<br /><br /><strong>【結果】</strong><br /><br /> 学習レリバンスに関しては、家庭科全般と洗濯の学習において、「好き・おもしろい」を現在的レリバンス、「将来、役に立つ」を将来的レリバンスとして、単元学習後に聞いた。まず、家庭科全般に対して肯定的に回答をした生徒は、現在的レリバンスは5割以上、将来的レリバンスは9割以上であった。一方で、洗濯の学習に対して肯定的に回答をした生徒は、現在的レリバンスは40%に満たず、将来的レリバンスは9割以上であった。<br /><br /> 中学生の生活実践状況は、洗濯物を「しまう」は男女ともに実践度が高かったが、「洗う」は低かった。次に、学習レリバンスの感じ方による生活実践行動の違いをみるため、一要因の分散分析を行った。その結果、家庭科全般、洗濯の学習ともに「好き・おもしろい」と思う人ほど、学習後、有意に生活実践得点が高かった。<br /><br /> また、質問紙の自由記述(家庭科の学びの中で自分が成長できたと思う点)やインタビュー調査(授業でおもしろかったこと・新たに気付いたこと)から、中学生は洗剤のパッケージデザインを通し、消費者の立場からデザインや表記の仕方を工夫することで、洗剤の表記にも様々なアイデアがあることに気付き、「おもしろさ」を感じていた。また、実験を通して、洗剤の液性によるダメージの受け方や量による汚れの落ち方の違いを目で見て、「実際にお店で洗剤を見比べたい」「洗濯をおこなってみたい」など、科学的知識を基に自分の生活で試したいと考えており、「役に立つ」感覚が育まれたと考えられる。以上のように、授業で「おもしろい」「役に立つ」と感じることは、中学生の生活実践につながるきっかけになると考えられる。<br /><br /> 本研究は,東京学芸大学「日本における次世代対応型教育モデルの研究開発」[文部科学省平成28年度特別経費(プロジェクト分)]の研究成果の一部である。
著者
藤田 智子
出版者
オーストラリア学会
雑誌
オーストラリア研究 (ISSN:09198911)
巻号頁・発行日
no.20, pp.61-75, 2007-03-25

The word "family" is one of the most commonly used words. Many people use it naturally and without deeply thinking the meaning. However, who can accurately define this word? The meaning of words expressing family, such as "families", "the family", and "family", depends on the political, historical, social, and cultural background of them and the context in which they are used. The meaning also changes with the passage of the time. Therefore, there is well worth for the research method that pays attention to the "family" discourse, which is used in this paper. This paper analyzes the process of formation of one of the recent national family policy of the Howard Administration, the Stronger Families and Communities Strategy (SFCS) 2000-2004, since the latter half of the 1990s to the early 2000s by the text analysis. It has been some time since the diversity of family has been recognized. From the 1970s through the late 1990s (or the early 2000s), a discourse of family is formulated by the studies of family history that was influenced by feminism and it has been affecting the family policies of the Australian Government. In recent years, the Howard Administration has also been using the word "families", the plural form, to imply diversity of family. At the same time, it is asking for families to be "self-reliant". These two concepts have been linked through the formation of the policy, SFCS 2000-2004, and "families of self-reliance" has been put into effect. On the other hand, it is also said that the Howard Administration is still supporting the modern family as the "ideal" family. Although its discourse of "family" seems to be contradicting, it actually has the consistency as a political strategy of the neo-liberalism which the Howard Administration has been promoting. Here, it is shown that the reasons for this kind of situation are not only the Prime Minister, Mr. Howard's conservative vision of family, but also the "family" discourse that the family history studies formulated and the political correctness that the word "families" obtained as an expression of family. The word "families" is becoming the "mean" of the neo-liberalism and in this context, it is becoming "meaningless".
著者
藤田 智子
出版者
東海大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

日本の大学英語教育プログラム評価を効率よく有効に行う方法を検討するために、事前事後テストに焦点を当てた。項目応答理論(IRT)の利用により、事後テストは事前の14%の被験者数であっても被験者能力値(θ)の平均値変化が推定可能となる。また、事前事後テストを最適の等化の方法(IRT モデルと等化方法)を選択して実施する重要性を研究した。さらにθとニーズアンケート結果を用いて分析し、プログラム評価のさらなる証拠とすることも提案する。