著者
山塙 圭子
出版者
北翔大学
雑誌
北海道女子大学短期大学部研究紀要 = Bulletin of Hokkaido Women's College (ISSN:02890518)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.57-70, 1998

明治時代の開拓期から全国的な生活革新が始まる昭和35年(1960)頃までの北海道における食生活用具の変遷について考察した。以下,各時代別に要点をまとめる。1)明治初期の開拓期この時代は衣食住すべてにおいて自給自足の生活である。また暖かい本州での生活文化をそのまま持ち込み,北の厳しい寒さへの対応が殆ど見られない。食生活の基盤である水については湧き水やそれから通じる川水などの自然水の利用が多い。しかし屯田兵村では道内どこでも最初から井戸の布設があった。いずれにしても,荷桶を使い人手で水を運んだ。火元は伝統的な囲炉裏であるが,開拓初期には薪の焚口がある三方を囲んだ「踏み込み炉」が見られる。特徴的な台所用具として,初期にはこれも伝統的な脚のない「座り流し」がある。北海道における開拓期を象徴する調理用具に,原生林の大木をそのまま利用した容器,まな板等,各種の手製木工品が見られる。2)明治末期から大正初期自給自足の生活から,外部に依存する度合いが増してくる。また薪ストーブの普及など北の自然風土に対応した生活文化が徐々に生まれている。水回りについては「井戸水」の使用が増加する。台所・調理用具は購入物が増え樽の代わりに陶器の「水がめ」や「チャブ台」が使用されるようになる。また「ハレ」の道具として輪島塗りの「本膳」や「会席膳」を揃える風潮も現れる。3)大正末期から昭和初期欧米をモデルにした近代化が始まり,人々の意識にも大正デモクラシーの自由主義的な風潮が起こり,生活に大きな変革が生まれた時代である。水回りはポンプが全盛になる。薪ストーブに代わり各種石炭ストーブが普及し,冬はこれら炊事の火となる。酪農の振興により乳製品や肉類,洋風の食べ物が出回り,北海道らしい生活文化が確立される。洋風料理の導入により,フライパンが新しい調理用具として使われるようになり,同時に西洋皿,スプーン,ガラスコップなど,洋風の食器類が一般家庭にも普及する。4)戦中・戦後第二次世界大戦が激しくなる昭和16年(1941)頃から,日本国中極度の耐乏生活を強いられる。食料も不足し,主食は芋,南瓜,雑穀等代用食の時代になるが,台所の各種金属製調理用具まで軍需産業に回されたため,調理用具も陶製,木製その他代用品が出現する。戦後は航空機の余剰金属のジュラルミン製調理用具が各種出回るのも,この時期の特徴である。上水道の設置復活は,昭和25年(1950)頃から始まり昭和32年頃までに市外部を除き,道内各地の整備がなされた。高度経済成長期の昭和35年(1960)年以降には家庭電化時代が始まり,台所・調理用具の大変革が起こり,生活態様も大きく変わった。開拓期の原初的な食生活用具から,今日では機能的にほぼ完成品と思われる食生活用具へと変遷をとげ,それに対応する食生活が展開された。物のない時代の人々の豊かな発想,優れた行動力,惜しまぬ労力が至る所で示されていた。今後もさらに合理性,便宜性に富む食生活用具は登場するだろう。その現実から後戻りは出来ないが,そこに生じるであろう様々な問題点をいかに解決していくか,現代人の英知が問われている。
著者
会田 久仁子 阿部 純子 角野 幸子 山塙 圭子 遠藤 英子 角野 猛 山田 幸二
出版者
日本食生活学会
雑誌
日本食生活学会誌 (ISSN:13469770)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.70-74, 1999
被引用文献数
1

We analyzed the various component and bacteria of Home-made Izushi in Hokkaido Area.<BR>The results were as follows:<BR>1. The averages of contents of salt and potassium, and water activity of Home-made Izushi were 2.3%, 121mg/100g and 0.941, respectively.<BR>2. The total amounts of free amino acids of Izushi were 540mg/100g-2522mg/100g.<BR>The major free amino acids of Izushi were glutamic acid, alanine, leucine, anseline and lysine.<BR>3. Major fatty acids composition of Izushi were C18:1, C16:0 and C18:3.<BR>4. Mean bacterial counts and lactic acid bacteria of Izushi were 6.168/log/g and 6. 598/log/g, respectively.Coliform organisms, E.coli, Staphylococcus aureus and Salmonella were not detected from Izushi.
著者
菊地 和美 菅原 久美子 木下 教子 酒向 史代 坂本 恵 高橋 セツ子 土屋 律子 芳賀 みづえ 藤本 真奈美 村上 知子 村田 まり子 山口 敦子 山塙 圭子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.24, 2012

【目的】年中行事や通過儀礼を行うハレの日には、食事も日常とは区別され、各家庭や地域で独自の習慣がみられている。食生活が多様化する中、地域における年中行事や伝統食を大切にし、次の世代への継承にむけた取り組みが推進されるようになってきた。そこで、本研究は北海道の行事食と儀礼食について、親子間(学生とその親)からみた認知状況や摂食状況などの実態把握を行い、地域性を明らかにすることを目的として検討した。【方法】調査は日本調理科学会特別研究(平成21~23年度)に基づき、北海道に居住する親181名と子181名(計362名)を対象として、調査時期は平成21年12月~22年8月に実施した。データは単純集計および親子間によってクロス集計を行い、χ2検定により分析した。【結果】親子間で認知・経験が一致する回答は、行事食が74.0%、儀礼食は49.8%であった。行事食と儀礼食を認知している割合は親が子よりも多く、親子間で有意差がみられたのは盂蘭盆、お七夜、百日祝い、初誕生、厄払いであった(p<0.01)。行事食と儀礼食の経験がある割合も親が子よりも多く、有意差がみられたのは春分の日、端午の節句、盂蘭盆、土用の丑、お月見、秋分の日、出産祝い、お七夜、百日祝い、初誕生、成人式、結納、婚礼、厄払い、長寿であった(p<0.01)。北海道の正月料理のうち、親子間で「現在、家庭で作る」という回答が一致していたのは、たこ刺身が7組(親子間一致なし12組)、くじら汁が2組(親子間一致なし3組)、いずしが2組(親子間一致なし2組)であった。今後はさらに、北海道における特徴的な行事食・儀礼食の親子間による伝承を検討する必要性が示唆された。
著者
山塙 圭子
出版者
北翔大学
雑誌
北海道女子大学短期大学部研究紀要 (ISSN:02890518)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.57-70, 1998

明治時代の開拓期から全国的な生活革新が始まる昭和35年(1960)頃までの北海道における食生活用具の変遷について考察した。以下,各時代別に要点をまとめる。1)明治初期の開拓期この時代は衣食住すべてにおいて自給自足の生活である。また暖かい本州での生活文化をそのまま持ち込み,北の厳しい寒さへの対応が殆ど見られない。食生活の基盤である水については湧き水やそれから通じる川水などの自然水の利用が多い。しかし屯田兵村では道内どこでも最初から井戸の布設があった。いずれにしても,荷桶を使い人手で水を運んだ。火元は伝統的な囲炉裏であるが,開拓初期には薪の焚口がある三方を囲んだ「踏み込み炉」が見られる。特徴的な台所用具として,初期にはこれも伝統的な脚のない「座り流し」がある。北海道における開拓期を象徴する調理用具に,原生林の大木をそのまま利用した容器,まな板等,各種の手製木工品が見られる。2)明治末期から大正初期自給自足の生活から,外部に依存する度合いが増してくる。また薪ストーブの普及など北の自然風土に対応した生活文化が徐々に生まれている。水回りについては「井戸水」の使用が増加する。台所・調理用具は購入物が増え樽の代わりに陶器の「水がめ」や「チャブ台」が使用されるようになる。また「ハレ」の道具として輪島塗りの「本膳」や「会席膳」を揃える風潮も現れる。3)大正末期から昭和初期欧米をモデルにした近代化が始まり,人々の意識にも大正デモクラシーの自由主義的な風潮が起こり,生活に大きな変革が生まれた時代である。水回りはポンプが全盛になる。薪ストーブに代わり各種石炭ストーブが普及し,冬はこれら炊事の火となる。酪農の振興により乳製品や肉類,洋風の食べ物が出回り,北海道らしい生活文化が確立される。洋風料理の導入により,フライパンが新しい調理用具として使われるようになり,同時に西洋皿,スプーン,ガラスコップなど,洋風の食器類が一般家庭にも普及する。4)戦中・戦後第二次世界大戦が激しくなる昭和16年(1941)頃から,日本国中極度の耐乏生活を強いられる。食料も不足し,主食は芋,南瓜,雑穀等代用食の時代になるが,台所の各種金属製調理用具まで軍需産業に回されたため,調理用具も陶製,木製その他代用品が出現する。戦後は航空機の余剰金属のジュラルミン製調理用具が各種出回るのも,この時期の特徴である。上水道の設置復活は,昭和25年(1950)頃から始まり昭和32年頃までに市外部を除き,道内各地の整備がなされた。高度経済成長期の昭和35年(1960)年以降には家庭電化時代が始まり,台所・調理用具の大変革が起こり,生活態様も大きく変わった。開拓期の原初的な食生活用具から,今日では機能的にほぼ完成品と思われる食生活用具へと変遷をとげ,それに対応する食生活が展開された。物のない時代の人々の豊かな発想,優れた行動力,惜しまぬ労力が至る所で示されていた。今後もさらに合理性,便宜性に富む食生活用具は登場するだろう。その現実から後戻りは出来ないが,そこに生じるであろう様々な問題点をいかに解決していくか,現代人の英知が問われている。