著者
佐賀 朝 松井 洋子 小野沢 あかね 人見 佐知子 横山 百合子 吉田 伸之 金 富子 吉田 ゆり子 塚田 孝 神田 由築 浅野 秀剛 米谷 博 杉森 哲也 初田 香成 松田 法子 本康 宏史 齊藤 俊江 松田 有紀子 屋久 健二 吉元 加奈美 武林 弘恵 ボツマン ダニエル
出版者
大阪市立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究では、日本近世~近代における国内各地や植民地の遊廓の調査を進め、遊廓の開発や社会=空間構造を分析するとともに、一次史料を用いて、遊女屋・貸座敷の経営内部における女性たちへの抑圧と搾取の構造の解明も進めた。その結果、近世後期以降の遊廓の大衆化と全国的普及の過程で女性たちに対する搾取が強化される一方、明治維新に伴う公娼制度の改革を経て、女性たちが多様な手段を用いて搾取や暴力に直接・間接に抵抗し、それが遊廓社会の変容を促していくことも明らかになってきた。継続的な現地調査や研究会と研究者のネットワーク化、「遊廓・遊所研究データベース」の充実により、新しい遊廓研究が現れてきた点も重要な成果である。
著者
佐賀 朝 塚田 孝 吉田 伸之 人見 佐知子 神田 由築 小野沢 あかね 松井 洋子 吉田 ゆり子 金 富子 浅野 秀剛 伊藤 毅 米谷 博 杉森 哲也 初田 香成 松田 法子 松本 良太 本康 宏史 横山 百合子
出版者
大阪市立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本課題では、日本近世~近代における「遊廓社会」の形成・普及の歴史について、三都と中核とする列島各地や植民地の事例も視野に入れて、比較類型史論・都市社会=空間構造論の方法を用いて共同研究を実施した。その最大の成果は、『シリーズ遊廓社会』全2巻(吉川弘文館)であり、本課題の代表者・分担者・連携者・協力者21名による論稿を掲載することができた。列島各地で個別の現地調査や、調査と一体の研究会を開催し、遊廓研究のネットワーク化を図るとともに、府県別の遊廓・遊所の沿革と史料情報を内容とするデータベースWEBサイトを構築し、今後の遊廓・遊所研究の発展につながる基盤を構築した点も特筆すべき成果である。
著者
本康 宏史
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.147, pp.269-314, 2008-12

本稿では、まず、「戦争と神社」をめぐる研究史で、さきの「資料報告書」(戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究)の項目をも踏まえ、近代日本の戦争研究史における、神社との関係にかかわる研究蓄積・研究動向の紹介と、その中での「営内神社」研究の現状と意味を指摘する。ついで、営内神社の創建と展開―軍隊の駐留と神社―では、営内神社の沿革と諸相について簡単に触れ、「軍都」金沢の営内神社、すなわち、①歩兵第七連隊の歩七忠魂社と、②第九師団特科隊の営内神社(功久神社・工兵連隊、貴勲神社・騎兵連隊、燦勲神社・山砲連隊、輜勲神社・輜重兵連隊)の事例を紹介する。その際、「軍都」としての地方都市のさまざまなあり方を確認するためにも、金沢のほかに、豊橋(歩兵第十八連隊の彌健神社・陸軍教導学校の豊秋津神社)、福知山(歩兵第二十連隊の鎮国神社)など、営内神社の痕跡の残る都市の事例を紹介して、比較検討の視点を確保したい。さらに、営内神社の「記憶」と地域では、営内神社の系譜に関して、①稲荷信仰・八幡信仰との関係、②艦内神社と一宮の関係などを紹介したうえで、戦後の「記憶」について、記念碑や聞き取りをベースに分析する。具体的には、「歩七忠魂社の記憶」として、石川護国神社の記念碑や連隊誌の編纂などを、さらに、「輜勲神社の戦後」に関しては、戦後の引き揚げと「平和町」の誕生を背景に、功久神社、貴勲神社、燦勲神社が輜勲神社に合祀され、「平和神社」と改称(再建、再編)、維持される経緯について検証する。最後に、営内神社の系譜を「艦内神社」を含め考察し、今後の課題を整理する。As a study of the history of research on "war and shrines", the first part of this paper introduces research and research trends associated with shrines in the context of the history of research on Japan's wars in the modern period and also in relation to items in the "Report on Written Materials" published earlier. It also considers the current status and meaning of research into "military shrines".In the second part, which examines the construction and development of military shrines in association with the stationing of the military and Shinto religious beliefs, a brief outline is given of the history of military shrines and the military shrines that existed in the "military city" of Kanazawa. Namely, it introduces the examples of the Chukon-sha of the 7th Infantry Regiment and the military shrines of the special regiments of the 9th Division (Norihisa Shrine of the engineers regiment, Kikun Shrine of the cavalry regiment, Sankun Shrine of the mountain artillery regiment and Shikun Shrine of the transport regiment). In order to corroborate the various features of this provincial "military city", examples of cities where the remains of military shrines exist, including Toyohashi (the 18th Regiment's Yaken Shrine and the Military Academy's Toyoakitsu Shrine) and Fukuchiyama (Chinkoku Shrine) are introduced to provide a comparative perspective.In the third part on "memories" of military shrines and the community, the genealogy of military shrines is introduced by looking at their associations with Inari and Hachiman religious beliefs and the relationship between shrines on navy vessels and Ichinomiya shrines. A study of post-war "memories" is undertaken based on memorials and oral histories. More specifically, "memories of the 7th infantry regiment's Chukon-sha" are studied using memorials in the Ishikawa Gokoku Shrine and the compilation of regimental journals. As for the Shikun Shrine during the post-war period, an examination is made of the merging of Norihisa Shrine, Kikun Shrine and Sankun Shrine into Shikun Shrine against the backdrop of the withdrawal of the military after the war, the ensuing birth of a "town of peac" and the changing of the shrine's name to Heiwa Shrine accompanying its reconstruction and reorganization.
著者
中川 理 石田 潤一郎 小野 芳朗 丸山 宏 青井 哲人 大田 省一 木方 十根 清水 重敦 砂本 文彦 谷川 竜一 中嶋 節子 中野 茂夫 松山 恵 本康 宏史 山口 敬太
出版者
京都工芸繊維大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

わが国の都市空間は、明治維新から太平洋戦争時までの間に実施された各種の都市基盤整備の事業によって再編された。この研究は、近代におけるわが国の都市空間の変容を、その事業が計画・執行される仕組みを理解することで解明する。都市基盤整備の事業は、国家、地方行政、地権者、共同体、民間資本などが多様な関係を築き実施されていた。そして、その関係は、学知や技術による客観的評価に基づく、一元的な制度システム(仕組み)に回収されていくようになったことがわかった。