著者
宇都宮 京子 稲木 哲郎 北條 英勝 佐藤 壮広 横山 寿世理
出版者
東洋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

本研究の目的は、「初詣をする」、「豆まきをする」など無宗教を自認する日本人によっても行われ、伝統的な宗教や慣習との関連で説明されてきた多くの行為を、「呪術」的要素と関係づけて説明するということであった。その際、この「呪術」的要素を前近代の残滓として扱うのではなく、「近代的思惟や近代諸学の視点(「世俗化」論や「呪術からの解放」論)においては看過されてきた諸問題を可視化させる装置」として位置づけたところに本研究の特徴がある。具体的手順としては、まず平成16年度は、沖縄において、民間巫者のユタの存在に注目しながら現代社会になお残っている呪術的要素の実態を主にインタビュー調査を通して確認した。次に平成17年度は、その結果得られた視点を生かしつつ、「呪術的なるもの」という概念を作成し、東京都23区在住者を対象に社会意識調査を行った(1200票配布、回収調査票数724票、回収率60.3%(サンプル数比))。平成18年度は、過去2年間の研究成果や調査データの理論的かつ実証的に分析・検討した。その結果、東京都23区調査の結果として以下のような諸見解を得た。まず、呪術的なものに親和性を示す人々は、伝統的なものを守るという保守的な面も持ち合わせるが、ただ因習に従って堪え忍ぶといった消極的で受け身的な傾向は弱く、むしろ、幸せと身の安全のためにはあらゆる知識や方法を活用する傾向が強い。また、「高齢者の方により呪術否定的な傾向が見られがちである」、「現状に満足している人ほど呪術肯定的である」、「男性よりも女性の方が呪術肯定的である」など、呪術的なものをめぐる人々の態度には、従来の人間観では説明できない一定の特徴があることが分かった。以上、このような諸傾向を説明するには、科学的=合理的=脱呪術的=自立した近代的人間という従来からの図式を超える新しい図式が必要であることが確認された。
著者
横山 寿世理 金 瑛 柳田 洋夫
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第34巻, no.第1号, pp.147-159, 2021-10-25

フランス社会学者モーリス・アルヴァックスの『聖地における福音書の伝説地誌:集合的記憶研究』の序論をここに邦訳する。本書は,聖地パレスチナについての集合的記憶の枠組みが,キリスト教集団において共有されてきたことを実証する研究であった。新約聖書に始まり,数々の文学作品や伝承における聖地の記述がそれぞれ少しずつ異なっても,聖地パレスチナにおいて聖地を特定することで生じる空間的枠組みはほぼ共通していることを示している。 膨大なアルヴァックスの著作に反して,日本では,邦訳された著作が非常に少ない。本翻訳はその一部に過ぎないが,その邦訳作業の一端になることを目指す。
著者
浪江 巌 篠田 武司 宮本 太郎 横山 寿一 前田 信彦 北 明美 伊藤 正純
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

完全雇用は、どの先進諸国においても戦後福祉国家にとっての基本的な政策であった。しかし、現在のグローバル化と知識社会化のもとでは、完全雇用を実現することは困難になってきた。福祉国家の危機も進んでいる。では、こうした雇用と福祉の危機のなかで、各国はどのようにそれに対処しようとしているのか。それを高度福祉国家スウェーデンにおいてみながら、日本にとってのその意味を考察したのが本研究である。本研究で明らかになったことは、次のことである。(1)完全雇用を実現することを福祉国家スウェーデンの中心的政策として明確に位置付けてきたスウェーデンにおいても、その実現は難しくなっていること、(2)特に、社会的弱者ともいえる移民、青年層、女性、障害者などが労働市場から排除されるか、雇用の多様化が進む中で雇用の質が落ちていること、(3)しかし、現実には将来的に少子化の中で雇用をいかに確保するべきかがいまから大きな課題として認識されていること、(4)したがって、あくまで失業率を下げ、雇用率を上げるために政府は労働市場政策プログラムを様々な形で展開していること、(5)しかし、財政の関係、ならびにEU内でも進むワークフェアー的な労働市場政策の影響も受け、90年代以降その政策が変わりつつあること、などを確認した。では、どのように労働市場政策は変わりつつあるのか。ひとことでいえば、(1)労働市場政策の分権化、いいかえれば地方の役割を大きくしつつあることである。(2)多用な雇用形態が進むとともに、規制緩和が進み、民間企業による派遣事業が許可された。(3)労働市場弱者にたいするきめ細かい政策が実行されていることである。労働市場弱者を労働市場から排除しないことが社会結合にとって大きな課題であることが自覚されている。日本においても失業率の高止まり、また将来的には労働力不足を迎えるという事態はスウェーデンと変わらない。したがって、雇用対策がこの間、重視され、様々な政策が実行されてきた。しかし、まだスウェーデンと比べると危機感が少ないかに見えるし、対策の効用も十分あきらかにされていないかに見える。報告書は、12章から成り立つ。1章-「スウェーデン労働市場とG・レーン(宮本)、2章「労働市場の現状と政策の変化」(篠田)、3章「労働市場政策プログラムと職業訓練・教育」(伊藤)、4章「スウェーデンにおける雇用の男女平等」(北)、5章「保護雇用会社のサムハルの現状と未来」(福地)、6章「若年雇用政策の理念と現実」(櫻井)、7章「高齢者による人口問題の解決」(B・ヴィクルンド)、8章「障害者雇用の現実と課題」(横山)、9章「雇用対策における非営利セクターの役割」(中里)、10章「労働時間をめぐる政策動向」(浪江)、11章「分権化とクラスター・ダイナミクス」(G・ヨーラン)、12章「惨めなリーン生産方式か、豊な方式か?」(T・ニルソン)
著者
横山 寿
出版者
日本陸水学会
雑誌
陸水学雑誌 (ISSN:00215104)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.125-144, 2019
被引用文献数
2

<p> アジア原産のシジミ属二枚貝が1920年代に北アメリカに侵入し,その後,南アメリカ,ヨーロッパに拡散した。1980年代には日本国内にも侵入し,世界各地の生態系や経済に負の影響を及ぼしてきた。この問題への関心を喚起するため,どこを原産地とする何というシジミが,どのように,なぜ新地への侵入に成功し,分布を拡大させ,在来生態系や地域経済にいかなる影響を及ぼしてきたのか,いかなる対策が必要かを2報に分けて解説する。第1報の本報では分類の問題点,外来シジミの起源,侵入・拡散経路の推定に寄与した形態と遺伝子分析による系統分類および侵入・拡散のメカニズムを概説した。最近の系統分類研究の成果は次のとおり:1) 形態のみでは種,系統を同定できない;2) 雄性発生する雌雄同体,淡水性の数系統が外来種となっている;3) 在来のマシジミと外来のタイワンシジミ間の形態・分子遺伝学的差異は微小であり,両種はごく近い近縁種か,前者は後者の一系統と推定される。生息場所,形態,核型,精子形態,生殖様式,ミトコンドリア・核の遺伝子マーカーの分析により,外来シジミの系統,起源と侵入・拡散経路の一端が明らかになりつつある。</p>
著者
横山 寿 西村 昭史 井上 美佐
出版者
水産海洋学会
雑誌
水産海洋研究 (ISSN:03889149)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.142-147, 2002-08-31
参考文献数
17
被引用文献数
11

現在、日本の海面魚類養殖業は自家汚染に伴う環境問題に直面しており、その解決策として漁場環境を的確に評価する手法や漁場の環境容量を推定する手法を開発することが求められてる。移動性の少ないマクロベントスは局所的な個々の場所の指標性に優れる。この特性を利用して、マクロベントスの生息状況に基づいた増養殖漁場における種々の環境基準が提案され、マクロベントスを生物指標とした魚類養殖場のモニタリング調査や環境評価が行われるようになってきた。魚類養殖場では全世界的な汚濁指標種である多毛類がしばしば優占的に出現する。また、宮城県下のギンザケ養殖場では多毛類や甲殻類が特異的に高密度で分布することが報告されている。しかし、これらの知見は1~数カ所の養殖場から得られたものがほとんどで、環境条件や養殖規模が異なる多くの試料に基づいて養殖活動がマクロベントス群集に及ぼす影響を総合的に解析した例は見当たらない。前報では、養殖規模や地形が異なる熊野灘沿岸の22カ所の養殖場から夏季のマクロベントスと水質・底質の試料を得て、マクロベントスの群集パラメータと養殖生産量、養殖場の物理的環境要素の指標とした内湾度指数EDおよび化学的諸環境要因との相互の関係を解析した。本報では、同漁場で行った冬季調査の結果を加え、マクロベントス群集の種組成に及ぼす内湾度指数と養殖活動の影響を解析し、群集型の判別により漁場環境を評価するとともに、持続的な生産を可能にする適正養殖量を推定することを試みた。
著者
横山 寿世理 ヨコヤマ スゼリ
雑誌
2010-2012年度科学研究費補助金(若手研究(B))研究成果報告書
巻号頁・発行日
2013-06

課題番号:22730401 アルヴァックス『集合的記憶』『労働階級と生活水準』『記憶の社会的枠組み』の文献研究を通じて、集合的記憶論の保存の役割を学説的に明らかにした。また、そのような集合的記憶論が、実際の集合的記憶事例を分析する際の方法論となり得るのかを検証するために、原爆文学批評を集合的記憶として考察した。