著者
一柳 廣孝 栗田 英彦 菊地 暁 吉永 進一 石原 深予
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

日本心霊学会は、1910年前後から20年前後まで活動した、当時最大規模の霊術団体のひとつである。その日本心霊学会の機関誌である「日本心霊」のほぼ揃いが、同学会の後進にあたる京都人文書院で奇跡的に発見された。近代日本の精神史を探るうえでの一級資料である「日本心霊」について、本プロジェクトは全資料の裏打ち処理、脱酸素処理を施してPDF化を進めるとともに、二度にわたるワークショップで近代科学史、仏教史、近代出版文化史、日本近代文学などの多様な観点から分析を進め、それぞれの研究成果については書籍、論文、学会発表の形で公表した。
著者
菊地 暁
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.165, pp.141-172, 2011-03-31

従来の「民俗学史」が抱えてきた「柳田中心史観」「東京中心史観」「純粋民俗学中心史観」ともいうべき一連の偏向を打開すべく、筆者は「方法としての京都」を提唱している。その一環として本稿では国民的辞書『広辞苑』の編者・新村出(一八七六―一九六七)を取り上げる。新村は柳田国男と終生親交を結び続けたが、その学史的意義が正面から問われたことはこれまでなかった。その理由の一端は、両者の交流を跡づける資料が見つからなかったことによるが、筆者は、新村出記念財団重山文庫ならびに大阪市立大学新村文庫の資料調査から、柳田が新村に宛てた五〇通あまりの書簡を確認した。これらは便宜的に、a)研究上の応答、b)資料の便宜、c)運動としての民俗学、d)運動としての方言学、e)交友録、に区分できる。これらの書簡からは、明治末年から晩年に至るまで、語彙研究を中心とした意見交換がなされていること、柳田の内閣書記官記録課長時代に新村が資料閲覧の便宜を得ていること、逆に柳田が京大附属図書館長の新村に資料購入の打診をしていたこと、柳田が「山村調査」(一九三四―一九三六)の助成金獲得にあたり、新村に京大関係者への周旋を依頼していること、一九四〇年創立の日本方言学会の運営にあたって、研究会開催、学会誌発行、会長選考、資金繰りなど、さまざまな相談していること、等々が確認される。こうした柳田と新村の関係は、一高以来の「くされ縁」と称するのが最も妥当なように思われるが、その前提として、「生ける言語」への強い意志、飽くなき資料収集、言語の進歩への楽観、といった言語認識の基本的一致があることを忘れてはならない。さらには、二人の関係が媒介となって、京大周辺の研究者と柳田民俗学との交流が促進されたことも注目される。
著者
菊地 暁
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.117, pp.157-158, 2021-05-31

<書評特集>菊地暁・佐藤守弘編『学校で地域を紡ぐ --『北白川こども風土記』から--』本特集の書評者は,2020年6月25日から7月16日に4週連続で開催されたオンライントークイベント『学校で地域を紡ぐ --『北白川こども風土記』から--』にコメンテイターとして御登壇いただいた諸氏に若干名を加えたものである。
著者
菊地 暁
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.165, pp.141-172, 2011-03

従来の「民俗学史」が抱えてきた「柳田中心史観」「東京中心史観」「純粋民俗学中心史観」ともいうべき一連の偏向を打開すべく、筆者は「方法としての京都」を提唱している。その一環として本稿では国民的辞書『広辞苑』の編者・新村出(一八七六―一九六七)を取り上げる。新村は柳田国男と終生親交を結び続けたが、その学史的意義が正面から問われたことはこれまでなかった。その理由の一端は、両者の交流を跡づける資料が見つからなかったことによるが、筆者は、新村出記念財団重山文庫ならびに大阪市立大学新村文庫の資料調査から、柳田が新村に宛てた五〇通あまりの書簡を確認した。これらは便宜的に、a)研究上の応答、b)資料の便宜、c)運動としての民俗学、d)運動としての方言学、e)交友録、に区分できる。これらの書簡からは、明治末年から晩年に至るまで、語彙研究を中心とした意見交換がなされていること、柳田の内閣書記官記録課長時代に新村が資料閲覧の便宜を得ていること、逆に柳田が京大附属図書館長の新村に資料購入の打診をしていたこと、柳田が「山村調査」(一九三四―一九三六)の助成金獲得にあたり、新村に京大関係者への周旋を依頼していること、一九四〇年創立の日本方言学会の運営にあたって、研究会開催、学会誌発行、会長選考、資金繰りなど、さまざまな相談していること、等々が確認される。こうした柳田と新村の関係は、一高以来の「くされ縁」と称するのが最も妥当なように思われるが、その前提として、「生ける言語」への強い意志、飽くなき資料収集、言語の進歩への楽観、といった言語認識の基本的一致があることを忘れてはならない。さらには、二人の関係が媒介となって、京大周辺の研究者と柳田民俗学との交流が促進されたことも注目される。This article proposes "Kyoto as a method" in order to challenge a series of biased views such as "Yanagitacentric historical view," "Tokyo-centric historical view," and "pure folklore-centric historical view" that exist in conventional "history of folklore studies." This article examines Izuru Shinmura (1876 - 1967), who was an editor of the national dictionary "Koujien." Shinmura continued to be a friend of Kunio Yanagita for life, but the meaning of this friendship in the history of studies has not been fully discussed. One of the reasons for this is that no materials that evidence the exchanges between them had been found. However, the author of this article found more than fifty letters from Yanagita to Shinmura during research on materials in Chozan-bunko Collection of Shinmura Izuru Foundation and Shinmura-bunko Collection of Osaka City University. For convenience, the letters may be classified into a) responses for research, b) favors for materials, c) folklore studies as a movement, d) dialectology as a movement, and e) records of friendship. From these letters, the following facts have been confirmed: they exchanged opinions mainly on vocabulary studies from the late Meiji period to their last years; Shinmura obtained permission of reading materials by favor when Yanagita was the chief of the record section of the Secretary to the Cabinet; Yanagita consulted Shinmura who was the director of Kyoto University Library about the purchase of materials; Yanagita asked Shinmura to introduce him to persons concerned of Kyoto University for the grant for "Survey on Mountain Village" (1934 - 1936); for the management of the Society of Japanese Dialects founded in 1940, Yanagita consulted about various things such as study meetings, publication of the journal of the Society, selection of chairman, financing, etc. Such relationship between Yanagita and Shinmura may be considered an "inescapable relationship" since the time at Daiichi High School. However, we should remember that their relationship was based on their basic agreement on language recognition such as strong will toward "living language," insatiable collecting of materials, and optimism for progress of language. Furthermore, it is noteworthy that their relationship promoted exchange between researchers around Kyoto University and the folklore studies of Yanagita.
著者
大月 隆寛 岡田 顕宏 坂梨 夏代 武井 昭也 横田 久貴 飯田 俊郎 菊地 暁 赤川 智保 吉岡 精一
出版者
札幌国際大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

メディアコンテンツと「地域」の関係について、従来の人文社会系諸領域からのアプローチを方法的に概括し、激変しつつある現在の情報環境において有効な新たな視角を学際的・領域横断的に模索する考察を行った。文化資源としてのメディアコンテンツの視点から、富良野市および近郊にある「文化資源(文化財資産)」の調査を行い、富良野が持つ文化資源の掘り起こしと、それが町の活性化-町おこしにどう利用されているのかを歴史的に捉え現在の問題点の抽出を試みた。官民連携についての住民の意識についての調査も行い、『北の国から』がどのように記憶されているのか、当時実際に関わった人たちなどへの聞き書き取材もできる限り行った。
著者
菊地 暁 Kikuchi Akira
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
国際常民文化研究叢書4 -第二次大戦中および占領期の民族学・文化人類学-=International Center for Folk Culture Studies Monographs 4 ―Ethnology and Cultural Anthropology during World War II and the Occupation―
巻号頁・発行日
pp.269-451, 2013-03-01

1943 年に国立研究機関として設置された民族研究所は、民族学・文化人類学の戦中と戦後を考える上で看過できない組織である。この研究所が孕む問題の一つに接収図書がある。日本軍によって中国大陸から接収された大量の図書が、研究所に運び込まれ、国策研究に活用されていたのだ。 松本剛(1993)、中生勝美(1997)、廣庭基介(2009)、鞆谷純一(2011)などの先行研究がその概要を明らかにしている。民族研究所は、海軍により接収された英国王立アジア協会上海支部、中山大学、南開大学などの蔵書を受け入れた後、東京大空襲による被災のため彦根に疎開、そのまま終戦を迎え、同年10 月に廃庁となる。彦根に残された蔵書は1946 年2 月に京都大学に移送、同年8 月、GHQ より民研旧蔵書に含まれる接収図書の調査依頼がなされ、1947 年4 月、神戸港にて中華民国代表に接収図書3 万冊余りを返還、これによって民研に関わる接収図書の戦後処理は一応完了する。 この結果、民研旧蔵書から接収図書を除いた残余が京大に残されることとなった。文学研究科図書館の特殊コレクション「民研本」と「米田文庫」、附属図書館の登録図書および未登録資料である。この悉皆調査を実施した結果、以下のことが分かった。①民研旧蔵書は必ずしも民族学・民族論に特化したものではなく、中国を中心に広く大東亜共栄圏に関わるさまざまなジャンルの図書・雑誌を含んでいる。②現存する民研旧蔵書は寄贈・購入本が大半で、接収図書と推定されるものは全体の1 パーセント程度であり、不注意な「返し忘れ」と推測される。③図書と同時に研究所の内部文書の断片が運び込まれており、研究所の活動を考える端緒となる。④民研旧蔵書の保管状況は、文学研究科と附属図書館、登録資料と未登録資料という具合に分かれたが、これは図書の内容による区分とは考えがたく、未完了な図書整理プロセスを反映していると考えられる。以上から、民研本は、20 世紀の激動とその未解決な「戦後」を物語る「生証人」といえそうである。
著者
貴志 俊彦 陳 來幸 石川 禎浩 武田 雅哉 川島 真 柴山 守 松本 ますみ 孫 安石 大澤 肇 小林 聡明 谷川 竜一 菊地 暁 富澤 芳亜 泉水 英計 西村 陽子 李 梁
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本共同研究では、近100 年間に東アジア域内で起こった歴史的事件、あるいは時代の画期となるトピックをとりあげ、それぞれの局面で登場した非文字史料がはたした役割とその受容者の解釈を検討した。国内外における広範な調査と成果発表にあたっては、複数の地域で製作された非文字史料を比較対照するとともに、(a)図像解釈学的分析、(b)語彙分析による情報処理、(c)コミュニケーション・パターン分析等を導入して、紛争・協調の時代イメージと非文字史料との因果関係を明らかにした。
著者
山室 信一 菊地 暁 坂本 優一郎 谷川 穣 藤原 辰史 早瀬 晋三 早瀬 晋三
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

専ら時間軸上で構築されてきた従来の学的パラダイムを空間軸に沿って見直し、これまでの空間把握の営みの成果を取捨選択しつつ、人文・社会科学における諸概念を再構成していくための基底的研究を進めた。文献会読、フィールドワーク、個別研究を通じて、政治学・経済学・農政学・地政学や、景観・海域・宗教・戦争で問題とされた空間に関する思想や実践のありかたを明らかにしつつ、従来前提とされていた諸概念を再検討した。