著者
一柳 廣孝 栗田 英彦 菊地 暁 吉永 進一 石原 深予
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

日本心霊学会は、1910年前後から20年前後まで活動した、当時最大規模の霊術団体のひとつである。その日本心霊学会の機関誌である「日本心霊」のほぼ揃いが、同学会の後進にあたる京都人文書院で奇跡的に発見された。近代日本の精神史を探るうえでの一級資料である「日本心霊」について、本プロジェクトは全資料の裏打ち処理、脱酸素処理を施してPDF化を進めるとともに、二度にわたるワークショップで近代科学史、仏教史、近代出版文化史、日本近代文学などの多様な観点から分析を進め、それぞれの研究成果については書籍、論文、学会発表の形で公表した。
著者
栗田 英彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.239-267, 2013-03

大正期に一世を風靡した心身修養法に岡田式静坐法がある。創始者の名は岡田虎二朗(一八七二―一九二〇)という。彼は、静坐実践を通じて内的霊性を発達させることができると述べ、日本の伝統も明治以降の西洋文明輸入政策も否定しつつ、個人の霊性からまったく新たな文化や教育を生み出そうとした。こうした主張が、近代化の矛盾と伝統の桎梏のなかでもがいていた知識人や学生を含む多くの人々を惹きつけることになったようである。これまで、岡田の急逝をきっかけに、このムーブメントは急速に消えていったように記述されることが多かった。しかしながら、実際にはその後もいくつか静坐会は存続しおり、その中の一つに京都の静坐社があった。静坐社は、岡田式静坐法を治療に応用した医師・小林参三郎(一八六三―一九二六)の死後に、妻の信子(一八八六―一九七三)によって設立された。雑誌『静坐』の刊行を主な活動として、全国の静坐会ネットワークを繋ぐセンター的な役割を果たしていた。今回、静坐社の蔵書の一部が国際日本文化研究センター図書館に寄贈されることになった。本稿ではその資料目録とともに、静坐社の活動や人脈について紹介する。そこからは、仏教系知識人や文学者を中心とした一種のサロンとしての静坐社の姿が浮かび上がるだろう。その人脈は海外にも広がっており、その中には海外へ禅や身体技法(呼吸法や坐法)を紹介した外国人も含まれる。既成の宗教や国境を超えて宗教的探究を進める人々と交流する一方、静坐社は岡田虎二郎によって定められた形式を墨守し、十五年戦争が佳境に向かう中では静坐を国家主義と結び付けていくことにもなった。静坐社の資料は、昭和期初期の日本における国際的な潮流とローカルな歴史の交渉について興味深い事例を提供している。
著者
栗田 英彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.3, pp.471-494, 2015-12-30

本論文では、哲学者・井上哲次郎によって構想された将来の宗教-「倫理的宗教」-と、それに対する改革派宗教者らの批判から、「修養」と呼ばれる宗教性を帯びたカテゴリーが生まれてきたことを論じる。明治三〇年代における教育からの宗教の排除と倫理教育への宗教の必要性という矛盾した要求のなかで、井上も宗教者らも新しい宗教のあり方を模索していた。それゆえ、宗教者たちは倫理的宗教論の抽象性を批判しつつ、その諸聖賢などの理想の人格や内観や坐禅といった具体的な実践をそこに結びつけることで、より実践的な倫理的宗教、すなわち「修養」を生み出した。さまざまな論者によって「修養」概念は用いられ、倫理と宗教、宗教と宗教の境界を超えて展開する超宗教的なカテゴリーとして、戦前日本で幅広い影響を与えることになったのである。
著者
栗田 英彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.3, pp.471-494, 2015-12-30

本論文では、哲学者・井上哲次郎によって構想された将来の宗教-「倫理的宗教」-と、それに対する改革派宗教者らの批判から、「修養」と呼ばれる宗教性を帯びたカテゴリーが生まれてきたことを論じる。明治三〇年代における教育からの宗教の排除と倫理教育への宗教の必要性という矛盾した要求のなかで、井上も宗教者らも新しい宗教のあり方を模索していた。それゆえ、宗教者たちは倫理的宗教論の抽象性を批判しつつ、その諸聖賢などの理想の人格や内観や坐禅といった具体的な実践をそこに結びつけることで、より実践的な倫理的宗教、すなわち「修養」を生み出した。さまざまな論者によって「修養」概念は用いられ、倫理と宗教、宗教と宗教の境界を超えて展開する超宗教的なカテゴリーとして、戦前日本で幅広い影響を与えることになったのである。
著者
栗田 英彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.47, pp.239-267, 2013-03-29

大正期に一世を風靡した心身修養法に岡田式静坐法がある。創始者の名は岡田虎二朗(一八七二―一九二〇)という。彼は、静坐実践を通じて内的霊性を発達させることができると述べ、日本の伝統も明治以降の西洋文明輸入政策も否定しつつ、個人の霊性からまったく新たな文化や教育を生み出そうとした。こうした主張が、近代化の矛盾と伝統の桎梏のなかでもがいていた知識人や学生を含む多くの人々を惹きつけることになったようである。これまで、岡田の急逝をきっかけに、このムーブメントは急速に消えていったように記述されることが多かった。しかしながら、実際にはその後もいくつか静坐会は存続しおり、その中の一つに京都の静坐社があった。静坐社は、岡田式静坐法を治療に応用した医師・小林参三郎(一八六三―一九二六)の死後に、妻の信子(一八八六―一九七三)によって設立された。雑誌『静坐』の刊行を主な活動として、全国の静坐会ネットワークを繋ぐセンター的な役割を果たしていた。
著者
栗田 英彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.3, pp.471-494, 2015-12-30 (Released:2017-07-14)

本論文では、哲学者・井上哲次郎によって構想された将来の宗教-「倫理的宗教」-と、それに対する改革派宗教者らの批判から、「修養」と呼ばれる宗教性を帯びたカテゴリーが生まれてきたことを論じる。明治三〇年代における教育からの宗教の排除と倫理教育への宗教の必要性という矛盾した要求のなかで、井上も宗教者らも新しい宗教のあり方を模索していた。それゆえ、宗教者たちは倫理的宗教論の抽象性を批判しつつ、その諸聖賢などの理想の人格や内観や坐禅といった具体的な実践をそこに結びつけることで、より実践的な倫理的宗教、すなわち「修養」を生み出した。さまざまな論者によって「修養」概念は用いられ、倫理と宗教、宗教と宗教の境界を超えて展開する超宗教的なカテゴリーとして、戦前日本で幅広い影響を与えることになったのである。
著者
栗田 英彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.239-267, 2013-03-29

大正期に一世を風靡した心身修養法に岡田式静坐法がある。創始者の名は岡田虎二朗(一八七二―一九二〇)という。彼は、静坐実践を通じて内的霊性を発達させることができると述べ、日本の伝統も明治以降の西洋文明輸入政策も否定しつつ、個人の霊性からまったく新たな文化や教育を生み出そうとした。こうした主張が、近代化の矛盾と伝統の桎梏のなかでもがいていた知識人や学生を含む多くの人々を惹きつけることになったようである。これまで、岡田の急逝をきっかけに、このムーブメントは急速に消えていったように記述されることが多かった。しかしながら、実際にはその後もいくつか静坐会は存続しおり、その中の一つに京都の静坐社があった。静坐社は、岡田式静坐法を治療に応用した医師・小林参三郎(一八六三―一九二六)の死後に、妻の信子(一八八六―一九七三)によって設立された。雑誌『静坐』の刊行を主な活動として、全国の静坐会ネットワークを繋ぐセンター的な役割を果たしていた。
著者
吉永 進一 GAITANIDIS IOA 大澤 絢子 荘 千慧 栗田 英彦 大道 晴香
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2020-04-01

本研究では、第一に、終戦直後から1960年代までを中心として、インド、アディヤールにある神智学協会本部所蔵の資料や、戦後日本の神智学系の運動の調査を行い、神智学思想の伝播と流布についての通史を記述する。第二に、同時期の出版メディアの調査を通じて、神智学以外の西洋秘教思想の一般への流布を調べる。第三に、それら1960年代までの動きが、1970年代のオカルト流行とその後のニューエイジへの発展へどう発展し、あるいは断絶したかを検証する。