- 著者
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相馬 秀廣
田 然
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
- 巻号頁・発行日
- pp.201, 2010 (Released:2010-06-10)
1.はじめに
従来,遺跡研究は考古学,文献史学,建築史,美術史ほかの分野が中心で,地理学分野が貢献できる範囲はかなり限定的であった.しかし,Corona,IKONOS,QuickBird(以下,QB)などの高解像度衛星写真・衛星画像(以下,高解像度衛星画像)の普及は,それらのデジタル化とともに,遺跡研究における地理学分野の有効性・重要性を高めることとなり,とりわけ,樹木が乏しい乾燥・半乾燥地域では顕著である(SOHMA,2004,相馬ほか,2007,白石ほか2009,ほか).
その背景には,1)地理学では,空中写真判読などによる,対象地域の上空からの空間的解析が基礎的研究法として定着,2)考古学では,環境考古学(Geo-Archeology)を含めて,遺跡から様々な情報を抽出するものの,視点はほぼ地表付近に限定され,調査対象地を遺跡周辺へ拡大して立地条件などの詳細な検討は,一部を除くとあまり実施されていない,3) 文書(木簡などを含めた文字資料)は,遺跡自身あるいはその歴史的背景などについて重要な情報を提供する場合はあるものの,それら単独ではなかなか利用しにくいのが実情,などが挙げられる.
また,デジタル化された高解像度衛星画像は1シーンで少なくとも数km程度の範囲をカバーしており,小縮尺スケール(数km以上)からズームアップすることで大縮尺スケール(数m程度)までの範囲の対象に対応が可能である.1枚あるいは一組の空中写真は,撮影スケールにもよるが,検討可能な範囲が衛星画像などに比べて限定的である.加えて,研究対象地域が海外の場合には,入手自体に障害が大きい場合が多い.
そこで,遺跡調査に際して,高解像度衛星画像(写真)判読を基礎として,考古学・文献史学の情報と連携した,地理学的研究法,すなわち,衛星考古地理学の有効性が浮上する.
以下,いずれも乾燥地域に分布する,中国のタリム盆地楼蘭,内モンゴル西部黒河下流域,モンゴル中部の遺跡を取り上げ,衛星考古地理学の有効性について検討する.
2-1.黒河下流域,前漢代居延屯田におけるBj2008囲郭
年降水量50mm以下の黒河下流域には,前漢代,居延屯田が設置された.QB画像(地上解像度約60cm)の判読により従来
未報告のBj2008囲郭の存在が確認され,現地調査により前漢代の囲郭であることが判明し(相馬ほか,2009),さらに,既知
の2つの囲郭および3つの候官などの主要な施設の空間的配置,農地と主要な放牧地の土地利用と土地条件の関係などを検討した結果,当地域の屯田開発が計画的に実施されたことが明らかとなった(相馬ほか2010,SOHMA et al, 2010).それらは,当地域の屯田開発に関わる従来の解釈を大きく変更させるものとなった.
2-2.楼蘭地区の漢代伊循城とLE遺跡
超乾燥地域である楼蘭地区には,文書によれば,BC77年(あるいは同65年)に伊循城が建設されたがその位置は,未だ確定していない.楼蘭地区では,LE遺跡は,Coronaの判読により LA,LK,LLなど囲郭とはヤルダンを形成した卓越風の風向との関係が異なること(SOHMA, 2004),また,その城壁は漢代の敦煌付近の長城壁と同じ建築法による(Stein,1907)ことなどが判明している.QB画像の判読により,LE囲郭のサイズが前漢代の居延屯田の主要3囲郭とほぼ同じで,卓越風の風向との関係も同様であることが判明した.さらに,QB画像では,LE囲郭の付近に,周囲のヤルダンよりも明らかに比高が小さく,耕地跡の可能性が高い方形の土地パターンが存在している.以上のことは,LE遺跡は上記の伊循城である可能性が極めて高いことを示している.
2-3.モンゴル中部,フンフレー遺跡群
ウブルハンガイ県フンフレー遺跡群は,ベガ・ボグド山地北東麓にあり,モンゴル帝国初期の首都カラコラムと南の黒河下流域のエチナをつなぐ南北縦断路と,を通るモンゴル高原の東西交通路の交点に位置する.同遺跡群は,豊富な湧水を利用した農耕地域であり,カラコラムへ食糧の供給地であることが判明した(白石ほか,2009).
本研究は,平成21年度科学研究費補助金基盤研究(A)(2)(海外)(19251009)「高解像度衛星データによる古灌漑水路・耕地跡の復元とその系譜の類型化」(代表:相馬秀廣),同(A)(18202024)「モンゴル帝国興亡史の解明を目指した環境考古学的研究」(代表:白石典之)による研究成果の一部である.