著者
佐藤 和夫 汐見 稔幸 宮本 みち子 折出 健二 杉田 聡 片岡 洋子 汐見 稔幸 宮本 みち子 折出 健二 杉田 聡 片岡 洋子 山田 綾 小玉 亮子 重松 克也
出版者
千葉大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

男女共同参画社会を形成するにあたって不可欠な課題と言うべき男性の社会化と暴力性の問題を、ヨーロッパおよびアメリカ合衆国の研究と施策について、比較研究調査した上で、日本における男性の暴力予防のために必要な研究を行い、その可能性を学校教育から社会教育にまで広めて調査した。その上で、先進諸国における男性の暴力性の関する原理的問題を解明した。
著者
杉田 聡
出版者
帯広畜産大学
雑誌
帯広畜産大学学術研究報告. 人文社会科学論集 (ISSN:13432303)
巻号頁・発行日
vol.10, no.4, pp.192-116, 2001-03-25

本稿の課題はただ一つである。近年のレイプ・レイピスト研究-ことに精神病理学者によるそれ-によってレイプから剥脱された性的意味を、レイプと不可分のものとして再認知することがそれである。レイプの(脱性化)(desexualization)を推し進める方向を強めた諸研究の限界を明らかにすると同時に、レイプが当然性的意味をもつことを論証する。
著者
田中 誠二 杉田 聡 丸井 英二
出版者
一般社団法人日本衛生学会
雑誌
日本衛生学雑誌 (ISSN:00215082)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.3-13, 2009 (Released:2009-02-26)
参考文献数
30
被引用文献数
2 3

Objectives: The objective of this study was to elucidate the condition of malaria epidemics during the postwar Occupation period in Japan. Methods: The statistical records listed in the appendices of the “Weekly Bulletin”, an official document of the General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers (GHQ/SCAP) that is currently kept in the National Diet Library Modern Japanese Political History Materials Room, were converted into electronic files. On the basis of these records, the monthly prevalence of malaria was plotted in graphs to analyze the course of epidemics with respect to time and place. Results: The prevalence was high in all regions in the summer of 1946, when the present records were initiated. As a general trend, the prevalence was high in western Japan and low in eastern Japan. In all regions except the Kinki region, the prevalence decreased with time thereafter and virtually no epidemics occurred after 1948. In the Kinki region, epidemics with a prevalence of over 70 cases per 100,000 individuals repeatedly occurred until 1949, but the prevalence rapidly decreased in 1950. By prefecture, Saga Prefecture showed the highest prevalence in the nation in July 1946. While the prevalence in most prefectures decreased with time, Shiga Prefecture was the only prefecture with recurring epidemics with a prevalence of over 800 cases per 100,000 individuals until 1949. Conclusions: Malaria epidemics during the Occupation were classified into epidemics caused by “imported malaria”, which was observed in many prefectures, and those caused by “indigenous malaria”, which was observed only in Shiga Prefecture.
著者
菅原 真由美 杉田 聡 島田 達生
出版者
コ・メディカル形態機能学会
雑誌
形態・機能 (ISSN:13477145)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.43-49, 2005-03-08 (Released:2010-09-09)
参考文献数
16
被引用文献数
2

近年、生活様式の変化により和式トイレの使用率が減少している。本研究では、若年者113人・中高年者79人の女性を玄対象に、しゃがみ姿勢の成就率を明らかにする。さらに、しゃがむ際に必要となる下肢関節可動域との関連を明らかにするため、トイレの様式に関する質問紙調査と角度計による下肢関節可動域の計測を行った。床に踵を付けた安定した姿勢でしゃがむことができない者が約20%いることに加え、しゃがみ姿勢による足関節背屈の可動域には左右差が認められた。また、しゃがみ姿勢の成就率と足関節背屈による可動域との問には有意差があり、安定してしゃがむことができる者は、大きな可動域を持っている傾向にあった。
著者
杉田 聡
出版者
明石書店
雑誌
福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集 : 「国権拡張」「脱亜」の果て / 杉田聡編
巻号頁・発行日
2010-10-25

『福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集』に付した解説「福沢諭吉と朝鮮・中国・台湾」のうち「一『時事新報』論説は誰の思想を表しているか : 本書を福沢の論集とするゆえん」、その「後記」(付記)、『論集』自体の「あとがき」、『論集』の目次および文献一覧を登録したもの。
著者
鈴木 晃仁 脇村 孝平 飯島 渉 橋本 明 杉田 聡 渡部 幹夫 山下 麻衣 渡部 幹夫 山下 麻衣 猪飼 修平 永島 剛
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

19世紀後半から20世紀前半にかけての日本における「健康転換」を、当時の先進国と日本の植民地を含めた広域の文脈で検討した。制度・行政的な側面と、社会的な側面の双方を分析し、日本の健康転換が、前近代社会としては疾病構造の点では比較的恵まれている状況で、市場が優越し公共の医療が未発達である状況において、欧米の制度を調整しながら受容したものであったことを明らかにした。
著者
杉田 聡
出版者
帯広畜産大学
雑誌
帯広畜産大学学術研究報告 (ISSN:13485261)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.107-170, 2020-11

本稿を私は「ドイツ詩の文法」と題したが、最初に「ドイツ詩」およびその「文法」の意味について、くわえて本稿を書くきっかけとなった直接の事情と今後の見通しについて、若干のことを記しておきたい。 「ドイツ詩」とは 「ドイツ詩」は、正確にはドイツ語詩である。ここで「ドイツ」は政治的概念ではなく、文化的概念である。だが、本稿では簡明を期して「ドイツ詩」と記す。こうすることで、複合語をつくる際に表現が煩瑣になるのを避けたい。また参照した各種文献を見ても、「ドイツ詩」という言い方が一般的である。つまり、ドイツ語でつづられた詩全体が――それがオーストリアのものであろうとドイツ国内の「方言」であろうと――本稿の対象である。現在は方言さえしばしば文字として書かれることで規範化される傾向があるが、規範化に抗する民衆の話しことば(民謡Volksliedや学生歌Studentenlied等における)をも対象に含めた(ただし例えば「ねえママ、欲しいものがあるの!」Och Moder, ichwell en Ding han! のように共通ドイツ語Hochdeutschとの違いが大きい語彙が並んでいる場合には、取り上げなかった)。 実は私がドイツ詩を読むようになったきっかけは、リートへの関心である。だから私が読んだ詩は、作曲家が付曲した詩であることが多く、その意味で偏りがあるかもしれない。詞華集(アンソロジー)ではとり上げられることの少ない、あるいは全くない「群小」の詩人をもとり上げているのは、そのためである(→引用詩一覧)。 そして私の関心がリートだったために、本稿では主に新高ドイツ語による詩を扱うが(それもリートの発展に合わせてほぼ18世紀以降〜20世紀初頭のもの)、時にはその後の現代詩や、逆に18世紀以前の古い詩を扱うこともある。また詩の理解のために、しばしば中高ドイツ語に言及する。 なおここで「リート」とは、主にピアノ伴奏による芸術歌曲の意である。一方、ドイツ語Liedは、芸術歌曲を含む各種の歌(例えば上述の民謡, 学生歌)ばかりか、詩をも含意している。しかもそれは、「叙事詩」(独和大‘Lied’)――叙事詩はかつて一定の節回しの下に語り(歌い)つがれて来たのであろう――のみならず、ゲーテの「さすらい人の夜の歌」Wandrers Nachtlied、「羊飼いの嘆きの歌」Schäfers Klagelied、あるいはメーリケの「妖精の歌」Elfenlied等に見られるように、抒情詩をも含んでいる。この点は日本語でも同様である。藤村の「千曲川旅情の歌」のように。 そして歌うsingenというドイツ語は、詩にも使われる。ゲーテは、詩は「読む」ものではなく「歌う」ものだと記しているが――Nur nicht lesen! immer singen!(Goethe, An Lina「単に読むのではない! とにかく歌うこと!」)――、それは、節回しをつけて歌うことではなく、韻文としてのリズムを意識して読むことを意味している。「文法」とは 文法は総じて規範性を要求する。「文法」は、古代ギリシャ語のgrammatikē、つまり文字grammaの技術technēから造語されたことばの訳語であるが、日本人が訳に用いた「法」という言葉は、grammatikēの役割をよく示している。文法は、言語利用の状況を分析する用具であるにとどまらず、ことば使いの正誤・良し悪しを判定する規範として一定の強制力を発揮せざるをえない。 だが、本稿で重視するのは、いわば詩の事実性である。本稿の課題は、規範意識をもって詩を評価することではなく、むしろそうした態度を排しつつ、現実の詩の多様性を記述することである。要するに、ドイツ詩が、音韻・語彙形成・統語法・語句への意味付与等においてドイツ語の規範文法から自由であり、その意味でむしろいかに文法の規範性を逸脱しようとするかを、論ずる。 例えば、主文において強調したい単語・句を文頭に置いた場合には、次の位置に動詞が来るのが、また、副文における定動詞は文末に来るのが、新高ドイツ語の文法的規範であり、これを逸脱した文は「非文」(非文法的な文)と見なされる。だが、詩はこれらの規範からは自由である。ハイネのように、日常のことば使いによって(したがって規範文法どおりに)分明な詩をつづる詩人もいたが、たいていの詩は、韻律上もしくは押韻上の制約から、あるいは――それ以上に――詩脚の並びが作り出すリズムや押韻を重視する立場から、むしろ規範文法を意図的に、もしくはやむなく壊す。そうすることなしに、詩はなり立たない。 もちろん、事実性も蓄積されればしばしば規範となる。少なくも、規範として機能することがある。規範からの自由を本質とする詩においても、いわば特有の「文法」が、歴史的に形成されてきたと言えるかもしれない。ドイツの詩が、ドイツ語の規範文法を逸脱する仕方で生みだされつつも(だからやはり慣れないと非母語話者にはドイツ詩は難解である)、それでも一定の規範が、つまり詩特有の音韻規則・造語法・構文法・比喩法等が、ひいてはたしかに「文法」と呼べそうな規範の体系を摘出することはできる。例えば「中性単数1,4格名詞につく形容詞の強変化語尾esは省略できるが、他の場合はおおむね許されない」といった、詩において見られる規範の集成として。 こうした、弱いとはいえ一定の力を有する規範の――もっとも詩人は常にそこから自由に創作するのだが――体系をまとめるのが、本稿の一面の意図である。ただし事柄によってはその規範力は弱く、「文法」というよりむしろ解釈者・鑑賞者にとっての認識枠組みと言う方が適切な場合さえある。例えば「本来冠詞がつくべき場所に、詩では冠詞が置かれないことがある」という現象は、もはや規範文法からの逸脱とは見なされないだろう。積極的にせよ消極的にせよ、それは詩という文芸形式から導かれる必然的な技法だからである。 本稿では、ひとまずドイツ詩の「文法」という言葉を用いるが、私の記述は以上のような意味をも含むものと理解いただきたい。以下、一般的な文法理論の区分を借りて、第1章で音韻論、第2章で形態論・語彙論、第3章で統語論、第4章で意味論・語用論を論ずる。 ただし、この区分は厳密なものではない。これらは、文法理論の下位体系というより観点であって、互いに他を想定せずにはなり立たないからである。実際一般の文法書は、主に品詞論を中核とし、以上の観点をないまぜにして記述されている。それゆえ第1〜4章は、おおまかな枠組みと理解いただきたい。 直接の事情と今後の見通し 付随的に、本稿を書くことにしたより直接的な事情と今後の見通しを、簡単に記す。私は5年ほど前から、地元の文化センターで「ドイツリートを原詩で楽しむ」という講座を担当してきたが、その苦労は小さくなかった。日々ドイツ詩を読み資料を準備しつつ、詩に特有の語法に翻弄され、『ドイツ詩の文法』の類があればと何度思ったかしれない。若干の注をつけた、ドイツ詩ないしドイツリートの選集はたしかにあり(生野他、佐々木、三浦、高橋②、野村等)、それなりに参考になるが、いかんせん個々の詩文に関する個別的な注では限界があると感じた。 とすれば、『ドイツ詩の文法』を、私自身が書くしかないと思うようになった。もちろん、私の非才さ・浅学さ・読書の偏りから限界は大きいが、試みに、これまでの考察を公にして、識者の批判をあおぎたいと判断した。現在の見通しでは、本稿は大部のものとなる可能性が高く、とうてい簡潔で手頃(コンパクト)なものとはならないが、後日、そうしたものを再度まとめるべく努力するつもりである。
著者
畑中 祐子 杉田 聡
出版者
日本保健医療社会学会
雑誌
保健医療社会学論集 (ISSN:13430203)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.49-58, 2003-08-25 (Released:2016-11-16)

患者は入院をすると、普段とは違う入院環境の中で生活する。入院環境には様々な制約が伴うが、実際に患者が生活に対してどのように感じているかについてはあまり注目されてこなかった。そこで本研究では、患者がどのような意識をもちながら入院生活を送り、入院環境がどのような影響を患者にもたらすのかを明らかにすることを目的とした。入院患者24名に、入院前、入院初期、後期に渡り追跡調査を実施し、回答には、「嫌だ」、「仕方がない」、「全く気にならない」の3つの選択肢を用い、患者の諦めや我慢というような理由を聞き出した。患者は入院すると日常生活とは違う入院環境、共同生活に適応するため、「(病院だから)当たり前、仕方がない」という意識を持つことで、準拠枠を変化させていた。患者の入院生活に対する諦めという意識の変化を知ることは、入院生活を快適にかつ、療養に専念できるように環境を整えられる援助につながると考えられる。
著者
杉田 聡 田中 誠二 後藤 芳美 丸井 英二
出版者
大分大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究では、1945~1952 年の占領期において、厚生省等の日本の行政機関と、GHQ/SCAP/PHW(連合国最高司令官総司令部 公衆衛生福祉局)との協同や対立と構造を分析した。分析には、国立国会図書館に所蔵されるGHQ 文書、特に占領開始から終了までのGHQ/SCAP/PHWの業務日誌であるDaily Journalを用いた。厚生省とPHWの会合記録を集計分析した結果、占領開始時の厚生省衛生局長である勝俣稔が重用されていることが明らかとなった。また、①日本脳炎対策のための岡山県の野外調査と、②衛生教育のために全国を巡回した公衆衛生列車の立案実施の実態を明らかにした。
著者
中里見 博 杉田 聡
出版者
福島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

アダルトビデオなどのポルノグラフィ被害の実態把握という課題については、「ポルノに関連した被害に関するアンケート調査」を全国の婦人相談員、女性弁護士(一部男性含む)、フェミニスト・カウンセラー約2500人を対象に行ない、311の回答を得た。回答結果を集計・分析した結果、ポルノに関連した被害の相談を受けたことがあったのは167人で、総計267件の被害件数に上った。被害内容は「強制視聴」80件、「模倣行為の強要」73件、「強制だましによる出演」9件など、私たちが想定したあらゆる被害が報告された。婦人相談員を対象にしたこともあり、ドメスティック・バイオレンスの一形態としてポルノグラフィに関連した被害が非常に多発している実態を把握できた。ドメスティック・バイオレンスとしてのポルノグラフィ被害の被害者は、女性(妻)だけでなく、幼い(4歳や8歳)の女児が父親にポルノグラフィに影響を受けた強制わいせつ、ポルノグラフィの強制視聴の被害を受けていた。ある弁護士の回答には、「あらゆる性犯罪の裏にはポルノグラフィがあると思われる」という現状認識があった。法的救済策の比較法研究であるが、アメリカで起草された、従来の刑法わいせつ物規制とはまったく異なる新しい法的アプローチ、反ポルノグラフィ公民権条例について、その全体構造・ねらい・社会的歴史的背景・政治的インパクトなど多面的に分析できた。またカナダ、オーストラリアでも政府がポルノグラフィ被害について調査し認識しているが、イギリス同様ポルノグラフィの蔓延とその被害救済には無力なわいせつ物規制法しか有しない実態も明らかになった。
著者
鈴木 晃仁 脇村 孝平 杉田 聡 橋本 明 飯島 渉 杉田 米行 加藤 茂生 廣川 和花 渡部 幹夫 山下 麻衣 永島 剛 慎 蒼健 ヨング ジュリア 香西 豊子 逢見 憲一 田中 誠二
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010

疾病・病者・医者の三つのエージェントが会して構成される「医療」という動的な場は、どのような歴史的な構造を持つのか。疾病環境の変化、人々の病気行動の変化、そして医療者の科学と技術の変化の三つの相からなる医療の構造変化は、近現代の日本の変化とどのような関係があり、世界の中の変化とどう連関したのか。これらの問いが、急性感染症、スティグマ化された疾患、帝国医療の主題の中でとらえられた。