著者
高 哲男
出版者
九州産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

「本能」概念を中心としたアダム・スミスの人間本性論や科学方法論、社会的本能の概念を多用して進化を説明しようとしたチャールズ・ダーウィン、ダーウィンの影響の下に「生物学こそが経済学のメッカだ」と公言したマーシャル、さらに「進化論的経済学」を提唱したヴェブレンの制度進化論をそれぞれ学説史的に再検討した結果、おおよそ以下の事実が判明してきた。人間理性の役割を強調する啓蒙期の哲学・科学革命の進展の中で、人間と他の動物との客観的な比較が始まり、単純な人間機械論は排除される。科学革命の中では、ニュートンに代表される物理科学と並んで、リンネやビュフォンに代表される生物学研究が大きく進展し、人間の科学的な理解への道が大きく開ける。「人間性」が客観的な科学の対象として議論し始めるからである。こうしてヒュームのように、人間行動を社会のなかで理解するという観点から科学的に捉えなおそうという試みが始まり、18世紀の末には、心理学という用語が登場するようになる。アダム・スミスの『道徳感情の理論』は、明らかにこのような傾向の中で生み出されたものだ。もちろん、啓蒙期の「自然神学」的な人間性の解釈を根底から覆したのは、ダーウィンの進化論とくに『人間の由来』である。自己保存という本能と集団の仲間に対する社会的本能、この二つの本能が社会的動物である人間を基本的に特徴付けているというダーウィンの主張は、マーシャルとヴェブレンによって受け止められる。もっともマーシャルの場合は、ダーウィンと比べてさえ、まだ伝統的な価値観に対して大きな譲歩がなされており、進化論をその経済学体系の基礎にすえることはできず、『経済学』の後半で生かしたに過ぎない。これに対してヴェブレンは、人間性がもつ社会的特徴を、とくに競争心という「社会的本能の発現」が制度進化のプロセスにおいてもつ役割として理解し、独自の進化論的経済学の基礎にすえたが、「利己心」つまり「自己保存」という側面については、十分な解明がなされなかった。その意味では、利己心と互恵的利他心とを理論の基礎に据えていたスミスが、現代から見てもっとも「進化論的」な経済学を展開していた、ということができるのである。
著者
高 哲男
出版者
The Japanese Society for the History of Economic Thought
雑誌
経済学史学会年報 (ISSN:04534786)
巻号頁・発行日
vol.34, no.34, pp.28-39, 1996 (Released:2010-08-05)
参考文献数
32

The most important Characteristics of Veblen's evolutionary economics lay in presenting the unfolding system of an accumulative process of institutions. According to Veblen, institutions are the habits of thought, in other words, the spiritual attitudes or the norms of conduct in a particular community. Although each community has its own institutional and cultural complex, “the instinct of workmanship”, that is, the abiding trait of human nature shaped in an ancient period, remains at the bottom of the complex, and secures the preservation of the species. Within limits set by workmanship, the emulative norms of conduct such as predatory exploit, conspicuous leisure and consumption can prevail. Since the instinct of workmanship coalesced with pecuniary success in the age of handicraft, automatic economic growth has been built in to continue forever. Those who cannot adapt themselves to machine technology are inclined to retrogress into more familiar and older norms of conduct. Veblen's theory of social evolution cannot be fully understood without appreciating the role of retrogression in it. We cannot find any idea of such retrogression in either New or Neo-Institutional Economics.
著者
高 哲男
出版者
九州大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1992

『国富論』第1・2編を「経済発展の理論」として統一的かつ内在的に再構成するという当初の目的は、第2編第2章の長大な信用制度論の実証的・理論再検討に十分手が届かなかった点で、完全には遂行できなっかた。経済発展の理論における「貨幣」の位置や意義の解明については、今後の課題として残ったという事である。しかし、そのほかの目標はほぼ満足しうるほどに達成したと言ってよく、予期していなかった新事実の発見も含めてその要点を箇条書きすれば、以下のとおりである。(1)『法学講義A』でもすでに、『国富論』と同様に、市場社会には必ず「自然的均衡」があるという考え方はあったが、「価格」はまだ財の数量と単純に反比例すると捉えられており、労働価値説は未確立であった。(2)スミス労働価値説は、その基礎にある価値尺度論が「時と所」の異同の組み合わせにおうじてことなる4つの理論次元をもつものとして構想されていた。すなわち「安楽と自由の犠牲」である「労働」は「時と所」を問わずつねに「等しい価値」をもつが、貨幣が正確な価値尺度でありうるのは「時と所」が同じ場合だけであり、異なるときには「穀物」が「近似的な」それであるから、経済成長の理論的解明は労働と穀物を基準に組み立てらるべきであると。(3)スミスは経済成長の推進力を分業の発展にみたが、発展のためのファンドの大きさは「維持しうる労働量」と「維持しえた労働量」との差にあるから、したがって労働の投入産出のエネルギー転換効率がもっとも高い穀物生産の効率性が、経済発展=分業の進展の程度を究極的に規定していると説くことになった。換言すれば、「維持しうる労働量」を実物的に表す「総需要」は、市場での交換・取引をつうじて「維持しえた労働量」内部の社会的配分替え(=分業構造の変化)を引き起こすが、この配分替えの基準が、いわゆる生産3要素の自然率つまり「自然的均衡」に他ならないという主張である。
著者
高 哲男
出版者
東京大学経済学部資料室
雑誌
東京大学経済学部資料室年報 (ISSN:21868972)
巻号頁・発行日
no.11, pp.12-16, 2021-03-31

特集 東京大学経済学図書館創設120年/アダム・スミス文庫寄贈100年記念オンライン講演会「知の継承バトン」

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著者
高 哲男
出版者
The Japanese Society for the History of Economic Thought
雑誌
経済学史学会年報 (ISSN:04534786)
巻号頁・発行日
vol.39, no.39, pp.58-65, 2001 (Released:2010-08-05)
参考文献数
23

We have seen salutary advances in the historico-theoretical study of Institutional Economics in the last decade. The focal point seems to have shifted from Veblen to Commons, reflecting the florescence of so-called New Institutional Economics that puts stress on the spontaneous growth of social order guided by the free will of individual. It is, indeed, a fact that Commons's institutionalism that emphasizes the role of volitional will and artificial selection has close links with New Institutional Economics (Rutherford, 1994). Ramstad (1990; 1995) construes the concept of “working rules” as the connecting and binding element in the multiplicative theory of Commons. Biddle (1990) alleges that Commons developed an evolutionary theory of the results of intended conduct, though he did not overlook the unintended results of conduct. These two interpretations are persuasive, but certain inevitable questions might come to mind: Are the concepts of working rules too vague and elastic to use for objective analysis?: Is it possible to maintain logical consistency between the logic of the outcome of the intended conduct and the logic of unintended outcome?A new interpretation of Veblen's theory of evolution is presented by Taka (1991; 1996). Although the instinct of workmanship (idle curiosity) leads autonomously to the development of technology, the prevailing institutions of the society, that is, the norms of conduct or the standards of esteem, are always the consequences of emulation. The order of development or expansion is as follows: instinct of workmanship→exploit (pro wess)→trophy→private property→conspicuous consumption and leisure. Since these norms of conduct have been historically accumulated in strata like the twisted ladder of a gene, people forced to adapt to the new circumstances often choose to retard or retrogress to the inherited and accustomed ways of thinking, that is, old fashioned customs and institutions. Veblen's theory of evolution consists of evolution and retrogression.Generally speaking, in order to reinterpret critical or heterodox economic thoughts such as Institutionalism, we must also reinterpret American orthodox, neo-classical thought at the same time. Mehring (1997), Shute (1997) and Yonay (1998) make, in this sense, a valuable contribution to the study of Institutional Economics.
著者
関 源太郎 高 哲男 姫野 順一 岩下 伸朗 荒川 章義 江里口 拓
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

20世紀イギリスの経済社会改良思想は、19世紀末に古典的リベラリズムの時代的限界を打破するべく登場したニュー・リベラリズムの形成とその後の戦前・戦後における多様な展開、1980年代の一時的消失、20世紀末の再生という動的過程を基軸に理解することができる。その際、特に注目すべきは、(1)ニュー・リベラリズムの形成はリッチーの社会進化論が大きな契機となったこと、(2)その展開は戦前・戦後期のマーシャル、ピグー、トーニー、ウェッブ夫妻、ケインズらの経済社会改良思想にも伺うことができること、(3)1980年代サッチャー政権下で消失した観を呈した経済社会改良思想におけるニュー・リベラリズムの伝統は、サッチャー政権の諸政策を推し進めようとしたメジャー保守党政権が新たに提起した市場への政府介入を推し進め、新らたに変化した時代環境に適用したニュー・レイバー労働党政権によって1990年代末に再生されたということである。
著者
深貝 保則 栗田 啓子 高 哲男 中山 智香子 西沢 保 姫野 順一 矢後 和彦
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

4年間の研究期間中に随時、Professor Micheal Freeden(オックスフォード大学マンスフィールド・コレッジ)およびProfessor Hansjorg Klausinger(ウィーン経済経営大学)の2名の海外共同研究者をはじめ、7ケ国15名の海外研究者の参加を得て、研究集会やセミナーなどを開催した。研究集会にあたっては当該の科学研究費補助金の研究組織メンバーをはじめ、国内の近接領域の研究者若干名も加わって、英文のペーパーによって討論をおこなった。19世紀の先進国のあいだでは「進歩」と「自由」を軸にした経済統治(経済についてのガヴァナンス)が比較的順調に進んだ。統一国家の形成それ自体が課題であったドイツやイタリア(および日本)は別格としても、原子論的・個人主義的社会像をベースにおいたブリテンや、実証主義を軸にエンジニア・エコノミストによる経済のアレンジを進めたフランスでは典型的に、進歩に信頼を寄せる方向にあった。しかし19世紀終盤になると、この枠組は大幅に修正を迫られた。現実的な歴史基盤の面でいえば、外交および経済を外延的に拡張させるストラテジーが相互に衝突を起こす可能性に直面しただけではない。各国の内包的な利害の面でも、産業化と都市化のうねりの帰結をめぐって社会階層間で、また一国経済の方向づけとその国際的連関のあり方をめぐって産業利害と金融利害との間で新たな調整を必要とする局面に差し掛かったからである。この研究課題の遂行を通じて、19世紀末からの局面転換を思想史的な観点から捉えた場合に、有機的なヴィジョンが持った構想力の重要性が確認された。T. H.グリーンやデュルケムに担われた有機体説的な社会観と、ダーウィンやスペンサーによって典型的に展開された進化論はともに、世紀転換期以降の社会のあり方や経済的な統治を構想する上で重要な役割を果たしたのである。