著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.1-29, 2007-03

現代イギリスの農業環境政策は、政策の受け皿となる農業従事者に土地管理人としての役割を求めている。この役割は現在、新たに築いていこうとするものではなく、すでに18~19世紀のイギリス農業においてみられることであった。イギリスは農業環境政策の実施にあたって、この伝統的な考え方に大きく依存している。 本稿は18~19世紀イギリスにおいて土地管理という概念が、どのようにして形成されたのかを検討したものである。従来までの研究においては、土地管理に関しては共有地の利用を取り上げることが多かった。本稿ではむしろ共有地が減少していったとされる農業革命期を対象にして、この時期の土地所有構造や農業規模、そして囲い込みなどを再検討することによって、土地所有主体である地主、土地利用主体である借地農という分類(伝統的な分類ではもう一つの農業労働者が入る)だけでなく、土地管理主体である土地管理人(あるいは執事)という存在を明らかにした。 土地管理人は主に地主所領の管理を担当する専門職となっていくが、所領経営には欠かせない存在となっていった。19世紀中期に生まれるイギリスの農業カレッジは、土地管理人を養成したともいえる。地主所領は19世紀末頃まで土地管理人によって維持されることになるが、その後、衰退する。しかしながら、土地管理という考え方は消えることなく、20世紀になってその対象を土地という平面だけではなく環境という立体へと、さらに広げていく。
著者
新 恵里
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.187-206, 2009-03

本稿は、犯罪被害者遺族が、事件直後に直面する司法解剖や手続きにおける制度上の問題について、被害者支援の視点からとりあげ、あるべき制度について検討するものである。 司法解剖は、殺人や傷害致死などの死亡事件において、必ず被害者遺族が直面する、司法手続きの一つである。これまで、遺族や法医学者などの指摘があるものの、ケアの必要性や方法について、具体的に議論、検討されることはほとんどなかった。しかしながら、司法解剖は、被害者遺族が未だ事件を受け止められない事件直後に直面し、解剖の終わった遺体と対面する遺族もいるなど、非常に衝撃が大きく、その時の心理的苦痛や精神的ダメージは、長年にわたって続くことが多い。 本稿では、わが国の被害者遺族へのインタビューによる調査および文献、アメリカ、オーストラリア等諸外国の政策状況の調査から、①わが国の法医鑑定制度の整備が、被害者側にとっても期待されること、②遺族が司法解剖に関する一連のプロレスに関わることの重要性、③司法解剖に際して、捜査官、法医学者と遺族を結ぶコーディネーターの存在が必要であること、④解剖後のグリーフケアの必要性について論じた。
著者
福井 唯嗣
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 = Acta humanistica et scientifica,Universitatis Sangio Kyotiensis. Social science series (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.31, pp.75-100, 2014-03

2013年8月にまとめられた社会保障制度改革国民会議報告書には、後期高齢者医療制度存続という医療保険制度に関して一つの大きな方針転換があった。現在示されている政府方針には、市町村国保の都道府県単位化による財政基盤強化、被用者保険の後期高齢者支援金について全面総報酬割の導入により節約される国庫負担を財源とする市町村国保支援などがある。本稿では、これらが今後の市町村国保財政に及ぼす影響を、長期推計モデルによって定量的に考察した。 また、後期高齢者医療制度廃止を前提とすれば、現行の保険者間財政調整に代わるさまざまな財政調整が可能となる。本稿では、長期推計モデルを用いた政策シミュレーションにより、それぞれの財政調整が将来における市町村国保の所要保険料に及ぼす影響を推計し、望ましい財政調整のあり方について検討した。 現行制度、とくに前期高齢者納付金(交付金)の下では、高齢化率の低い自治体の保険料を高める一方、地域の医療費の多寡は保険料には反映されない。一方、制度平均の1人当たり保険料と1人当たり給付費によるリスク構造調整を導入した場合には、地域の医療費の多寡は保険料に強く反映されるため、医療費適正化を自治体に促す場合には有効な選択肢であるといえる。
著者
藤野 敦子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.155-176, 2013-03

国際労働機関(ILO)の条約の中に、1970年に採択された有給休暇条約(ILO132号条約)がある。本条約では、雇用者に3労働週以上の年次有給休暇が与えられ、そのうち少なくとも2労働週は連続休暇でなければならないと規定している。一方、我が国では、労働基準法39条に年次有給休暇制度が規定されているが、年次有給休暇は10日間から与えられ、それは連続休暇である必要がない。我が国の年次有給休暇制度は国際基準と考えられるILOの基準を満たしていない上に、2010年において、付与された平均年次有給休暇17.8日に対し、取得率はわずか48.1%であった。なぜ、我が国では有給休暇が取得されないのだろうか。我が国の年次有給休暇制度の問題点は何なのだろうか。 本稿では、このような問題意識から、我が国の有給休暇取得日数や1週間以上の連続休暇の取得に影響する要因を、筆者が2010年に正社員男女1300人を対象にWeb上で実施した「正社員の仕事と休暇に関するアンケート」から得られたデータを用いて分析する。分析結果をもとに、年次有給休暇制度がどうあるべきか政策的な示唆を導き出す。 分析の結果は、有給休暇及び連続休暇の取得は、企業の属性や雇用者個人の属性及び雇用者の家族状況に左右されることを示している。具体的には、大企業勤務者、専門・技術職についている者、配偶者も正規就業で働いている者に有給休暇の取得日数が多く、連続休暇も取りやすい。また、週労働時間が長い場合には有給休暇の取得日数を減らし、職場の人間関係のいいこと、年収が多いことは連続休暇の取得を促進する。さらに、年次有給休暇付与日数が多い雇用者ほど、有給休暇日数が多く取得され、連続休暇も取りやすいが、逆に有給休暇の保有日数の多い雇用者ほど、どちらも取得しない傾向が見られる。 これらの結果から、有給休暇を考慮した働き方の管理、雇用対策と組み合わせた代替要員の確保、ジェンダー平等政策の推進、余暇意識の醸成といった雇用環境や個人の意識を向上させる政策がいくつか提案できる。また、労働基準法で定められている有給休暇の次年度繰越の再考など、法そのものの改善についても示唆できる。
著者
松川 克彦
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.25, pp.119-143, 2008-03

大国による単独支配ではなく、複数国家間の勢力均衡あるいは国際協調を好むのはヨーロッパの伝統であった。しかしながら均衡を望ましいとするこうした傾向が、20世紀のヨーロッパにわずか20年の間隔で二個の世界戦争を発生させた。本稿は「均衡」追及の問題性の一例として、第一次大戦終了時におけるイギリスの政策と、それが現実にいかなる問題を惹き起こすことになったかということについて考察する。 第一次大戦中帝政ロシアは崩壊し、代わって臨時政府が、その後にはボリシェヴィキの政府が出現した。イギリスは当初、協商国としてのロシアの復活を試みるが、まもなくそれを断念してボリシェヴィキとの取引を始める。これが1920年には結局イギリスによる、ボリシェヴィキ政府承認につながるのである。 敵対関係よりは強調が、対立よりは和解のほうが望ましいとする感情は理解できるものであるが、このような協調を求めて始まった英ロの接近はロシアに隣接する諸国に深刻な打撃を与えた。ボリシェヴィキは、バルト諸国、ベラルシ、あるいはウクライナをロシアの国内問題として承認することをイギリスに要求し、後者はそれを承認したからである。ポーランドに関してもイギリスは、ロシアとの間で同様な取引を行うつもりであった。しかしながらポーランドはそのような取引によって自国の運命が決せられることを拒否して、ボリシェヴィキとの戦争に突入するのである。 ポーランドは首都ワルシャワをソヴィエト軍によって脅かされながら、辛うじてこれを撃退することに成功して勝利を収める。1920 年夏のこの戦いにポーランドが勝利したことによって、いわゆるヴェルサイユ体制が確定する。ヴェルサイユ体制とは具体的には、ポーランドの存在そのものであった。この体制を守ることが、イギリス、フランスに課せられた国際的な義務であったにもかかわらず、英仏両国は、ドイツにたいしてまたロシアにたいして無原則な妥協を繰り返してく。 そもそも戦間期とよばれる一時代が存在したこと、そしてそれはなぜわずか20 年で終了しなければならなかったのか。それは、英仏等のいわゆる大国が、勢力の均衡を求めることに急であり、第一次大戦後の国際体制であるヴェルサイユ体制を擁護しなかったこと、ポーランドが代表するような小国の権利を守ろうとしなかったところに原因がある。1.はじめに2.ポーランドの分割とロシア3.ボリシェヴィキとポーランド分割無効宣言4.ポーランド問題とイギリスの政策5.イギリスとボリシェヴィキ・ロシア6.ソヴィエト軍のポーランド侵略開始7.「ヴィスワの奇跡」8.まとめとして
著者
朱 立峰 寺町 信雄
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.28, pp.115-139, 2011-03

本論文は、関(2002)論文が開発・提案した付加価値指標・輸出高度化指標とその偏差値・任意の2国の対米輸出競合度という分析ツールを用いて、日中韓およびASEANの工業製品(およびIT関連製品)の雁行形態的な対米輸出構造について議論したものである。扱った期間は1999年-2007年である。工業製品における日中韓ASEANの雁行形態的な対米輸出構造を示す統計的な輸出高度化指標の偏差値の順位は、期間を通じて高い順に日本→韓国→ASEAN→中国と変わらない結果をえている。他方、IT関連製品における日中韓ASEANの雁行形態的な対米輸出構造に関連する偏差値も、同様の順位を示す結果をえている。しかしながら、年の経過とともに、中国の対米輸出規模が多額になるに伴い、日韓ASEANの中国との対米輸出競合度は大きな数値を示すようになり、特にIT関連製品においては、日韓ASEANと中国とは補完的な関係というよりは競合的な関係を強くしているという結果をえている。関(2002)論文は、主に日本と中国の1990年-2000年における工業製品(およびIT関連製品)の雁行形態的な対米輸出構造について分析を行なっている。工業製品については大筋われわれと同じ結論であるが、IT関連製品については異なる結論となっている。
著者
正躰 朝香
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.71-85, 2018-03

国際関係論におけるアイデンティティ概念を概観した上で,地域統合とアイデンティティの関係性,特にヨーロッパ統合の深化においてアイデンティティの構築や強化が果たす役割を考察する。経済統合から政治統合へと射程を広げるにつれて,EUにおけるアイデンティティについての施策は,文化的多様性の尊重と同時に,共通のヨーロッパ文化を意識させることが「ヨーロッパ・アイデンティティ」を醸成するものとされ,統合への支持を高めるための政治プロジェクトとして進められてきた。 しかし,ユーロ危機,移民・難民の大量流入,英の離脱決定という困難な状況下,EUへの不満や極右勢力の躍進が著しい。現状で必要とされるのは,EUという地域統合体への帰属がもたらす恩恵の確認と,そのための義務や負荷を負うことへの意思の共有としての「EUアイデンティティ」の強化である。
著者
高原 秀介
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.26, pp.157-170, 2009-03

1.「民主化の推進」(1)ラテンアメリカから始動した「民主化の推進」(2)安全保障の観点から重視された「民主化の推進」2.「反帝国主義」(1)世紀転換期のアメリカとウィルソン(2)ウィルソンと「反帝国主義」3.「民族自決主義」(1)「14ヵ条」に見られる「民族自決主義」の真意(2)ウィルソンの「民族自決主義」のあいまいさ4.「単独行動主義」(1)ウィルソン外交に見られる「単独行動主義」おわりに
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.111-127, 2005-03

昭和初期の農業政策に関する研究業績は数多くあるが、官僚の政策意図に関する研究は少ない。本稿では、官僚のなかでも昭和初期の農業政策において活躍し、現在の農業政策に通ずる基盤形成に貢献した石黒忠篤を取り上げる。石黒は農業政策の遂行にあたって二宮尊徳から影響を受けている。石黒は二宮の思想を体現して、戦前期から農村経済更生を強く主張する。戦前期において自力更生が叫ばれていた状況のなかで、農民がどのようにして自活できるのかを模索し続けてきたといえる。自力更生は報徳思想に通ずる側面をもっている。 戦前期には、高橋是清も自力更生を主張する。高橋の自力更生論と実際の財政政策には矛盾があるようにみえるが、問題は高橋が農村窮乏の原因をどのように考えているかにある。高橋は農村窮乏の原因を精神的教養や知識の停滞に求めているが、それ以上の認識はない。したがって、農村救済事業はその目的を達成することが難しく、高橋が期待する自力更生は、観念的な精神作興を求めることになってしまう。 一方、石黒の考え方は高橋と正反対ともいえる。つまり、農業政策の担当者は農業を最もよく理解している人々ではないので、農業に対して最善の政策はできない。したがって政策担当者は、この限界を認識すべきであり、農業の改善には農民の主体性こそが必要であるという。このような認識のもとで、戦前・戦中・戦後を通じて石黒は経済更生ないし自力更生を訴える。そして、この主張の核には、一貫して報徳思想が入り込んでいるが、それは農業政策の限界を指摘したものでもある。
著者
荒井 文雄
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.287-317, 2011-03

この研究ノートでは、学区制度の廃止に向けた政策を取るフランスにおいて、社会階層によって異なった様相をみせる学校選択の全体像を多面的にとらえる。すなわち、私企業高級管理職等に代表される上層階層の多角的教育投資行動の中に位置づけられる学校選択から、公共部門上層階層や中間階層にみられる学校選択をめぐる葛藤や、さらに、従来、学校選択に無縁な階層とされた庶民階層の動向にも注目する。各社会階層の学校選択行動の特徴を検討することを通して、学区制の廃止が、学校における階層混合および教育の社会的格差解消に貢献するか、批判的に検討する。
著者
高原 秀介
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.157-170, 2009-03

1.「民主化の推進」(1)ラテンアメリカから始動した「民主化の推進」(2)安全保障の観点から重視された「民主化の推進」2.「反帝国主義」(1)世紀転換期のアメリカとウィルソン(2)ウィルソンと「反帝国主義」3.「民族自決主義」(1)「14ヵ条」に見られる「民族自決主義」の真意(2)ウィルソンの「民族自決主義」のあいまいさ4.「単独行動主義」(1)ウィルソン外交に見られる「単独行動主義」おわりに
著者
西村 佳子 西田 小百合
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.177-192, 2013-03

確定拠出年金導入企業は、加入者に運用資産メニューを提示し、加入者は制約の下で運用を行う。本 稿では、雇用主(企業)側の行動を明らかにする第一歩として、企業型確定拠出年金担当者に対するア ンケート調査のデータを用いて、雇用主の確定拠出年金提供に対する姿勢(熟練度や熱心さ)と提供さ れる選択肢の関係について分析を行った。分析の結果、他の退職給付制度や年金からの資金の移換がな く、確定拠出年金の導入時期が遅く、担当者の熱心でかつ熟練度が高く、従業員数が少ない企業は、元 本確保型金融商品に偏らない運用資産メニューを提示する傾向があることがわかった。反対に、移換資 産があり、確定拠出年金の導入時期が早かった企業は、確定拠出年金の運用資産メニューに占める元本 保証型金融商品の割合が高い傾向があることが明らかになった。1.はじめに2.確定拠出年金導入企業が加入者に与える影響3.確定拠出年金導入企業に関する分析4.おわりに
著者
齊藤 健太郎
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.239-258, 2013-03

イギリスにおける熟練労働者への技能習得の訓練は、19 世紀以来の「自由な労働市場」の枠組みを背 景に、使用者・労働者双方のボランタリズムによって形成されてきた。これは、20 世紀初頭から漸進的 に導入された一般的な職業訓練でも同様であり、政府が職業教育に介入することは20 世紀中半に至るま で稀であった。しかし、第二次大戦後、1960 年代より、福祉国家的諸政策の展開から、職業訓練にも政 府が積極的に介入するようになる。その後、1980 年代、この傾向はサッチャリズムと市場主義的な新自 由主義政策の展開によって減速し、保守党政権の末期には、伝統的な職業訓練である徒弟制度の再編と 拡大という形をとりつつ、使用者主導のボランタリズムが再生する。1997 年に政権についた「新しい労 働党」は、この方向を維持しつつ、徒弟制度の拡大をはかるが、訓練の到達度はむしろ後退した。さら に、2010 年に政権についた連立政府において、その政策全体における職業訓練の優先順位はむしろ低下 し、イギリスにおける職業教育は現在、多くの困難に直面している。
著者
松川 克彦
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.249-272, 2014-03

山本五十六提督はアメリカ駐在武官も勤め、同国の実力を熟知していたが故に、アメリカとの間の戦争に反対であったといわれている。したがって日独伊三国同盟にも反対であった。しかしながら、日米関係が緊張してくると、アメリカ太平洋艦隊の基地真珠湾を攻撃する計画を作成、その計画実現に向けて強引な働きかけを行った。 これをみると、山本は果たして本当に平和を望んでいたのかどうかについて疑問が起こってくる。一方で平和を望みその実現に努力したと言われながら、実際にはアメリカとの戦争実現に向けて最大限の努力を行った人物でもある。 本論は山本が軍令部に提出した真珠湾攻撃の計画が実際にどのようにして採択されたのか。それは具体的にはいつのことなのか。またその際用兵の最高責任者、軍令部総長であった永野修身はどのような役割を果たしたのかについて言及する。これを通じて、もし山本の計画が存在しなければ、あるいはこれほどまでに計画実現に執着しなければアメリカとの戦争実現は困難だったのではないだろうかという点について論述する。 日米開戦原因については多くの研究の蓄積がある。しかしながら山本五十六の果たした役割についてはいまだに不明の部分が多いと考える。それが、従来あまり触れられることのなかった山本五十六の開戦責任について、この試論を書いた理由である。
著者
岩埼 周一
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.201-230, 2014-03

本稿の課題は、軍事史研究においてややもすれば受動的な存在として扱われがちな地域社会の立場から、兵役と兵站の問題を軸として、近世のハプスブルク君主国における軍隊と社会をめぐる諸関係を逆照射して考察することにある。 近世において増大の一途を辿った兵力需要に対応するため、ハプスブルク王権は支配下の諸地域の諸身分の協力をあおぎ、平民から兵士を募るようになった。改革を重ねる中で、徴募は次第に強制的な色彩を強め、場合によっては地域社会の人口動態や構造を変化させるほどの影響をもたらした。 こうした動きに対し、民衆は徴募逃れや逃亡といった形によって抵抗した。しかし、地域社会においては階層分化が進行しており、上層に属する人々ほど徴募を免れる可能性が大きかった。これに対し下層に属する人々は、徴募を免れる手段をほとんど持たなかったばかりか、領主および都市・村落共同体による、徴募を口実とした「厄介払い」や身代わりの強要に怯えなければならなかった。しかし一方、生活環境が劣悪な地域には、兵役に生活改善のチャンスをみいだす人々も存在した。 兵站に関する負担は、近世になると、しばしば臣民の生活を脅かすまでに重いものとなった。国家や諸身分、そして領主は負担の軽減に一定の努力をみせたものの、十分なものとはならなかった。また、領主は在地権力としての立場から、兵站に関する諸負担を領民を統制する手段として利用した。これは徴募においても同様である。総じて、軍事負担をめぐる問題は、地域社会における領主権力の強化に利用されたといいうるであろう。 ただし、地域社会にとって、軍は一義的に問題をもたらす存在ではなかった。領邦防衛と消費者という二つの役割により、軍は地域社会の構成員として、徐々にその地歩を固めてもいったのである。
著者
岩﨑 周一
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 = Acta humanistica et scientifica,Universitatis Sangio Kyotiensis. Social science series (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.31, pp.201-230, 2014-03

本稿の課題は、軍事史研究においてややもすれば受動的な存在として扱われがちな地域社会の立場から、兵役と兵站の問題を軸として、近世のハプスブルク君主国における軍隊と社会をめぐる諸関係を逆照射して考察することにある。 近世において増大の一途を辿った兵力需要に対応するため、ハプスブルク王権は支配下の諸地域の諸身分の協力をあおぎ、平民から兵士を募るようになった。改革を重ねる中で、徴募は次第に強制的な色彩を強め、場合によっては地域社会の人口動態や構造を変化させるほどの影響をもたらした。 こうした動きに対し、民衆は徴募逃れや逃亡といった形によって抵抗した。しかし、地域社会においては階層分化が進行しており、上層に属する人々ほど徴募を免れる可能性が大きかった。これに対し下層に属する人々は、徴募を免れる手段をほとんど持たなかったばかりか、領主および都市・村落共同体による、徴募を口実とした「厄介払い」や身代わりの強要に怯えなければならなかった。しかし一方、生活環境が劣悪な地域には、兵役に生活改善のチャンスをみいだす人々も存在した。 兵站に関する負担は、近世になると、しばしば臣民の生活を脅かすまでに重いものとなった。国家や諸身分、そして領主は負担の軽減に一定の努力をみせたものの、十分なものとはならなかった。また、領主は在地権力としての立場から、兵站に関する諸負担を領民を統制する手段として利用した。これは徴募においても同様である。総じて、軍事負担をめぐる問題は、地域社会における領主権力の強化に利用されたといいうるであろう。 ただし、地域社会にとって、軍は一義的に問題をもたらす存在ではなかった。領邦防衛と消費者という二つの役割により、軍は地域社会の構成員として、徐々にその地歩を固めてもいったのである。