著者
奥谷 浩一
出版者
札幌学院大学総合研究所
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
no.96, pp.77-99, 2014-10

アクセル・ホネットはいわゆるフランクフルト学派の第三世代にぞくすると評されるドイツの哲学者・社会学者である。その彼が『物化』を公刊した。この著作の意図は、マルクスによって創始されルカーチによって継承された物象化論に今一度アクチュアリティを与えようとするところにあるが、それはかなり特異な「物化」論でもある。その大きな特徴は、ルカーチの理論の読み換えを行い、彼独自の「承認」という概念を用いてこれを「物化」論に適用し、「物化」を「承認の忘却」として理解することである。しかし、こうした特異な「物化」論は、マルクスとルカーチによって定式化された物象化論から資本主義的商品交換社会という視点を排除し、本来社会的次元で生ずるはずの個々人どうしの「相互承認」の概念内容をも変更して、個人と環境世界との間の、しかも認知以前の「承認」へと拡大するとともに、個人的・人間学的な次元で読み換えようとするものであり、きわめて問題の多いものである。そしてそれは、その強引と思える読み換えと鍵となる概念内容の拡大によって、本来の物象化論がもつ社会批判としての意義を解消しかねないように思われる。本論文では、こうした観点から、マルクスとルカーチの物象化論に立ち帰ってまずその基本的思想を確認し、この準備作業から見えてくる、ホネットの「物化」と「承認」の理論がもつ問題点を分析する。論文
著者
中村 敦志
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.1-12, 2001-03-21

マーク・ストランドの新詩集, Blizzard of One (1998)は, どのような特徴があるのか。そのタイトルは何を表すのか。果たしてブリザード(猛吹雪)は起きるのだろうか。これらの点を念頭に置きながら, 4つの視点から考察する。まずは, 消滅を扱った2篇, "A Piece of the Storm"と"The Night The Porch"を考察する。2番目に, "Precious Little"を例に, 詩集に頻出する風について考える。3番目には, 詩人の問題を扱った3篇, "The Disquieting Muses", "The Great Poet Returns", "Five Dogs"を取り上げる。そして最後に, 日没を描いた2篇"The Next Time"第III部と"The View"について考えてみる。その結果, 以下のように結論付ける。この詩集の世界で, 嵐や吹雪が実際に起きることはない。だが, 起きるかもしれないという不安が, 絶えず付きまとう。例えば, 強風にもなり得る風が, 詩の中で頻繁に吹いている。それは今すぐ起こる猛吹雪ではないにしろ, 近い将来に起こり得る, とストランドは言っているようだ。つまり, Blizzard of Oneの世界そのものが, そんなブリザードの前兆となっているのである。
著者
諸 洪一
出版者
札幌学院大学総合研究所
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
no.96, pp.1-30, 2014-10

ペリーは如何にして日本を「開国」したのであろうか。本稿は、「無能」な幕府が、「不平等条約」を、アメリカに強要されるがまま受け容れた、とする日本の開国史の言説に再検討を加えるものである。ところで全く同じような言説が、日本による朝鮮の開国史にもまかり通っており、筆者はすでにこれを批判する論考を発表したことがある。ペリーと明治政府が、幕府と朝鮮に対して行った交渉は、砲艦外交には間違いないが、決して一方的な押しつけではなく、幕府も朝鮮も自前の伝統的外交論理でもって交渉に臨んでいた。何れの交渉も、互いの所与の条件を押し合い譲り合ったネゴシエーションであったが、後の日朝交渉は、日米交渉を学習したものだったのではなかろうか。How did Matthew C. Perry open Japan? This paper reexamines the claim that the United States forcefully imposed an "unequal treaty" on an "incompetent" Shogunate. There exists a similar claim that Japan opened Korea by similarly imposing an "unequal treaty" on an "incompetent" Chosun government. I have previously clarified that the Treaty of Ganghwado was concluded through a moderate form of negotiation. Without doubt, some degree of gunboat diplomacy occurred between the U.S. and Japan, as well as between Japan and Korea. However, both case of gunboat diplomacy was not completely one-sided. Japan's negotiation to the U.S. and Korea's negotitation to Japan were founded on traditional principles and reasonings, and all parties negotitated with under the given conditions and mutual concessions. Further, I believe that Japan's negotiation with Korea may have been based on how the United States negotiated with Japan.論文Article
著者
杉山 吉弘
出版者
札幌学院大学総合研究所
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
no.97, pp.25-42, 2015-03

本論の課題は古典ギリシャ以来のエコノミー概念の基本的な意味と用法を明らかにすることであり,したがってまたたとえばフーコーの言う権力の「エコノミー」とは何かを問うことでもある。まず最初に,ラローシュによる語源的研究を活用して古典ギリシャのオイコノミア概念の解明を試み,エコノミー概念の基礎的な成り立ちを明らかにした。その考察に依拠して,アリストテレスのオイコノミア,神のオイコノミア,自然のエコノミー,アニマル・エコノミー,モラル・エコノミーなど,エコノミー概念の系譜学における主要なテーマについてその概要を論述した。本論で明らかになったことは,エコノミー概念は共同体の「管理運営」または「統治」を基本的な意味としつつ,ある全体の統御,統御の術または学,(被)統御系という複合的な用法をもつということである。The aim of this treatise is to throw light on the meaning of economy used from ancient times. For instance, what meaning has the economy of power that Michel Foucault insists on in his philosophy ? Therefore I try to retrace the genealogy on concept of economy. First of all, I attempt to inquire into, by means of the etymological study by E. Laroche, the concept of oikonomia used in ancient Greek literature. After this critical research, I treat the principal subjects of this genealogy, for example, oikonomia in the philosophy of Aristotle, oikonomia of Christian God, economy of nature, animal economy, moral economy etc. I come to the conclusion that the concept of economy has fundamentally the meaning of administration or government of community, and moreover the complex implications of control, art or science of control and order or system controlled.論文Article
著者
平体 由美
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.1-21, 2000-03

第一次世界大戦時のアメリカにおける戦争広報は, 国民の自主協力に大きく負っていた。広報委員会は自主協力を, 国民の民主主義の実践, 政府機関の民主的運営の現れとして歓迎した。しかしその方法は, 民主的であろうとした広報委員会のコントロールを弱め, 移民の急増によって高まっていたアメリカ化への志向を統一強化することとなった。
著者
奥谷 浩一
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.83, pp.137-171, 2008-03

ハイデガーは,第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの敗北の後に,政治的浄化委員会によって,フライブルク大学最初のナチ党員学長として活動したことの政治的責任を問われることになった。これが本論文で言う「ハイデガー裁判」である。フランス占領軍によって「典型的なナチ」と見なされたハイデガーは,フライブルク市内の自らの住居と蔵書の接収という危機的状況に直面して,この危機を回避するために「弁明」を開始し,「ハイデガー裁判」の過程のなかでこの「弁明」をさらに拡大・強化していった。この「弁明」は最終的には「1933/34年の学長職。事実と思想」という文書にまとめられて完成されることになる。ハイデガーの「弁明」は,自らとナチとの関係が最小限のものであったとする戦略で貫かれており,時には真実と虚偽を織り混ぜたりあるいは時には事実を隠蔽するというかたちでさまざまに展開されている。本論文では,この「ハイデガー裁判」の経緯と結末を追跡しながら,その過程のなかで展開されたハイデガーの「弁明」のはたしてどこまでが真実でどこまでが虚偽なのか,そして同僚たちの目に学長ハイデガーがどのように映っていたのかをやや詳しく検討することにしたい。この検討は,ハイデガーとナチズムとの真の関係を明らかにするとともに,ハイデガー思想の再評価という問題を提起する作業の一環にほかならない。
著者
湯本 誠
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.82, pp.141-175, 2007-10

本校では,1990年代初頭から2000年代初頭までの時期にトヨタ自動車を定年退職したブルーカラーを対象として,企業内職場経歴・キャリアの特徴を事例研究のかたちで考察している。事例研究の対象である12ケースを到達した職位を基準に3つのグループに分類して,企業内職場経歴・キャリアにおける「重大な転機」に焦点をあてた事例研究を行なうとともに,同一グループに属するケース間の比較検討を行なっている。この12ケースが55歳を迎えた1980年代後半から1990年代半ばまでの時期は「職層制度」から「職能資格制度」への転換によって「職位解任制度」が廃止されていく時期と重なり,専門技能職制度が導入されていく時期でもある。こうした人事制度改革が個々の労働者の戦場経歴・キャリアに及ぼした影響という構造的な局面だけでなく,個々の労働者のキャリア形成への主体的努力や自己選択の局面も分析している。
著者
富田 充保 Munn Pamela Johnstone Margaret
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.175-194, 2005-11-18

この論文は,1990年における中等教育教員の無規律状態に関する認識を,1996年のそれと比較するものである。また,初等教育教員の認識に関する情報も提供する。これらの認識は,3つの調査から引き出されたもので,そのサンプル数は1990年においては中等教育教員883名,1996年は中等教育教員561名と初等教育教員825名である。1990年において中等教育学校でもっとも一般的であった問題行動は,1996年においても一般的でありつづけていた。「自分の順番ではないのにおしゃべりをしている」「学級のなかでの飲食」というような,典型的には低次元のものであった。「教員に対する暴力」は,1990年と1996年の両方においてまれであった。「学校の周囲での教師に対する言葉による迫害」が,統計上有意な差をもっているものであった。もしこれが真の変化を反映しているのだとしたら,学校の周囲での挑発的な行動にとってのより一層深刻な傾向を表していることになる。こうした所見は,無規律状態にかんする研究上の文脈のなかに,そして社会的排除と目標設定という政策のなかに,位置付けられることになる。
著者
内田 司
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.72, pp.95-120, 2002-12-25

現在の地域社会研究においては,もはや,都市・農村の対立の止揚を課題とするのは,時代錯誤的になったと言われてきた。日本においても,とくに高度経済成長期以降の地域社会の激変ともいえる変動が,実体としての都市・農村を解体してしまったとみられている。連載からなる本稿は,そうした地域社会研究の課題をめぐる主張の批判的検討を行うことを課題としている。そして,グローバル化している現代資本主義の発展にもとづく地域的不均等発展の深化によってもたらされているさまざまな問題-世界的な南北問題と紛争問題,過密過疎問題,都市問題,環境・エネルギー問題などなど-を解明するためには,都市・農村の対立を止揚するという視角は,現代地域社会研究にとって重要な視角であることを立証したい。その一環として,本論文では,都市・農村の対立を主題としてきた社会理論の理論的系譜を辿る一環として,アダム・スミスの再生産理論を検討している。
著者
湯本 誠
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.67-99, 2005-11-18

本稿はトヨタ自動車における長期勤続者の企業内キャリアの新たな動向に関する事例研究である。1990年代における技能系人事制度改革によって,主にスタッフ機能を担う専門技能職が新設されると同時に,労働組織はライン型組織からライン・スタッフ型組織に切り替えられていった。この一連の改革によって,より上位の管理・監督職へと登りつめていく従来型の「役職昇進型キャリア」に加えて,専門職として技能を深めていく「専門技能職型キャリア」が新たに誕生した。ここでは,50代で勤続30年以上の長期勤続者が大多数を占める16ケースの職場経歴を考察することによって,キャリアの複線化が彼らの職場経歴に及ぼした影響と個人の主体選択について検討している。「新しい職業能力と職業経歴」という視点からみて重要なことは,役職昇進型キャリアを拒否して,専門技能職型キャリアを主体的に選択するケースが複数,存在していることである。熟練職場において高度な専門技能を発揮する新しい働き方が誕生している。