著者
宮地 隆廣 Takahiro Miyachi
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.377-400, 2012-03-10

本稿は、地域研究の扱う範囲とアプローチについて、先行研究に対する批判的検討を通じ、その妥当なあり方を提示する。第1に、地域研究の扱う知識の範囲は特定の空間、時代、テーマおよび方法論によって制限されるべきではない。第2に、研究に値する知識は、既存の地域イメージを覆すものか、社会や学界で価値の認められるテーマに関連するものに限られる。第3に、研究のアプローチは、科学的なものと多声的なものに分けられる。
著者
諫早 勇一
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.277-291, 2009-08

1920年代から30年代にかけて、亡命の子どもたちが学ぶロシア・ギムナジウムが置かれたモラフスカー・トシェボヴァーの町は、亡命ロシア文化を語る上で、忘れてはならない重要な地位を占めている。本稿では、1)チェコスロヴァキア政府の亡命ロシア人援助政策を受けて実現したコンスタンチノープルからの大移動、2)ここで亡命の子どもたちに課せられた作文、3)思い出の場所としてのモラフスカー・トシェボヴァー、という三つのテーマを中心に、この町の遺した意義について考察する。研究ノート(Note)
著者
中村 久男
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.261-284, 2005-12

日本ではいまだに知名度の低いアメリカ南部再建期から世紀転換期にかけ作家活動を行ったアフリカ系アメリカ人チエスナツトの第二短編集『彼の若き日の妻とその他のカラー・ラインの物語』を扱った論文である。カラー・ラインとは肌の色による差別が歴然と存在するが、その見えざる人種の境界線を指す。彼は、短編集を編むにあたり、9編の物語の配列に最善の努力を惜しまず、その結果に満足した。では、彼が目指した最良の配列とはどのようなものであり、それによって彼が伝えようとした作家の意図とは何であるのかを探求した。第一には、各短編が次ぎの物語と相互に関係しあい、相互に対照・照射し合う、間テクスト的配置が認められた。第二には、ブルー・ヴエインズと呼ばれる裕福な中流黒人層を描く物語で始め、カラー・ラインを越えようとする黒人の生活の諸相が描かれるが、最後には、貧しい黒人の悲劇的な物語を二編配置することによって、カラー・ラインは恣意的な見えざるの境界線ではあっても、それを越えるのは非常に困難であること、白人読者が興味をもち受け入れ易い短編から次第に南部黒人が置かれた厳しい現実を突きつけるような物語の流れを作ることによって作者はカラー・ラインへの挑戦姿勢を明確に打ち出しているのである。
著者
吉田 優子
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.[599]-616, 2009-03

論文(article)八重山諸島の石垣島、石垣市街の中でも字ごとに発音の違いが細分化されることが古謡の伝承と現地調査によってわかった。石垣市四箇字の方言を中心に、今、消滅しつつあるといわれるこの方言から中舌高母音/ï/がなくなりつつあることと四箇字のうち字登野城においては他の字では観察された[p]音から[h]音への弱化が起こっていないことがわかったのを説明する。同時に、市内中心部でも字ごとに違う発音の細分化が保たれた文化的、社会的背景を辿るのが本稿の目的である。四箇字の古謡「ユンタ」の由来を検討してみると、集合的に四箇字の、ではなく、四つそれぞれの字を発祥の地とするユンタがある。畑仕事中に掛け合いで歌われたという性質上、地域性を強く反映するものとみなして調べた結果、この比較的小さな区域内での発音のヴァリエーションを垣間見ることができた。Reported here are some recent changes of the pronunciation in the Ishigaki dialect along with their social and cultural background. This study is based on the recently collected set of data from the author's fieldwork, and on the diversity found in the way old folk songs are recorded in the four main villages. In the dialect of Ishigaki city centre high central vowel /i/ is disappearing and lenition of /p/ is observed. The accent varieties are diversified and preserved in tandem with the religious, farming and singing community.
著者
竹内 理樺 Rika Takeuchi
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.15, no.4, pp.359-389, 2013-03-10

何香凝の芸術活動は一般にその政治活動と密接に結びつけて論じられる。しかし、1920年代末から40年代半ばまで、彼女は政治とは一線を画し、「一国民」として絵画の「義売」(慈善販売会)や兵士の救護活動を行い、画家の立場を立脚点として独自の抗日救国活動を行っていた。その活動は孫文と夫廖仲愷の遺志を継承する政治的理念に基づいたものであったため、多くの人々の支持を集め、結果的に彼女の名声と人望を高め、彼女を政治の第一線に復帰させることとなった。
著者
クロス ロバート
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.209-233, 2012-01

1947年のインド独立後の数十年間、インドにおけるドキュメンタリー映画製作は、ジャワハルラール・ネルー首相の国家建設プロジェクトの代名詞となった。ドキュメンタリー製作者は、製鋼所やダムなど当たり障りのない映画を作り、カースト制度や不可触賤民など議論を呼ぶテーマを避けてきた。その結果、インドにおけるドキュメンタリーは厳しく批判される分野となった。しかしながら、1980年以降、アナンド・パトワルダンらの若い映画製作者が、現代のインド社会が直面する差し迫った社会問題に関心を持つようになった。最近では、新興世代の、その多くがパトワルダンに影響を受けている映画製作者が、カースト制度や不可触賤民などのインドの負の側面を観察することに乗り出した。ラジェシュ・S. ジャラ(1970年生まれ)は、経済大国、現代インドが抱える社会的・文化的問題を調査し報道しようとする、若手監督世代の一人である。ジャラの受賞作品「火葬場の子供たち(2008)」は、インドの最も混雑する火葬場である、マニカーニカガットで死体を火葬させられるヴァラナシのドムのコミュニティの不可触賤民の子供たちの生活を描いている。本稿では、ジャラがどのようにして映画を製作するに至ったのかを考察し、無力なコミュニティについて記録することによって生じる道徳的含意を検討する。
著者
伊狩 裕
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-47, 2006-08

カール・エーミール・フランツォース(1848-1904)は、今日ではもっぱら、東方ユダヤ人の世界を描いた、いわゆる「ゲットー作家」としてのみ知られ、『小ロシア人の文学』、『タラース・シェフチェンコ』等によって、ウクライナ人の文化、特にその文学を、当時、ドイツ語圏にむけて精力的に紹介していたことは知られていない。本稿では、ウクライナ民族の歴史と文学に対するフランツォースの深い理解と関心とを示すものとして、『小ロシア人の文学』、『タラース・シェフチェンコ』、そしてまた、フランツォース自身によるシェフチェンコの詩のドイツ語への翻訳を取りあげ、従来、もっぱら「ユダヤ」によってのみ論じられることの多かったフランツォース像を補正し、フランツォースの全体像を明らかにする。同時に、「フランツォースのウクライナ」は、「ユダヤ」による、「スラヴ」の「ゲルマン」への仲介であったが、それを初めて可能としたものとして、ガリツィアという空間の特質を取りあげる。Karl Emil Franzos (1848-1904), geboren in einer assimilierten jüdischen Familie in Galizien, ist heute nur als ein Schriftsteller vom jüdischen Ghetto in Galizien bekannt. Er war jedoch auch einer der wenigen Deutschen, der sich damals für die ukrainische Kultur interessierte, und schätzte insbesondere ihre Volkslieder und Literatur hoch. Dies lag u.a. daran, dass die ukrainische Sprache seine erste Sprache war und ihm die ukrainische Kultur von Kind auf sehr vertraut war. Eine Untersuchung der "Ukraine von Franzos" ist nicht nur für seine ganzheitliche Würdingung notwendig, sie bietet auch einen Zugang zum Verständnis der Spezifität Galiziens im 19. Jahrhundert. Franzos behandelte die ukrainische Literatur in "Die Literatur der Kleinrussen" und "Taras Szewczenko". Beide sind in der Sammlung "Vom Don zur Donau"(1889) enthalten. Im ersten Werk behandelte Franzos vor dem geschichtlichen Hintergrund der Ukrainer und ihres unglücklichen Schicksals die ukrainische Literatur vom 11. Jahrhundert bis in die 1880er Jahre. Im zweiten konzentrierte sich Franzos auf eine einzige Person, den Dichter Taras Szewczenko (1814-1861, auf Deutsch: Schewtchenko), und beschrieb, wie sich in ihm das ganze nationale Schicksal der Ukraine spiegelt. Die beiden Werke ergänzen sich also gegenseitig.5 Jahre nach dem "Taras Szevczenko" übersetzte Franzos ein Gedichte von Szewczenko, in dem dieser kurz vor seinem Tod seine Enttäuschung und Hoffnungslosigkeit ausdrückt. Szewczenko hatte in jüngerern Jahren auch zahlreiche provokative und hoffnungsvollere Gedichte verfasst. Dass Franzos gerade dieses Gedicht auswählte, übersetzte und mit dem Titel "Erwarte nichts!" versah, zeigt, wie sehr Franzos seine eigenen Gefühle darin gespiegelt sah.
著者
諫早 勇一 Yuichi Isahaya
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.69-87, 2011-08-25

ナボコフがゴーゴリ論の中で使って有名になったposhlostという語は、ゴーゴリ自身が自分の作品を論じるにあたって使った語だが、その後メレシコフスキイ、ゼンコフスキイらさまざまな批評家もゴーゴリの作品を論じるにあたって用いてきた。本論では、poshlostという語の意味の変化を追いながら、その意味の広がりを検討し、ナボコフの用法によってこの語を理解することの危険性を指摘した。
著者
和泉 真澄
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.139-168[含 英語文要旨], 2008-12

本稿は、アメリカ合衆国における和太鼓の三つのパイオニア・グループと称される、「サンフランシスコ太鼓道場」、「緊那羅太鼓」、「サンノゼ太鼓」の起源、メンバー構成、集団運営哲学、演奏スタイル、日本や日系コミュニティとの関わり方などを分析し、その違いから、日本文化移植の形が三つの異なる類型、すなわち「オリエンタリズム型」、「ディアスポラ型」、および「エスニック型」文化移植に分類できることを明らかにしている。論文(articles)
著者
諫早 勇一
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.69-87, 2011-08

研究ノート(Note)ナボコフがゴーゴリ論の中で使って有名になったposhlostという語は、ゴーゴリ自身が自分の作品を論じるにあたって使った語だが、その後メレシコフスキイ、ゼンコフスキイらさまざまな批評家もゴーゴリの作品を論じるにあたって用いてきた。本論では、poshlostという語の意味の変化を追いながら、その意味の広がりを検討し、ナボコフの用法によってこの語を理解することの危険性を指摘した。
著者
宮嶋 博史 中 純夫 板垣 竜太
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.8-24, 2012-08

講演会記録(Lecture Record)同志社大学言語文化教育研究センターの「朝鮮半島のことばと文化」研究会の主催で,2011年12月に開かれた講演会の記録である。当日は,同志社大学言語文化教育研究センターの小川原宏幸氏が司会を務め,同センターの洪宗郁氏から趣旨説明があり,成均館大学東アジア学術院の宮嶋博史氏から「「際」を自覚した者の苦悩-朝鮮思想史の再検討-」と題した講演をいただいた。その後,京都府立大学文学部の中純夫氏,同志社大学社会学部の板垣竜太氏から,それぞれ「実学思想と「際」―宮嶋博史先生の発表に寄せて―」・「宮嶋史学の展開と儒教論」という題名でパネル討論が行われ,最後には一般の参加者を交えた「討論」の時間が設けられた。パネル:中純夫・板垣竜太
著者
中井 晨
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.191-239[含 英語文要旨], 2009-08

論文(Article)近衛新体制運動の展開に照らして、出版新体制の動きを追う。出版業には出版体制の刷新を官庁に委せず、民間自らの立場から推進しようとする意気込みもあった。新団体創設のための準備委員会と創立委員会には民間業者も参加した。だが、新体制運動の展開を睨んだ官庁側のスケジュールと思惑が優先した。「国家国民ノ大イナル期待ノ下ニ生レタ行政新体制ノ新国家機関」たる情報局の指導監督下におかれる日本文化出版協会もまた、新体制運動の産物であった。The present chapter examines the process of establishment of the integrated association of publishers in December 1940, in the context of the New Order advocated by the Konoe administration in the summer, to demonstrate how devoted government officials took the lead in discussions with publishers, allegedly on equal footing. Some were convinced that their purpose was the same as that of the nation, and yet soon it turned out: the purpose of the nation was what all publishers must observe.
著者
高木 繁光
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.355-379, 2005-12

本論はドイツの二つの零年に撮られたベルリンについての三つの映画の分析を通して映画的イメージの特性を考察する。『ドイツ零年』においてロッセリーニは、廃墟のベルリンを地獄絵図として描く。そこに属することを拒む少年は繰り返し螺旋階段を上り、ついには死へと身を投じる。この反復的な垂直方向の運動とともに、スクリーン上を幾度も横切る路面電車の水平方向の運動が、映画の構図上の基本線をなしている。ターナーの『ベルリン特急』は様々な数字の反復によって構成され、特に2はこの映画の主題である分身性、類似したものの反復を示している。車窓はスクリーンとしてメタ映画的な機能を果たし、そこにフランクフルトとベルリンという二つの街が破壊され瓦礫となり似通った風景として反復的に映し出される時、それらは都市としての固有性、一回性を失い、幽霊のような類似した二つのイメージとなって重なり合う。それは、一回限りのものから固有性を奪い、複製、コピーという反復的イメージを作り出す映画の本質に対応している。『新ドイツ零年』も相似、分身を表す2の反復によって構成されている。この映画は、「存在と非在」、歴史と精神の間を「揺れながら」、幽霊的な主体の複数性において回帰と逃走を繰り返す歴史という女性(たち)の「物語」である。ゴダールは、この超時間的な「物語」をとおして、第二の「零年」という一回的な時間を「闇の音楽」として聴かせようとする。Die Abhandlung fragt anhand einer Analyse von drei Filmen über Berlin nach dem gespensterhaften Wesen der filmischen Bilder. In Germania Zero zeichnet Rossellini die zerbomte Stadt Berlin als eine Hölle, die einen Knaben zum Selbstmord treibt. Er geht wiederholt die Spiraltreppen hinauf, die ihn zuletzt zum Tod führen. Mit diesen vertikalen Bewegungen bestimmen die horizontalen Bewegungen der Straßenbahnen die Grundkomposition des Films.Im Berlin Express Tourneurs werden auf das Fenster des Zugs, das als Leinwand funktioniert und metafilmisch das Wesen des Films enthüllt, die Anblicke der zerstörten Städte Frankfurt und Berlin projiziert. Die beiden Stadtbilder sind durch die Zerstörung ähnlich geworden: sie haben ihre Eigenartigkeit als Stadt verloren und ähneln sich wie gespensterhafte Doppelgänger. Allemagne année 90 neuf zero ist durch die Wiederholung der Zahl 2 gekennzeichnet, die auf Ähnlichkeit und Doppelgänger hindeutet. Hier ist von „jeunes filles sans uniforme" die Rede, die als gespensterhafte plurale Erscheinungsform der Geschichte selbst zwischen Sein und Nichtsein, Geschichte und Geist oszillierend immer auf die Welt wiederkehren und wieder erneut verschwinden.
著者
木下 康光
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.171-189, 2010-12

研究ノート(Note)『ヘンゼルとグレーテル』の物語は構造的に見れば、困窮ー旅立ち-闘いと勝利ー財宝をもっての帰還というメインストーリーを持った一つの竜退治型英雄譚の特徴を具えている。その際、主人公(=英雄)のヘンゼルはオデュッセウスのごとき狡知を発揮するのに対し、退治されるべき竜と等価の魔女はオデュッセウスに欺かれるキュクロープスのごとき愚かな鬼/欺かれる悪魔の一類型となっている。Das Märchen "Hänsel und Gretel" (KHM 15) kann man als eine Art von Drachentäter-Märchen ansehen. Hänsel und Gretel gehen nämlich als Helden zur anderen Welt ( Hexenwald ), vernichten dann mittels Trick die Hexe ( = Teufel / Drache ) und kehren mit großen Schätzen heim. Sie erinnern an kleine aber mutige und listige Helden wie Odysseus oder das tapfere Schneider im KHM 20. Da kann man das Motiv " dummer bzw. betrogener Teufel " wiederfinden.
著者
長谷部 陽一郎
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.[395]-420, 2009-12

研究ノート(Note)構文文法の視点から言語習得のメカニズムを記述するため計算的な手法を用いることの有用性と意義を示す。この目的のために本稿ではまず、構文文法と計算機プログラミングにおけるオブジェクト指向の考え方との関係について論じる。また、構文文法の理論的枠組が関数の重ね合わせによって記述できることについて触れる。本稿の後半では言語習得研究に寄与する可能性を持つ2つの具体的な分析手法を導入する。第一の手法は形式概念分析(FCA)を応用したもので、これまで多分に理論的な概念として扱われてきた構文間ネットワークに数学的に厳密な定義を与えるとともに、それをグラフ構造として可視化する。第二の手法はパターン・ラティス理論を用いたものであり、子供が構文習得の過程で出会う様々な潜在的パターンを抽出し、相互関係を明示化する。以上の議論と提案によって、これまで認知言語学などの領域では必ずしも広く認識されてこなかった構文文法と計算的手法との高い親和性が明らかとなる。This paper argues for the benefits of adopting computational methods in studying language acquisition mechanisms within the framework of Construction Grammar. First, the paper discusses the object-oriented and function-oriented facets of the computational nature of Construction Grammar. Upon this theoretical foundation, two new methods of language data processing are introduced. The first method, a technique utilizing Formal Concept Analysis (FCA), makes it possible to visualize the conceptual network hidden inside the real data. The second technique utilizes Pattern Lattice Theory to clarify the multiple overlapping sub-constructions that are supposedly acquired by a child before he or she masters a construction. Through these discussions and proposals, this paper argues against the myth that the framework of Construction Grammar is in conflict with, or is not compatible with, computational methodologies.
著者
Auracher Jan
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.12, no.4, pp.665-690, 2010-03

論文(Article)Mit Sakrileg schrieb Dan Brown einen Bestseller, der ihn über Nacht auf beinahe der ganzen Welt berühmt machte. Ähnliche Werke entstanden teilweise bereits zuvor oder im Sog dieses Erfolges. In den Romanen wird der Protagonist in geheime Machenschaften verstrickt, in deren Verlauf er langsam immer tiefer in das gehütete Wissen einer Geheimgesellschaft eingeführt wird. Wissen und die Initiation in dieses Wissen spielt daher eine besondere und tragende Rolle für die Handlung der Romane. Diese stehen damit in der Tradition des Bundesromans, eines Genres, das seinen Ursprung u.a. bei Schillers Geisterseher hat. Im Aufsatz wird Ursprung und heutige Erscheinung des Genres anhand von Schillers Erzählung und Browns Roman näher beleuchtet.啓蒙と後見-フリードリッヒ・シラーとダン・ブラウンの「結社小説」における秘密結社の役割。世界中で読まれた「ダ・ヴィンチ・コード」は、ダン・ブラウンを一夜にして世界的に有名な作家にした。そして、それに続く似通った作品も同様に成功を収めている。小説の中で主人公たちは秘密結社の謎を解明していくが、その過程において、彼らはゆっくりとその秘蔵の智識の深みに引き込まれていく。こうしてその智識とイニシエーションは、ダン・ブラウンの小説において中心的な役割を担う事となる。このように、彼の小説はシラーの「見霊者」にその起源を持つジャンル「結社小説」に属するが、本稿では、シラーとブラウンの小説を例にとりこのジャンルの起源と今日の現象を照らし合わせたい。