著者
柴田 弘捷
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.11, pp.23-40, 2021-03

COVID-19パンデミックは世界的に経済活動の縮小・不況と言うコロナ禍が生じさせた。その中で日本の就業世界では、企業の倒産、閉鎖・解散、事業所の閉鎖・縮小が生じ、それに伴って解雇・希望退職募集企業が増加し、休業者の急増、離職者の増加・就業者の減少、失業者・失業率の増加・上昇が見られた。休業者は非正規女性、特にパート、アルバイトに集中し、離職者は若年非正規、男性正規、女性非正規に多く、増加した離職者総計で見ると圧倒的に女性非正規が占めていた(97%)が、女性正規は増加していた。なお、休業者で法定休業手当(60%以上)以下の者やまったく払われなかった者も多くいた。また、就業形態では、「テレワーク」(在宅勤務)の導入、適用者(テレワーカー)も急増した。しかし、6月以降には導入中止、適用労働者割合、テレワーク日数も縮小しつつある。また、テレワーク導入目的、企業側、テレワーカーから見たテレワークの課題、問題点を明らかにした。
著者
今野 裕昭
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.10, pp.1-13, 2020-03

海外ライフスタイル移民は、ミカエラ・ベンソンが「仕事や政治的避難のような伝統的に挙げられてきた理由のためではなく、主に生活の質として広く語られる理由に駆りたてられた移住のグループ」と定義しているように、より良い生活を求めての移住という点に特色があると言われる。本稿では、日本人のライフスタイル移民の研究が比較的多いオーストラリア移民の事例を中心にこの移民の移住動機を再検討し、生活の質として語られる理由の内実を確かめる。先行研究から、出自国社会の閉塞感、上下の人間関係、ジェンダー規範や都会のストレスからの脱出と、ゆとりのある生活、安い住宅費と生活費、健康に良い気候や景観、子育てに良い環境への希求が出てきた。さらに、1980年代90年代に新たに登場したライフスタイル移民と、戦前からの従前の経済移民とを対比し、前者の移住の性格は自発的な選べる移動に特徴がある点を確認した。その上で、グローバル化現代のライフスタイル移民が、移住先の海外日本人社会の中でどのような位置に置かれているかを検討し、移民の性格の点で見るとこの人たちが今やゆらぎの中にあることを明らかにした。この半世紀の間にライフスタイル移民のタイプは複雑に多様化し、階層分化の中で格差が大きくなり、孤立する者が生じ、重大なことに、選びとる移動で来たはずの人が、グローバル化の進展の中で今や選べない移動を強いられている事態が表面化してきている。
著者
金 思穎
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.107-126, 2018-03-23

本研究の目的は、2013年の災害対策基本法改正で創設された地域コミュニティの住民等を主体とした共助による防災計画制度である「地区防災計画制度」について、政令指定都市の中でも先進的な取組が実施されている北九州市独自のモデル事業に関する調査を踏まえ、地区防災計画づくりを通じた住民主体のコミュニティ防災の在り方について考察を行うことである。調査手法としては、2017年8月4日に、同市の防災担当官2人に対して、半構造化面接法によるインタビュー調査を実施し、SCAT(steps for coding and theorization)を用いた質的データ分析を行った。その結果、地区防災計画づくりに成功した地区では、①地域コミュニティの住民主体のボトムアップ型の活動、②大学教員、NPO、行政の防災担当経験者等の地域コミュニティの外部からの有識者等によるサポート、③福祉施設、学校、企業等の多様な主体との連携、④大学生から幼稚園児までの子供・若者の参加、⑤自治連合会長等の献身的な住民のリーダーの存在、⑥コミュニティセンター等を中心とした新規居住者を積極的に受け入れた校区単位の良好な人間関係、⑦河川の清掃活動のような日常的な地域活動を結果的に地域防災力の向上につなげる活動(「結果防災」)、⑧自治体の防災担当経験者による自発的な長期的支援、⑨地区の特性に応じた行政と地域コミュニティの連携等の特徴があることが判明した。なお、本稿は、1つの政令指定都市の地区防災計画制度のモデル事業に関する調査であり、検証のためには、さらなる事例の調査が必要である。
著者
横山 順一
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.1, pp.163-179, 2011-03

2000年代に入り大都市、特に東京都心の空間は、大資本や行政が牽引する力によってその姿を大きく変えてきている。そこでは超高層マンションや大型複合施設によって形成される開発空間が誕生しているが、同時にその袂に隙間的、裏道的と呼べるような空間もまた生成、もしくは発見されてきている現実がある。本論はこのような東京都心部の空間再編成過程においてたち現れてきている隙間空間としての「裏道」に注目し、その形成過程の把握とそれが今日の都市空間に対して有する意味の検討を目的とする。またその際、生活や経済活動の舞台として「裏道」を選んだ人々にとってそこがどのように生きられているのかという点に特に注目する。本論の構成は以下の通りである。はじめに問題の所在を述べ、次に方法論の検討として、都市サブカルチャー研究と消費社会論的都市研究、場所論、社会学的意味論という3つの領域の諸研究を検討する。第3に本論が対象とする港区元麻布エリアにある「裏道」を地理的特徴と物質的特徴から捉え、第4に、2000年代に入り「裏道」に付与された意味の検討を通し、そこを生活や経済活動の舞台として選んだ人々の活動実践を捉えていく。そして最後に、ニッチ産業を生きる人々による濃密なコミュニケーションへの注目から「裏道」の今日的な意義を論じる。
著者
広田 康生
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.43-61, 2016-03-15

本稿は、新宿大久保、百人町における新来住者、エスニシティと旧住民との「場所形成」をめぐる衝突と融合の諸相の社会学的実態報告を目指している。エスニック・コミュニティへの統合圧力あるいは「排外主義」が強まる中、「積極的主体」から「ネガティブな主体」へとイメージの逆転が進行しだしたといわれる移民、エスニシティと対応する旧住民との「場所認識」の衝突と融合過程と、「推移空間化」を背景に、移民、エスニシティ側からの連携を模索する姿を描こうとしている。以下、1では本稿における問題意識について主に「共生」の逆転現象について問題提起をし、2で、現在のエスニック・コミュニティを分析する分析地平について、トランスナショナル・コミュニティ視角と、推移空間化、及び昨今のヘイトスピーチに代表される統合圧力の現状について説明し、3では、こうした「場所形成」同士の衝突と融合を、背景としての新宿の「推移空間化」の現状の中で説明し、4において筆者の聞き取り調査のなかに、場所認識の実相を見ていく。本稿は、「排外主義」の中でも「共生」の契機を探ろうとする移民、エスニシティと日本人住民の活動を描くことを目的にしている。
著者
小森田 龍生
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.3, pp.117-126, 2013-03

日本の自殺は1998年に前年比およそ3割増しの大幅な増加を示して以降、特に男性においては自殺者数、自殺率ともに統計史上もっとも高い水準で今日に至っている。近年では若年~中堅層(20~39歳)の自殺増加が顕著な傾向として現れており、本稿では既存統計資料の整理を通じてこの現象の追求すべき課題を探っていく。統計資料の整理から見出されるのは、 ①98年以降、若年~中堅層の自殺率が増加傾向にあるということは統計上間違いなく、この点は他の年齢層に比較して近年の特徴の一つとして捉えることができる。 ②若年~中堅層の自殺増加傾向は男女に共通するものであるが、男性の自殺率は女性に比べて約2倍と大きな差がある。 ③原因・動機別では、男性は女性に比べて、「経済・生活問題」、「勤務問題」といった経済的な要因の占める割合が大きい。 ④都道府県単位で見たところによれば、若年~中堅層の自殺率に地域差は少なく、この年齢層の自殺増加が全国的な現象であるといえる、といった点となる。これらのことから、自殺増加の社会的背景・その影響力は若年~中堅層に広範囲かつ性別を超えて作用しているが、とりわけ同年齢層の男性に強く作用しているということがわかる。最後にBaudelot & Establet(2006=2012)の議論を参照しながら、短い考察を加えた。

1 0 0 0 IR 悲劇の系譜

著者
庄司 俊之
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.7, pp.109-124, 2017-03

「悲劇」という語は、現代では、繰り返してはならないもの、未然に防止すべきものというように、一義的にネガティブな意味が与えられているが、語源としての悲劇、演劇としての悲劇はそうではない。それはかつてポジティブな意味をもっていた。このコントラストを念頭に、本稿では、古代の『オイディプス王』からシェークスピアの4大悲劇を経由して現代の『ゴドーを待ちながら』における「悲喜劇」にいたるまでの、ひとつの系譜を追いかけていく。そこでは悲劇の古典的図式が変容し、失効し、現代になると悲劇がそのまま喜劇であるような作品が出現するという道筋が見通されることになるが、こうした演劇作品における変容のプロセスは、その背後にある社会変容の対応物と見なすことができるだろう。そして、演劇はたしかに芸術のなかでもマイナーな領域に降格してしまったけれど、しかしマイナーだからこそ、語源としての悲劇から遠く離れてしまって一義的にネガティブに捉えられるようになった現代の「悲劇」的状況に対して現代演劇における「悲喜劇としての悲劇」は一定の示唆を与えうるものになっていると考えられる。本稿が『オイディプス王』の分析を通じて提示する悲劇の古典的図式とは、一個の真理、循環する王権の安定した社会、安定ゆえに「逆転」が効果的な意味(カタルシス)をもつということである。それに対してシェークスピアの4大悲劇では、真理と虚偽が振動し、神々の不死ではなく生き続ける亡霊が世界を攪乱し、物語の結末が悲しみで終わるか喜びで終わるか、つまりその作品が悲劇なのか喜劇なのかは偶然が決定するようになる。死後の生、不死の世界が否定されると今度は「死」が特権化され、物語に最終的な意味を与える機能を「死」がもつことになるのである。そしてチェーホフを経由してベケットの『ゴドーを待ちながら』になると、それが悲劇なのか喜劇なのか、そうした区別そのものが消失する。詩的な表現は無数の無駄話のなかに配置されなければならず、悲劇的なシーンは必ずコメディータッチの演出をともなわなければならない。提示されるのは一個の悲劇的な真理ではなく、その「図」を成り立たしめる「地」を含みこんだ世界全体なのだ。『オイディプス王』以来、「自己への問い」は物語に組み込まれており、それはシェークスピア作品でも展開されていたが、『ゴドーを待ちながら』では作品が純粋な媒体と化し、すべては世界と対峙する自己へと折り返されることになる。本稿末尾では以上を踏まえ、「悲劇的」とされるウェーバー解釈、「イマームを待望しながら」を書いた晩年のフーコー、超高齢社会のなかベッドサイドで待ちつづけるひとびとのすがたについて附言する。
著者
樋口 博美
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.2, pp.113-125, 2012-03

本稿は、祇園祭山鉾巡行の実現と維持にかかわる人々に焦点を当て、そこで取り結ばれる関係を「祭縁」として考察し、その全体の概要を捉える図式の提示を試みたものである。山鉾を「建てて、動かす」ことをめぐり、どのような人々がどのように関係するのかという関心から、祭礼にかかわる人々と諸集団を①祭へのかかわり方、②空間、③時間、④伝統の視点から記述・考察している。①祭へのかかわり方を、祭礼の実現・維持に向けた機能の観点から、企画とその運営の役割を担うもの(山鉾保存会、町内在企業、通い町衆、山鉾連合会)と、技能によって実動する役割を担うもの(手伝い方、大工方、車方の作事三方)に分類した。それぞれを②空間、③時間、④伝統の視点でみると、前者は、その集団構成を変えつつも祭礼の基点となる町会所周辺に生活基盤をもち、祭礼にかける時間も多いという特徴で括られる。これを「企画・運営をめぐる祭縁」とした。後者は、やはりその集団構成を変えつつあるが、町会所から離れたところに生活基盤のある祭礼時期に限定的な関係であり、祭礼にかける時間も少ないという特徴で括られる。これを「技能・実動をめぐる祭縁」とした。異なる役割と社会関係をもつ二つの祭縁は、山鉾巡行という至上命題を実現するにあたり、互いに必要不可欠な関係として結ばれる。これを都市的祭縁として明らかにした。
著者
広田 康生
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.141-154, 2012-03-15

本論で筆者は、「日本人のグラスルーツ・トランスナショナリズムと場所」研究が、移動にかかわるさまざまな「生の物語」が展開する「都市的世界」の認識と、都市社会学的研究領域の一つとして、「閉塞的なナショナリズム」とは一線を画する「多様性と統合」「アイデンティティと場所」を探求するテーマ領域であることを確認し、研究の指針と構成を示す。上記の課題を実現するため本稿では、都市コミュニティ論特に奥田都市コミュニティ論が都市社会学に提起した課題としての秩序研究から「下からの都市論」構想―「民族・エスニシティ、階級・階層、ライフスタイル、宗教・文化その他の系統の差異性を伴い相互に複雑にばらつき」ながら、「意味創造的側面」を発揮する都市の研究―に至る研究道程を追いながら、筆者らの都市エスニシティ論はそれをどのように受け止め、トランスナショナリズム論とどのように接合したかを振り返り、その課題を展開する一つの試みとしての「日本人のグラスルーツ・トランスナショナリズムと場所」研究の意味を明らかにする。
著者
伊藤 史朗
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.9, pp.27-43, 2019-03

本研究は、在日フィリピン人のホスト社会に対する社会的距離と逆社会的距離の度合いを分析したものである。エモリー・S・ボガーダス(Bogardus 1933)が考案した社会的距離尺度(Social Distance Scale)とリー、サップとレイ(Lee, Sapp and Ray 1996)による逆社会的距離尺度(Reverse Social Distance Scale)を用い、主に首都圏在住の在日フィリピン人71人の当事者意識を分析した。本調査の結果から以下が明らかとなった。1)在日フィリピン人の日本人に対する社会的距離の度合いは総じて低い。在日フィリピン人の日本人に対する親密度が高いことを意味する。2)9割以上の回答者が、日本社会から概ね受け入れられていると感じている。3)同国人(フィリピン人)間とのソーシャル・ネットワークが日本人に対するそれよりも強い。同国人との強靭なソーシャル・ネットワークを形成・維持しつつ、それが反作用することなく、低い社会的距離の度合いを示した。母国、同国人とのネットワークを堅牢に維持する一方、閉ざされたエンクレーブを形成していない。「適応すれども同化せず」(広田 2003)の「非同化的適応」の姿勢を維持し、ホスト社会に対して高い親密性を持っていることを示す調査結果となった。今後、課題になるであろう「構造的統合」に対しどのような姿勢を持つのかが、ホスト社会の側に問われることになる。
著者
矢崎 慶太郎
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.137-148, 2014-03-15

本論では、芸術についての社会学理論を概観するために、基本的なアプローチを4つに区分して考察する。まず第一に芸術を道徳や経済などの「社会の反映」として示すコント、マルクス、第二に、芸術を社会と対立する関係にあるものと見なし、「社会の外側」にあるものとして扱うアドルノおよびゲーレン。第三に、芸術は社会的な反映ではないが、政治や経済と同様に、社会制度のひとつであり、「社会の内側」に属するものとして扱うベッカー(アート・ワールド)、ブルデュー(芸術場)、ルーマン(芸術システム)。第四に、芸術そのものを社会の原型として見るジンメル、および芸術がどのように他の社会領域に影響を与えているのか、という視点から芸術と経済との関係を研究するアプローチを取り上げる。これらの4つのアプローチを取り上げながら、芸術をどのように社会的な現象として扱うことができるのか、および芸術の社会学的研究にはどのような意義があるのかについて明らかにする。
著者
徐 玄九
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.53-64, 2018-03-23

明治末期から大正期を経て昭和初期にかけて、いわゆる「第二維新」を掲げる多くの運動が展開された。日本のファシズム化の過程で結成された多くの国家主義団体は、ほとんど大衆的組織基盤をもっておらず、しかも、組織機構を整備していなかった。ごく少数の幹部が勇ましいスローガンを掲げていたに過ぎず、経済的基盤も弱かった。しかし、大本教および出口王仁三郎の思想と運動は、これまでのテロやクーデターに頼った右翼や青年将校に比べて、大衆組織力、社会への影響力という点で、群を抜いていた。そして、大本教および出口王仁三郎の運動を「天皇制ファシズム」を推し進める他の団体、青年将校らと比較した場合、決定的に違う点は、テロやクーデターのような暴力的手段に訴える盲目的な行動主義とは一線を画し、「大衆的な基盤」に基づいて、あくまでも「無血」の「第二維新」を目指したことである。出口王仁三郎が追求したのは「民衆の力を結集すること」による社会変革であったのである。
著者
庄司 俊之
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.9, pp.107-115, 2019-03

今日、死生観といえば死の問題に関心が集中し、「食べること」については殆ど問われることがない。社会学では「食べること」を多様なやり方で論じてきたが、正面から「食べること」を扱う連辞符社会学は成立していない。このような問題領域である「食べること」について、この研究ノートでは、いくつかのトピックにコメントを加えながら、問題の構図について大まかなデッサンを提示してみたい。ここで扱うのは、捕鯨/反捕鯨の対立と戦場のカニバリズム、そして断食である。後2者については文芸作品を素材とし、本稿後半では「食べないこと」に焦点をあてる。
著者
伊藤 史朗
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.1, pp.13-23, 2011-03

本論文は、移住当事者のホスト社会への社会的距離を研究するための分析枠組を明らかにするとともに、分析ツールとして盛んに用いられている社会的距離尺度の有用性について検討する。まず、筆者が逆社会的距離尺度 (Reverse Social Distance Scale) の必要性を感じる出発点となった調査、すなわち、フィリピン・マニラで行った「マニラ在住の日本人によって知覚されるフィリピン人への社会的距離に関する調査」 (Ito & Varona, 2009) を、「移住当事者によって知覚されるホスト社会への態度」に関する研究の出発点として取り上げる。社会的距離尺度を用いマニラ在住の日本人に対し、横断的調査を行ったものである。社会経済的データ、滞在期間、年齢、日本の伝統への固執、パーソナルネットワークの範囲が社会的距離の度合いとの相関を示した。次に、社会的距離を分析する枠組みについて検討し、最後に、社会的距離尺度の限界を示すとともに、その限界を補完する逆社会的距離尺度が移住当事者のマイノリティの視点の分析に有効であることを述べる。
著者
伊藤 史朗
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.9, pp.27-43, 2019-03

本研究は、在日フィリピン人のホスト社会に対する社会的距離と逆社会的距離の度合いを分析したものである。エモリー・S・ボガーダス(Bogardus 1933)が考案した社会的距離尺度(Social Distance Scale)とリー、サップとレイ(Lee, Sapp and Ray 1996)による逆社会的距離尺度(Reverse Social Distance Scale)を用い、主に首都圏在住の在日フィリピン人71人の当事者意識を分析した。本調査の結果から以下が明らかとなった。1)在日フィリピン人の日本人に対する社会的距離の度合いは総じて低い。在日フィリピン人の日本人に対する親密度が高いことを意味する。2)9割以上の回答者が、日本社会から概ね受け入れられていると感じている。3)同国人(フィリピン人)間とのソーシャル・ネットワークが日本人に対するそれよりも強い。同国人との強靭なソーシャル・ネットワークを形成・維持しつつ、それが反作用することなく、低い社会的距離の度合いを示した。母国、同国人とのネットワークを堅牢に維持する一方、閉ざされたエンクレーブを形成していない。「適応すれども同化せず」(広田 2003)の「非同化的適応」の姿勢を維持し、ホスト社会に対して高い親密性を持っていることを示す調査結果となった。今後、課題になるであろう「構造的統合」に対しどのような姿勢を持つのかが、ホスト社会の側に問われることになる。
著者
嶋根 克己 玉川 貴子
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.1, pp.93-105, 2011-03

経済成長、家族関係の変化、生活様式の近代化などの社会変動のなかで、葬送儀礼も大きく姿を変えつつある。遺族や親族のみならず地域共同体や職場共同体にとっての共同イベントであった葬儀は、個人主義化の進行や家族の独立化、孤立化の中で、家族主体で行われるようになっていった。その一方で、共同体が担ってきた葬儀実務を肩代わりするために専門的葬祭業者の出現は不可欠であった。しかし家族の絆が弱体化し、地域社会とのかかわりさえも薄れてきた現在、葬儀はますます縮小し家族や親族の中だけにおける私的な儀礼に姿を変えてきた。こうした状況を受けて経済産業省は、個人や家族が個別に解決を迫られてきた医療、介護、看取り、葬送儀礼、遺族の癒しを総合的につなぐことのできる制度作りにむけて検討する機会を持ち始めた。
著者
織田 和家
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.93-107, 2013-03-15

日本社会の特性として個人的な判断を欠き、他人任せになる傾向があるといわれるが、筆者はその原因として「イマジネーションの欠如」を指摘したい。「イマジネーション」とは一般的には「想像力」を意味することばであるが、ここでは「人間が社会生活を営む上で不可欠な、『見えざるもの』について考察する態度」と定義する。具体的には「この行為を行えば次はどうなり、どのような結果になってどのような効果/損失をもたらすか」という「未来へのまなざし」、過去という「見えざるもの」に対し積極的に目を向け、真実を求め、「人間は何をしかねないのか」を知り、そこから和解と共生を実現しようとする「過去へのまなざし」、周囲に流されるのではなく「自分」はどうなのかと考察・自省する「自己へのまなざし」、単なる自分の価値感情の押しつけになることなく、他者理解を行おうとする「他者へのまなざし」であり、別の視点からミルズの「社会学的想像力」も求められよう。イマジネーション欠如の理由として、筆者は仮説として「むきだしの資本主義」「安楽への全体主義」に加え情報化の弊害を指摘したい。そしてイマジネーションを回復するためには「実態交流」「労働組合の経営外的機能」「教育に於けるイマジネーション養成のための努力」の3点を指摘したい。
著者
大矢根 淳
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.3, pp.93-107, 2013-03

本稿は東日本大震災二年目、災害社会学(生活再建・コミュニティ再興)を専らとする筆者の取り組みの軌跡・覚書(II)である。前稿(I)では、津波被災地復興に関する筆者のフィールドワーク(宮城県石巻市小渕浜)の端緒を示し、その前提・背景にあった津波被災地復興の古典(山口弥一郎『津浪と村』)再読の経緯を示しながら、筆者自身が参画して組み上げてきた各種調査研究体制を紹介しつつ、年内計11回の現地調査を概観・記録した。本稿(II)では、その後(2011年11月以降)の現地調査の継続過程を記していく。そこでは震災二年目の各種調査研究(実践)体制の展開について、(本務校)専修大学系連携事業(含・学生のゼミ合宿)、(学会加入している)社会学系4学会合同集会、(筆者のプロパー領域の)日本災害復興学会、(長年依拠しているところの)早稲田大学地域社会と危機管理研究所、文化人類学的地域研究、をあげ、次いで前稿以降この一年間の20回余の被災地訪問(現地調査を含む)を概観する。あわせて、当該研究の社会的還元の実情を、当震災に関連して展開を見せる非・未被災各地の防災事業への筆者の参画状況および刊行物をもって示しておくこととする。
著者
柴田 弘捷
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.7, pp.25-42, 2017-03

本稿はいくつかの調査データを用いて、日本の非正規雇用者のおかれている状況を、女性パートを中心に、明らかにしようとしたものである。日本の雇用状況は、非正規雇用者の増加と雇用形態の多様化(パート、派遣社員、契約社員、嘱託等)が進んでいる。2015年時点で、雇用者の1/3強の2,000万人、うち女性は1,350万人を超え、女性雇用者の半数強を占めるに至った。女性の非正規雇用者の多くはパートで主婦が多い。その主婦パートは、時給1000円程度で、1日数時間働いているものがほとんどである。年収にすると130万円以下が大半である。これには、税制(扶養家族控除規定)と年金・医療保険制度と大きく関係している。同時に、女性に大きく偏っている家事負担、家計補助程度の収入でよいとする意識、つまり家庭内地位と関係している。この低賃金と雇用の不安定性は、女性パートだけでなく他の非正規雇用者群も同様の状態に置かれている。また、やむを得ず・不本意に非正規雇用に就いている者も少なくない。彼ら/彼女らは、正規の雇用者に変わりたいと思っているが、なかなか正規の職には就けないのが現状である。いわば非正規の固定化(脱出できない)状況で「雇用身分社会」(森岡)となっている。労働世界に「格差と分断」が生じている。この背景には、人件費を節約したいとする企業の労務政策がある。