著者
五島 忠久
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.1968, no.7, pp.77-92, 1968-10-10 (Released:2010-04-30)

The development of Swahili lexicography can be observed by comparing three important dictionaries: Krapf's Dictionary of the Swahili Language (1882), Madan's Swahili-English Dictionary (1903) and Johnson's Standard Swahili-English Dictionary (1939). The first notable Swahili dictionary was J. L. Krapf's, containing more entries than any other. Krapf, however, was not a superior lexicographer to Madan or Johnson in spelling, framing definitions, and selecting quotations. Madan's dictionary contains many words not included in Krapf's and definitions are revised where necessary, although Madan does show Krapf's influence. The third progressive step was made by Johnson who firmly established the connection between derivatives and their verbs, causing the expression of a wider meaning in many cases.
著者
鶴 田格
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.70, pp.51-62, 2007-03-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
29
被引用文献数
1 1

本論文の目的は, アフリカと東南アジアというふたつの地域の農民経済をめぐる議論を比較することをとおして, アフリカ農民の経済の特質を検討することである。ここでとりあげるのは, アフリカ的文脈で構想されたG. ハイデンの情の経済論と, 東南アジア農村社会を舞台に議論されたJ. スコットのモラル・エコノミー論である。どちらの概念も既存の政治経済学からはみおとされがちな共同体的なネットワークや価値に焦点をあてており, その背後にある家族の再生産の物質的基盤 (サブシステンス) の重要性に注目している, という共通点がある。他方で, 両者のあいだには, それぞれの概念の内容が検討された事例地の歴史的・文化的なちがいにもとづく, 微妙な差異があった。その差異は基本的に, アフリカ農民の道徳的規範はサブシステンスの問題と密接にむすびついているのに対し, 東南アジア農村ではこの両者が分離してひさしい, というちがいに由来しているとかんがえられる。情の経済とモラル・エコノミーが示唆する共通の方向性に注目しながら, 同時にそれぞれの概念がもつ文化的な固有性を考慮することは, 地域固有の文化と自立的な経済にもとづいたオルタナティブな社会開発のあり方 (内発的発展) をかんがえるための有力な手がかりとなるだろう。
著者
井上 真悠子
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2010, no.76, pp.17-30, 2010

東アフリカ・タンザニアの島嶼部ザンジバルには,1980年代から始まった観光化にともない,多くの若者がタンザニア本土部からみやげ物業に従事するために渡ってきている。現在ザンジバルにおいてみやげ物用の絵を描いている画家の多くも,本土部から移動してきた者たちである。これまで,非西洋地域におけるみやげ物芸術に関する研究では,主な消費者である西洋諸国とのかかわりや,観光文化としての文化の再創造といった視点からの研究蓄積がある。しかし,観光化する現代アフリカ社会に生きる人々がどのように技術を共有しながら主体的に観光文化としてのみやげ物を生み出しているのか,その内発的なプロセスは等閑視されがちであった。本稿では,みやげ物絵画をつくる人たちの実践に焦点を当て,特にザンジバルにおける真っ赤な「キス・マサイ」という新しいみやげ物絵画の技法・スタイルの創出と模倣のプロセスに注目する。そして,グローバル化・観光化のなかに生きる人々がどのようにしてつながり,技術を伝達し,新たなみやげ物絵画のスタイルを創り出しているのか,その内発的な創出・拡散の動態を解明することを目的とする。
著者
上田 将
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.1977, no.16, pp.23-35, 1977

In this paper I consider <i>kithitu</i> (pl. <i>ithitu</i>) among the Kamba, a &lsquo;Bantu speaking&rsquo; people in Central Kenya. <i>Kithitu</i> is a kind of magical medicine (<i>muthea</i>) in a broad sense. Its form is a medicine container, such as an animal's horn or a human tibia, in which magical medicine is packed. Medicine is mainly made from plants, but it is very difficult to know the constituents of medicine because secrecy about the ingredients is strictly kept.<br>There are many kinds and many uses of <i>ithitu</i> among the Kamba, but in this paper I examine Kilonzo's <i>kithitu</i> which is very well-known in the northern part of Kitui District. There are many oral traditions and much gossip about the <i>kithitu</i> in which its potency and the people's fear of it are always expressed.<br>Here I consider how the Kamba explain the various qualities and power of the <i>kithitu</i>, including:<br>1. The owner must keep his <i>kithitu</i> in the bush (<i>kitheka</i>) far away from his homestead (<i>musyi</i>). If he puts it in his homestead, the people of his homestead will die because of the strong effective power of the <i>kithitu</i>.<br>2. After using the <i>kithitu</i>, the owner and the persons concerned must not leave it without wiping off their eyes, hands and the soles of their feet with a mixture of juice from some plants and the soil of an ant hill, or with <i>mwoyo</i> (the undigested contents of a goat's stomach), because they have to cleanse the destructive power of the <i>kithitu</i> before coming back to their homes.<br>3. The <i>kithitu</i> sometimes comes near to the owner's homestead from the bush and cries like a man asking a goat's blood to drink. On such occasions, the owner must kill a goat and take the blood to the <i>kithitu</i> immediately. It is said that if he neglects this, all the members of his homestead will die.<br>4. The owner of strong <i>kithitu</i> can not have his real sons. It is believed that his real sons die young one after another because he always uses the <i>kithitu</i>.<br>5. The <i>kithitu</i> is used in oaths as <i>kuya kithitu</i> (to eat <i>kithitu</i>). It has the power to judge the truth. The accuser and the accused go to the bush and each of them swears over the <i>kithitu</i>, saying that if he tells a lie the <i>kithitu</i> may kill him. But people don't swear over the <i>kithitu</i> directly without <i>kusuna kavyu</i> (to lick a hot knife), ordeal as the first step, because the <i>kithitu</i> is so dangerous that a liar is killed with it. Swearing over the <i>kithitu</i> is connected with law, morals, values, legal procedure, clan conferences (<i>mbai</i>), political power and so on.<br>The <i>kithitu</i> is used as <i>uoi</i> (magical power to knock down an enemy or a rival). When some person encounters serious difficulties brought by his enemy, he visits and asks the owner of the <i>kithitu</i> to kill his enemy. The owner chants a spell against the enemy, striking the <i>kithitu</i> with a twig.<br>The Kamba categorize <i>uoi</i> into two parts: <i>Uoi wa mundu ume</i> (<i>uoi</i> of man) and <i>uoi wa mundu muka</i> (<i>uoi</i> of woman). The <i>kithitu</i> belongs to the category of <i>uoi</i> of man. It has the characteristics shown below:<br>(1) A person who wants to use the <i>kithitu</i> must pay money to the owner. It costs about three hundreds shillings (equivalent to about fifteen thousands yen). <i>Kuthooa kithitu</i> (to buy <i>kithitu</i>) means to use <i>kithitu</i> as <i>uoi</i>.<br>(2) Women and children cannot approach and use the <i>kithitu</i> because administering it is always attended by some danger and secrecy. Only the male adults can use it.<br>(3) It is forbidden to use the <i>kithitu</i> without socially justified reasons. To use <i>kithitu</i> is basically permitted by the society, but only if people follow the prescribed pattern of usage. The <i>kithitu</i> as <i>uoi</i> is deeply related to the kamba magico-religious beliefs a
著者
遠藤 貢
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.71, pp.107-118, 2007-12-31 (Released:2012-08-13)
参考文献数
31

本稿の目的はアフリカの現代的文脈において国家をめぐって生起している現実とそれに対する認識とが有する意味を読み解く作業を行うことである。敷術すると、国家は現代世界においていかなる条件、いかなる理由のもとで国家でありうるのか(また、ありえないのか)という問いをめぐる問題を検討することである。その作業を行うに当たり、「国家」と「政府」を便宜的に腔分けし、また国家の亜型とでもいう形で出現している「崩壊国家」(collapsedstate)と「事実上の国家」(defactostate)が並存するソマリアを事例にして検討する。ここでは、国内統治と国際関係、言い換えれば「下からの視角」と「上からの視角」、あるいは内と外の論理の交錯するところに生起する問題系としての国家を位置づける視座から取り上げようと試みるものであり、国家の変容が、内なる論理ばかりでなく外の論理の変化を伴う形で生起していることが示される。
著者
古川 哲史
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.72, pp.75-81, 2008-03-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
32
被引用文献数
1 1

近年, 日本-アフリカ交渉史に関する研究は, 日本やアフリカ, 欧米諸国などの研究者によって増えつつある。しかし, 歴史学的な観点から見ると, 未開拓な分野, 着手されていないテーマはまだ多い。私は今まで1920年代-30年代の日本とアフリカの交渉史に焦点を当ててきたが, 本稿ではまず私自身のアフリカや本テーマとの係わりを述べる。それは, その事例自体が, 日本人のアフリカへの係わりの時代的諸相の一側面を反映していると思われるからである。次に, 先行研究を概観し, 時代区分の問題や対象地域への視座の問題を論じる。そして, 私自身も未検討な, あるいは推測の域を出ていない事柄も含めて, 今後の研究課題としていくつかの問題を提示する。最後に, 日本-アフリカ交渉史研究における方法論的枠組みのさらなる議論や, 国際的かつ学際的な共同研究の必要性を指摘する。
著者
松村 圭一郎
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.70, pp.63-76, 2007-03-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
25
被引用文献数
1 1

本稿は, アフリカの農村社会が直面する現代的状況をふまえ, 本質主義的なモラル・エコノミー概念を超えて, 複雑化する農民の経済行動を理解するための動態的視点を提起することを目的とする。とくに, 非市場経済の領域で論じられることの多かったモラル・エコノミー的な経済行動が, 商品作物栽培が拡大してきた農村社会のなかで, どのような位置を占めているのかに焦点をあてる。それによって, モラル・エコノミーか, マーケット・エコノミーか, という二者択一的な図式を相対化し, より動態的なモラル・エコノミー論の可能性を示す。エチオピアの農村社会の事例からは, 人びとが「モノ」・「人」・「場」とそれらの関係で構成されるコンテクストに応じて, 作物などの富の売却や分配を行っていることがわかってきた。人びとは「商品作物」と「自給作物」という属性に応じて経済行動を選択しているわけではなく, むしろ相互行為のなかで, それぞれの作物やそれをめぐる社会関係を「分配すべき富/関係」と「独占される富/関係」として位置づけあっている。市場経済が浸透した農村社会において, モラル・エコノミーは強力な原則として社会を覆っているわけでも, まったく別のものに置き換わってしまったわけでもない。それは, 市場での商品交換とは明確に区別されるひとつの行為形式として存在し, 人びとの相互行為のなかで顕在化したり, 交渉されたりしているのである。
著者
鶴田 格
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2002, no.60, pp.53-63, 2002-03-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
18

タンザニア本土部で長く人気を保ってきたダンス音楽を演奏する「ジャズ・バンド」は, 地域における長期的な文化動態とつねに密接に関連しながら発展してきた。植民地期に都市部に叢生した初期ジャズ・バンドは, 19世紀半ば以来の沿岸スワヒリ文化の内陸への浸透と, その基盤のもとに20世紀初頭に進展したダンス結社 (beni ngoma) の全国的展開を踏まえて, 各都市の住民による社交クラブとして発展したものである。この「ジャズ・クラブ」は, beni ngoma 結社と同様に, 相互扶助的色彩をもつ超民族的な組織として形成され, 都市コミュニティーの内部では集団間のライバル関係の表現手段となるとともに, 外部においては他都市のクラブとのネットワークを形成した。独立後の社会主義政権による政治経済機構の一元化は, 党や軍隊などの政府系機関や公社公団に所属する多数の「公営バンド」を生みだした。公営バンドは, 国営ラジオ放送を通して愛国的な歌を流すとともに, 所属機関の宣伝や国家の政治キャンペーンに頻繁に動員され, 1970年代のジャズ・バンドの主流を形成した。こうした歴史的経緯により, 1980年代以降政治経済の自由化が進展し, 商業的な音楽活動の中心が民間部門へと移行した現在でも, 一部の公営バンドは, いまだに従前の国民的な人気バンドとしての地位を保っている。
著者
井上 真悠子
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2010, no.76, pp.17-30, 2010-03-31 (Released:2013-10-20)
参考文献数
29

東アフリカ・タンザニアの島嶼部ザンジバルには,1980年代から始まった観光化にともない,多くの若者がタンザニア本土部からみやげ物業に従事するために渡ってきている。現在ザンジバルにおいてみやげ物用の絵を描いている画家の多くも,本土部から移動してきた者たちである。これまで,非西洋地域におけるみやげ物芸術に関する研究では,主な消費者である西洋諸国とのかかわりや,観光文化としての文化の再創造といった視点からの研究蓄積がある。しかし,観光化する現代アフリカ社会に生きる人々がどのように技術を共有しながら主体的に観光文化としてのみやげ物を生み出しているのか,その内発的なプロセスは等閑視されがちであった。本稿では,みやげ物絵画をつくる人たちの実践に焦点を当て,特にザンジバルにおける真っ赤な「キス・マサイ」という新しいみやげ物絵画の技法・スタイルの創出と模倣のプロセスに注目する。そして,グローバル化・観光化のなかに生きる人々がどのようにしてつながり,技術を伝達し,新たなみやげ物絵画のスタイルを創り出しているのか,その内発的な創出・拡散の動態を解明することを目的とする。
著者
諏訪 兼位
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2015, no.86, pp.35-43, 2015-01-31 (Released:2015-05-21)
参考文献数
2
被引用文献数
1
著者
榊原 寛
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.74, pp.19-36, 2009

本稿の目的は, 革命や観光地化を経た近年のザンジバル島がどのような文化変容を経験しているか, その動態を描き出すことである。ザンジバル島は19世紀に中継交易港として栄え, アラビア半島やインド亜大陸からの多くの移民により「ストーンタウン」が形成された。この町の建築には, 当時の豊かな商人や貴族によって豪奢な木彫ドアが取り付けられた。しかし1964年に勃発したザンジバル革命によって島の社会構造や民族構成は大きく変化し, 豊かな住民や職人が島外へ流出するとともにドア製作の伝統も衰退したとされる。だがその後の政府の尽力などにより, 現在では製作は復活し, 新たな世代の職人も生まれている。このような背景を踏まえ, ザンジバル革命前のドアと, 革命後のドアとのデザイン面での変化とその要因を, 残されたドアの調査と職人への聞き取りから考察した。この研究から明らかになったのは, 第一に, アラブ・インドからの影響下で生成されたストーンタウンの文化と, より「アフリカ的」であるとされる郊外の文化とのダイナミックな相互交流のプロセスであり, 第二に, 現在のドア職人によってアラブ・インド・アフリカなどの各文化要素が自由に取捨選択され, 融合され, 新たな文化が生み出されつつある胎動であった。
著者
阿久津 昌三
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2003, no.62, pp.43-55, 2003

アサンテの諺に「親族は死体を好む」というものがある。アサンテの人びとが生者のことよりも死者に対して重大な関心があることを告発する言説的表現として頻繁に引用される慣用句である。アサンテの葬儀は, 宗教的なものよりも政治的, 経済的な意味,「あの世」よりも「この世」のものであることを認識することが必要である。ここでは, 死と死者の地位との関わりで, 生と死とを媒介として, 二つの世界を結びつける死から生への象徴的置換あるいは隠喩的装置を検討する。<br>本稿は, 西アフリカ, ガーナ共和国のアサンテの事例をとりあげることによって,「民族誌のなかの葬儀」と「実践のなかの葬儀」というコンテキストにおいて, 葬儀の儀礼的プロセスの政治的意味を検討することが目的である。「民族誌のなかの葬儀」では, 民族誌のなかで, 生と死の世界, 悲しみの表現, 遺体の処理,「髪」の神秘性, 王の葬儀の主題がとのように記述されているかを分析した。「実践のなかの葬儀」では, 1999年2月25日のオポク・ワレ2世の崩御から4月26日のオセイ・ツツ2世の即位までの儀礼的な枠組を分析した。王位継承の儀式には, 二つの儀礼的な枠組があって, ひとつは, 王位継承の方式に従って, 王の選出機関 (つまり,「王母と評議員たち」) の手続きを経るという儀礼的枠組である。もうひとつは, 先王の葬儀を経て, 儀礼的認証を得て, 正式に王位に就くという儀礼的枠組である。前者の儀礼的枠組はいわゆるアクセッションからサクセッションに至る儀礼過程である。アクセッションとは, 王の崩御とともに, 王の選出機関の決定を経て, 次ぎの王に即時的に権力が委譲するものであり, サクセッションとは, 王位が継承されたのち, その事実を内外に告知する儀式である。<br>本稿は, オポク・ワレ2世の崩御からオセイ・ツツ2世までの儀礼的な枠組を現地での資料収集と聞き取り調査にもとづいて記述したものである。王位継承というドラマを通して「死」と「再生」の置換的なメカニズムを明らかにした。先王の死と新王の誕生という王権の継受という「死」と「再生」の置換的なメカニズムが機能していると同時に, 広義の即位式という儀礼的な枠組において「死」と「再生」の置換的なメカニズムが機能している。「王の母」という擬制的な親子関係にその「謎」があるのではないかというひとつの仮説を提示することができる。

1 0 0 0 OA 序論

著者
塚田 健一
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2002, no.60, pp.35-39, 2002-03-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
59