著者
川田 順造
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.311-346, 2006-12-31 (Released:2017-08-28)

本稿は日本文化人類学会第40回研究大会(東京大学駒場キャンパス)で2006年6月3日に、同じ題名で行なった同学会の第1回学会賞受賞記念講演の内容を、大幅に補って文字化したものである。始めに、文化人類学、それも自然人類学、先史学、言語学なども含む総合人類学の教育を日本の大学で受けた第一世代であり、その後自然史の一部としての人類学・民族学の伝統の強いフランスで学んだ筆者の体験を基に、文化人類学者形成のあり方、自然史の一部としてのヒトの科学の位置についての考察を行なった。このような研究基盤と日本、アフリカ、フランスでの長期のフィールド・ワーク体験とから、筆者は文化人類学が他の学問と異なる特徴として、(a)専門化された一研究分野であるよりは、一種のメタ・サイエンスであること、(b)ヒトについての極大のパラダイム知と長期の異文化体験によって得られる個人的な体験知との結合、(C)マイナーなものへの注目と定性分析、(d)自然史の一過程としてヒトとその文化を捉える視野、等を挙げた。こうした基本性格をもつ文化人類学は、(イ)直接の形では現実の社会に役立たない非実学であるが、広い視野で現実を捉え位置づけるという、すぐには役立たないことによって役に立つ学問であるべきこと、(ロ)その意味でヨーロッパでのルネッサンス以来の「ユマニスム」の精神を現代に受け継ぐものであること、(ハ)そのために文化人類学者は、現実の社会に起こっていることに対して常に強い関心をもつべきであること、(ニ)かつてのヨーロッパの「人間中心主義」のユマニスムではなく、人類学は自然史の中にヒトを位置づけ種間倫理の探求を志向する、現代のユマニスムであるべきこと、等を述べた。現代社会との関わりにおける筆者自身の実践として、靖国神社・遊就館、千鳥ケ淵墓苑、東京都慰霊堂などへの中・韓・米などからの留学生も含めた、友人学生との毎年8月15日のフィールド・ワーク、ユネスコの有形・無形文化財の保護活動への参加、消滅しかけている日本の無形文化遺産の調査、「開発」問題とのかかわり等を挙げた。また集合的記憶の場、文化的意味を担う動態的な場としての「地域」の視点から、擬制としての近代国民国家を相対化する研究計画や、日本の事例も含めた市民社会論の可能性に触れた。文化認識に不可避の主観性を相対化し、対象化する方法の一つとして、研究者の文化、人類学の視点を生み出した文化、その方法によって研究対象とした文化の3者を、「断絶における比較」から相互に参照点とする、筆者の提唱する「文化の三角測量」について述べ、それに基づいた研究成果のいくつかを挙げた。
著者
川田 順造
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.99, no.3, pp.377-391, 1991
被引用文献数
2 6

身体の使い方は,生物的要因に規定されると同時に,生態学的•文化的に条件づけられており,ある社会の成員に共通し,他の社会の成員とは異なるものも多い.身体技法のかなりのものは,特に労働が機械化されていない技術的状況では,作業の効率を高める役割を果たしてきた.筆者は,多年熱帯西アフリカで文化人類学の調査を行ううち,この地域の黒人諸民族に,次のような身体技法が共通して認められることに気付いた.(1)立位で,膝を伸ばしあるいは軽く曲げたまま,上体を深く前屈(というより腰の部分から前倒)させた姿勢での作業,(2)背中をもたせかけない投げ足(足はそろえて前へのばす,交差させる,または八の字形に開く)姿勢での,長く持続する軽作業や休息,(3)子供からかなりの年配の成人にいたる広範囲の男女によって,極めて多様な物体について行われる頭上運搬,(4)腕の酷使と対照的な,歩行以外の足の多少とも技巧的な使用の稀少.これらの身体技法には,生態学的•文化的条件から理解できる面もあるが,西アフリカ黒人の身体の形態上•機能上の特徴がどのように関与しているか,自然人類学と文化人類学の共同研究によって解明されるべき問題であろう.
著者
川田 順造 SOW Moussa DEMBELE Mama SANOGO Klena KASSIBO Breh 中村 雄祐 楠本 彩乃 足立 和隆 坂井 信三 芦沢 玖美 応地 利明 MOUSSA Sow MAMADI Dembele KLENA Sanogo BREHIMA Kassibo SKLENA SANOG ISSAKA BAGAY SAMBA DIALLO BREHIMA KASS 田中 哲也
出版者
東京外国語大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1992

平成5年度は、8年間続けたこの国際学術研究の最終年度にあたり、これまでの研究の方法、組織、内容、成果等について、全般的な総括・反省を行なうとともに、第4巻目の報告書を、これまでと同様、フランス語で作成することに充てられた。報告書をフランス語で作成するのは、第一に研究の成果を、研究対象国であるマリをはじめ西アフリカに多いフランス語圏の人々に還元するためである。第二に、フランス語という、アフリカ研究において長い歴史と蓄積のある国の言語であり、同時に広い国際的通用力を、とくにアフリカ研究の分野でもつ言語で発表することにより、国際的な場での研究者の批判・教示を得、また国際学界への貢献を意図するからである。幸い、この2つの目的はこれまでの3巻の反応をみても、十分に達せられたと思われる。研究分担者であるマリ人研究者も、彼らの公用語であるフランス語で研究成果を刊行し、それがマリをはじめアフリカのフランス語圏の人々、および世界のフランス語を理解する研究者にひろく読まれることに満足し、この面での日本の研究協力に感謝している。他方、フランスをはじめとする世界の研究者からの、この研究報告に対する反応は大きく、巻を重ねるにつれて、送付希望の申込みが、諸国の研究者や研究機関から寄せられている。国際的アフリカ研究誌として伝統のあるフランスの『アフリカニスト雑誌』に第1巻の書評が載ったのをはじめ、学会、論文などでの言及や引用は枚挙にいとまがない。研究の方法、組織については、研究条件等の著しく異なる日本とマリでの共同研究という困難にもかかわらず、マリ側の研究分担者が共同研究の意義をよく理解し、日本人研究者との研究上の協力、便宜供与、成果の共同討議(現地で)、報告書執筆において、誠意をもって協力してくれたことは幸いであった。ただ、マリ国の研究所のコンピューター、ワープロ等の設備の不十分さや故障、郵便事故等に加えて、1991年春の政変に伴なう暴動で研究所の図書や資料、備品が盗難や破壊の被害を受け、この報告書のために準備しておいた貴重な調査資料(録音テープや写真、フィールドノート等)もかなりのものが失なわれて、折角の調査の成果が報告書に十分生かせなかったものもあるのは残念である。それにもかかわらず、マリの研究分担者は、学問的良心に忠実に、内容の充実した報告書を寄せてくれた。1991年の政変の被害で、その年秋締切りの第3巻に報告書を寄せることができなかった、クレナ・サノゴ、ママディ・ダンベレの2人の考古学者は、その欠落を償うべきであるという義務感から、共同の力作レポート1篇のほかに、各自の単独執筆の1篇をそれぞれ寄稿し、報告書全体の広さと厚みを増してくれた。その他の研究者の、調査成果のまとめについては、計画通りないしは、当初の計画をはるかに上まわるもの(例えば、応地利明氏の、熱帯乾燥地の雑穀農業についての、広汎かつ独創的なレポートなど)である。昨年度の現地調査の結果、予定されていた報告書のほか、川田は研究代表者として、8年間の共同研究全体を展望する論考として、「サヘルとスワヒリ」と題する、東西アフリカのアフリカ=アラブ文化の大規模な接触地帯の比較を行なう報告をまとめた。これは川田が年来アフリカ学会等の学会でも発表してきたものの、今回の調査成果をふまえた総括であるが、当研究が対象とする地域である「サヘル」(アラビア語の「緑」「岸」)と東アフリカの「スワヒリ」(「サヘル」の複数形)との対比は、国際学会の視野でもはじめての試みである。また、研究分担者芦沢等によって実施された身体技法と身体特徴についての計測に基づく実証的な研究は、アフリカでの現地調査における文化人類学と自然人類学の共同調査の試みとして、第3巻につづくものであるが、文化を自然の関係を探求する新しい試みとして、予備的な発表を行なった学会(1993年10月日本人類学会・日本民族学会連合大学での楠本等の報告)でも注目されている。その他、坂井、中村、カッシ-ボ、ソ-等の研究分担者も、それぞれの分担課題についての精緻な現地調査に基づく報告をまとめ、独創的な貢献を行なっている。
著者
川田 順造 鈴木 裕之 鶴田 格 亀井 伸孝 川瀬 慈 松平 勇二
出版者
神奈川大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

1995年以来、語りや踊りも含む「音文化」という概念の下に、ユネスコとの連携で続けている我々の研究対象は、ユネスコの観点からすれば無形文化遺産に他ならない。2009~ 2011年の研究期間には、研究代表者1名、研究分担者3名、連携研究者2名によって、アフリカ西部(ブルキナファソ、ベナン、コートジボワール)、アフリカ東部(エチオピア、タンザニア、ザンビア)における、さまざまな音文化=無形文化遺産の存続の条件を、それを支えている地域集団との関係で探求した。一方ユネスコの側からは、当該の文化遺産が現在その地域社会で機能していることを、無形文化遺産として登録される前提条件としており、文化的・歴史的価値だけでは登録できない。現地地域集団にとっての意味、研究者の視点からの価値判断、国際機関が提示する条件、三者の関係をどのように考え、現実に対応して行くかが今後の課題だ。
著者
川田 順造 MAXIMIN SAMA BOUREHIMA KA 真家 和生 竹沢 尚一郎 嶋田 義仁 KASSIBO Bourehima SAMAKE Maximin
出版者
東京外国語大学
雑誌
海外学術研究
巻号頁・発行日
1986

62年度は前年度に行った第1回の現地調査の総括にあてられた. 現地調査には, 交付申請書に記した日本側4名, マリ側2名のほか, 日本側2名(山口大学講師安渓遊地, 東京大学教務補佐員中村雄祐), マリ側1名(マリ高等師範学校教授サンバ・ディアロ)が部分的に現地参加し, 報告書作成にも加わった. 現地調査第1年度の研究実積の概要は下記の通りである.1.物質文化の観点からみたニジェール川大湾曲部地方の特質(研究分担/川田順造):この地方は, 古くから北アメリカのアラブ・イスラム文化とサハラ以南の黒人アフリカ文化の大接点の一つであり, 両文化の相互交渉から数々の独自の文化が形成された. それらのうち文化史上重要な(1)騎馬文化, (2)織物と衣服の文化, (3)楽器, 特に弦楽器の発達と専門化した世襲の楽師集団, (4)非焼成の練り土によるモスクなどの大建造物等について, 系譜の解明と型式分類を試みた.2.身体技法と技術(研究分担/川田順造, 真家和生):身体の形質的・生理学的特徴・自然条件, 文化的条件に従って, 地域・社会により異なる身体技法は, 伝統的技術や物質文化と深いかかわりをもっている. 本研究では, この地方に顕著に見いだされる身体技法のうち, (1)両足をのばしたままの深い前倒姿勢による作業の意義, (2)頭上運搬と歩容の関係, (3)作業台としての足の使用及び足の技巧的使用について分析した.3.牧畜民社会の生態学的基盤と階層分化(研究分担/嶋田義仁):この地域で有力な牛牧民フルベ族の社会は, 氾濫原の稲作民などとの間に共生関係を作ってきた. その共生関係と自然条件との関わり, フルベ社会の階層分化のあり方を検討した.4.漁民・狩猟民と農耕民の共生関係(研究分担/安渓遊地):ニジェール川の大湾曲部には, 漁労とともにカバなど水生動物の狩猟も行ってきたボゾ族という集団がいる. 彼らと農耕民をはじめとする他の近隣集団との関係は, この地方の社会・文化を理解する一つの鍵となる. 安渓がこれまで長期間の調査を行ったザイール東部の漁民社会の研究成果をふまえて, 基本的な問題設定と検討を行った.5.市街地における小家畜飼育(研究分担/サンバ・ディアロ):この地域の都市に定着した牧畜民の中には, ヤギ, ヒツジなどの有蹄類小家畜を飼育するものが多い. この研究では, かつてのバンバラ王国の王都だったセグーにおける「都市的牧畜」の様相を, 実態調査によって明らかにした.6.ニジェール川大湾曲部デルタにおける漁業の変遷(研究分担/ブーレイマ・カシーボ):この地域の漁業は, 19世紀末のフランスによる植民地以前から現在まで大きな変遷を経ている. かつての大規模な集団網漁から, 原動機付き小型船, 個別化した小型の漁具による漁法の個別化, 漁業権の国有化, 組合の形成, 流通の組織化などがもたらした変化について具体的事例に基づいて分析した.7.漁民の技術的・社会的変化と宗教的変化(研究分担/竹沢尚一郎):この地域の漁民社会には, 水の精霊の信仰と, その儀礼を司り, 漁業権も掌握している「水の主」の制度があった. 漁法の個別化と漁業水域の拡大, 漁業権の国有化等によって, 水の主の存在が無力化され, 水の精霊への信仰も変化した. イスラムの侵透はこうした変化と呼応して, 漁民ボゾ族の宗教・儀礼体系を変えつつある.8.バンバラ族における結社(研究分担/マキシマン・サマケ):ニジェール川大湾曲部西部地方の農耕民であるバンバラ族の社会には, 入社式を伴うさまざまな結社が存在する. この研究ではその一つである「コテ」結社について宗教的側面とともに, 社会の下部組織としての機能を, 現地調査に基づいて分析した.9.村落社会における楽師の社会的位置(研究分担/中村雄祐):ニジェール川大湾曲部地方の社会には, 専門化した世襲の楽師集団がある. この研究は, サン地方での調査に基づき, 彼らの社会的役割, 歌による賛美という職能と, 社会によって彼らに公認されている物乞いとの関係を分析した.以上, 今回の調査では, 多面的な共生社会でありながら, 従来その多面性が明らかにされていなかったニジェール川大湾曲部のとくに西部諸地方の社会について, いくつかの重要な側面を, まだその第一歩ながら解明することができ, 国際学界の視野でも新しい貢献をなしえたと思われる. 今後この方向での調査研究を深めるとともに, ニジェール川大湾曲部の中部・東部にも研究対象を拡大してゆく考えである.
著者
川田 順造 鈴木 裕之 鶴田 格 分藤 大翼 塚田 健一
出版者
神奈川大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2005

世界でもアフリカ地域はとくに、「音文化」が豊かに発達し、継承されてきた地域だ。西洋近代で作られた「音楽」に当たる概念はあまりに狭いので、口頭伝承、器音、身体表現をともなう歌や囃子なども含めた「音の文化」を、私たちの班では研究対象としてきた。近年日本へも盛んにミュージシャンが来演している「グリオ」系の声のパフォーミング・アーツはじめ、アフリカ起源のアメリカ黒人が生んだ、ジャズ、レゲエ、ラップにいたるまで、20世紀の世界の音楽は、アフリカの音文化を抜きにして語ることができない。アフリカでもすでに、いくつもの音文化がユネスコの世界無形文化遺産として登録されているが、大陸全体での音文化の豊かさから見れば不十分であり、ユネスコなどの国際機関を通じて世界に知らせるべき無形文化遺産(日本の公式用語では無形文化財)はまだ多い。私たちの研究班では、アフリカのさまざまな地域ですでに長い調査体験をもつ研究者の、現地調査に基づく第一次資料によって、今期3年度間には、無形文財を支えている地域社会との関係を明らかにする研究を行った。無形文化財は、有形のものと異なり、それを担い、未来に向かって継承してゆく地域社会との結びつきが極めて重要であり、地域社会なしには、無形文化遺産はあり得ないと言ってもいい。今期私たちの班では、西部アフリカ(ブルキナファソ、ギニア)、中部アフリカ(カメルーン)、東部アフリカ(エチオピア、タンザニア)と、かなり偏りなく取りあげられた地域社会について、それぞれが継承してきた音文化との関わり、継承の未来について研究した。その研究成果は、研究代表者川田が多年専門家として活動してきたユネスコにも報告しており、活用されることが期待される。
著者
川田 順造
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.311-346, 2006-12-31

本稿は日本文化人類学会第40回研究大会(東京大学駒場キャンパス)で2006年6月3日に、同じ題名で行なった同学会の第1回学会賞受賞記念講演の内容を、大幅に補って文字化したものである。始めに、文化人類学、それも自然人類学、先史学、言語学なども含む総合人類学の教育を日本の大学で受けた第一世代であり、その後自然史の一部としての人類学・民族学の伝統の強いフランスで学んだ筆者の体験を基に、文化人類学者形成のあり方、自然史の一部としてのヒトの科学の位置についての考察を行なった。このような研究基盤と日本、アフリカ、フランスでの長期のフィールド・ワーク体験とから、筆者は文化人類学が他の学問と異なる特徴として、(a)専門化された一研究分野であるよりは、一種のメタ・サイエンスであること、(b)ヒトについての極大のパラダイム知と長期の異文化体験によって得られる個人的な体験知との結合、(C)マイナーなものへの注目と定性分析、(d)自然史の一過程としてヒトとその文化を捉える視野、等を挙げた。こうした基本性格をもつ文化人類学は、(イ)直接の形では現実の社会に役立たない非実学であるが、広い視野で現実を捉え位置づけるという、すぐには役立たないことによって役に立つ学問であるべきこと、(ロ)その意味でヨーロッパでのルネッサンス以来の「ユマニスム」の精神を現代に受け継ぐものであること、(ハ)そのために文化人類学者は、現実の社会に起こっていることに対して常に強い関心をもつべきであること、(ニ)かつてのヨーロッパの「人間中心主義」のユマニスムではなく、人類学は自然史の中にヒトを位置づけ種間倫理の探求を志向する、現代のユマニスムであるべきこと、等を述べた。現代社会との関わりにおける筆者自身の実践として、靖国神社・遊就館、千鳥ケ淵墓苑、東京都慰霊堂などへの中・韓・米などからの留学生も含めた、友人学生との毎年8月15日のフィールド・ワーク、ユネスコの有形・無形文化財の保護活動への参加、消滅しかけている日本の無形文化遺産の調査、「開発」問題とのかかわり等を挙げた。また集合的記憶の場、文化的意味を担う動態的な場としての「地域」の視点から、擬制としての近代国民国家を相対化する研究計画や、日本の事例も含めた市民社会論の可能性に触れた。文化認識に不可避の主観性を相対化し、対象化する方法の一つとして、研究者の文化、人類学の視点を生み出した文化、その方法によって研究対象とした文化の3者を、「断絶における比較」から相互に参照点とする、筆者の提唱する「文化の三角測量」について述べ、それに基づいた研究成果のいくつかを挙げた。