- 著者
-
落合 雄彦
- 出版者
- Japan Association for African Studies
- 雑誌
- アフリカ研究 (ISSN:00654140)
- 巻号頁・発行日
- vol.2007, no.71, pp.119-127, 2007-12-31 (Released:2012-08-13)
- 参考文献数
- 10
- 被引用文献数
-
1
2002年に内戦終結が宣言されたシエラレオネでは,分権化を含む地方制度改革が「紛争後の課題」として注目を集めている。2004年には地方自治法が成立して地方選挙が実施され,32年ぶりに地方議会が復活した。本稿の目的は,そうしたシエラレオネの地方制度改革への理解を深めるために,その植民地期の史的展開を概観することにある。それはまた,シエラレオネという分枝国家の形成史を紐解く営みでもある。1896年に成立したシエラレオネ保護領では当初,パラマウント・チーフら伝統的指導者が植民地政府行政官の監督下で200以上のチーフダムを慣習法にもとついて個別に支配するという間接統治が行われていた。しかし,1937年には地方行政の近代化を図るために原住民行政システムが正式に導入され,パラマウント・チーフを中心とする部族当局が地方政府として初めて位置づけられるようになる。また,1950年代に入ると,やはりパラマウント・チーフを中心とする県議会に対して地方行政の一部権限が付与されるようになった。このようにシエラレオネ保護領における地方行政制度の形成は,伝統的指導者の存在をその重要な基盤として展開されてきたのであり,そうした特徴は植民地遺制として独立後の同国における地方統治のあり方にも大きな影響を与えた。