著者
有田 和臣
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.24, pp.166-184, 2016-12-20

前稿で、物語の舞台となった地域に存在した歴史的な対立関係が、「権狐」(「ごん狐」)の物語成立と密接な関係にあったと考えられる事実を指摘した。今回はさらに、この物語世界で重要な鍵を握ると思われる人物、茂助(「ごん狐」では茂平)の様態を検討する。この物語を語り手の「私」に語り聞かせたのが茂助であり、彼の周辺には多くの謎がある。なぜ彼が物語の発信源なのか。なぜ彼が語った話を「私」が読者に伝える、という伝聞構造をとるのか。茂助自身は誰からこの物語を伝聞したのか。物語を語るまでに彼はどのような生活をしてきたのか。これらへの解答を求めつつ本稿では、茂助がこの物語の単なる仲介者ではなく、いかに物語の中核にかかわる存在であるかを検証する。
著者
田中 みどり
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.24, pp.185-228, 2016-12-20

コス・オロスなど、オ段音に接する「ス」は敬語をあらわし、ア段音に接する「ス」は動作・作用が起きることを示す動詞語尾であった。すでに古事記の時代にもキコスとキカスとが同じ意味のものと認識されていた。日本書紀ではア段音に接する「ス」も敬語をあらわすものと考えられ、萬葉集では、「ス」は親愛をあらわしたり、語調を整えるものとして使用された。後に存続をあらわすようになった「リ」が、現存を明確に示したように、「ス」は動詞の動作性を明確にする語尾であった。
著者
有田 和臣
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.22, pp.164-187, 2015-11-28

前稿に続き、新美南吉の元原稿と思われる「権狐」成立の背景として、南吉の生家のある岩滑を中心とする地区に存在した水利・治水争いを検証する。「権狐」の物語世界が成立するまでの前史として、幕末より延々と続く、泥仕合の連続といってもよいような紛議の歴史があった。その歴史が「権狐」の世界観に連続し、映し込まれていると考えられる。その事実を踏まえて読めば、「権狐」の事件設定や無駄と思われるような記述が、この地方の歴史を担った色彩を帯びていること、言い換えれば岩滑の歴史へのメッセージ性を秘めていることを読み取ることができるだろう。
著者
黒田 彰
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.109-151, 2013-11-30 (Released:2013-12-17)
著者
中村 孝広
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.243-247, 2010-11-27

中村不折が皇紀二千六百年を祝って書いた掛軸「皇紀二千六百年記念」が真筆である根拠を記し、さらに掛軸を具体的に分析し、結果を記述したものである。
著者
三谷 憲正
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.4, pp.172-185, 1999-10-02

これまでの先行研究は、いずれも昭和一〇年の第一回芥川賞を基点としてそれ以降の両者を論じてきていた。が、ここで考えてみたいのは、太宰治の言説の表層にタームとして表れ出でなかった〈川端康成〉についてである。太宰治の「断崖の錯覚」「東京八景」「畜犬談」などの、一見不可解とも思われる叙述の裏側に、〈川端康成〉という補助線―特に「伊豆の踊子」「雪国」「禽獣」―を仮に設定してみることによって、その不可解感のよって来たる所を解明できないか、という試みである。本稿はそのことによって、太宰文学の抒情が、王朝文学の伝統を受け継ぎそれを現代に蘇らせた〈川端的抒情〉とは異なり、すぐれて〈土着的な日本〉の〈抒情〉だったのではないか、という点の解明を企図した。
著者
岡村 弘樹
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.29, pp.47-65, 2021-11-27

本稿では、中古以降に四段活用と上二段活用との間で揺れが見られる動詞について検討した。先行研究では活用型に揺れが生じた積極的な理由がいくつか指摘されているが、そうした理由が考えられるにしては、活用型が転じた動詞というのは少ない。そこで、活用型に揺れが見られる動詞に四段活用には少ないタ行動詞が比較的多く見られることに着目し、四段活用らしさが希薄であるという条件が活用型の揺れに関わっている可能性を指摘した。 また、中世において四段活用ではなく上二段活用として新たに成立した動詞を調査したところ、バ行動詞・ダ行動詞・タ行動詞のみであった。バ行動詞は上代より上二段活用に特徴的に多く見られ、ダ行動詞は四段活用には一語も存在しない。タ行動詞はこれらに準ずる存在といえ、四段活用より上二段活用が優先されることがあったことを確認した。
著者
坂井 健
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.212-227, 2002-10-05
著者
後山 智香
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.25, pp.197-209, 2017-11-25

『古事記』には、後に「天下」となる葦原中国と異界との間に二種類の「坂」が存在している。それは「黄泉ひら坂」と「海坂」であるが、いずれの「坂」も異界に赴く際は問題にされず、属する<国>に戻る段階においてようやく登場するという特徴を持つ。それには<国>作りという問題が大きく関わってくる。なぜなら天皇の世界=「天下」を指向する『古事記』の世界観では、異界との関わりはその上においてでしか意味をなさないからだ。そしてそれは異界との境界である「坂」も同様である。本稿では『古事記』における異界との間に存在する「坂」の意義を<国>作りという観点から見ていくことで、境界としての「坂」は、上巻の神話的空間から脱却し、後の「天下」を指向する『古事記』にとって必要不可欠な<国>作りの一部であったことを論じていく。
著者
倉員 正江
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.7, pp.20-31, 2001-05-01

八文字屋本の代表的作者江嶋其磧は、当時近松門左衛門と併称される人気を誇った。近代以降井原西鶴の再評価に伴い、亜流と見なされた其磧の評価は不当に低下した。しかし模倣やコピーの氾濫は成熟した文化の産物である現実は、商業出版隆盛の当時も今も変わらない。近松の時代浄瑠璃の代表作「国性爺合戦」・続編「国性爺後日合戦」と、「国性爺」ブームに刺激されて書かれた其磧の『国姓爺明朝太平記』を比較すると、両者の相違が顕著に窺われる。其磧は安易に浄瑠璃や歌舞伎の見せ場に頼ることを廃し、長編小説としての構想を首尾一貫させることに腐心した。「国性爺」最大の見せ場三段目を改変し、寛仁大度の甘輝将軍像を強調している。さらに「国性爺」の粉本となった通俗軍書『明清闘記」を利用して、長編浮世草子に新機軸を打ち出したのである。
著者
舘下 徹志
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.16, pp.209-226, 2009-11-28

横光利一の長編小説『旅愁』はこれまで、戦時下の思潮に沿う<日本主義>を基調とした小説として読まれてきた。確かに同時代の国粋的な言論と、作中における矢代、東野らの発言との間には互いに通じ合うところが多い。従来の研究も、その両者のつながりに着目してきた。しかし、それらの非合理な言葉の数々は、近世国学思想に淵源を持つ、対話を志向しない諸言説にこそその<根拠>を見出すことができるのではないか。この小説に描かれた<言挙>、<産霊>、<古神道>のありようについて考察すると、いずれも国学者たちによる、他者からの異議に価値を認めない独善的な見解をふまえ、それに支えられていることがわかる。『旅愁』の<日本主義>は、そうした揺るぎない特権意識に浸る国学言説の受容と変形を経て形作られたのである。
著者
桑原 祐子
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.28, pp.29-44, 2020-11-28

正倉院文書に残る「待遇改善要求草稿」に、休暇に関する要望がある。「毎月、一度にまとめて五日間の休暇をもらいたい」という要望である。この要望は、その後叶えられて、「例・法例」という規定のなかに生かされた。そのことを「請暇解(休暇願)」の分析・検討から明らかにした。また、この規定を最大限に生かすために、写経生等は請暇解に、様々な表現の工夫を凝らしていたことを検討した。さらに、工夫の甲斐あって、一回に一〇日間の休暇を獲得した安宿廣成の請暇解や解文に焦点を当て、どのように文書の定型を外しながら、表現の工夫をしていたのかということも分析した。 正倉院文書は、いつ・誰が・誰に対して・どのような場で・どのような目的で・何を・どのように書き記したかが明確な一次資料である。これらの文書を作成した実務官人の言語生活の実態を記述することは、八世紀の日常普段の日本語を解明することに資することになるのである。
著者
黒田 彰
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.21, pp.129-153,5,7-36, 2014-11-29

本誌前号の拙稿「祇園精舎覚書|鐘はいつ誰が鳴らすのか|」において、祇園精舎の無常堂の鐘の鼻には、金の獅子に乗り、手に白払を持った、金の崑崙が造型されていることを明らかにした。さて、その崑崙とは如何なるものなのか、戦前の研究史を参照しつつ、伎楽面の崑崙等を上げ、前稿の末尾部分で、聊か述べる所があったものの、その後、崑崙については二つ、大きな問題があることに気付いた。一つは、第二次世界大戦後、新中国において唐代を中心とする、崑崙の出土が相次ぐなど考古、美術、仏教、音楽(芸能)、文学、歴史等の諸分野にあって、崑崙研究が大きな進展を見たことである。もう一つは、崑崙が祇園精舎無常院(堂)の鐘と深く関わることである。小稿は、その第一の問題に取り組んだものである。近時の上記諸分野における崑崙研究は、目を見張るものがあるが、遺憾なことに、それら各分野の成果を統合し、纏めたものがない。そこで、小稿にあっては現時点における崑崙研究を、図像資料を中心として総合的に纏めてみることとした。小稿の図版(図一|三十五<図三十四を除く> 、参考図一|三)に関しては、巻頭カラー図版を参照されたい。なお第二の問題については、近稿「祇園精舎の鐘|祇洹寺図経覚書|」を予定する
著者
内田 賢德
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.21, pp.37-51, 2014-11-29

語の意味とはどのようなことであるのか。イヌという語があらゆるイヌを含むことができるのはなぜか。それを他との差異という概念で説明する。意味は、その言葉の属する文化史の中で決定されるが、それを解析することは難しい。しかし、方法的な語源学によってある程度は可能である。語源を知るとき、私たちは意味することの始原に立ち返ることになる。意味することの根拠としてあるものは、私たちの言語活動にいつでも立ち会っているものである。
著者
三谷 憲正
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.1, pp.128-149, 1996-10-19

『人間失格』は太宰の自叙伝などではない。葉蔵は不思議なことに〈食欲〉と〈性欲〉がないかのように設定され、また、年上の女性たち(母子家庭が多い)といつも〈二階〉に漂うかのように存在している(中学の下宿、東京の下宿、シズ子のアパート、京橋のバア)。しかし、年下の唯一結婚するヨシ子との生活の場のみ、葉蔵は〈一階〉に降りて来る。その背景には福音書のイエスがいる。この場合、「父」は旧約の「エホバ」に他ならない。「父神」は現実の《リアリズム》を指向するが、「神の子」葉蔵は天上的な《ロマンチシズム》で動く。しかし、この《ロマンチシズム》は《リアリズム》に敗北する。そのような、もう一つの《陰画としてのイエス伝》、つまり昭和という《現代に降り立ったイエスの伝記》が『人間失格』というテキストである。
著者
三宅 えり
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.88-102, 2016-11-26

春の花が咲き乱れる美しさや、紅葉の美しさを「錦」にたとえることは、古く『万葉集』や『懐風藻』の詩歌にもみられ、『古今集』や『文華秀麗集』等、平安朝の詩歌にも受け継がれている定型的な比喩である。『源氏物語』には、自然の美しさを「錦」にたとえる表現もみられるが、宴に集った錦を纏う人々の様子を自然の美景にたとえる表現もみられる。「澪標」、「若菜下」の住吉社頭での宴の場面、「初音」の六条院での男踏歌の場面、そして「胡蝶」における六条院での船楽の場面である。これらの場面は光源氏が権力を掌握していることを示す重要な場面である。光源氏の周囲に集う人々を自然の美景にたとえることは光源氏に天の造化と同等のものを生み出す力があることを示すのだろう。また、「錦」にたとえられる明石上の存在についても考察する。
著者
権田 浩美
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.27, pp.67-91, 2019-11-30

<異界>を描く作家として定評のある川上弘美にとって、『水声』は異色の作であろう。川上と同じ年齢の語り手・都の語る、弟・陵との近親相姦という一見閉ざされた愛の物語は、時代を揺るがした実際の事件や災害を後景化することにより、奇妙なリアリティと共に神話にも遡及する男女の愛の原型としても読めるからだ。とりわけ、<ママ>と奈穂子に重ねられる<白>のイマージュは興味深い。『水声』という題名につながる<水>の流れる処として都が想い描く<白い野>はモダン都市文化と戦時下の緊張が交錯する時代に成った新興俳句からきているが、その時代はそのまま<ママ>の幼少期と重なる。<白>は戦争のみならずチェルノブイリ原発事故、地下鉄サリン事件、そして東日本大震災という、人という種が科学への過信や傲りの果てに引き起こした、あるいはどれほど科学が発展しても避けられぬ破壊の跡に晒される虚無や空無の色彩とも読める。近代的自我の描出に拘泥しない川上による人という種の盛衰と愛の原型として、都と陵の愛の物語が、<白い野>を流れる<水>という悠久の時間の中で浮かび上がってくる。
著者
坂井 健
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.132-150, 2010-11-27

『小僧の神様』で、小僧が最初に入った屋台は、当時の最新のヒット商品鮪のトロを売り出した有名店であり、鮪一貫六銭という値段は、当時としても、かなり高い値段設定であった。それでも、小僧が執着したのは、番頭という身分への憧れがあったからなのだ。小僧がご馳走になった方の鮨屋は、古いタイプの江戸前鮨を出す店で、小僧は醤油をつけなくてもよいように調理された、盛り込みの大皿の鮨を座敷で箸を使って食べたのである。
著者
坂井 健
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.100-117, 1998-10-03

『野の花』論争で花袋が主張したいわゆる「大自然の主観」の論は、従来いわれている『審美新説』よりも、ハルトマンの美学の影響によって成り立っているものである。花袋は、ハルトマン美学を高瀬文渕に触発されて受容したため、その理解も文渕色の濃いものとなった。すなわち、冥想と人生修養の重視である。花袋は、ハルトマンの「小天地説」と文渕の「意象」の説とによって、「大自然の主観」の説を形成したと見られるが、その際、作者の主観を人生経験と修養によって徐々に進めていけば、「大自然の主観」に近づくことができると考えたので、冥想にこだわる必要がなくなり、修養がもっぱら重視されることとなった。ここに宗教色の濃い日本自然主義の源がある。