- 著者
-
曽和 信一
- 出版者
- 四條畷学園短期大学
- 雑誌
- 四條畷学園短期大学紀要 (ISSN:18811043)
- 巻号頁・発行日
- vol.45, pp.6-23, 2012-05
本稿では、東日本大震災で多くの人名と財産を失い、その震災に伴う東京電力福島第一原発事故により、今なおその被災地域において、復興の目途を立てるには厳しい状況にある。そのような状況にあればこそ、村上龍氏の言う「生きる喜びのすべて」を賭して、復興に向けての「希望」とは何かを考えることから出立した。今回の福島原発事故によって、まさにプロメテウスによって人間に与えられたといわれる原子力という火は、ダモクレスの剣に喩えられるように、一見文明の繁栄をもたらすように見えても、実は不安定なものであることが白日の下に晒されたことについて言及した。それに次いで、将来に希望が持てる人と絶望している人とを引き裂く希望格差社会の抱える問題について、フリーターという社会的立場から切り込む赤木智弘氏の論稿をベースにして考えをめぐらした。そして、古市憲寿氏は社会学的な方法でもって、「絶望の国の幸福な若者たち」のおかれているリアルな状況の一断面を提示した。それらの所論を踏まえて、将来への希望をつなぎ、具体的な展望を紡いでいく社会科学としての希望学について論及した。その希望学に触発されつつ、ルイ・アラゴンとパウロ・フレイレの提起した教育の希望とは何かについて考えた。それに次いで、児童福祉法要綱案という児童福祉法と名づけてた最初の案の中で、子どもの福祉における"歴史の希望"と明記された文言の意味についても考察したところである。