著者
横平 弘
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.339-346, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
24

JR釧網本線は当初の路線計画策定後の路線変更に伴って、施工された現有路線は全体的に迂回路線となった。迂回の著しい2区間について、施工の難易姓や路盤建設費から直結線と比較した結果、いずれも施工難工区を有し、迂回に伴って必要となった費用は全竣工額の18.7%にも達したことから、路線建設の妥当性は不十分とみられ、迂回のより著しい1区間については当初計画 (直結近似) 路線の方が有利である。
著者
コット ミッシェル 小林 一郎
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.363-374, 1995-06-09 (Released:2010-09-28)
参考文献数
44

フランスの産業革命は1820年代に始まったとされる。本論文は、マルク・スガンのフランスにおける技術革新と技術移転についてまとめたものである。この時期の彼の功績の主なものは、1. 鉄線によるケーブルの発明、2.水中コンクリート及び鉄筋コンクリートの先駆的な使用、3. 円筒ボイラーの使用、4.フランスにおける最初の貨車及び機関車の製作等である。本論文では、これらについて詳述し、これまであまり評価されることのなかった土木人としてのスガンの全体像と土木史上の功績についてまとめる。なお、本研究は新しい試みとして、フランスの科学史研究者と日本の土木構造の研究者とのマルク・スガン及びフランス吊橋史に関する一連の共同研究の序論として位置づけられるものである。
著者
小野田 滋
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.269-278, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
9

明治初期に建設された大阪-神戸間 (阪神間)、京都-大阪聞 (京阪間) の鉄道では、わが国の鉄道用としては初めての鉄製橋梁やトンネルが建設され、その後の鉄道土木技術の原点となった。また、わが国で初めての煉瓦構造物群が建設された線区でもあり、トンネルやアーチ橋、橋台・橋脚などに使用された。本研究では、これらの煉瓦・石積み構造物群の現状を現地踏査により明らかにするとともに、その特徴について考察を行った。分析の結果、130年に及ぶ歳月を経て、今なお供用され続けている構造物が多数確認された。また、後に建設される煉瓦構造物の基本となる技術がすでにこの段階で確立され、デザイン的にもその原点となったことが明らかにされた。
著者
知野 泰明 大熊 孝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.49-60, 2002-05-15 (Released:2010-06-15)
参考文献数
45

The Kiso, Nagara and Ibi River, which were flowing on the Central Japan, are known generally as “Kiso Sansen” . To control floods occurring on these rivers, the large-scale river improvement was executed from the year 1754 to 1755 for the Houreki period during the Edo era . The officials of the Tokugawa Shogunate made the plan for this improvement . And the feudal domain of Satsuma paid the expenditure and oversaw the construction work at sites.In those days, the river improvement works were organized by using the natural materials such as woods and stones. And the planner could not measure using such as modern mathematical theory . Therefore, some plans or constructions were phased checking the change of river flow and bed .Nowadays, such phased construction is named “Mitameshi” in Japan. And the Japanese traditional river improvement techniques have been used some rivers. The purpose to apply these old techniques is to make the natural circumstances on the river channel. For the circumstances, it is important that engineers check the changing of river flow and bed. However, the phased construction is not used now .To execute these traditional river improvements and make natural circumstance on Japanese rivers, this study traces the large-scale river improvement of the “Kiso Sansen” during the Houreki period and makes clear the process of the phased construction.
著者
市古 太郎 馬場 俊介
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.173-182, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
21

In Nagoya by both of land readjustment introduced by 1919 Town Planning act. and land consolidation carried out until then good residential area in the suburbs were builded in cooperation with land owners and planners. The style of this development is even unequal and ideal, but in practically there were not so a lot of area which had been completed with the original policy.The following three points have considered in this paper. First; development policy is arranged. Second; weakpoints involved the policy and factors prevented from realization are pointed out. Third; plans realized finally is considered in addition to knowledge given by present circumstances.
著者
市川 紀一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.453-460, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
8

富山県の中央を貫流する常願寺川は急流荒廃河川として知られ、過去に幾多の氾濫を繰り返し、流域の住民は銀難辛苦を味わった。特に1858 (安政5) 年の地震では水源地帯で約4億万m3に及ぶ土砂が崩壊し、現在もなお約半分の土砂が山間に留まっていると言われている。このため一旦大雨ともなると土砂は土石流となって下流域に流失することから、川床は年々上昇して天井川を形成している。1891 (明治24) 年の水害による復旧工事では、内務省雇外人デレーケの献策によって大規模な改修工事が実施されたことは良く知られているが、この工事内容は諸文献に簡単な記述が散見する程度で、詳細な設計・工事経緯などは不明であった。本文では昨年筆者が発見した当時の富山県技術者で、この工事の最高責任者でもある高田雪太郎が残した数多くの記録をもとに工事の内容を紹介するものである。
著者
田中 宏昌 関雅 樹 阿部 英彦 野辺 武 稲葉 紀昭
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.105-116, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
6

The paper deals with the pin-connected railway truss bridges, which were used for as longas 114 years across Daiyagawa River. The authors present their brief history, structuralfeatures, and deterioration of structural parts which was caused by such a long service, especially wearing of pins and holes in eye bars. Also the restoration works for preservationis described.
著者
安達 實 大塚 安兵衛 北浦 勝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.331-336, 1999-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
38
被引用文献数
1

富山県の主要な河川は、北アルプスなどの急峻な山岳地帯に源を発し、平野部を貫いて富山湾に注いでいる。これらの急流河川は有史以来、幾度となく氾濫を繰り返し、田畑や人家に大きな損害を与え、多くの人命をも奪ってきた。なかでも急流荒廃河川として名高い常願寺川の藩政期から明治期にかかる治水対策は壮絶を極めた。特に1858 (安政5) 年越中・飛騨地方を襲った大地震は立山山中で大きな土砂災害を発生させ、常願寺川の上流から下流一帯を泥海化し、大災害をもたらした。治水的観点から、その対応について述べる。
著者
伊東 孝 鄭 雄男
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.279-287, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)

京都地下鉄棄西線の蹴上駅を建設するため、蹴上インクラインの一部を利用して竪坑が掘られた。蹴上インクラインが京都市の史跡に指定されているため、市は復元を条件に用地の使用を許可した。本論文は、蹴上インクライン石垣の解体前および解体時の調査内容を記すとともに、どのような方針と考え方で石垣を復元したのかについて報告している。解体調査から、以下のようなことが判明した。石材は花崗岩で、雑石状ないしは間知石状の形状である。石は大振りで、今日使用されている標準的な石材とくらべると、2~3倍もある。裏込め石も同様で、3倍ぐらいの量が充填されていた。石積みの基礎には、意外なことに松丸太がなく、地盤のやわらかいところに胴木が2本確認されただけである。石垣の復元は、当初、オリジナルと同様、空積みを提案したが、落石の恐れのない「練り積み」を基本とする「空積み風」で復元された。
著者
稲松 敏夫
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.353-362, 1995

筆者は先に第1回~第11回にわたって、電力土木の変遷と、電力土木に活躍した人々を中心に各河川の水力開発について述べ、その中で電力土木に一生を捧げた人々のうちの代表的人物60名を発掘して、その成果をまとめ得た。<BR>さらに一昨年から、その中25名の人々の業績を詳述し、第2編・電力土木人物史として6名 (知久清之助、伊藤令二、北松友義、目黒雄平、高桑鋼一郎、久保田豊) について発表し、今回はその3として数名を発表する。
著者
稲松 敏夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.353-362, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
3

筆者は先に第1回~第11回にわたって、電力土木の変遷と、電力土木に活躍した人々を中心に各河川の水力開発について述べ、その中で電力土木に一生を捧げた人々のうちの代表的人物60名を発掘して、その成果をまとめ得た。さらに一昨年から、その中25名の人々の業績を詳述し、第2編・電力土木人物史として6名 (知久清之助、伊藤令二、北松友義、目黒雄平、高桑鋼一郎、久保田豊) について発表し、今回はその3として数名を発表する。
著者
小西 純一 西野 保行 中州 浩一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.257-268, 2002-05-15 (Released:2010-06-15)
参考文献数
16
被引用文献数
1 1

明治45年 (1912) に鉄道院が「鋼鉄道橋設計示方書」を公布したが, このころより日本の鉄道橋梁の設計・製作はすべて国内で行うようになった.鉄道網の急激な拡大に対応して橋梁の数量も著しい伸びを示し, 国有鉄道においては, 各地の建設線や線増あるいは取替用に各種標準桁を設計・製作・架設する一方, いろいろな構造形式の導入や大スパンへの挑戦が行われた.民営鉄道においては, 国有鉄道とは異なる設計活荷重に対する独自の桁を架設した会社が多いが, 国有鉄道の設計を準用する会社もある.また, 国有鉄道から鋼桁の払い下げを受けて開業にこぎつけた会社も多い.本稿では, このような大正・昭和前期 (およそ1913-1960年) における鋼鉄道橋技術の発達とその特徴を述べるとともに.現存状況について報告する
著者
吉村 伸一
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.469-474, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
12

肥後の石工・岩永三五郎が建造した甲突川の5大石橋 (1845-49年築) は、1993年8月6日の豪雨 (以下「8・6水害」) によって、武之橋と新上橋の2橋が流出。鹿児島県は、河川改修の支障になるとして、残った3橋 (玉江橋, 高麗橋, 西田橋) の「解体移設」を決め、5大石橋はついに甲突川から姿を消した。筆者は、甲突川の石橋群を治水システムとして評価することを提起したい。5大石橋を治水システムとしてとらえたならば、甲突川の治水戦略も違ったものになったであろうし、江戸期最大級の石橋群を現地に生きて保存する道が選択されたであろう
著者
岩崎 宏
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.151-162, 1990-06-25 (Released:2010-06-15)
参考文献数
34

燈台の建設で有名なスコットランドのスチブンソン家。そのなかでトマス・スティーヴンスン(1818-1887)は、港湾工学の分野でも実際の海の波についての優れた観察者の一人であった。今、海の波の発達、推算に関して対岸距離 “Fetch”という言葉が用いられているが、これはオックスフオード英語辞典によれば、エンサイクロペディア・ブリタニカ第九版のトマス・スティーヴンスンの解説を引用して初出文献としているのである。しかし、その後百年の間に、風速や吹続時間、風域などをあわせて考えるようになり、波の理論、波の観測、確率や統計的処理などの学問が進展してくると、初期の研究者の名も次第に忘れられてしまいそうである。また、トマス・スティーヴンスンは、わが国明治初年の洋式燈建設にとって忘れることのできない功績者である。即ち在英のまま日本政府の技術顧問となり、来日したブラントンをはじめとする技術者集団を指導し、バックアップした役割は高く評価されてよい。一方、トマス・スティーヴンスンの息子は文学に転向して、家業を継がなかったが、「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」などの小説で有名になった作家のロバート・ルイ・スティーヴンスンである。エジンバラ大学で土木工学を専攻し、父に従って燈台や港湾の建設現場で波の観側をしていたことは、むしろ英文学研究者の方がよく知っている。本文は、スチブンソン家の人々を紹介すると同時にトマス・スティーヴンスンについて、その代表的著書「港湾の設計と建設」の中から二、三の話題をとりあげ、また息子ロバート・ルイ・スティーヴンスンのエッセイ「土木技術者トマス・スティーヴンスン」に触れたいと思う。
著者
山口 大介 新谷 洋二
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.293-300, 1999-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
19
被引用文献数
1

城を構成するものには、天守・櫓・門・堀・土塁・石垣など様々なものがある。この中でも石垣は天守や櫓などの土台として、また城の防御の要として重要な役割を果たしてきた。石垣の施工上の留意点としては、安全性や耐久性、経済性などを十分に考慮しなければならない。また、使用される石材をみても一つとして同じ形状のものはなく、その材料をいかに組み合わせて堅固に築いていくかが重要である。本研究では、石垣を構成する石材の中でも築石に注目して、その形状や配置状況などについて、石垣の工事報告書などをもとに幾つかの城の石垣を例に取り、調査を行った。その結果、築石の配置状況はその加工の程度やその置き方によって左右されるのではないかと考察した。
著者
横平 弘
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.207-214, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
32

JR釧網本線の施工困難な建設路線区間について比較線を選定して費用を試算し、現有の建設路線との比較の結果、比較線の方が約114万円低額で、平成4年の卸売物価スライドで11億余万円に相当し、建設費総額の13%を占める巨額となった。また、比較線の実現により、軟弱地盤地帯にある現有路線が地震の多発による列車の不通と路盤の点検などで余儀なくされている不便や労苦と多額な保線費もかなり解消されるため比較線のメリットは大きく、従って現有の建設路線の妥当性は不十分と見られる。
著者
松村 博
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.201-208, 1999

橋のような公共構造物は、時の政治権力によってつくられ、軍事的、政治的な理由によってその建設がコントロールされていたと考えられがちであるが、そうではなく社会経済的な条件やその時の技術水準によってその存立が規定されたと考えるべきである。<BR>日本の橋の歴史を概観してみると、その発展史は、橋は常に民間が必要日本の橋の歴史を概観してみると、その発展史は、橋は常に民間が必要とし、その時代の経済力に応じて支えられてきたこと、また橋の技術は特定の集団に秘蔵されていたのではなく、多くの人々に開かれたものであったという二つの視座を措定することによって説明できると考えられる。<BR>このテーマを説明するために、古代から現代までの橋の歴史の流れを示すとともに、官と民が主導的に行った橋の整備事業の特性を分類、整理した。この視点を深めることによって交通インフラ整備における政治優先説や技術機密説などの誤りを正すことができると考える。そして今後のインフラ整備のあり方を歴史から学ぶことができるものと思われる。
著者
安達 實 北浦 勝 上田 信二
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.637-644, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
19

富山県は、南に日本アルプスをひかえ、東や西も山に囲まれ、これらの山々から流出する土砂の堆積により、富山平野や砺波平野の扇状地が出来た。しかし多量の雨と雪は、洪水となって平野を奔流し、氾濫による災害が多く、富山県の歴史は河川との闘いの歴史でもあった。なかでも大雨ごとに災害を受ける庄川は、早くから治水ぶ始まった。庄川の河道の変遷、災害、松川除を中心とした藩政期の治水への取り組みと、明治維新から昭和初めまでの治水について述べる。
著者
伊東 孝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.219-229, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
15

1940 (昭和15) 年に竣工した勝閧橋は、東洋一の可動橋といわれた。橋桁がハの字に開く双葉の可動橋は、わが国でははじめてのタイプであり、シカゴ・タイプの可動橋ともいわれた。シカゴ市での現地調査とヒアリングおよび文献などから次のことが判明した。(1) シカゴ市の管理橋だけでも50の可動橋が存在し、そのうち30橋が稼動している。このほか鉄道橋の可動橋もある。かつては舟運交通のために橋を開閉していたが、現在では春と秋にミシガン湖に出入りするレジャー用のヨットのために橋を動かしている。(2) 可動橋の発展は、4期にわけられる。重要なのは、二期の都市美運動に端を発する検討時期である。可動橋のデザインと装飾は、シカゴ・プランにもかかわったE. H. ベネットが中心になってまとめ、モデルはパリのネオ・バロック様式にあった。
著者
本田 あゆこ 森地 茂
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.501-512, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
41

本研究は明治から戦前にいたる道路整備の過程の中で, 有料道路制度に関連する3つの事項, 道路の有料化の規定, 有料道路の経営方法, および有料道路の通行料金設定に対する当時の人々の考え方を, その特徴的なものを抽出し, 時代をおって整理し, それらが戦後の有料道路にどのような関連性を持つのかを考察したものである。