- 著者
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多田 博一
- 出版者
- Japan Society of Civil Engineers
- 雑誌
- 土木史研究 (ISSN:09167293)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, pp.231-238, 1990-06-25 (Released:2010-06-15)
イギリス東インド会社は, インドの植民地領土の拡大にともない, 1820年代以降貿易よりも組織的な植民地経営に力を入れるようになった。その中心になったのは, 第一に, 歳入の柱である地租の増収のもとになる農業生産の安定・増加, 干魃の被害の軽減にとって欠かせない灌漑施設の整備, 第二に, 輪出入品および政府物資・人員ならびに軍隊の輪送・移動に不可欠の鉄道であった。技術史の立場からみて, この両者のインドにおける発展はきわめて対照的であった。灌漑についていえば, イギリス本国の農業は天水依存であり, 当時のイギリス人技術者たちは大規模な人工灌漑施設の建造・維持管理の経験をもっていなかった。これに対して鉄道は, 1825年にリヴァプール・マンチェスター間の鉄道路線が開業して以来19世紀を通じて, イギリス最大の輪出産業に成長していき, 技術的にも世界の先端を切っていた。本稿では, 19世紀中葉世界最大の用水路工事といわれた上ガンガー用水路の建造工事を追跡しながら, 当時のイギリス人にとって未知の領域であった用水路灌漑技術がどのようにして形成されていったか, を明らかにしようとするものである。(その一)では計画立案過程と事業計画概要を扱った。本稿では, 工事実施上の諸問題ならびに労働者・資材の調達の問題に触れたい。その中で, 種々の構造物の案出, インド在来技術とイギリスの近代的科学・技術知識との融合の側面に着目して, イギリスの技術者たちがインドにおける用水路灌漑技術を確立していった過程を明らかにしてみたい。