著者
田中 実
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.66, no.8, pp.2-14, 2017-08-10 (Released:2022-08-25)

現在、日本の近代文学研究はポストモダンの運動がなし崩しに終焉した後、文化研究と併存する形で旧体制に回帰し、原理論に向かうエネルギーを喪失していますが、本稿ではソシュールの言語論やロラン・バルトの「還元不可能な複数性」を踏まえて〈言語以前〉の問題に遡り、〈第三項〉を立てることで、読むことの原理論を提示、実践します。客体の対象の文章には「正解」という実体は未来永劫存在しない、そこは究極のアナーキーであり、これを克服するには〈第三項〉を介在した〈宿命の創造〉に向かうことが求められ、そこに〈読み〉の真髄も現れます。これを鷗外の『舞姫』と『うたかたの記』を取り上げて具体的に示します。
著者
永井 聖剛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.44-55, 2012

<p>近代文学は、非合理的なものを作中から排除することで、現実らしさを構築しようとした。小稿で扱う〈変身〉が、排除されたものの好例である。しかし、〈変身〉はほんとうに姿を消してしまったのか。そうではあるまい。「変身したくない=真の自分のままでありたい」という内なる声となって、多くの主人公たちを規制し続けたのではなかったか。小稿は、写実主義から自然主義への推移の過程で、〈変身〉が排除されようとする現場を辿り直すことで、それによって囲い込まれた「現実」や「真実」がいかなる性格のものだったのかを考察しようとする試みである。</p>
著者
伊藤 忠
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.38, no.11, pp.26-36, 1989-11-10 (Released:2017-08-01)

周知のように、『破戒』に<民権>の<影>が落ちていることはこれまでも指摘されてきたが、その<影>を作品の隠れたイメージとして読み直し、そこに父の物語を開くことで『破戒』のもうひとつの構造を明らかにし得るのではなかろうか。その点を、「激化事件」の頻発した一八八四年前後を契機に生じた父の「憤慨」を解読することによって、<民権>の時空にまで父の<平等>幻想を引き摺った「解放令」を<一君万民>的幻想性をふりまく<君>のメッセージとして捉え、天長節の日に設定された父の死の意味と父の語る戒の言葉の<深層>を探ってみた。
著者
長谷川 政春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.38, no.5, pp.53-61, 1989

『古事記』が語るヤマトタケル伝承のうちに、双生児という二個体における分身関係と両性具有の少年英雄という一個体内における分身構造との、原型的な<分身>の在りようを確認し、それが物語文学の上で展開されている様相を論じた。『石清水物語』における男色関係や主従関係、また『源氏物語』における乳母子の存在などから語り手の構造へ。『虫愛づる姫君』や『貝合』の女主人公たちの両性具有性と<分身>の問題に言及した。
著者
高橋 明彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.11, pp.69-80, 2005-11-10 (Released:2017-08-01)

楳図かずおが「恐怖」をどのように描いてきたかを検証した。「恐怖マンガ」という言葉を作ったのは楳図であるが(一九六一年)、まず、それ以前の作品の特徴を民俗性、怪奇性、幻想性の三点において検証した。ついで、これらを統合して恐怖マンガという語彙が獲得され、「怪奇」と区別しうる「恐怖」という概念が成立する。ついで、一般に言われる、楳図の描く恐怖モチーフが「怪奇」から「恐怖」へ変遷したとする説を再検討した。「怪奇」と「恐怖」とは変遷可能な同位対立的関係にはなく、「恐怖」とは「怪奇」を包摂する根本概念なのである。また、その包摂関係を成立させているのが、楳図における認識論的な遠近法主義である。加えて、神を描く存在論的な在り方についても論じた。
著者
井口 時男
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.8, pp.2-10, 2007-08-10 (Released:2017-08-01)

読むことは唯一の意味の探究ではなく、意味の自由な創造である。しかし、この自由は恣意性ではない。読者はまず、作品という他者の言葉の秩序によって深く拘束されなければならない。そのとき、読者の自己は作品の言葉によって改変される。新たな意味の創造は新たな自己の創造でもある。だから、作品についてコンスタティヴに語ることはできない。自己を投入しつつパフォーマティヴに語るしかない。それは他者の言葉への応答である。
著者
加美 宏
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.80-91, 1982-01-10 (Released:2017-08-01)

There is a tradition of commentaries which accompany the Taiheiki. Early in the Edo Period, a work called the Hyoban Hiden Rijinsho was widely circulated; indeed, contemporary reading of theTaiheiki relied on the Rijinsho as a text, resulting in the term the "Rijinsho lectures." Since the Rijugokusho is all but untouched by scholarship, this study will first of all distinguish it from a similar commentary, the Taiheiki Hyouban Shiyo Rijugokusho. and describe the Rijugokusho's form and contents. The Rijinsho consists of two parts, a "Commentary" and "Tales." In the past, the Rijinsho was almost exclusively discussed in terms of the former, which evaluates the contents of the Taiheikirom the viewpoint of the martial arts and political administration. From a literary standpoint, however,it is the section of"Tales" which is more valuable, for it contains secret accounts and backstage anecdotes not included in the Taiheiki itself.
著者
野矢 茂樹
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.28-37, 2016-03-10 (Released:2021-04-17)

前半では私の哲学的立場である相貌論の輪郭を述べる。世界は相貌をもち、相貌は物語に依存する。そして私たちは一人ひとり異なる物語を生きている。この物語の重層性は相貌の重層性となる。それを私は世界の「ポリフォニー的構造」と呼ぶ。後半ではその哲学的背景のもとで相貌に注目した小説の読み方として「相貌分析」を提唱する。具体的に宮沢賢治の「土神と狐」を例に取り、相貌分析によってどのように読めてくるかを示したい。
著者
小谷 真理
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.24-34, 2008-04-10 (Released:2017-08-01)

飛浩隆「ラギッド・ガール」(<SFマガジン>二〇〇四年二月号に掲載)は、ある事情で放置されている仮想現実世界を扱った<廃園の天使シリーズ>の中編である。仮想現実世界は、<数値海岸(コスタ・デル・ヌメロ)>といい、<廃園の天使シリーズ>は、その創造と放棄と内部変化を描いている。もちろん仮想現実世界といっても、現実世界はあまりにも膨大なデータであるために、現実をそっくり写しとれるわけではなく、いわば仮設の情報集積所となっており、人間の似姿と人工知能が混在する世界として想定されており、インターネットに近い感触を持つ。「ラギッド・ガール」の「ラギッド」とは「ざらざらの」という意味。主要登場人物である安形渓の身体の異形を指している。物語は、体験や記憶がすべて体内に蓄えられながら生きる情報集積体たる渓の身体論を中心に、アガサとキャリバン、安奈と渓の関係を読み解きながら、現実世界、仮想現実世界、さらに仮想現実世界に内蔵されたサイバースペースという三つの空間にまたがって、性差とセクシュアリティの諸問題を投げかけ、人と人とのコミュニケーションについての問題を探求していく。この作品における女性の身体と性差の設定は、アメリカのSF作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「接続された女」を彷彿とさせ、共通点が多い。特筆すべき要素は、女性身体をめぐる話題、「身体の醜さ」、「暴力」、「レズビアン・セクシュアリティ」である。そこで、本稿では、電脳空間を素材にしたサイバーパンク小説の先駆けと評される「接続された女」と、ポスト・サイバーパンク小説「ラギッド・ガール」を比較検討し、女性性、身体性、情報集積体としての性差について再考する。
著者
三宅 宏幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.9-19, 2010-02-10 (Released:2017-08-01)

書翰に「挾客伝は得意の作」と書いた馬琴は、読本『開巻驚奇侠客伝(かいかんきょうききょうかくでん)』第一集自序に、書名にもなる「侠」を「身を殺して仁を成す者」と定めた。本稿では、馬琴が「仁」を持つ「侠客」を表現するため、「仁徳」を大義とする周王朝が殷王朝を伐つ殷周革命に取材した、中国白話小説『封神演義(ほうしんえんぎ)』及び通俗軍談『通俗武王軍談(つうぞくぶおうぐんだん)』を利用したことを指摘する。さらにこの殷周説話が、『侠客伝』の世界や構想に関わることを明らかにする。
著者
王 暁瑞
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.20-30, 2014-02-10 (Released:2019-02-28)

幕末の歌人橘曙覧の歌には、「寒僕」「寒婢」などのような、「寒」の字を冠した歌題を伴う一群の連作がある。これは、清の蒋士銓の詩「消寒雑詠和王蔗村太守十首」(消寒雑詠王蔗村太守に和す十首)及びその影響を受けた頼山陽、広瀬旭荘の詩と深くかかわっているとみられる。本稿では、このことを中心に論じながら、合わせて「妓院雪」「侠家雪」「書中乾胡蝶」など、和歌において一般には見られない曙覧の歌題と旭荘また茶山の詩題との関係も視野に入れて、その和歌の特質の一斑を考察する。
著者
呉 哲男
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.1-10, 1995-01-10 (Released:2017-08-01)

今日の文学研究は、共同体を維持するために不可欠なヘテロセクシュアル(異性愛)のみを普遍的な愛とする近代の社会制度に同調し、性の領域に対して自由な感受性を働かせることを抑圧してきた。ここではフーコーの提起した「自己への配慮」(『性の歴史』)という概念を援用して、大伴家持と池主の「交友」の基底にホモセクシュアルな感情が流れていることを論じ、『万葉集』の宴席歌における挨拶性という問題を再検討した。
著者
横山 信幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.60-70, 2016-01-10 (Released:2021-01-29)

宮沢賢治「やまなし」は、昭和四六年(一九七一年)に小学校国語教科書教材として採用された。一方、研究者による作品の解釈・研究も持続して行われてきた。この間、わが国の国語教育は、経験主義的国語教育から言語能力重視(昭和五二年版)の教育へと転換、さらに現在の「経済のグローバル化に対応できる人材の育成」へと変わってきている。子どもと教師と研究者は互いにどのように関わり合い、「やまなし」に何を読もうとしてきたのか。
著者
小平 麻衣子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.12-23, 2008

太宰治「女生徒」は、有明淑の日記を改変し、子どものような理想の女性と、本能だけを持ち思考能力のない現実の女性というイメージを作り上げ、女性の思考と書く行為を抑圧した。川端康成は、『新女苑』などの女性雑誌の投稿を指導し、それを助長した。これらの雑誌の記事によれば、戦時下に求められた女性の労働は、男性と同等とされながら、増減可能な調整弁である。文学においても、女性のテクストは、文学の危機的状況の際に呼び出され、文学領域を保存する媒介として利用されながら、文学の中心から排除されている。
著者
高木 信
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.6, pp.11-24, 2006-06-10

『平家物語』研究において、あるいは学校教育において、知盛は運命の人として称揚され続けてきた。しかし中世から近世にかけての享受としては、諦念を抱いた知盛像よりも怨みを持ち怨霊化する知盛像が主流であった。そこで、知盛を運命の人とする近代的な読み方を検証し直す必要が生じる。延慶本以外のほとんどの諸本は、知盛が阿波の民部裏切りを知ると、女房たちの船に乗り移り、掃除をして、東国の武将たちに陵辱されるであろうと脅しをかける。このような知盛の作り出す文脈は、己の理想とする美的最期を達成しようとするものでしかない。しかし中等教育では、知盛を英雄とすることで、死を美学化してしまっている。このような死の美学化に抗するためにも、英雄・知盛像とは違う知盛像をテクストから還元しておく必要性がある。
著者
今井 正之助
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.5, pp.54-64, 2014

<p>中学校2年国語「扇の的」は、与一の技量および敵味方が称賛するすばらしさ((『平家物語』巻一一「那須与一」)から、与一を称賛して舞い出た平家方の「老武者」を射殺する場面(「弓流」)を加え、戦の非情さを考えさせることに力点がうつり、その方向に各教科書会社の足並みが揃いつつある。しかし、「老武者」は扇の的を立てた船に乗り組み、義経狙撃を企む一員であった可能性が高い。善良な老人を冷酷に射殺したと受けとめることは誤っている。また、義経は、敵は一人でも生かしておくわけにはいかない、と考え、与一に射殺を命じた、とみなされている。しかし、『平家物語』の義経の行動原理からはそのような理解は成り立たない。「老武者」が扇が立ててあった場所を占拠して舞を舞い、主役の座を奪うかの行為をしたことに対して、義経は激しく怒り、与一も同じ思いで矢を放った。</p>
著者
清水 眞澄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.7, pp.37-46, 2013-07-10 (Released:2018-07-13)

中世、名は与えられるものという建前を持ちつつも、実は名乗ることで「名」を主体的に用いる、いうなれば自らの役割や位置づけを主張するための名乗りが出現した。これは、歴史的な経緯の中でも極めて注目すべき変換であった。やがて芸能の世界では、通字ではなくて、名前そのものが受け継がれるようになった。芸名の出現である。けれども、中世以前の芸名が具体的にどのような社会的価値を持ったのかという検証は、従来ほとんど行われてこなかった。本稿では、舞童の名の問題から芸名の系譜をたどり、その有りようを中世の定型と捉えることで、文芸を読み解くための手掛かりとしたい。