著者
小谷 瑛輔
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.64, no.6, pp.52-56, 2015-06
著者
中川 成美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学
巻号頁・発行日
vol.50, no.11, pp.52-63, 2001

カルチュラル・スタディーズが真に衝撃的だったのは、既存の学問的な思考分類がそれ自身のためにあったのだということに気付かせた点にあるだろう。ハイ・カルチュアーを構成してきた知識人や大学人によって排除・疎外されてきた大衆文化の見直し作業は、<制度>として機能してきたアカデミックな領域そのものへの痛烈な自己批判として出発した。それは「方法」ではなく、思考の転回を期するものであったはずだ。しかし、文学研究の領域で「推進」されようとしている<文化研究>と呼称されるものは、果たしてそうした起点を持ちえていたであろうか。文学におけるカルチュラル・スタディーズとは何を目的とするものなのか、また文学とカルチュラル・スタディーズを繋ぐものは何なのか、本稿で考えたい。
著者
坂口 周
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.12, pp.32-43, 2010-12-10 (Released:2017-08-01)

内田百間「サラサーテの盤」(一九四八)は、一見して日常的な世界によって構成されている。初期の小説群のように「夢」の非現実則に支配された荒唐無稽な印象をもたらさない。しかし同時に、死者と生者の境界線が絶えず引き直されるような危うさによって、その空間の遠近法は成立ぎりぎりの臨界にさらされている。本稿は、このテクストの構造を形成する核であり、かつそのような構造の不安定さを強いる<謎>としての「女」の位置を探るものである。特に、おふさ、きみ子につづいて、不思議な存在の異常性を放っている「奥様」という第三の「女」の意味を明らかにする。
著者
上原 作和
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.12, pp.16-28, 1991-12-10

「内侍のかみ」巻において、従来、難解とされてきた「蓬莱の悪魔國に不死薬・優曇華取りにまかれ」の一節の出典論的解釈から出発し、この条が朱雀帝・仲忠の問答による俊蔭巻以来の琴の物語史の発展的な完結を企図した修辞(レトリック)であったとする試案を提出する。そして、この問答体の形式を踏まえた<語り>の方法が、構造的に《三周説法》を型取りつつ、相互関連本文(インターテクスト)を媒介とした《類想》によって、物語の展開を規定していると措定する。
著者
山口 浩行
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.6, pp.45-55, 2000-06-10

心中に失敗した女給高野さちよの再生譚「火の鳥」(昭14・5)には、黒色テロリスト須々木乙彦が登場する。彼の造型には、昭和十年の無政府共産党事件だけではなく、大正末期のギロチン社事件の影響も想定できる。彼の敗北とさちよの廃残は、皮相的で享楽的な時代状況において交叉している。「火の鳥」はさちよの再生譚という擬態をとりながら、古い道徳が滅亡する地点を超克する新しい「精神の女人」を創造する試みであった。
著者
中澤 千磨夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.11, pp.44-56, 1991-11-10

後藤明生の『壁の中』は、<小説の小説>として、世界の最前線に位置付けられる。その要諦を二点挙げる。まず、小説という枠組を拡大したこと。具体的には、小説内で本格的な文学論が展開されていることである。本来、小説はかなり自由な(ルーズな)ジャンルであったはずで、本小説はかような地平を回復した。次に、本小説の結構自体が、長編小説の生成の一つの秘密を明かしていることである。それは、連続せる逸脱に、筋を展開させる力を持たせることであった。またこれは、方法自体を小説化する冒険でもあったのだ。
著者
太田 正夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.38, no.7, pp.36-49, 1989-07-10

第一次感想を自由な発想で書かせれば、そこには「読み」と「自己表現」という二つの傾向が出てくる。この自己表現的傾向がでることは、小説の対話的構造が誘引するものであるから、感想にそれを認めることが大事である。そしてこの自己表現的傾向を持った多数の感想は筆者の意図にかかわらず、それ自体対話的要素を内包している。だから作品という大きな他者に対して、また多数の他者と対話を行わせることは読みを深めると共に読み手の思想を作ってゆくのである。
著者
小林 ふみ子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.12, pp.20-30, 2001-12-10

智恵内子の<女性らしい>とされる作風の語彙から文体にわたる作為性/構築性を、同様の傾向が認められる他の女性狂歌師の作品をも参照しつつ論じ、その女性性の強調と古典歌人のやつしとしての天明狂歌師像の演出とを関連付ける。その狂文の文体を可能にした背景について和文史に照らして考察し、天明狂歌の母体として想定されてきた内山賀邸塾における堂上派和歌の影響とは別に、同時代の古学派の動きへの目配りの可能性を探る。
著者
松本 真輔
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.11-20, 2004-06-10

中世における聖徳太子信仰が、観音信仰と重なるものであったことは、かねてより指摘のあることである。そこには、「救世」の言葉にふさわしく、慈愛に満ちた太子のイメージを読みとることができる。しかし、中世における太子信仰は、観音信仰のみで語り尽くせるものではない。多種多様な形で展開していた中世太子信仰の世界においては、時として、戦争を仕掛ける凶暴な太子の姿も描かれていた。本稿では、中世太子伝における太子の兵法伝受説の展開を端緒として、武人としての太子像の形成について検討し、更に、こうした太子像の広がりを示す一例として、滋賀県甲賀郡にある油日神社の縁起を取り上げる。
著者
横山 學
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.10, pp.63-69, 2004-10-10

江戸時代に「琉球」を意識する機会は限られた。生涯に二度か三度の好機に、庶民は琉球国使節の行列を見物し、噂し、琉球物刊行物を買い求めた。文人・識者たちは深い知識を求めて情報を交換し、著作を残し、これは近代の「沖縄観」に連続する。ハワイ大学宝玲文庫(約二〇〇〇冊)には、「琉球の世界」が蔵書の形で残されている。史料の存在そのものが、琉球への関心、琉球への認識の深さ、関わった人たちの相互の関係を教えている。
著者
坪井 秀人
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.4, pp.22-33, 1990-04-10

前回にひき続き伊藤比呂美『テリトリー論1』('87)について以下の二点を中心に考察した。第一は詩集中ほどに配された「コヨーテ」「悪いおっぱい」他に見られる母系世界とプレ農耕的な始原のイメージについて。「娘」に仮託されたそのカオスへの志向を、制度が刷り込んだ<起源>を相対化するものと捉えた。第二は引用の導入を契機に獲得したミニマリズムの方法について。そこでの言葉の意味のずらし・変容による論理の自由さがモラルからの自由と一体のものになっていることを示した。
著者
田中 貴子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.6, pp.1-11, 1991-06-10

網野善彦氏の『異形の王権』以降南北朝時代への関心が高まっているが、特に文観と立川流と呼ばれる真言密教の一派については、それぞれ邪教、妖僧として特別視される傾向があった。しかし、こうした文観像は、彼を非難するために[ダ]枳尼天法の行者の姿をモデルとして作り出されたものであり、その背後には[ダ]枳尼天法をめぐる「異類」と性の問題が存在している。本論は、『渓嵐拾葉集』の説話を通して、「異類」と性の力が中世王権の体制の中に組み込まれている様相を探るものである。
著者
平田 利晴
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.11, pp.23-32, 1985-11-10

萩原朔太郎と短歌の問題は、詩作品や詩論にくらべて論の対象となることが少なかった。それは稀有の口語自由詩人の側から資料的に扱うという我々の享受姿勢にも一因がある。そこで、『恋愛名歌集』の「新古今集」の部を可能のかぎりそれそのものとして検討することが先決の課題となる。<憂鬱>・<無為のアンニュイ>といった『青猫』系列の詩篇の詩想が朔太郎の新古今評釈には深く根ざしているが<技巧>と詩想とのめでたい芸術的一致を式子内親王の歌に見た彼は、『氷島』においてそれを我がものとすることができなかったと察せられる。
著者
松林 靖明
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.7, pp.56-64, 2006-07-10

戦国軍記の中に「日記」という名を持つ作品が相当数ある。また日記という名を持たない軍記の文中にも「日記」という語が時折見受けられる。戦場の日記はよく知られているが、戦国時代には城中日記というものもあったと考えられる。特に籠城あるいは落城という危機に見舞われた城中では日記が記された。その日記は落城の際に城外に持ち出されて、後に滅亡した一族の家の記として軍記が書かれるときに利用されたと思われる。本稿はその一面を明らかにしようと試みるとともに、波多野秀治一族の滅亡を描く『籾井家日記』を具体例として取り上げ、滅亡記を綴る作者たちの思いを考察した。
著者
田中 千晶
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.14-25, 2007-02-10

鈴木三重吉は、どのような<古事記>を参照して『古事記物語』を執筆したのか。発刊以来長期間に渡り広範囲の年齢層に受容され続けている『古事記物語』は、児童向け『古事記』に与えた影響を考えるとき享受史において重要な意味をもつ。本稿では、古事記研究と児童文学研究の狭間で特定が困難であった同書の参照本を、本文異同の手法、三重吉の周辺や当時の新聞広告を探ることで渋川玄耳(しぶかわげんじ)『三體(さんたい)古事記』と特定し、近現代における<古事記>享受と『古事記物語』研究の進展に繋げた。
著者
蝦名 翠
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.64, no.11, pp.78-81, 2015-11