著者
鳥羽 耕史
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.11, pp.14-26, 2010-11-10 (Released:2017-08-01)

一九六〇年代の小松左京は、SFやルポルタージュや評論によって、「日本」を探究したが、その結論は意外にも古き良き故郷であり、開発を望むものではなかった。『日本沈没』も田中角栄『日本列島改造論』への批判として書かれ、沈没する日本は古代に遡行したものとなっていた。この小説は現在に至るまでマンガ、ラジオドラマ、映画、テレビドラマなど、様々なメディア向けに脚色され続けているが、その流れを追っていくと、サブカルチャーを介した日本回帰という「J回帰」の特徴が出ていることがわかる。
著者
小二田 誠二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.38, no.8, pp.75-83, 1989-08-10 (Released:2017-08-01)

近世の仇討小説は厖大な量に上るが、"ワン・パターン″で面白みがなく、個々の趣向でしか評価できない、という見方が強い。しかし、量産された背景には、仇討小説の持つ本質的な魅力があった筈である。本稿では、実録等を材料として、趣向を捨象し、仇討小説の定型を抽出し、仇討小説が定型を保ちつつ史的な流れの中で、仇討とは別の副次的な主題を持って来たことを確認し、近世に於ける仇討小説の意味を考察した。

2 0 0 0 OA 万葉歌と神話

著者
井上 さやか
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.6, pp.56-59, 2014-06-10 (Released:2019-06-10)
著者
竹内 栄美子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.8, pp.60-71, 1991-08-10 (Released:2017-08-01)

敗戦直後、「批評の人間性」などに見られる中野重治の罵声には両義的な響きがこもっている。「五勺の酒」の校長が「精神のよろめき」と綴らざるを得なかった敗戦日本の有様を中野は嘆き、しかし嘆きのままには済ませずに我が身を駆り立てていった。返事の書かれずにしまった「五勺の酒」は校長の憐愍や悲憤の込められた往信のみのモノローグのようでありながら、自らを鞭打つ声として作家の内部でダイアローグを成立させている。
著者
和泉 司
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.11, pp.13-23, 2013-11-10 (Released:2018-11-10)

総合誌『改造』が〈戦前〉に実施していた『改造』懸賞創作と、その当選者たちの当時の〈文壇〉及び現在の日本近代文学史上における存在意義を問い直すことを目的として、その当選者の一人である芹沢光治良に注目した。芹沢の〈作家〉デビューから〈文壇〉における立場を確立させるまでの過程から、〈戦前〉における〈文学懸賞〉とその当選者である〈懸賞作家〉たちの状況を考察し、〈文学懸賞〉である『改造』懸賞創作が現在の〈文学賞〉の発展の基礎となったことを指摘し、その研究の重要性を訴えた。
著者
斎藤 英喜
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.54-65, 2015-05-10 (Released:2020-06-11)

戦死者の記憶を語る場所=靖国神社は、また神道や神社の歴史が刻み込まれた場所でもある。明治後期の宮司・賀茂百樹(かもももき)の「他の幾多の神社に異れる由緒と、特例」という主張を、近代の神社のあり方、中世神道から平田篤胤、近代出雲派の「幽事」の神話解釈史のなかに位置づけなおした。さらに柳田国男『先祖の話』、折口信夫の「招魂(しょうこん)の御儀を拝して」を読み解きながら、「戦死者」の記憶から発せられた宗教知の可能性と問題点を探った。
著者
姜 斗興
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.22, no.3, pp.1-15, 1973-03-01 (Released:2017-08-01)
被引用文献数
1
著者
大澤 真幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.20-32, 2007-03-10 (Released:2017-08-01)

かつてジャック・デリダは、形而上学における「音声言語中心主義」を批判した。だが、この批判は、日本語による思考には直接にはあてはまらない。日本語の思考は、文字(エクリチュール)に深く規定されているからである。このことは、日本語が、独特の書字体系、つまり「漢字かな混じり文」をもっていることと深く関連している。デリダは、彼が「脱構築」と名づけた強靱な思索を通じて、音声言語に対する文字の優越を何とか回復しようとしたのだが、日本語においては、こうした条件は、最初から整っていたのだ。この発表では、こうした特徴を有する日本語に基づく思考の「強さ」と「弱さ」について論ずる。また、この特徴が、日本社会の歴史的構造と相関していることを示す。さらに、議論は、この特徴が、明治以降の西洋文化の導入にどのように反響したかという問いへと移るだろう。この問いへの探究は、日本の思想、とりわけ日本の近代思想において、文学が中心的な影響力をもったのはなぜなのかということを解き明かすことにもなる。「近代文学(小説)の終焉」は、日本語にとって流行の盛衰以上のものだ。それは、日本語に基づく思考そのものの危機かもしれないからだ。
著者
勝亦 志織
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.65, no.5, pp.39-48, 2016-05-10 (Released:2021-05-31)

本論は『大和物語』における「歌語り」の記録の方法について考察したものである。各章段の採録には取捨選択がなされ、すでに広く流布していた話題は「記録しない」という方法があることを指摘した。そのうえで、歌物語(『大和物語』)・勅撰和歌集(『後撰和歌集』)・私家集(物語的私家集)という記録方法は違えど歌物語化した世界の総合的な再検討を促すものである。
著者
薦田 治子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.7, pp.33-43, 2007-07-10 (Released:2017-08-01)

日本の中世芸能のなかで大きな役割を果たした盲人音楽家には、「琵琶法師(座頭)」と「盲僧」の二種があったと考えられているようである。「盲僧」という用語は近世になって突然文献資料にあらわれる。現時点の研究が、中世の盲僧像を、盲人音楽家としてはやや特殊な状況にあった近世以降の盲僧の実態を手掛かりに、イメージしているのではないか、中世の盲僧とは何だったのか、という点を考察する。
著者
大塚 英志
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.25-35, 2010-04-10 (Released:2017-08-01)

例えばアニメーション作家。新海誠はまず、小説に似たことばを連ね、それを自分で「声」として朗読し、その上に映像絵コンテを重ねていく。そんなふうに「ことば」や「小説」から立ち上がっていくアニメーションがある。あるいは発表者(大塚)が思春期の若者たち、あるいは時に医師を介して臨床の現場で「書きかけの絵本」を渡し完成させるワークショップ。そこでは一人一人が古典的で懐しい「成長の物語」を自ら描くことでささやかな自己治癒を果たしているように思える。「文学」とかつて呼ばれたものを「制度」と批判してみたところで古い文学に涙する学生たちを幾人も見る。「文学」について何かを語り、そして「文学」に何かを取り込み右往左往し、終わりや変容や脱構築を語る場所とは別のところで、「文学」の役割もその作法もいくらでも引き受けている場所がある。あるいは引き受ける方法がある。ただ、それを「文学」と呼ぶことはもう必要ない。必要なのは文学の役割であり、そう呼ばれることをめぐっての他愛のない何かでは多分ない。
著者
山田 俊治
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.33, no.12, pp.40-51, 1984-12-10 (Released:2017-08-01)

作家が文壇という関係構造の内で認知される仕方には、作品それ自身のインパクトの他にも、様々な要因が考えられるであろう。この論稿では、有島武郎の文壇登場時の問題として、「平凡人の手紙」が引き起した論争を、当時の文学情況を踏まえ、文献を通して考察してみた。とりわけ、その論争が批評の方法をめぐる論議へと発展していく点に注目し、大正六年前後の批評観の諸相を点検して、批評が自立した営為として思考されるようになる過程の一端にも触れた。このことで、論争を有島の個人史から把握するのではなく、彼を受け入れた側の集団的な幻想の問題として措定できたのではないかと思う。
著者
能地 克宜
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.9, pp.43-52, 2007-09-10 (Released:2017-08-01)

室生犀星の小説「香爐を盗む」は、女性の嫉妬心による神経の異常が幻視・幻聴を来す様が描かれている。犀星が変態性欲作家と称されていた一九二一年前後、犀星は変態性欲だけでなく変態心理学全般に関心を寄せており、その関心がこの時期の小説を生み出していたのである。この時期の犀星の小説を支えていた感覚描写によって描かれた変態心理は、同時代や後の作家たちと比べて独自の、先駆的な感覚表現となっているのである。
著者
永井 聖剛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.67, no.6, pp.23-35, 2018-06-10 (Released:2023-07-01)

一般に、田山花袋文学におけるニーチェ思想の影響は、「美的生活論」(高山樗牛)を経由した「本能の満足」の主題化として認識されている。本稿が考察するのは、ニーチェの同時代読者としての花袋が、その弱者道徳批判(ルサンチマン)の思想をどう摂取し、小説作品に取り込んできたかである。そこで明らかになったのは、花袋がニーチェ思想を明らかに誤読し、そればかりか、〈自然〉の名のもとに、弱者を救済する反ニーチェ的な思想を構築していたことである。ただしそれは、花袋のオリジナルの思想というよりは、樗牛、蘆花らの同時代テクストとの相互関連性のなかで育まれたものであった。