著者
竹原 直通 Tadamichi TAKEHARA 九州歯科大学予防歯科学講座 Kyusyu Dental College Dpt. of Preventive Dentistry
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.25, no.4, pp.222-229, 2004-09-30

古代インドにおける地獄観の集大成ともいうべき仏教典,「正法念処経」に述べられた抜歯・抜舌の記載について検討した.その結果,古代インドの抜舌刑が晒刑=死刑の一種であった事,またその健康観=病気観は,三世にわたる因果応報理論に基づいていることについて考察した.
著者
日高 三郎 Saburo HIDAKA 福岡医療短期大学歯科衛生学科・草木社 Department of Dental Hygiene Fukuoka College of Health Sciences and SomokuSha
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.321-326, 2002-09-20

仏の三十二相とは健康,大身,柔軟という身体的特徴の羅列であるが,その表現するところは荒唐無稽・皮相浅薄であって,現代的にば受け入れ難い.しかしながら,32相のうち,歯,口,舌,味など7相は歯科医学に関連した事柄であるので,ここに歯科医学の特色があると考えられる.そこで,三十二相に関して法華経経文上と日蓮解釈との違いを比較した.日蓮の解釈ば経典上の記述を否定するものでなく,全的生命観に立ち還るものであった.この全体的・総合的生命は,歯科医学における「生命の部分観」を克服する方途を示唆すると考えられる.
著者
日高 三郎 Saburo HIDAKA 福岡医療短期大宇歯科衛生宇科・草木社 Department of Dental Hygiene Fukuoka College of Health Sciences SomokuSha Fukuoka
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.16-21, 2001-02-20
参考文献数
24
被引用文献数
1

古い伝承文献である法華経経典の中から歯科医学関連の単語として,歯,口,舌を含んだ語句を採り出しそれらの表現について検討した.歯,口,舌の語句は特徴的に三十二相・八十種好の中で釈尊の尊貴な姿を賛えるために使用されていた.一方,病的ないし不健康状態については歯の着色・形状・歯並び,口臭,舌の病気に関する表現が見られた.病的状態の原因について,仏法では善因善果,悪因悪果という因果応報で説明している.このことは現代人の考える病因論とは非常に異なっている.しかし,これら法華経中の歯,口,舌に関する表現の中には現代に通じるものがあり,われわれの健康・審美思想は法華経経典から強く影響を受けていると考えられた.
著者
長谷川 弥 Hisasi Hasegawa
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3, pp.195-196, 2010-04-01
著者
酒井 シヅ
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.39-44, 1975-05-24
著者
本間 邦則
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.12, no.4, pp.250-251, 1986-06-25

歯の硬組織の構成について,イギリスの比較解剖学者Richard Owen(1804〜1892)はつぎのように述べている.「歯の主要部を形成しているのをbone of toothまたはtooth-bone (歯骨)と呼んでいるが,それのかわりにdentine(象牙質)という用語を提案する.第2の組織としてCaementamといかれ,J.R. TenonによりCortex osseusと,またR. BlakeによりCrusta petrosaと名づけられているのをcement(セメント質)呼び,象牙質とセメント質との間に存在する第3の組織はEncaustum, Adamas,あるいはSubstantia vitreaなどと称されているが,enamel(エナメル質)とすべきである」.すなわちR. Owenにより1840(天保11)年に歯の硬組織はそれぞれ命名され統一されたものと思われる.そこで,これらの歯の硬組織の構成要素の名称の由来について考察してみたいと思う.
著者
森山 徳長
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.13, no.4, pp.183-188, 1987-08-25
被引用文献数
1

The present author surveyed the bibliography of the first English book on dentistry, i.e. Charles Allen's "The Operator for the Teeth", and its background, the gild of barber surgeons of York and undertook its Japanese translation. Hurlock's second book in England had been evaluated by the dental historians as the second English book devoted exclusively to the difficult dentition of infants, and was consequently the first book on pedodontics throughout the world. The source of reference to this book is very scarce. Only a short comment by Guerini and Weinberger were known to us, and nothing else. Therefore, the present author studied the facsimile edition of this rare treatise, and clarified in some detail the history of the study of the bibliography of this book as to the author, the description on the title page, references cited in this book, and the content of this rare volume. Further the history of "the lancing the gum" as a therapeutic measure for the difficult dentition in infants was briefly commented. As the present author reported, this problem had been treated by as ancient as Greco-Roman medical writers, however, Ambroise Pare wrote on this method first, and such authors as Walter Harris, Lorenz Heister and Hurlock's contemporary, Pierre Fauchard; and later, as well as Jourdain and John Hunter recommended "Lancing the gum" in case of difficult dentition. However, the opposition by Wichmann, and later Sterenberg terminated this controversy. The anodine necklace, which was in vogue in the 16th century as seen in the description of "Zene Artzney", was also discussed in Hurlock's work, and was commented briefly by the present author.
著者
丹羽 源男 岩上 智彦 佐藤 亨
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.65-71, 1998-04-20
参考文献数
8

歯科医師数の増加傾向ば急激であり,今後も増加し続けることが予想されている.歯科医師数を考える時,明治時代からの推移および背景を調べることは今後の歯科医師数を占う上で重要な参考になると思われる1884年(明治17年)〜1941年(昭和16年)まで歯科医籍に登録され届け出のあった歯科医師を対象に,男女別歯科医師数を求めた.その結果,全歯科医師数は大正時代に著しい増加が認められ,全体的な増加傾向は戦後のパターンと比較的類似しており,人口1万対歯科医師数も増加の一途であった.
著者
松本 実 田辺 明 栗山 美子 森山 徳長 石川 達也
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.18, no.4, pp.296-299, 1992-09-20
被引用文献数
1

日本の歯科医師団体の発祥は,東京における明治26年11月の『歯科医会』に端を発する.この会は次第に発展し,ついには現在の日本歯科医師会となる母体となった.本会が明治28年に,発行した小冊子『歯牙保護論』は,業権の確立と一般庶民への啓蒙を目的としている.明治初年に桐村,伊沢,高山らの先覚者が執筆した一連の歯科衛生啓蒙書のうち,歯科医師団体が発行した本書の書誌学と,歯科医会の志向していたところの詳細を本論文で解析した.
著者
平田 幹男
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.21, no.4, pp.205-211, 1997-03-25
参考文献数
19
被引用文献数
1

20世紀前半の傑出した歯科医の中心的人物だったシカゴのF.E. Roachは歯科補綴学の権威者として独創的な働きを補綴臨床のみならず,一般生活関連の道具にまで残している.発明家とも言える才覚を歯科補綴学,特に部分床義歯補綴の分野で遺憾なく発揮し,数多しくの貢献をもたらした.業績はポーセレンから,緩圧牲アタッチメント,ワイヤークラスプ,鋳造クラスプ,ワンピースキャスト義歯,鋳造器,歯科技工の各種インスツルメントにまで及ぶ極めて広範なものである.そしてRoachが最も強く意図したことは,補綴技術の"Standardization"と言うこととであり,質と量の両面に於て向上させることであった.非能率であった歯科医療,技工操作を近代化することを考えていたものと思われる.今回は,部分床義歯領域に於て多大の貢献をしたF.E. Roachの業績を中心に検証を進めてみた.