著者
森山 徳長
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.72-79, 1999-09-30

ゴールドラッシュ時代のカルフォルニア州のサンフランシスコに流れて来た歯科医エルメンドルフは,この繁栄の町で開業した.約一年弱の努力も空しく,彼はニューヨーク州北部の田舎町で開業している歯科医の父の後を継ぐため撤退した.その間日記を克明につけていたので,当時のサンフランシスコの市民生活と歯科開業の実態が,彼の日記という貴重な一次史料により手にとるようにわかる.米国は南北戦争の最中であり,リンカーン再選の選挙風景を含め原著者Malvin E. Ring氏の歯科医史学的解説を加えて紹介した.
著者
山口 秀紀 渋谷 鉱 谷津 三雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.27, no.3, pp.146-151, 2008-04-10

日本歯科医学会編「日本歯科医学会沿革概要」を参考資料とし,大正期における日本歯科医学会総会の内容について紹介した.本冊子は日本歯科医学会20周年記念祝典に配布された小冊子であり,明治33年に日本歯科医学会総会設立が議決された記述から始まり,大正11年第20年総会までの期間における史実が残されている.内容は主に歴代役職者および宿題報告担当者とそのテーマについて記載されており,明治41年から中断されていた宿題報告が大正2年から復活していることを知る.また日本医学会への加入についての記載からは,大正期における本邦における各歯科団体間の紛糾した状況を知ることが出来る.
著者
尾島 光栄 SHIMIZU Kenji Kenneth
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.84-90, 1995-12-25
被引用文献数
3

カナダは世界各地からの移民で大草原州の時代を迎え,Gold rushに動揺した西海岸地域の人口が動揺のはてに激減した.Montrealの巨星William George Beers (JSDH, 20 (3), Fig.2)が59歳で逝去した.Bishop's Collegeは教育効果と諸問題からMcGill, Lavalとして分離,Quebec Boardとの正式な教育に関する決議により再出発した.1902年の年次大会は多数の出席者で盛り上がりScientific programとBusiness sessionの2部門で強力に進められ,後者のsessionからは国家規模の2組織が誕生した.南アフリカ戦争にカナダから渡海,参戦し,2名の歯科医が派遣され,その後軍事歯科委員会が形成され初の歯科軍医の任命があった.1900〜1904年間に活躍した歯科貢献者等を第1〜6報に引き続いて紹介し,本間から引用した歯科・社会・文化史を参考に記載した.
著者
湯浅 高之 藤野 [ヨシ]男 手塚 裕文 斎藤 憲一 西村 好一 小林 一日出 飯渕 義久 植木 清二 荒井 照夫 百瀬 深志 西巻 明彦 屋代 正幸
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.136-141, 1991-05-25

そもそも神農は,約5000年前の古代中国の伝説上の医神で,別名を炎帝と尊称されている.神農は,百草をなめて薬草と毒草とを区別して人々に知らしめると共に,医学の経験をもって人々を救ったため,医薬の祖と仰がれている.神農はまた,人々に初めて農耕を教えたため農業の始祖ともいわれている.現在,東京都文京区湯島の湯島聖堂内に奉安されている神農像は,外観および像貌ともその性格をよくとどめている.このように神農が,医薬,農業の守り神として尊ばれているということは,食物と健康維持との密接な関係を示していると思われる.
著者
佐藤 泰彦 佐藤 禮
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, pp.235-242, 2006-10-25

石塚三郎が新潟県歯科医師会々長を辞し,衆議院議員に立候補し,初当選した頃から新潟県町村会々長が発行している月刊誌「臨治」の「文苑」欄に投稿した漢詩について詳解した.
著者
森山 徳長 亀谷 博昭 塩津 二郎 真木 吉信 奥田 克爾
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.262-265, 1992-05-20

野口清作が,血脇守之肋をたよって高山歯科医学院の学僕となった期間,およびその後医師免許を得て同学院講師となり,順天堂,伝染病研究所に昼間勤務した時代,また中国から帰国して,東京歯科医学院講師を数ケ月つとめたそれぞれの期間に,草創期の東京歯科大学機関誌歯科医学叢談と歯科学報に,S.N.生,湖柳生または実名で発表した論文は18編にのぼる.在来,そのうち数編しか記録されていなかった新知見である.本論文は,その全容を精査して解説した.