著者
正村 俊之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.254-272, 2005-09-30
被引用文献数
1

近代社会が成立して以来, 国家間相互依存というかたちで世界的相互依存が発展してきたが, 20世紀後半以降のグローバル化は, 国家間相互依存の深化としては捉えきれない面を含んでいる.現代のグローバル化を特徴づけているのは, (1) 国家を含む多元的な主体のネットワーク的関係, (2) グローバル化とローカル化の同時進展, (3) 機能分化の再編, (4) 情報化への依存である.本稿の目的は, このような特徴をもつグローバル化が社会の編成原理の転換に基づいていることを明らかにすることにある.その転換とは, 一言でいえば, 内部と外部を厳格に分離する「分割原理」から, 内部と外部の相互浸透を許す「入れ子原理」への移行を意味する.入れ子においては, 全体を構成する各要素にとって自己の外部に存在する全体が自己の内部に現れてくる.コンピュータ・ネットワークをインフラ的基盤にした現代社会では, ネットワークの要素そのものがネットワーク的関係をなすようなネットワーク的関係が形成されている.このようなネットワーク的関係がローカルな領域とグローバルな領域の双方において多元的に形成されることによって, 近代国家と機能分化のあり方に変化が生じてきている.
著者
山本 崇記
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.2-18, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
46
被引用文献数
2 2

本稿では, 京都市のスラム地域を事例に, 住民の主体形成の論理と構造を分析する. 京都市のスラム地域は被差別部落と隣接し, 同和行政を通じて空間的に分断されてきた. この分断は, 在日朝鮮人集住地域であるスラムと, 被差別部落民を中心とする同和地区との間に, 在日と部落という対立構図を作る. しかし, スラムには被差別部落出身者が流入し, 在日と部落が混住するなかから共同性が育まれ, 繰り返し住民の主体形成が行われてきた. このような実態は, スラムと同和地区の分断のなかにひそむ人や施策の横断の実態をみない旧来の差別論や社会政策論に欠落している点である. 本稿では, スラム地域における住民の主体形成における立脚点と選択する組織形態の関係性を検討し, 住民の力が発揮される主体の再編・結合条件を明らかにする. 結論的にいえば, 流動性の高いスラム地域において, 住民の立脚点となってきたのは, 部落と在日を共約化しうる住民という共通項であり, 属性と地域への差別に抗う指向性にある. これらに立脚しながら, リジッドな地縁組織である自治会・町内会, 柔軟でフラットな青年組織, 社会事業を通じて両者を媒介するキリスト者が, 複層的な関係を形成し, 行政との緊張・対立を通じて, スラム改善の実施と地域社会の自立性を維持してきたのである.
著者
末森 明夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.411-428, 2020 (Released:2021-12-31)
参考文献数
56
被引用文献数
1

本稿はアクターネットワーク論および存在様態論を基盤とする非近代主義を援用し,徳川時代より大正時代に至る史料にみる日本聾唖教育言説の変遷の追跡を通して,明治時代における日本聾唖教育制度の欧米化という事象を相対化し,徳川時代と明治時代の間における日本聾唖教育言説の連続性を前景化し,日本聾唖教育史に新たな地平を築くことを眼目とした.具体的には,徳川時代の史料にみる唖ないし仕形(=手話)に関連する記述を分析し,唖の周囲に配置された唖教育に携わる人たち(=人間的要素)や庶民教化政策,手習塾,徒弟制度(=非人間的要素)が異種混淆的に関係性を構築し,唖が諸要素との関係性の下に実在化していく様相を明らかにした.また,仕形を唖の周囲に配置された人間的要素および非人間的要素の動態的関係性として把握し,聾文化論にみる「聞こえない身体」と「手話を使う身体」の不可分的関係性は,「聞こえない身体」と「手話を使う身体」の関係性が一時的に一義的関係性を伴う仲介項に変化し外在化(=純化)したものであることを明らかにした.さらに,徳川時代の日本社会において,唖や仕形をはじめとする諸要素の関係性が変化し続け,明治時代を経て現在の聾文化論が内包する諸問題にもつながっていることを明らかにし,非近代主義に則った日本聾唖教育史の再布置をはかった.
著者
橋爪 大三郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.347-354, 1992-12-31 (Released:2009-09-16)
参考文献数
3

戦後日本の理論社会学シーンを、文字通りリードしてきた一人である吉田民人氏が、まとまった著作をこれまで公刊していなかったのは意外である。そんな吉田氏の論集が、一九九〇年から翌年にかけて、相次いで出版された。これで、吉田氏の主要な論文ほぼすべてを誰もが容易に読めることになり、学界の財産となったことを大いに喜びたい。吉田民人氏が学界内でどれほど大きな地位を占めているかについて、いまさら私がのべるまでもない。ここではまず、今回まとまったかたちで読めるようになった氏の著作これを便宜上、三部作とよぶことにする-をひととおり概観しよう。そのうえで、その論理構成に即して、主だった論点について私の見解をのべることにしたい。これは、吉田氏の全業績 (しばしば「吉田理論」とよばれている) を評価するという作業に似てくるかもしれないが、そうした評価は後世の人びとにゆだねるべきことだ。私はただ、同時代の研究者としての吉田氏に対し、率直に自分の疑問をいくつか尋ねたいだけである。
著者
駒井 洋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.188-203, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
38
被引用文献数
1

本稿は, 日本に滞在する外国人移民を対象とする1980年代後半以降の主要な社会学的実証研究が, 日本の移民政策にたいしてどのような貢献をしたか, あるいはできなかったかを検討することを課題とする.日本の移民政策は, 1990年に改定施行された「出入国管理および難民認定法」により基本的方向が定められたので, 「90年体制」と呼ばれることが多い. この体制のもとでは, 移民管理政策ばかりがひとり歩きし, 包括的な移民統合政策はほとんど存在していない.90年体制は, 日系人と研修生・技能実習生を労働力として活用する道を開いた. また, いわゆる「単純労働者」は受けいれないとしたため, 非正規に滞在する外国人労働者が激増した. このような状況に対応して, 移民の社会学的研究の関心が向けられた主要な領域は, 外国人労働者の就労と生活, 移民の集住と地域社会研究, 移民のエスニック集団ごとの個別的適応様態, 移民第2世代の教育問題, 移民にたいする政治的権利の付与という5つに集約することができる.移民の社会学的研究あるいは研究者による, 非正規滞在者の部分的救済や地域的対応ないし自治体の外国人政策にたいする積極的寄与などの貢献はあった. しかしながら, 包括的な移民統合政策への道をどのように打開するかという社会学者の展望はほとんど開けていない.
著者
岡沢 亮
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.540-556, 2022 (Released:2023-03-31)
参考文献数
31

本稿の目的は,テクストデータを用いるエスノメソドロジーの方針と取り組むべき課題をめぐる方法論的議論を進展させることである.まずテクストのエスノメソドロジーの基本方針が,テクストを社会現象の表象として扱うのではなく,テクストにおいていかなる活動がいかなる概念連関に依拠して行われているのかを分析することだと述べる.次に,テクストを分析する際の資源としての受け手の反応(の不在)をめぐり会話分析から寄せられた批判に応答し,テクストの分析可能性を擁護する.その上で,Goffman の参与枠組のアイデアとそれに対する会話分析の批判的検討を参照し,書き手と読み手がテクストをめぐる参与枠組を形成する方法を解明することが興味深い課題になると論じる.またその課題に取り組むにあたり,テクストを書く/読む実践の制約かつ資源となるインターフェイスへの着目の重要性を主張する.以上を踏まえ,ウェブ上の映画作品レビューとそれに付されたコメントの具体的分析を行うことにより,テクストの参与枠組を形成する方法の分析が当のテクストの活動としての理解可能性の解明に資すること,そしてその分析においてテクストを書く/読む際のインターフェイスへの着目が有効であることを例証する.最後に,本稿の議論がエスノメソドロジーと会話分析の関係の再考や,テクストデータを用いる社会学一般をめぐる方法論的議論に寄与することを示唆する.
著者
桜井 厚
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.481-499, 2010-03-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
24

本稿のテーマは,ライフストーリーがもつ時間と空間の基本的な枠組みを示すことである.語りの古典的モデルは,標準時間にもとづくクロノロジー的編成と語りが直接リアリティを指示しているという考え方にたっていた.それに対して,P. Ricoeurは語りの結末からの筋立てによるストーリーの時間のW及的特質を指摘した.これらは語りの時間の近代的秩序を表している.また,語りにはさまざまな社会的空間に応じたモードがある.それらは「制度的モード」「集合的モード」「パーソナル・モード」であって,語りの空間的枠組みを表している.ところが,こうしたライフストーリーの時空間の枠組みにあてはまらない〈中断された語り〉や〈ストーリーのない語り〉などの脱近代に特徴的な語りが登場してきている.ライフストーリー・インタビューにおいては,どのようなモードの語りであるかに注意を払いながら,インタビューにおける相互行為をリフレクシブ(reflexive)にとらえ返すことで脱近代に特徴的な語りを聞くことが求められている.
著者
青山 薫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.215-232, 2020 (Released:2021-09-30)
参考文献数
43

「セックスワーク研究」は,売春にかんする議論の歴史とセックスワーカー権利運動の影響を受け,2000 年代に名付けられた比較的新しい研究分野である.それは,マイノリティ当事者の立場に立ってグローバルな格差の是正をめざすプラクシスでもある.本稿は,セックスワーク研究に共鳴する筆者の経験にもとづき,この分野の方法として必要不可欠な当事者参加行動調査(Tojisha Participatory Action Research)の重要性と困難およびジレンマについて考察する.ジレンマは,周縁化された当事者が主体となって,その現状とこれを生み出す構造を変える目的をもつ参加行動調査において,主体と主題が周縁化されているまさにそのために目的を達成することが難しいという,マイノリティ運動や研究につきもののジレンマである.具体的課題として,当事者と職業研究者の避けがたく不平等な関係と,その関係のなかで研究調査に参加する当事者が「同意」することの複雑さについて,本稿は議論する.そして最終的には,これらの困難を対象化し克服しようとすること自体がこの方法の可能性であることを指摘し,その意義を再確認する.当事者参加行動調査は,研究倫理にかんする議論を深め,研究制度やその運用の具体的改善案を提示し,これらを通じて,足元から少しずつ変化を起こしうる研究方法なのである.
著者
安田 三郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.19, no.4, pp.21-40,104, 1969-03-30 (Released:2010-02-05)
参考文献数
59

The Meiji Restoration in 1868 emancipated Japan from feudal estate system. It is well known that the new Meiji government endevored to dissolve the discrimination based on feudal estate system and more than ninety percent of the total population was made to be equal, social as well as legally, although not economically, within a relatively short time. However, our nation-wide sample survey of 1965, which offers us for the first time after 1904 figures concerning to population distribution of Samurai descendants and commoners, revealed that substantial difference between Samurai descendants and commoners still exists. The proportion of Samurai descendants occupying the higher position in occupation, education, and income is larger than that of commoners, although the differences are smaller in the present generation than in the preceding ones. Why does social superiority, although not outstanding, of Samurai descendants still exist after one handred years since legal discrimination was abolished ? The answer would be divided into two parts. The first part of my answer is that any revolutionary social change cannot entirely destory the old social class structure immediately, and this might be applied to the Meiji Restoration. Let us assume that intergenerational mobility makes a Markov chain with two stages, high and low statuses : and that the above transition probability matrix P works commonly in Samurai descendants and in commoners after modern revolution like the Meiji Restoration. It is demonstrated according to the property of the regular Markov chain that if the proportion of an estate occupying the higher position is larger than that of the other estates in the initial stage of a Markov chain, the difference does not vanish within a few stages, although it reaches null after enough many stages.The second part of the answer is that the transition probability matrix P is not common in Samurai descendants and in commoners, but the matrix is more advantageous for Samurai descendants than for commoners. Our sample survey conducted in 1964 in Tokyo revealed percentages of mobility-oriented responses to various kinds of attitude questions and scales by the distinction of Samurai descendants and commoners, taking account of the influence from present occupation. One can say through sign test that Samurai descendants are statistically significantly more mobility-oriented than commoners.
著者
小室 直樹
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.22-38, 1967-12-01 (Released:2009-11-11)

The purpose of this paper is to present a theoretical reformulation of the structural functional analysis.One of the most tragic of this representative analysis in sociology lies in its imcompleteness in logical construction. From this imcompleteness come many confusion of thinking. So I do a trial for reformulation as follws : I. I give working definitions to the fundamental terms of this analysis after examing some of the usages.II. I discuss the fundamental theoretical issues of this analysis. This analysis contains many methodological problems that should be solved before it can claim the credit for a scientific method. These polemic issues are, in my opinion, as follows ;(1) Is it a tautology? (Tautological Trap) (2) How to operationalize this analysis? (Operational Trap) (3) How to find to a criterion to measure the extent and the level of a function? (Criterion Trap) (4) Is it a teleology? (Teleological Trap) (5) Can this analysis be used for the analysis of conflict in society? (Conflict Trap) (6) Can this analysis be used for the analysis of dynamical change of society? (Dynamical Trap) III. After examining these polemic issues, I give a theoretical model of my own to make this analysis a specified tool for social research. I postulate three working axioms and construct upon them main principles of this analysis, among which the duality plinciples and the mechanism of double adjustment play the major part.
著者
河野 静香
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.654-670, 2021 (Released:2022-03-31)
参考文献数
13

Self-Starvation(以下SS と略記)は今日の日本では摂食障害の名で知られているが,こうした理解が広まったのは比較的最近のことである.だがそれ以前の日本でSS が知られていなかったかといえば,そうではない.本稿は摂食障害として知られる以前の日本におけるSS の意味理解,〈摂食障害〉の生成,その後の展開を記述する. 分析対象は1872~2018 年の新聞記事のうち,見出しあるいは本文にSS と関連する語句を含む記事である.テキストマイニングと内容分析による記事の計量的な分析から,日本におけるSS の意味理解の変遷を次のように要約できる. 19 世紀後半,SS は宗教的目的による断食,政治的目的によるハンガーストライキ,厭世による断食自殺など多様な意味で理解された.20 世紀半ば,SSは医療者から様々な病名で,精神的な病気として言及された.1980 年代以降,SS は医療者,教育関係者,フェミニストカウンセラーによって心の問題として理解され,拒食症として言及され始めた.このときSS は心の問題であると同時に社会の問題としても捉えられ,医療をはじめ公的,非公的諸機関の連携が求められた.2000 年代以降は福祉を中心に,SS は摂食障害の名で,嗜癖(addiction)として理解され始めている.現代日本でSS は心の問題であると同時に習慣化した行動パターンの問題と解され始め,新たな支援のあり方が模索されている.
著者
前田 拓也
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.456-475, 2006-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
26
被引用文献数
4 1

1970年代以降, 「新しい社会運動」の一部として実践されてきた日本の障害者運動と, その成果を積極的に織り込んでいこうとする「障害学」の中て目指されてきたことは, 「障害/健常」の差異の相対化であり, また, 健常者に対し, 特権的な立場の相対化を迫ることであった.本稿で焦点を当てるのは, そうした潮流の最も重要な成果の1つである障害者の「自立生活」と, その中で最も身近な健常者として介助者を措定した上で用いられる「介助者=手足」というテーゼである.「自立生活」を志向する障害者が, 「感情の交流」を介助の本質とする健常者のフレームに距離を取り, 介助者の存在を匿名性のうちに留めておこうとしたこのテーゼの意義はいまだ有効である.しかし同時に, 介助者を手段として使うことで「できないこと」を「できる」ようにするという介助の技法のうちには, 「障害者の自己決定」に対する介助者という他者の介入が構造的にはらまれているのてある.本稿では, 筆者自身の介助現場への参与観察から得た知見をもとに, 介助者の存在を透明化することの不可能性を論じることを通じて, 「健常者/障害者」関係と「介助者/利用者」関係という, しばしは同一視されがちな2項軸の相違を指摘する.また, その指摘によって, ともすると「介助」を巡る議論に埋もれがちてあった「介助者のリアリティ」を前景化して論じる意義を示すことを目的とする.
著者
藤田 結子 額賀 美紗子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.151-168, 2021 (Released:2022-09-30)
参考文献数
32
被引用文献数
1

本稿は,女性の社会進出と女性の階層化が同時に進む中,育児期に就業する女性は,食事に関わる家事が自分に偏る状況をどう意味づけているのか,「手作り規範」に注目して考察することを目的とする.リサーチクエスチョンとして,(1)「育児期に就業している女性は,食事の用意にどのような役割を見出しているのか」,(2)「手作り規範への態度は,就業形態,職業,学歴,世帯収入によって女性の間でどのような差異がみられるのか」を設定し,インタビューと参与観察,および写真撮影を調査方法に採用し,データを分析した. 調査の結果,第1の問いに関して,本調査の女性たちは「子ども中心主義」から食事の用意に母親役割を見出していることが明らかになった.第2の問いに関しては,就業形態や職業との関わりがみられた.つまり,母親役割の延長として働く非正規女性は「手作り=愛情」に肯定的な傾向がある一方で,正規フルタイムや準専門職の女性に手作り規範を批判的に捉える事例が複数みられた.また,世帯収入が高い者はサービスや商品を購入して時間を節約するなど,世帯収入によって対処戦略に異なるパターンがみられた.要するに,手作り規範の相対化にも,その対処戦略にも階層差が見出されたのである. 女性活躍推進と女性の階層化によって,階層の高いキャリア女性の間では手作り規範が弱まっても,非正規雇用やひとり親の女性は負担が重いままとなる可能性が示唆された.
著者
竹村 和子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.172-188, 2004-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
30

本論は, 本質主義と構築主義の二項対立を脱構築し, 現在の性制度に政治的介入をする可能性を探ろうとしたものである.社会構築主義は社会を本質化する傾向があるという前提のもとに, 本質主義そのものを従来の捉え方から置換しようとする動きが最近見られることを, まず指摘する.次に, マルクス主義的な文学批評家のガヤトリ・スピヴァックと, 精神分析的な政治学者のドゥルシア・コーネルによる, リュス・イリガライ再読に焦点を当てる.脱構築的視点をもつ両者は, 本質主義的と言われてきたイリガライの著作の文学性に着目し, 生物学的身体に還元しない〈女性的なもの〉を示す修辞が, 政治的介入をもたらす変革的契機となると主張する.この性的差異の「再=形象化」は, ふたたび解剖学的還元主義に立ち戻るリスクを背負うものの, またコーネルによるスピヴァック批判はあるものの, 近年のグローバル化によってさらに巧妙に沈黙化させられている女の状況に迫ろうとする試みではある.しかし, 行為遂行性を主軸に性的差異の「脱=形象化」を試みる構築主義者と同様に, この立場は, 修辞的介入そのものが孕む現実的な暴力性を看過しがちである.結論として, 暴力が自己形成における欲望のシナリオのなかに所与のものとして刻まれ, またそれが外的な性配置のなかに相変わらず自然化されて投影される痕跡を分析することの必要性を強調している.
著者
稲葉 昭英
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.69-84, 2002-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20
被引用文献数
4 4

社会的属性とディストレス (抑うつ) の関連, および婚姻上の地位とディストレスとの関連を全国確率標本データから検討した.分析の結果, 若年層, 女性, 無配偶者, 低所得者にディストレスが高い傾向が示され, さらに配偶者の有無は男性のディストレスと大きく関連していた.婚姻上の地位をさらに細分化した分析では, 男性は無配偶者一般に高いディストレスが示されるのに対して, 女性の未婚者のディストレスは総じて低かった.また, 離別経験者を対象にした分析の結果, 男性の再婚者のディストレスが低いのに対して, 女性の再婚者はきわめて高いディストレスを経験していた.全般的には結婚は男性に大きな心理的メリットをもたらしていたが, 女性においてこの傾向は小さかった.この差異は女性によるケアの提供という社会的な性別役割分業によって生じているものと解釈された.