著者
籠谷 和弘
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.584-599, 1999-03-30 (Released:2010-11-19)
参考文献数
21
被引用文献数
1 1

うわさに対する否定行動は, 多くの場合望ましい成果をもたらさない。逆に否定そのものが原因で, 陰謀論との結びつきなど, うわさの背後にある「物語」の強化が起こることがある。本研究ではこの問題に取り組むために, 「不完備情報ゲーム」を用いた数理モデル分析を行う。まずうわさの伝播に影響を与える要素について検討し, 三要因 (不確実性, 心理的緊張, うわさへの信用度) を取り出す。次に伝播行動に対するうわさを信じる者の利得について, その二側面, 「選好」と「大きさ」を考え, その意味を考察する。そしてこれら三要因と利得の二側面とを考慮に入れた数理モデルを構築し, 分析を行う。その結果, うわさの否定が功を奏するための, いくつかの条件が導出される。ほとんどは自明なものであるが, 一つの興味深い条件が存在することが明らかになった。これはうわさを信じる者にとっての, ゲームの価値に関するものである。その内容は, うわさが虚偽である (否定が正しい) ときに, うわさを伝えることから被るリスクが大きい, というものである。これに対し, うわさが本当であるときに問題の重要性が高い場合, 人々はうわさを伝え続ける。これはうわさが, 陰謀論と結びつきやすいことを説明するものである。
著者
安藤 丈将
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.239-254, 2014 (Released:2015-09-30)
参考文献数
35

本稿では, ラ・ビア・カンペシーナ (LVC) を中心とする小農民の運動について考察する. LVCは, 現在のグローバル政治の中で影響力をもつ行為者であるが, いかなるフレームが農民をエンパワーさせ, さまざまな人びとを連帯させているのだろうか.LVCのフレームの特徴は, 第1に, 貧しく, 弱く, 時代遅れと見なされていた小農が, 貧困と排除なき未来を切り開く存在として読み替えられていることにある. このフレームは, 「北」と「南」を横断するかたちでアグリビジネスの支配にあらがう政治的主体を定めることを可能にした.第2に, 小農の争いの中心が文化に置かれていることにある. 「食料主権」というスローガンのもと, 小農が自己の経済的利益だけでなく, 食べ物に関する自己統治を問題にする存在という位置づけを与えられているため, 労働者や消費者も含めた広い支持の獲得が可能になっている.第3に, 小農が知識を分かち合うということである. これは企業による知識の独占とは対極に位置づけられ, 小農は小規模であるがゆえに共存共栄できるという信念を作り出し, 相互の連帯を促進している.最後は, 小農は路上だけでなく, 農場でも抵抗することにある. 少ない資源を有効に利用し, 市場との関わりを限定的にしながら, 自らの労動力を使って生産する. LVCの運動の主体は, この方法を実践している組織された農村の専業農家だけでなく都市の半農を含み, 多様な生産者の層にまで広がっている.
著者
芦川 晋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.102-117, 2017 (Released:2018-06-30)
参考文献数
26
被引用文献数
1

本稿の目的は, 現代社会を踏まえて社会構築主義が提示する「物語的な自己論」を吟味し, より実態に即した「物語的な自己論」の展開可能性を模索することにある. そのために, まず, シカゴ学派にはじまるアメリカ社会学における自己論の洗練過程を, G. H. ミード/H. ブルーマー (象徴的相互作用論), H. ベッカー (レイベリング理論), E. ゴッフマン (対面的相互作用論) の順で検討をする.その結果, まだこれらの議論には十分使い出があることが分かる. ミード/ブルーマーの他者の役割取得論は習慣形成論でもあった. レイベリング論になると, 役割に代わって「人格」概念が重視され, 習慣より「経歴」が問題になる. ゴッフマンの議論では, 相互行為過程における「人格」概念のもつ意義がより突き詰められ, 「経歴」や「生活誌」という概念を用いてパーソナル・アイデンティティを主題化し, すでに簡単な自己物語論を展開していた.ところが, J. グブリアムとJ. ホルスタインは自らが物語的な自己論を展開するにあたって, わざわざ振り返った前史の意義をまともに評価できていない. そのもっとも顕著な例は「自己」と「パーソナル・アイデンティティ」を区別できない点にある.そこで本稿では前史を踏まえたうえで, ゴッフマンのアイデアを継承するかたちで自己物語の記述を試みてきたM. H. グッディンの議論をも参照して, より精緻で現実に即した自己物語論の展開を試みる.
著者
佐藤 純一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.321-337, 2010-12-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
12
被引用文献数
1

日本の社会学にとって,医学は,「周辺領域」であり続けている.なぜ,医学領域は社会学にとって周辺であり続けてきたのか.どのようにしたら,社会学は医学に関与できるのか.その周辺に社会学(社会学者)が進出できるのか.本稿は,医学部において,社会学教員として社会学を教えてきた経験をもつ筆者が,その経験から,これらの論点を議論することを目的とする.本稿の議論で指摘する第1点は,日本の医学部の医学の生物医学(biomedicine)偏重性である.疾病普遍概念を核にもつ生物医学パラダイムと,病気の社会的構築を論ずる社会学主義の対立は,非和解的なのか,社会学が屈服・妥協するのか,排除されるのか.指摘する第2点は医学教育の「特殊性」である.日本の医学教育は,システムから教育内容(カリキュラムから教授方法まで)も,国家によって制度化されている.生物医学ドミナントで制度化された「医学教育コア・カリキュラム」体制の中で,社会学,また社会学者は,どのように振る舞えるのか.第3点として指摘するのは,医学部に支配的な「医師至上主義(イデオロギー)」である.「医学部では,医師でなければ人でない」と他学部出身者にいわしめるほどの,「すべての行為における医師至上主義」に,社会学者はどのように対峙し,医学帝国に参入し,医学部で社会学(教育)できるのであろうか.
著者
湯浅 陽一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.242-259, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
17

政策の形成によって解決されるべき課題として「負担の分配」を取り上げ, 社会学がいかなるかたちで貢献できるのかを論じる. 負担は, 利得の発生に不可避的に付随して生じるものであり, いずれかの主体が何らかのかたちで引き受ける (=分配される) ことによって処理されなければならない. 分配にあたっては, 公平さと, それを担保するためのルールが公正な手続きによって形成されることが重要となる. 公正なルール形成をめぐる討論は, 社会システムの影響を受ける. 本稿では, 受益圏・受苦圏, 経営システム・支配システム, 公共圏・アリーナ, 合理性・道理性の諸概念を用いながら, 整備新幹線建設, 旧国鉄債務処理, 高レベル放射性廃棄物処理問題の各事例でのルール形成を分析した. その結果, 経営システムと支配システムの逆連動による負担の転嫁について, 「溶かし込み」や「転換」といった型が見られること, 公共圏の設計図が明確でないこと, 地方財政制度が2つのシステムの逆連動に促進的に作用していることなどが明らかとなった. さらに現在では, われわれ自身が負担を先送りされた将来世代になりつつあり, 受益と受苦の関係から公平な負担分配を考えることが困難な「負の遺産」の処理に直面していることも指摘した. これらの課題は, 社会学的な知見に基づきながら, より強固な公共圏を構築することで対処されなければならない.
著者
赤枝 香奈子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.129-146, 2005-06-30

同性間の親密な関係は, しばしば「同性愛/友情」という二項対立的な図式によって解釈される.しかし女性同士の親密性については, 従来, その分類が曖昧であるとされ, 同性愛と友情が連続的であるのみならず, 母性愛とも連続性をもつものとみなされてきた.<BR>公的領域と私的領域の分離に基づく近代社会において, 親密性は私的領域に属する事柄とされる.そして性・愛・結婚を三位一体とする「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」によって, 私的領域は形成されてきたと言われる.しかし, 母性愛と女性同士の友情や愛情は, 必ずしも親和的ではなかった.それはロマンティック・ラブの核心に位置するとされる, 生殖から解放された「自由に塑型できるセクシュアリティ」 (A.ギデンズ) を志向するかどうかという違いに端的に表される.近代日本の女学校において見られた女性同士の親密な関係は, しばしば「安全な」友情か「危険な」同性愛に分断され論じられてきたが, 現在から振り返った場合, 彼女たちの親密な関係は, まさしくロマンティック・ラブの実践であったといえる.そのような親密性は, 女学校において実践される限りは, 健全な成長の一段階としてみなされたが, ひとたび女学校の外へ出ると, 「異常」のレッテルを貼られ, 「母」とは対照的に位置づけられ, スティグマ化された独身女性の表象である「老嬢」と結びつけられ, 貶められた.
著者
荻野 達史
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.311-329, 2006-09-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
51
被引用文献数
4

「社会運動の今日的可能性」を探るために, 後期近代における「個人化」の趨勢に注意を向けた場合, 2つの問いが導かれる. (1) 個人化の状況は, 理論的にみて, いかなる社会的運動を要請しているのか (2) 経験的には, その要請に見合う運動が展開されているのか本稿はこれらの問いに答える試みである.第1の問いに対しては, 個人化に関する議論に, Honneth (1992=2003) の承認論を合わせて検討することで, Cornell (1998=2001) のいう「イマシナリーな領域」への取り組みが求められることを導き出す.すなわち, 自己アイデンティティの構築に重い負荷をかける個人化状況は, ときに著しく損壊した自己信頼の再構築と, 志向性としての「自己」を「再想像」するための時空間を創出する取り組みを要請するこの課題は, Giddens (1991=2005) のライフ・ポリティクスの議論でも十分に意識化されていないため, 本稿では “メタライフポリティクス” として定位した.第2の問いに対しては, 1980~90 年代以降に注目を集めるようになった「不登校」「ひきこもり」「ニート」といった「新たな社会問題群」に取り組んできた民間活動に照準した.とくにそれらの活動が構築してきた「居場所」の果たしている機能とそのための方法論を検討し, 理論的課題との整合性を確認した.また, 同時に運動研究史上の位置づけを明確にした
著者
三原 武司
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.364-378, 2015 (Released:2017-03-08)
参考文献数
86

本稿は, アンソニー・ギデンズの社会理論における行為の再帰的モニタリングを, 認知と文化の共進化理論ならびに最近の神経科学の成果を導入することで, 理論的に再構成することを企図している. はじめに, 現生人類以前からつづく認知と文化の歴史を, 遺伝子-文化共進化理論の学説とともに概観する. つぎに, 再帰性と社会類型の議論を確認する. 認知と文化の歴史で重視される要素は, 模倣・口承・識字である. ギデンズ社会理論では, 文字の出現前後で再帰性の類型を区別する. しかし, その移行期になにがおきたのかは十分に説明されていない. そこで文字が出現する前後の類型を, いわゆる大分水嶺理論を援用し整理したうえで, 双方に神経科学的な基礎づけをおこなった. 結果, 模倣と口承という原初的な再帰性の神経科学的メカニズムの1つとして, ミラーニューロンが浮上した. 他方, 文字の出現以降は, ニューロンのリサイクリングとよばれる識字による脳神経の再編成が, 再帰性の作動変更の神経科学的な根拠となることがわかった. 以上をギデンズ社会理論に導入した結果, 識字以後の類型である伝統的文化とモダニティの非連続性は相対化された. さいごに, 識字化の帰結について論点を確認した. 現在われわれは, 識字による脳神経の再編成と再帰性の進化がはじめて人類社会を覆いつくし, さらには選択圧をみずから再帰的に変更可能とする歴史段階を経験している.

6 0 0 0 OA 社会学と文学

著者
井上 俊
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.2-14, 2008-06-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
29
著者
奥村 隆
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.486-503, 2002-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20
被引用文献数
1

「社会」というリアリティが喪失している, という.では, いかなる状況において「社会」はリアルに経験されるのだろうか.そのひとつは, いわば「社会を剥ぎ取られた地点」を経験・想像することを通してであるように思われる.この地点から「社会」を認識・構想することを, これまで多くの論者が行ってきた.われわれは, この地点をどう想像できるだろう.そこから「社会」はどのように認識されるのだろう.本稿は, ルソー, ゴフマン, アーレントという3人の論者がそれぞれに描いた「社会を剥ぎ取られた地点」と「社会」への認識を辿るノートである.そこでは, 人と人とのあいだに介在する夾雑物を剥ぎ取った「無媒介性」とも呼ぶべきコミュニケーションに対する, 異なる態度が考察の中心となる.このコミュニケーションを希求しそこから「社会」を批判する態度を出発点としながら, 「同じさ」と「違い」を持つ複数の人間たちが「社会」をどう作るかという課題への対照的な構想を, 本稿は描き出すことになるだろう.
著者
内藤 莞爾
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.83-104,117, 1968-07-01 (Released:2009-10-20)

In 1641, Nagasaki was officially recognized as the only trade port in Japan. But actually the port was already opened in 1579, and the city formation had also been taking place since then. Meanwhile, there had been many thousands of martyrs and exiles among citizens as well as among foreign missionaries in consequence of the persecution to Christianity. Kyushu University owns the old census registers called “Ninbetsucho” of Hirado-cho in Nagasaki, some of which, in perfect preservation, are taken up as the data in this paper. Besed on them, I intend to examine the dynamic movements of family in those days. This study covers 29 years, from 1634 (K an-ei 11) to 1659 (Manji 1), during which the war of Amakusa broke out and the trade monopolization mention above took place. Some of our findings are as follows. Dividing the population into houseowners (Ie-mochi) and tenants as done in the census, we can observe that the former group contained a considerable number of large households. But houseowners at that time generally kept many domestics or servants other than normal family member of servants was almost as many as the other. So if we exclude them from the household members, the number of normal member of both types does not differ very much. Moreover, considering the relationship between normal members, many of them were in- or un- complete families. It is considered so far that ambitious people who gathered there from many parts of the country were stimulated by the rapid urbanization in Nagasaki. We tried to analize these mobile circumstances appeared in the family register of 1642, which alone had the “descriptive” style just suiting our purpose. According to this, people born in the city were less than half, and more than 80 % of their fathers were immigrants. As for sex distinction, the in-moving mobility rate of males was higer than that of females. We can confirm that they married native-born females in Nagasaki after moving into the city. In short, families in those days, in our impression, were the units of«laboring»rather than«living».To add the effects of the trade fluctuations to these, therefore, family continuity was very low in general. There were little cases of creation of branch families, too. On the other hand, the residential mobility after moving into the city was fairly high. An example illustrating such a mobility at that time was the case of converts, so called «Korobi». For instance, in 1634«Korobi»amounted to 60% of the population, which in 1659 decreased to 18% including the dead. Through the analysis of family dynamics, the image of early Nagasaki as a growing «Western City»could clearly be seen.
著者
樋口 耕一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.334-350, 2017
被引用文献数
15

<p>筆者はテキスト型 (文章型) データの分析方法「計量テキスト分析」を提案し, その方法を実現するためのフリーソフトウェア「KH Coder」を開発・公開してきた. 現在ではKH Coderを利用した応用研究が徐々に蓄積されつつあるように見受けられる. したがって現在は, ただ応用研究を増やすのではなく, KH Coderがいっそう上手く利用され, 優れた応用研究が生み出されることを企図しての努力が重要な段階にあると考えられる. そこで本稿では, 現在の応用研究を概観的に整理することを通じて, どのようにKH Coderを利用すればデータから社会学的意義のある発見を導きやすいのかを探索する.</p><p>この目的のために本稿では第1に, 計量テキスト分析およびKH Coder提案のねらいについて簡潔に振り返る. 第2に, KH Coderを利用した応用研究について概観的な整理を試みる. ここではなるべく優れた応用研究を取り上げて, 方法やソフトウェアをどのように利用しているかを記述する. また, なるべく多様なデータを分析対象とした研究を取り上げることで, 応用研究を概観することを目指す. 第3に以上のような整理をもとに, 計量テキスト分析やKH Coderを上手く利用するための方策や, 今後の展開について検討する.</p>

6 0 0 0 OA 家族の個人化

著者
山田 昌弘
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.341-354, 2004-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
37
被引用文献数
13 13 24

近代社会においては, 家族は国家と並んでその関係が選択不可能, 解消困難という意味で, 個人化されざる領域と考えられてきた.この2つの領域に, 選択可能性の拡大という意味で個人化が浸透していることが, 現代社会の特徴である.家族の個人化が日本の家族社会学者の間で考察され始めるのは, 1980年代である.それは, 家族の多様化という形で, 家族規範の弱体化が進んだことの反映である.考察に当たって, 2つの質的に異なった家族の個人化を区別することが重要である.1つは, 家族の枠内での個人化であり, 家族の選択不可能, 解消困難性を保持したまま, 家族形態や家族行動の選択肢の可能性が高まるプロセスである.それに対して, ベックやバウマンが近年強調しているのは, 家族関係自体を選択したり, 解消したりする自由が拡大するプロセスであり, これを家族の本質的個人化と呼びたい.個人の側から見れば, 家族の範囲を決定する自由の拡大となる.家族の枠内での個人化は, 家族成員間の利害の対立が不可避的に生じさせる.その結果, 家族内部での勢力の強い成員の決定が優先される傾向が強まる.家族の本質的個人化が進行すれば, 次の帰結が導かれる. (1) 家族が不安定化し, リスクを伴ったものとなる. (2) 階層化が進展し, 社会の中で魅力や経済力によって選択の実現率に差が出る. (3) ナルシシズムが広がり, 家族が道具化する. (4) 幻想の中に家族が追いやられる.
著者
小林 和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.98-114, 2004-10-25

インドネシアのスハルト新秩序体制は, インドネシア共産党 (PKI) の徹底的な物理的解体のうえに築かれた.この解体は, 人びとに, 国家の暴力と死の恐怖を刻印した.そして, 新秩序体制は, 開発と安定の論理のもとで, ゴトン・ロヨンという「伝統」を所与の「道徳的事実」として, 開発政策への協力を正当化する機制とした.<BR>1970年代末から80年代初めにかけて, 新秩序体制は, パンチャシラの公定イデオロギー化とPKI元政治犯の釈放をほぼ同時に行った.この政策は, 地域住民に国家の新たな監視体制への参加と, 住民組織RT/RWでの夜警をとおした「助け・助けられ」というゴトン・ロヨンへの参加を促した.そして, この2つの異なる位相への住民の参加を制度化したものが, シスカムリンとよばれる地域監視警備体制であった.とくに, 暴力の恐怖の再想起と, 仮想の敵の想定というスハルトの政治的手練によって, 治安の問題は住民に迫真性をもたせていた.<BR>シスカムリンの導入は結果的に夜警を再整備した.これによって, 夜警は決定・指示・実践までシステム化され, 総選挙など特定の時期に限定して住民が動員された.しかし, 夜警の目的は, 犯罪一般の抑止ではなく, 新秩序体制に敵対しようとする社会諸勢力への政治的示威という象徴の呈示にあった.スハルトの巧妙な政治的手練と機制によって, ゴトン・ロヨンというインドネシアの「伝統」は, 実践され, 再生産されていた.
著者
西澤 晃彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.47-62, 1996-06-30
被引用文献数
1 1

このエッセイでは, 1950年代から80年代にかけての日本の都市社会学における背後仮説を, コミュニティ理論や町内会研究の検討を通じて明らかにすることが目指される。<BR>戦後の都市化と産業化は, 人口を流動化し, 地域社会の構造を一変させた。これに対して, イデオロギー的立場は多様であったにも関わらず, 多くの都市社会学は一様に社会目標あるいは理想としてのコミュニティの新しいイメージを提示し, その実現可能性を検証, 地域社会の再統合の道筋を探求した。<BR>これらの新しいコミュニティ像の特徴は, 以下の三点に要約されるだろう。 (1) 都市においては, コミュニティ問の境界が不明瞭で, 人口移動も激しかったにも関わらず, コミュニティをその外部から切り離して過剰に独立的に論じている。 (2) 定住民社会として地域社会はイメージされており, 流動層は周辺的存在とされるか, 地域社会の解体要因として評価されることが多い。 (3) 都市における生活世界の複数化を無視し, 「住民」のコミュニティへの同一化を強調し過ぎている。<BR>この結果, 多くの日本の都市社会学者がシカゴ学派の遺産の継承を主張しているにも関わらず, 彼らは, 都市の多様な諸コミュニティと諸個人が接触し合い変容する社会過程を捉えられていないし, 非定住の少数者の社会的世界の研究も放棄され社会病理学に譲り渡してしまったのである。
著者
朴 沙羅
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.275-293, 2013

近年, 敗戦直後の連合軍占領期 (1945年9月から52年4月) における人口移動が解明されるにつれて, 在日コリアンの一部が太平洋戦争後に日本へ移住してきたことも次第に明らかにされてきた. その移動は通常, 「密航」や「不法入国」と呼ばれ, 管理され阻止される対象となった. しかし, 「密航」という言葉のあからさまな「違法性」のためか, 「密航」を定義する法律がどのように執行されるようになったかは, 未だ問題にされていない.<br>本稿が問題とするのはこの点である. 出入国管理法が存在せず, 朝鮮半島からの「密航者」や日本国内の「朝鮮人」の国籍が不透明だった時期に, なぜ彼らの日本入国を「不法」と呼び得たのか. 「密航」はどのように問題化され「密航者」がどのように発見されていったのか. これらを探究することは, 誰かが「違法」な「外国人」だとカテゴリー化される過程を明らかにし, 「密航」をめぐる政治・制度・相互行為のそれぞれにおいて, 「合法」と「違法」, 「日本人」と「外国人」の境界が引かれていく過程を明らかにすることでもある.<br>したがって, 本稿は, 朝鮮人の「密航」を「不法入国」と定義した法律, その法律を必要とした政治的状況, その法律が運用された相互行為場面のそれぞれに分析の焦点を当て, それによって, 植民地放棄の過程において「日本人」と「外国人」の境界がどのように定義されたかを明らかにしようと試みる.
著者
小笠原 祐子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.165-181, 2005-06-30
被引用文献数
1

家事・育児・介護分担に関する研究が多数報告される中で, 生計維持分担に関する調査は十分になされてきたとは言えない.従来の研究では, 雇用と生計維持は必ずしも区別されず, 働く行為の意味が看過されてきた.本調査では, 同じようにフルタイムで継続就業する共働き夫婦といえども生計維持分担意識はさまざまであり, 分担意識の低い夫婦と高い夫婦が存在することが明らかになった.分担意識の低い夫婦においては, 生計維持者たる夫の仕事が妻の仕事より優先され, 家庭と仕事の両立が問題となるのはもっぱら妻の方であった.これに対し, 生計維持分担意識の高い夫婦は, 2人がともに生計維持者として就業を継続できるよう働き方を調整していた.これは, 夫婦両者の就業に一定の制約をもたらす一方で, 生計維持責任を1人で負担しなくてもよいことからくる自由度も与えていた.前者の夫婦は, どちらかと言えば旧来型の企業中心の生活を送る傾向が見られたのに対し, 後者の夫婦は, 脱企業中心のライフスタイルを希求するケースが多く, 働き方やライフスタイルが一部の階層で夫婦の選択となってきていることが示唆された.