著者
野村 佳絵子 黒田 浩一郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.449-467, 2005-03-31
被引用文献数
1

日本では, 1970年代の半ば頃から, 人びとの健康への関心が高まり, それまでよりも多くの人びとが健康を維持・増進するための行動を心がけるようになったといわれている.周知のとおり, これらの現象は「健康ブーム」と呼ばれている.医療社会学では, このような「ブーム」の背景に, 「健康至上主義」の高まりを想定している.しかし, 「健康ブーム」も「健康至上主義」の高まりも, それらの存在を裏付ける証拠はいまのところ存在しない.そこで, 本論では, 書籍ベストセラーが人びとの意識や関心を反映しているとの仮定のもとに, 健康に関するベストセラーの戦後の変遷を分析することを通して, 人びとの健康についての意識の程度やあり方の変化を探った.その結果, 健康に関する本のベストセラーは1970年代の半ばに初めて登場したわけではなく, 1950年代後半から今日まで, そう変わらない頻度で現れていることが見出された.また, 「健康ブーム」といわれる時期の初期およびその直前には, 医学をわかりやすく解説する啓蒙書がベストセラーになっていることが発見された.したがって, 1950年代後半から今日まで, 人びとの健康への関心の程度にはそれほど変化がないということになる.また, 「健康ブーム」とされる時期に特徴的なことは, 健康への関心の高さではなく, むしろ, 健康に良いと信じられていることに対する批判的な意識の高まりではないかと推測される.
著者
山村 賢明
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.35-52, 1966

Our problem is—what is meant by the word mother in Japanese culture? What meaning is the mother presumed to have for the self in Japan? We took up a radio program called "Haha o Kataru" to grasp the meaning of the Japanese mother. In this program, many persons who are well-known in the mass conmunication world talk about their own mothers for fifteen minutes. We got one hundred and forty-four broadcasting tapes. From the point of view of our analysis whether the facts they told are true or not is unimportant, though interpretations or meaning they imputed are significant.<br>Three fifths of the subjects who spoke about their mothers are male. Sixty per cent of them are public entertainers, thirty-three per cent are intellectuals or artists, seven per cent have other occupations. A half of their mothers are already dead.<br>By analyzing themes appearing in their talks and their interpretation of them, we think we can construct the following conceptions of the mother.<br>1. The mother is essentially a valuable person.<br>2. The mother sacrifices herself to the child and the husband, and so doing she finds her life worth living.<br>3. The child can take advantage of such a mother (amaeru).<br>4. The mother may provoke guilt feelings within the child, especially after her death.<br>5. The mother is a poychological prop and stay for the child; and his achievement or what he is is looked upon what he owes to her.<br>6. The mother may be the motive for the child's achievements. (The child strives in his life in order to make his mother happy, and the child expects his own achievement to be appraised by her.)<br>7. The mother is sentimentalized or emotionalized as the object of the child's lifelong attachment. The word 'mother' (okâsan, ofukuro) itself induces specific sentimental reaction.
著者
松木 洋人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.25-37, 2017 (Released:2018-06-30)
参考文献数
51
被引用文献数
1

日本の家族社会学における構築主義的アプローチは, 近代家族をモデルとして家族を定義する核家族論的な研究枠組みの刷新が求められるという学説史的文脈のなかで受容された. その結果として, 構築主義的アプローチへの期待は, このアプローチが人々は家族をどのように定義しているのかに目を向けることによって, 「家族とは何か」を問うという点に寄せられることになった. しかし, 人々による家族の定義を分析の対象とする初期の研究例は, その文脈依存的な多様性を明らかにするものではあっても, 新たにどのような家族の定義が可能なのかを提示したり, 「家族とは何か」という問いに答えを与えたりするものにはなりえなかった. また, これらの研究が, 人々が家族を定義するために用いるレトリックに焦点を当てたことは, 多くの家族社会学者の研究関心との乖離をもたらすことになった. このため, 家族社会学においては, 構築主義的アプローチによる経験的研究の蓄積が進まず, アプローチの空疎化が生じた. このような状況から脱却するためには, 家族の定義ではなく, 人々の家族生活における経験に注目すること, そして, 家族の変動という家族社会学のいわば根本問題と結びつくことによって, 構築主義的アプローチが家族社会学的な関心を共有した研究を展開することが重要になる.
著者
河村 望
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.34-43, 1966-12-10 (Released:2010-12-10)

By the defeat “Nipponshugi shakaigaku” (Japanese national sociology) which had been dominaht under the absolute Tenno system, practically lost its power, and in its place empirical and positive sociology, influenced by American sociology, prospered. Notwithstanding that this positive sociology and Marxism thory fundamentally are hostile to each other, criticism from the Marxist side of sociology was not sufficiently made in those days, and sociology akin to Marxism only dealt with the confrontation of the non-scientific Tenno system's ideology.About 1950 the theory of “structural=functional analysis” of American sociologists such as Parsons and Merton began to be introduced, and after 1955 the apposition between sociology and Marxism became clear as the theory of “mass society” lost ground. At this stage there appeared those who stood for the “critical absorption” of Marxism within sociology. They were discontented with the non-historical and super-class theory of American sociology and psychology, so they intended to develop positive sociology accepting Marxism as a grand framework. But they eventually couldn't deduce more than the protection of the past sociological method and the denial of Marxism.If we call these people “arbitrationists”, those who “absorb critically” the empirical thory of sociology from a Marxist view and intend to develop Marxism “creatively” can be called “revisionism”. It was after 1960 that this standpoint became clear as one current, and it has been greatly influenced by the revival of sociology in the sociolist states of East Europe and the U. S. S. R. and the opinion of Marxist sociology which is distinguished from a materialistic conception of history. Lately by introducing theories of “industrialized society” and “modernization” into the field of sociology, an attempt to confront Marxist theory extensively has been made.When I make a future observation from the above current, it is presumed that in so far as the attack on or revision of Marxism is made in the name of sociology, apposition between sociology and Marxism will strengthen thier hostile relation as an ideological apposition in Japan, too. In this trend Marxist sociology will make its revisionistic character clearer. And the ideological conflict between them will be continued unabel sociology as the bourgeois ideology is completely extinguished by the ruin of the bourgeoisie.
著者
鳥越 皓之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.482-495, 2016 (Released:2018-03-31)
参考文献数
35

沖縄は地域を研究する社会学的研究にとって見過ごすことができない2つの特徴をもっている. 1つは, そこはながらく独立国であって, 日本併合に対する不信が存在する. それは政治的イデオロギーを超えて, 小さな村の住民にも, 「沖縄世」への憧れとして存在している. それが現在の米軍基地反対につながっている.もう1つは日本民俗学を中心にした南島研究の研究者たちが沖縄を日本の原郷として位置づけ, 膨大な資料を蓄積し, 数多くの注目すべき論文を発表しつづけてきた. それは日本民俗学の巨人, 柳田国男と折口信夫が沖縄研究に多くの労力を割いたことが大きい.このような事実をふまえて, 社会学が沖縄にどのような貢献をし, どのような限界をもたざるをえなかったのかを本稿では示した. 基本的には, 社会学を狭義に位置づけて, 歴史的・政治的課題および南島論に示された文化的課題をとりあげないようにしたこと. そのように自己の課題を狭めたことによって, かろうじて社会学を成立させてきた経緯がある.
著者
難波 孝志
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.383-399, 2016 (Released:2018-03-31)
参考文献数
28

本稿の目的は, 沖縄の郷友会について概念的な再整理を行うこと, そしてこれまで扱われることが少なかった軍用地との関わりをもつ郷友会について, 軍用返還跡地再利用の過程を通してその現実と今後の行方を考察することにある. 2015年4月, 沖縄県北中城村にオープンした全国資本の巨大ショッピングモールは, 沖縄の軍用跡地再開発の最新の事例である. この事業に大きな役割を果たしたのが, この地区の地権者の多くが加入する郷友会であった. このように軍用地などの共有財産の管理のための地縁的組織を, ここではアソシエーション型郷友会と呼ぶことにする. これまでの沖縄における郷友会研究は, 社会学における都市移住者コミュニティ研究そのものであった. これに対してここで扱う郷友会とは, 利益集団であって, アソシエーションである. そして, アソシエーションであるからこそ, 社会学の研究対象になりにくかったといってもよい. ただ, 沖縄社会では, この両者が同じ「郷友会」というフォークタームで混同して使われているのも事実である. 本稿では, 巨大ショッピングモールの再開発を事例に, その経過を分析することによって, 軍用跡地利用の合意形成と沖縄社会の行動原理の根本ともいえる郷友会のシマ結合について考察した. 結果として, (1)経済的機能を失ったアソシエーション型郷友会の存続可能性, (2)経済的機能以外の他の機能の消滅への危惧, (3)郷友会解体過程におけるシマ結合のゆるぎない存続, などのポイントを摘出した.
著者
宮城 能彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.368-382, 2016 (Released:2018-03-31)
参考文献数
46

社会学者による沖縄研究の幕開けは, 九学会連合社会学班によって日本復帰前後の1971~73年に行われた調査である. それらは沖縄村落社会の特質の理解と日本における沖縄村落の位置付けについての暗中模索であった. その時に持ち込まれたのが「家」を単位として村落構造をとらえる研究手法と理論仮説であったが, それは沖縄の村落では通用せず, 門中研究についても多くの課題が残った. しかしその時に, 寄生地主制が発達せず, 比較的平等で相互扶助的・自治的機能が高いという沖縄村落共同体像の基礎が形作られたといえよう.その後, 門中研究が深化する一方で, 社会学者たちの興味は, 基地や経済的自立問題へとシフトしていく. 他方で沖縄在住の社会学者は, ウェーキ・シカマ関係 (隷属的生産関係) や共同店, 沖縄村落の停滞性に重点をおいた研究を行ってきた.2000年代以降は, 日本やアジアとの比較の中で沖縄村落社会の特質を明らかにすることよりも環境や地域自治などをテーマとした研究の事例としての沖縄村落がとりあげられることが多くなっていく. その一方で, 隣接する歴史学や経済史, 法社会学等では, 近世沖縄村落における共同関係の脆弱さが強調されるようになってきた.近世村落における強固な共同体を前提に展開し, ある種のユートピア的共同体像を描いてきた社会学における沖縄村落共同体研究も現在その見直しが迫られている.
著者
安藤 由美 藤井 和佐
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.365-367, 2016 (Released:2018-03-31)
参考文献数
1