著者
谷本 奈穂
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.418-433, 2005-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
31

本稿では複数ある「ものの見方=視覚モード」を整理する.「言葉」をモデルにして対象に潜む意味や物語やイデオロギーなるものを「読解」するというモードや, 「芸術作品」をモデルにして対象と (論理を媒介にしない) 「直接的交流」をするモードが考えられる.しかし現代においては, メディア (広告ポスター, テレビ, マンガ, インターネットの動画) をモデルにした視覚モードもある.本稿ではそのモードを〈イメージ〉の生成と名づけた.このモードは「じっくり鑑賞する」というより「ちらっと・ぼんやり散見する」点, 対象に表層と深層があるとするなら「深層」ではなくて「表層」に焦点を当てる点に特徴がある.また〈イメージ〉の生成の登場は, 人が魅惑に対してむしろ醒めて麻痺したような態度を取るようになったことを意味している.
著者
永吉 希久子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.19-35, 2012
被引用文献数
5

日本の排外意識の研究においては, 外国人住民の規模が排外意識に与える効果が, その国籍によって異なることが指摘されてきた. しかし, なぜそのような差が生じるのかについては, 十分に検証されていない. 本稿は, 外国人住民と日本人の間の労働市場の分断に注目することにより, この国籍による効果の差の説明を試みる.<br>労働市場分断仮説によれば, 外国人住民がホスト社会住民よりも低い賃金の職に集中している場合に, ホスト社会住民の賃金や労働環境の悪化への懸念が生じ, 排外意識が高まると説明される.<br>この仮説のもと, 日本版総合的社会調査の2006年度のデータ (JGSS-2006) を分析したところ, 以下の結果がえられた. 第1に, 労働市場の分断状況と排外意識には関連がみられ, 労働市場の分断状況が顕著であるほど, 排外意識が強くなる傾向があった. 第2に, 労働市場の分断状況をモデルに投入することにより, 国籍別の外国籍割合の効果が有意でなくなることから, 先行研究において指摘されてきた国籍別の外国籍割合の効果が, 労働市場の分断の程度によって説明されることが示された. 本稿の結果からは, 日本人の排外意識を考えるうえで, 個々人としての日本人側の要因だけでなく, 日本の労働市場の構造とそこにおける外国人労働者の位置づけという, マクロな視点をとる必要があることが示唆される.
著者
川崎 賢一 藤村 正之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.601-613, 2005

本稿の目的は, 1992年11月に出版された『社会学の宇宙』 (川崎賢一・藤村正之 (共編), 恒星社厚生閣) という社会学テキストがどのように編集・出版されたのかを, 編者自身がその当時に考えていたことにできる限り忠実に, 紹介することである.その当時は, バブル経済崩壊直後の日本社会にあって, 社会学教育自体にも変革の波が押し寄せようとしていた.その波への1つの回答として, 編者たちが念頭に置いたのは, 大まかにいうと, 従来考えられていた〈教養としての社会学〉から, 〈普通に使える社会学〉あるいは〈DIY (Do It Yourself) の社会学〉へ, 大きくその方向を変えることを目指そうということであった.その意図がうまくいったかどうかはわからないが, 少なくとも, その後の社会学のテキストはさまざまな種類のテキストが出版されるようになった.その意味で, われわれのテキストが果たした何がしかの役割があったのではなかろうか.
著者
土場 学
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.2-15, 1995-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
30

本稿は, ハイエクの自生的秩序論を, 「個人主義的秩序はいかにして可能か」という正義論的秩序問題に対する解答として捉える視点から分析し, その問題点を析出する. ハイエクの自生的秩序論は, 個人の「自由」と社会の「進歩」が整合的に進展していくプロセスを証示することを最大のねらいとしている.しかしそこで重要なポイントは, ハイエクの論証は, 「ルール・システムに従属した〈主体〉」を公理とする「自生的秩序」の論理と「ルール・システムから独立した〈非主体〉」を公理とする「文化的進化」の論理という二つの異なる論理的位相のもとで成立している, ということである.したがって, いずれにせよそこには「ルール・システムから独立した〈主体〉」は存在せず, ゆえに結局, ハイエクの自生的秩序論のもとでは個人主義的秩序にかんする正義論的秩序問題は意味をなさないのである.
著者
中野 卓
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.114-127, 1960-03-30

In the year before the Meiji Restoration (1867), there was a series of ecstatic dancing throughout Japan. This movement was apparently originally inspired by some political agitators who had been intending to capitalize on the discontent among the masses which had been expressed in the very severe peasant riots of the previous years. In order to carry out this plan, at first they put some amulets into several fairly wealthy homes, unknown to the people there. Afterwards, the same incidents began to occur in large numbers of houses, not only the wealthy but the ordinary houses as well. When the people discoverd the amulets, they assumed that some supernatural spirits had selected their houses as an indication of some particular virtue, which would be rewarded with divine protection. <BR>This led to a series of movements which took place in different parts of the country at different times, from August of the year till the next January. <BR>This particular research is based on <I>Kyoto</I>, the Imperial capital, where the movement had paticular political significance. It began here around October 20th, as soon as several samurai started from <I>Kyoto</I> to their Daimyo with a secret Inperial order that the shogunate should be destroyed. They must gain time, and thought of, perhaps, the miracle. <BR>The people responded to the discovery of the amulets in a very ectatic way. They placed the deities on the alter in their houses to make a religious service, inviting their <I>Dozoku</I> and affinal families, the members of their <I>Chonai</I> (institutional neighborhood groups), and their friends to join in those religious servises, large feasts, drinking rice-wine, and dancing. There were also mutual invitations between those houses where &ldquo;the amulets had descended from the heaven&rdquo;. Even if uninvited, people who visited the alter to worship and to offer congratulations where welcomed. Later, some uninvited people took advantage of the festival by forcing themselves into the feasts, which sometimes led to aggressive mob behavior. <BR>The festivity soon extended beyond their houses, into the streets, and was characterized particulary by the frenzied dancing. At first, the people of the same <I>Dozoku</I> and the same <I>Chonai</I> etc. danced whithin the street of the <I>Chonai</I>, and later the dancing extended out from there. <BR>This type of dancing, &ldquo;<I>ee-ja-nai-ka odori</I>&rdquo; (literally, a dance with the refrain meaning &ldquo;eveything's 0. K., isn't it ?&rdquo;) had a history in the periodic pilgrimage made by commoners to <I>Amaterasu-O-mikami's</I> shrine at <I>Ise</I> about evey 60 years. This pilgrimage included ecstatic dancing and served as a release for the frustration of the common people under the feudal system of the <I>Tokugawa Shogunate.</I> Actually, 1867 was too early for the time of the periodic pilgrimage, but the special critical situation, directly &ldquo;the descent of the deity&rdquo; caused the analogous movement to develop at this time, even without the long pilgrimge to <I>Ise.</I><BR>Although for the first few days of this ecstatic celebration the deities were limited to <I>Amateras-O-mikami</I>, after this time, the celebration spread widely and included not only this <I>Shinto</I> goddess of the &ldquo;Imperial Ancestor&rdquo; which had been used by the original agitators to prove the divine protection on the Restoration, but also large numbers of other Shintoistic and Buddhistic folk gods as well. In those days, unidentified people, who put amulets, might be divided into various social classes : <I>samurai</I>, common people, priests etc..
著者
竹内 里欧
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.745-759, 2005-12-31
被引用文献数
1

本稿では, 明治期から大正期の, 処世本, 礼儀作法書, 雑誌記事を資料に, 「西洋化」・「近代化」・「文明化」を象徴する人間像として機能した「紳士」という表象をめぐる言説を分析する.特に, 「紳士」を揶揄するレトリックや論じ方に注目し, その類型の整理を試みる.それにより, 近代日本において, 「西洋」, 「文明」の有していた力やそれへの対応について明らかにする.「紳士」をめぐる言説においては, 「真の紳士」に「似非紳士」を対置し, 「真の紳士」の視点から「似非紳士」を批判するレトリックが多くみられる.「西洋の真の紳士」という理念型から「日本の似非紳士」を揶揄する (=「『似非紳士』の構築」) のも, 「真の紳士」の対応物を「武士道」, 「江戸趣味」に見出すなど過去に理念型を求める (=「『真の紳士』の改編」) のも, どちらも, 現在の時空間ではないところにユートピアを設定しそこから批判することを通じて「現実」を構成するという論理構造を共有している.「真の紳士」という「理念」と「似非紳士」という「現実」を共に仮構するという理想的人間像への対応は, 抽象化された (それ故「武士道」などと等値可能になる) 「西洋」という目標に向かい邁進する日本の近代化の構造を反映している.それは, 近代化・西洋化の要請と, 「日本」のアイデンティティの連続性の創出・維持という, 当時の矛盾を含んだ2つの課題に対応する文化戦略であったことが透視される.
著者
湯田 勝
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.2-19, 1982-09-30

先進的資本主義社会における労働者階級の社会変革の担い手としての主体形成をめぐる状況は混迷しているようにみえる。この状況を突破しようとするさまざまな理論的試みのなかで、「労働の社会化」論、「貧困化」論そして「意識としての階級」論の三つに注目したい。現代における変革主体形成に関する理論的な見通しを得るためには、この三つの論点の統一的把握が不可欠である、と考えるからである。<BR>本稿は、そのための作業の一つとして、マルクスの変革主体論をこの三つの論点との関連で改めて検討しなおすことを課題としている。具体的な内容は次の二点である。<BR>(1) マルクスの変革主体論は、『経済学・哲学草稿』以来一貫して、「労働の社会化」論、「貪困化」論、「意識しての階級」論を理論的な視点として内包していること。だが、初期マルクスの変革主体に関する理論的展開は、イギリスの労働運動の経験に大きく制約されていたこと。<BR>(2) その後、経済学研究の深化に伴って (『経済学批判要綱』と『資本論』) 、「生活主体」論と「労働主体」論が確立されたことによって、「労働の社会化」と「貪困化」に関する主体的把握が可能になり、「意識しての階級」論の重要な要点をなす「欲求主体」論あるいは「価値主体」論の基礎がすえられたこと。
著者
片桐 資津子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.70-86, 2012

一般に敬遠されがちな施設ケアには, 在宅ケアでは享受できないものがある. それは専門のケア職員が常駐していることに加えて, 要介護状態の利用者が集まって生活しているため「グループのもつ力」が存在していることである.<br>本稿では, 相部屋の従来型特養と個室完備の新型特養を比較することにより, グループのもつ力と個別ケアのあり方を探究した. 本来ユニットケアをおこなう施設として創設された新型特養は, グループのもつ力を活用しながら個別ケアを実現できるはずであった. しかし, 必ずしもうまくいっているとはいえない. グループのもつ力は所与のものではなく, 人と人との重層的なつながりのなかで育まれる必要があるからだ. その際に生じるジレンマを浮き彫りにすることを本稿の研究課題とした.<br>そのため, まず既存研究の「再生力集団」の概念を検討し, グループのもつ力の説明概念として, 「役割」と「共同」を抽出した. さらに従来型と新型のケア職員にインタビュー調査を実施し, 修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ (M-GTA) により, 「安心」と「自由」の説明概念を抽出した.<br>従来型と新型ではグループのもつ力の中身が異なっており, それぞれに一長一短がある. グループのもつ力を個別ケアにつなげていくためには, 役割, 共同, 安心, 自由という4つの説明概念からみえてきたジレンマに折り合いをつけていく必要があることが結論として示された.
著者
藤木 三千人 藤井 黎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.8, no.4, pp.85-102, 1958-08-30

This monograph is based on the date gathered through two researches : the research of the Pacific coast of the Ojika Peninsula, carried on by the research team of Tohoku Univ. Industry-and-Education Research Center, is the one, and the research of Gobuura which was done as the continuation of the former by us in 1956 and 1957 the other. Both researches were intensively done with emphasis upon the correlation of the dominant form of fishing with the structure of each village.<BR>Relatively, but contrarily, to the exceedingly remarkable improvement of fishing techniques in recent years, the This monograph is based on the date gathered through two researches : the research of the Pacific coast of the Ojika Peninsula, carried on by the research team of Tohoku Univ. Industry-and-Education Research Center, is the one, and the research of Gobuura which was done as the continuation of the former by us in 1956 and 1957 the other. Both researches were intensively done with emphasis upon the correlation of the dominant form of fishing with the structure of each village.<BR>Relatively, but contrarily, to the exceedingly remarkable improvement ob fishing techniques in recent years, the sea-resources in the water near the coast are dwindling year by year. Hardly there are the stabilized states of the fishing-in-nearby-water (<I>isoryo</I>) in former years, the main catches being such sea products growing in the nearby water along the coast as sea-weeds abalone, sea-chestnuts, etc., fishes living near the coast or coming seasonally near the coast. Fishing works in the villages have been specialized in according to the particular conditions of each villages and the life of fishermen has came so far as to display the various aspects. Such general tendencies are the fact that can be obviously observable in each fishing villages here in the Pacific Side (<I>Urahama</I>) of the Ojika peninsula. Yokoura, the one of the villages selected as the fields of the research is of course not the exception.<BR>Consequently, the transformation of the forms of fishery stated above regulated and changed the structure of the Village society in which fishery was the key industry. That is, the forms and the systems of fishery operated in Yokoura village are strongly reflected in the social structure of the village through the medium of the utility value of the fishing ground this village dominates, and of a certain developmental stages of fishing techniques in connection with the former. Analyzing the actual condition of Yokoura, the qualitative analyzation of the present form of fishing and the changing processes as a result of which the present form of fishing has came from was done at first and followed by the consideration on the social structure of this village, focusing on the form of gaining livelihood and control-relationship pivoting around it. Two forms of gaining livelihood, fishing being the one, and agriculture and forestry the other are seen in Yokoura. As for the land, the concentration of land to a few households is conspicuously observed, but the size of land per a household and the coefficient of land utilization are at the low state. In general, the agricultural foundation is meager.<BR>However, in the developmental process of gaining livelihood, the form of rather strong reliance on the forestry resources and the sericulture are found. The forestry resources were commercialized as fuel for producing of dried bonito at the villages of bonito-fishing, -Enoshima, Izushima and Takenoura which situated on the opposite coast of the Onagawa Bay. The rise of economic power due to sericulture provided the branch families side with the moment to accelerate their fishing activities. Both the forestry resource and the sericulture headed for decline, the former in response to the devision of bonito processing industry and the latter to the unsecurity of the world market price.
著者
城戸 浩太郎 杉 政孝
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.74-100, 1954-01-30
被引用文献数
1

In this article, which is a part of a series of reports based on the results of a field research in Tokyo, the writers attempt to analyse the characteristics of the structure of social consciousness of a modern urban population in Japan. This analysis is based on attitude measurements using two scales ; one designed to measure the authoritarian tendency in personality structure which has been affected by the traditional Japanese value-attitude system and which played an important role as a psychological basis of Japanese fascism : the other is designed to measure politico-economic orientation based on a socialistic-nonsocialistic dichotomy. The various means scores of these two scales are compared statistically, for each occupational group, different age categories, educational levels and political party allegiances.<BR>The main findings are as follows : 1) As for occupational differences, students and industrial workers are the most socialistic groups in politicoeconomic orientation, but industrial workers reveal more authoritarian and traditional tendencies than students, who are the most non-authoritarian group. The artisan group is most authoritarian and more nonsocialistic. The artisan group reveals a somewhat similar pattern of consciousness to that of the small entrepreneurs and manegrerial and executive types who constitute the most anti-socialistic groups. These groups have played an important role as active psychological supporters of Japanese fascism in the World War II. The white-collar groups as a whole shows similar mean scores on both scales, but groups within the white-collar category differ in their characteristic consciousness.<BR>2) There is a positive correlation between authoritarian and non-socialistic attitudes and age. The higher the level of education, the more non-authoritarian and socialistic the sample becomes.<BR>3) As for the political party allegiance, the supporters of <I>Jiyuto</I> (Liberal Party) and <I>Kaishinto</I> (Progressive Party) are the most authoritarian and non-socialistic, the supporters of the Left Socialist Party are most nonauthoritarian and socialistic. The Right Socialist Party adherents are rather similar to the conservative party supporters.<BR>4) The writers computed the multiple regression equations to both scales in relation to the underlying sociological variables such as age and occupation in order to determine the degree of association between these variables and manifest attitudes. Though the multiple correlation coefficients are not very high, it is demonstrated that occupation and standard of living have been stronger determining factors in politico-economic orientation and age and educational levels stronger determining factors in relationship to authoritarian tendencies.
著者
安田 三郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.114-130, 1953-09-25 (Released:2009-11-11)

This article is a preliminary report of a joint survery conducted in 1952 by seven investigators including the authors.The questionnaire used consisted of six sections, e.g. : (a) items relating to the authoritarian personality, (b) politico-economic orientation, (c) class identification, (d) social grading of occupation, (e) spatial mobility, (f) face-sheet.The population from which the sample for this survey was drawn is the adult male population of approximately 2, 500, 000 individuals living in the urban districts of the Tokyo metropolis.Considerations which entered into the decision concerning sample size were : (a) the precision of the estimate, (b) the precision of the test of significance, and (c) the limitation of the time and financial resources. The size thus determined wes 700.Stratified sub-sampling and double sampling were used. The population was divided into 70 strata according to the type of industry and social characteristics of each districts. One primary sampling unit (cho or chôme-street) from each stratum was selected by probability-proportionately and from there 70 primary sampling units 40 male adults in proportion to the size of each stratum were obtained. These adults were again stratified according to age, occupation, and the characteristics of their dwelling place, and the final sample of 700 was obtained at a sampling ratio of 4.5 Population from which the sample was drawn was inferred from the registry of family cards.Fieldwork was conducted through the use of the house-to-house interview method and 534 person's in the sample (%) were interviewed. In order to estimate the effect of failure to interview a portion of the sample, the age-and occupation-composition of the non-interviewed group was examined and the “quasi-re-survey” method was utilized. This examination shows that deviation due to non-interviewing of a portion of the sample was negligible.The theoretical framework and the results of this survey will be reported in the following issues by individual invertigators.
著者
加藤 秀一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.361-370, 1997-12-30 (Released:2010-04-23)

踏み込んだ検討に移る前に, まず本書の内容を概観しておこう。『性愛論』は, 先にその一部を引用した短い序章を別とすれば, 全部で6つの章から成っている (以下, 「」内の部分は基本的に引用であり, 〈 〉の部分は, 著者の主張を評者の解釈を経て要約したことを示す。短い引用箇所については, あまりにも煩瑣になることを避けるため, 当該ページの挙示は省略する) 。第1章「猥褻論」と第3章「性関係論」は, もともとひとつながりの論文として書かれたものであり, 内容的に連続している。ここでは〈社会空間は性愛現象と非性愛現象とに分離している〉という社会存立の「公理」が解説されている。中にはさまれた第2章「性別論」では, 「規範としての性別」の成り立ちが原理的に説明されている。以上3つの章は, 性愛という現象に関する著者の見方の最も基礎的な部分を述べた, 原理論的な部分である。これに対し, 第4章「性愛倫理」ではキリスト教における性愛観の変遷が簡単に跡づけられ, 第5章「性愛倫理の模造」は, 戦後日本における性愛関係書のベストセラーの内容分析にあてられている。これら二つの章は前半で示された原理論的視点から歴史的事象を分析する応用編といえるだろう。さらに一書の締めくくりとして, 「性愛世界の彼岸」と名づけられた終章が置かれている。これら全編にわたって評者が疑問としたい点は多いが, 紙数の制約から, 本稿では本書の前半部分で展開された原理論的内容に視野を限定して, その中心線をたどりなおしてみることにしたい。上に記したように, 著者が提示する最も基本的な認識枠は, 〈性愛領域/非性愛領域〉という対である。これが「人間社会」に普遍的に妥当する分析枠として提示される。他方, 「性愛」の領域が限局されると同時に, その外部では, 「言語と権力」という他の媒介の流通性が高まる, とされる。次の箇所は, 本書のこのような理論的要諦を示しているだろう。「血縁に基づく親族秩序は, 事実としての性交渉や性愛関係の広がりを, ある一定の正当化手続によって婚姻とみなされるようになった配偶関係のなかに封じこめる。そしてまた逆に, そうした婚姻を間に挟んで水平に拡がる人びとの相互関係を, 性愛への志向を脱色され言語的・権力的な作用へと純化されたものとする。こうして社会空間は, 全域的な一種の透明性を獲得する。この透明性は, より遠隔に対してはたらく普遍的な作用力, すなわち言語や権力のはたらきを, 当該空間の端から端にまで容易に到達できるようなものとする (111頁) 。ここから直ちに二つの問題が生じる。第一に「性愛領域」の内容 (「非性愛領域」の内容に比重が置かれないのは, 本書のテーマからして当然であるから, 本稿では問わない), 第二にそれと非性愛領域との関係づけである。大まかに言って著者は, 第一の問題に対してはLévi-Straussの提示した概念法を再構成することで答え, 第二の問題に対しては独自の分析を展開している。こうした意味で, 本書は Lévi-Straussの親族構造論における方法と理論を拡張して, 性現象一般の普遍的構造の記述をめざす企てである, と言えるだろう。本書そのもののなかにはその通りの表現はみられないが, その中心的なアイデアをより厳密に展開したといえる別の論考 (「親族・家族・社会シスデム-人類学的交換理論の論理とその拡張」, 『橋爪大三郎コレクションII 性空間論』勁草書房) がその傍証となるだろう。評者の疑問は, 先の二つの問題-相互に切り離せるものではないから, 二重の, とするべきか-の全域に関わっている。第一に, 「性愛領域」に直接的な身体関係としての「性交渉」から, 「家族~親族」といった社会制度までが含まれているが, それを「性愛」の名の下に一括りにすることへの疑問。評者の見解では, ここでは橋爪氏は, Lévi-Straussの誤謬を拡大再生産してしまっていると思う。これと関連して第二に, 橋爪氏は, 「性愛領域」に含まれた諸制度にすでに流通している権力作用をうまく理論に織り込むことができなくなってしまった。以下, これらの問題について検討していく。
著者
上野 千鶴子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.2-17, 1975-11-30

レヴイ=ストロースの構造主義は、一九五八年『構造人類学』に見る公認の教義から、その客観的な構造を剔抉されなくてはならない。私見では、彼のアプローチは、階梯モデル、同型説、システム論的思考を特徴とする、合理主義的理解の方法の一典型であり、この観点からは「メタ=ストラクチャー」は、当該の事象を、より一般的・整合的な構造のうちに置換する上位モデルと解される。だとすれば、メタ=ストラクチャーを無意識の実在に等置する先験主義からも、これに発達を拒否する無時間モデルからも、私たちは免れることができる。彼自身及び彼の祖述家達の、方法をめぐる様々な錯綜した議論よりも、彼自身の構造分析の実際が、何よりも雄弁にそれを実証している<BR>すなわち、メタ=ストラクチャーは、文字通り「系の系」として上位構造なのであり、理解とは、この構造を構成する手続きそのものなのである。これが、認識の発達モデルを提供するピアジェの構造主義が主張することであり、同時に、構造主義的思潮を、西欧合理主義の伝統の最も多産な果実とする方途である。
著者
舩橋 晴俊
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.4-24, 2006-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
28
被引用文献数
1

「理論形成はいかにして可能か」を問うためには, まず, 理論の役割とは何か, 理論の基本性格をいかに分類するかを考える必要がある.理論の役割には, 「規則性の発見と説明」「意味の発見」「規範理論の諸問題の解明」の3つがあり, 社会学理論は, 基本性格の差異に注目するならば, 「中範囲の理論」「基礎理論」「原理論」「規範理論」「メタ理論」の5つに分類することができる.理論形成を支える諸要因として, 学説研究, 実証研究, 問題意識と価値理念, メタ理論的な信念, 他の研究者との相互作用, 現実の社会問題との直面を提示できるが, これらが理論形成において果たす作用の比重は, 理論のタイプによって異なる.中範囲の理論や特定領域の基礎理論においては, 実証を通しての理論形成という方向づけに基づいた「T字型の研究戦略」が理論形成に有効であろう.この研究戦略に基づいて創造的な理論形成を達成したいくつもの先例が存在する.これに対して, 原理論においては, 独自の問題意識に基づいて, 先行研究の蓄積から鍵になる概念や論理を発掘し再編成することによって創造的な理論形成を成し遂げうるということが, 存立構造論によって例証される.中範囲の理論においては, 相対的に通常科学的な理論形成の比重が大きいのに対して, より根底的な水準の基礎理論や原理論においては, 認識の前提としての観点と価値理念の再定義を伴う科学革命的な理論形成が重要な意義を有する.
著者
笹島 秀晃
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.106-121, 2016
被引用文献数
2

<p>都心衰退地区に形成される芸術家街は, ジェントリフィケーションの契機となることが知られてきた. 芸術家の存在は, 不動産開発や飲食業・文化産業の集積を促し, その過程において地価は高騰し居住者階層は移り変わる. 先行研究では, ジェントリフィケーションのメカニズムを分析するにあたって, おもに不動産業者や消費者としての中産階級に注目してきた. ところが, 重要なアクターであるはずの美術作品の展示・売買を行う画廊については十分な分析がなされてこなかった. 本稿の目的は, 芸術家街を契機とするジェントリフィケーションのメカニズムを, 画廊の集積過程に着目して分析することである. 具体的な検討事例は, 1965年から71年の間に芸術家街から画廊街へと転換した, アメリカ合衆国ニューヨーク市SoHo地区である. 芸術家街であるSoHo地区に画廊が集積した要因は, 安価な地価や広い室内空間を備えた未利用の工場建築物の存在だけではなかった. むしろ, ニューヨーク市における美術業界の構造変動の中で, 画廊経営者が自身の美術的立場を明確にする際に準拠した, 芸術家街の表象という文化的要因が重要であったことを明らかにする.</p>