著者
有田 伸弘
出版者
関西福祉大学研究会
雑誌
関西福祉大学研究紀要 (ISSN:13449451)
巻号頁・発行日
no.9, pp.31-44, 2006-03

平成14年の「学校教育法施行令の一部を改正する政令」は,教育におけるノーマライゼーションを一歩推し進めたと評しうる. しかし,障害児を盲・聾・養護学校などの「特別な場」で教育を行う分離教育制度そのものは,なんら変わっていない.この点についての憲法的考察の必要がある. まず,「障害児教育のあり方に関する憲法学説」を整理する.これまで,十分な考察を加えられていなかったため,訴訟テクニックの観点からの「自由権アプローチ,平等権アプローチ」分類しかなされていない.本論では,憲法学説の主流が「憲法沈黙説」(自由権アプローチはその中に含まれる)であることを明らかにしている. しかし,憲法が沈黙しているというのは,障害児教育の歴史の浅さにある.分離教育の「教育の理念」も,統合教育の「教育の理念」も理念としては合理性を有しているように思われたからである.しかし,憲法の大原則からすれば,分離教育に真の合理性がなければ統合教育でなければならない.そこで,分離教育の合理性を検証する必要性がある. 障害児が教育不能として教育の場から排除されていた時代からすると,彼らを特別な場で教育することは進歩であった.これを促進した発達保障論には歴史的意義が認められる.しかし,分離教育の真の意図するところは疑わしい点も多い.また,分離することによるデメリットも多いことがわかってきた.分離教育を容認してきた憲法学説の再考の必要性がある. 憲法学は,忠君愛国の精神を養成するために教育が用いられた反省から,教育の目的=「個々人の発達」と捉えてきた.しかし,個々人が競争するだけで,よき社会,よき国家ができるとするのは「神の見えざる手」を信用するようなもので,歴史的反省を活かせていない.もちろん憲法が,国家に対して,よき社会を形成するための教育をせよと命じているというのではない.子どもたちが成長過程で,さまざまなことを学び,よき社会の形成者となるような環境を整えるべきことを要求していると解すべきだと考えるのである.
著者
有田 伸
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.19-38, 2021-07-07 (Released:2023-04-08)
参考文献数
14

本稿は,計量的な社会学研究を事例として,日本と他のアジア社会との比較研究はいったい何をなし得るのか,またそのさらなる可能性を追求するためには,どのような点に留意しながら研究を進めていけばよいのかを,いわば研究の舞台裏に当たる部分にも積極的に触れながら検討していく。本稿ではまず,コーン(Kohn)の分類に基づき,比較社会研究の類型を確認した後,具体的な研究事例に即して,アジア比較社会研究が何を目的としており,具体的に何を行っているのかを,知見の導出プロセスにまで踏み込みながら考察する。さらに計量的な比較社会研究には,調査票の翻訳過程にも,社会間の微細な差異を見出し,それぞれの社会の特徴に関して新しい研究を進めるための契機が存在していることを,筆者が経験した2005年SSM調査プロジェクトの韓国調査を事例に論じる。また比較社会研究の契機は,さまざまな媒体を通じた社会間接触や社会間関係に着目することによっても得られることが示される。これらを通じ,大枠では類似しながら細部は微妙に異なる日本と他のアジア社会との比較研究は,私たちが自明視してしまっている想定や価値観の相対化を通じて,新たな研究を進めていくための契機をもたらしてくれるのみならず,理論的な貢献や,日本社会研究の国際発信への寄与など,多くの大きな意義を持つものと結論付けられる。
著者
有田 伸
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.663-681, 2009-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
31
被引用文献数
5 3

本稿は日本・韓国・台湾の各社会において,個人の職業がどのような報酬格差をもたらし,人々の階層的地位をどのように形作っているのかを検討することで,これらの社会の階層構造の輪郭を描き出そうとするものである.本稿では,各社会の労働市場構造の特質やその変動をも視野に入れ,職種や従業上の地位のみならず,企業規模や雇用形態の違いにも着目し,個人の職業に関するこれらの条件が所得と階層帰属意識をどのように規定しているのかを実証的に分析し,それぞれの効果の相対的な重要性を検討する.2005年SSM調査データの分析の結果,個人の職業的条件が所得と階層帰属意識に対して及ぼす影響は,大枠では社会間である程度類似している一方,それらの相対的な重要性はかなり異なっていることが示された.台湾では職種の影響が圧倒的に大きいのに対し,日本においては,また部分的には韓国でも,職種のほかに企業規模と雇用形態(非正規雇用か否か)が無視しえない影響を及ぼしている.日本の男性の場合,階層帰属意識に対する企業規模や雇用形態効果は,本人所得を統制した場合にも認められ,この効果には長期安定雇用や年功的人事慣行による便益の享受機会なども含まれるものと解釈される.このような結果からは,東アジア,特に日本の階層構造や社会的不平等を考察する際には,労働市場や生活保障に関わる制度的条件への着目が特に重要であることが示唆されている.
著者
中村 高康 吉川 徹 三輪 哲 渡邊 勉 数土 直紀 小林 大祐 白波瀬 佐和子 有田 伸 平沢 和司 荒牧 草平 中澤 渉 吉田 崇 古田 和久 藤原 翔 多喜 弘文 日下田 岳史 須藤 康介 小川 和孝 野田 鈴子 元濱 奈穂子 胡中 孟徳
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本研究では、社会階層の調査研究の視点と学校調査の研究の視点を融合し、従来の社会階層調査では検討できなかった教育・学校変数をふんだんに取り込んだ「教育・社会階層・社会移動全国調査(ESSM2013)を実施した。60.3%という高い回収率が得られたことにより良質の教育・社会階層データを得ることができた。これにより、これまで学校調査で部分的にしか確認されなかった教育体験の社会階層に対する効果や、社会階層が教育体験に及ぼす影響について、全国レベルのデータで検証を行なうことができた。
著者
有田 伸
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社會科學研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3-4, pp.77-97, 2011-03-15

非正規雇用という概念の具体的な意味内容は, 社会によって大きく異なり得る. 本稿は, 韓国社会にこの概念がどのように適用され, 何が「非正規雇用」とされてきたのかを現実の雇用構造と照らし合わせながら検討することで, 韓国労働市場における「格差」の性格を明らかにしていく. 韓国においてこれまで非正規雇用として読み替えられることが多かった経済活動人口調査の臨時・日雇カテゴリーは, 確かに労働市場における雇用の安定性や報酬等の格差をすくいとっているが, 分類基準の「土着化」故に, これらの格差は韓国に根強く存在する企業規模間格差の反映ともなってしまっている. これらを考慮すれば, 韓国では正規/非正規雇用の区分が日本ほどには自明でなく, その影響もそこまで独立的なものではない可能性が高い. 以上の韓国の事例と比較すると, 日本の非正規雇用は自明性/標準性と独立性が強く, それが非正規雇用の認識・分析枠組にも影響を及ぼしているという点で特徴的といえる.
著者
有田 伸弘
出版者
関西福祉大学研究会
雑誌
関西福祉大学研究紀要 (ISSN:13449451)
巻号頁・発行日
no.7, pp.1-12, 2004-03

合衆国憲法修正1条「宗教活動の自由条項(The Free Exercise Clause)」は、連邦議会(ならびに州議会)が宗教活動の自由に対して制約を加えることを禁じている。同条項の目的は、世俗の権威(civil authority)による宗教への侵害を禁じることによって「個々人の信教の自由jを確保することにあると考えられている。それ故「特定宗教の、あるいはすべての宗教の宗教的慣行を妨げたり、また…諸宗教問に差別を設けたりするために」、世俗的権威を濫用することは「その負担がたとえ間接的なものにすぎない性質のものであっても禁じられる」といわれる。 そもそも、ここにいう宗教活動とは、どのような活動を意味しているのであろうか。宗教を「人と神との内なる対話jと捉えるならば、宗教活動は「内心領域における精神活動」を意味するに止まり、宗教活動の自由条項も政府が「内心の自由」を直接的あるいは間接的に侵害することを禁じているにすぎないことになる。すなわち、宗教活動の自由条項は「特定の宗教を信仰しているというだけで、個人ならびに集団を処罰したり、差別することは許されないし、また、特定の宗教を信仰するように強制することも許されない」ことを意味することになる。 しかしながら、宗教というものは、信仰という内心領域における精神活動だけではなく、人の生活様式に浸透し、宗教的儀式や祝典さらには信仰実践などの「外面的な行為Jを伴うものであろう。宗教をこのように捉えるならば、宗教活動の自由条項は、単に内心領域における信仰の自由を保障するだけではなく、信仰に結びついたこれらの行為の自由をも保障する趣旨の規定であると解されなければない。日本国憲法第19条「信教の自由」もアメリカ合衆国憲法修正1条「宗教活動の自由」も等しく、こうした外面的な行為の自由をも保障していると一般に解されている。 では、「宗教的行為の自由を保障する」とは「同種の行為であっても、他の動機に基づく行為とは区別して信仰と密接に関係する行為に対しては、何らかの便宜を図る」ということを意味するのであろうか。しかし、信仰に基づく行為に対して「特別の便宜」を認めることは、政府が特定の宗教(あるいはすべての宗教)を有利に扱うことになり、もう一つの宗教関連条項である「国教樹立禁止条項(Establishment Clause) 」と抵触する可能性が生じてくる。両条項とも一般的な見方をすれば、「政府が宗教に干渉あるいは関与してはならない」と解することができ、抵触の可能性はないように思われるが、国教樹立禁止条項からは「政府の宗教的中立性の要求」が導き出され、宗教活動の自由条項からは「宗教的実践に対する便宜の要求」が導き出されると解するならば、両条項の間には抵触の可能性が生じる。 この問題に関しては、本来、「国教樹立禁止条項」及び「宗教活動の自由条項Jの両条項の解釈が問題となるが、本稿では、特に宗教活動の自由条項の問題に焦点を当ててみたい。国民の大多数からは奇異に見える宗教的行為に対して、憲法はどのような保障を与えていると解すべきなのか。建国当初から宗教的多元主義を余儀なくされたアメリカにおいて、アメリカ合衆国連邦最高裁がいかなる解釈を施してきているのか、その歴史的変遷を概観し若干の考察を加えたい。
著者
有田 伸
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.69-86, 2013 (Released:2014-09-01)
参考文献数
12

本稿では,パネルデータを分析するために広く用いられている固定効果モデルなどの手法が置いている諸仮定を確認した上で,独立変数の変化(または非変化)の内容を詳細に区別しうる代替的なモデルを築くことで,それらの仮定を緩めた分析の可能性を探る.カテゴリカルな変数を独立変数とする固定効果モデルを事例として,変数の「変化」に焦点を当てて考えれば,一般的な固定効果モデルは変化の向き・経路と非変化時の状態の違いを区別しておらず,これらの違いが独自の効果を生み出す可能性は考慮されない.しかしこのような想定は現実的には満たされない可能性もあることから,本稿では,「(独立変数の)変化が(従属変数の)変化をもたらす」という立場に立ちつつ,一階差分モデルを利用してこれらの仮定を緩め,変化の向き・経路と非変化時の状態の違いがもたらす独自の効果を捕捉することを試みる.さらにこの手法を,従業上の地位が個人所得に及ぼす影響の分析にあてはめると共に,現実的にはどのような場合に従来のモデルの仮定を緩める必要が生じるのか,事象の発生メカニズムと関連付けた考察を行い,この手法の意義と適用時の留意点を検討する.
著者
有田 伸弘
出版者
関西福祉大学研究会
雑誌
関西福祉大学研究紀要 = The Journal of Kansai University of Social Welfare (ISSN:13449451)
巻号頁・発行日
no.7, pp.1-12, 2004-03

合衆国憲法修正1条「宗教活動の自由条項(The Free Exercise Clause)」は、連邦議会(ならびに州議会)が宗教活動の自由に対して制約を加えることを禁じている。同条項の目的は、世俗の権威(civil authority)による宗教への侵害を禁じることによって「個々人の信教の自由jを確保することにあると考えられている。それ故「特定宗教の、あるいはすべての宗教の宗教的慣行を妨げたり、また…諸宗教問に差別を設けたりするために」、世俗的権威を濫用することは「その負担がたとえ間接的なものにすぎない性質のものであっても禁じられる」といわれる。 そもそも、ここにいう宗教活動とは、どのような活動を意味しているのであろうか。宗教を「人と神との内なる対話jと捉えるならば、宗教活動は「内心領域における精神活動」を意味するに止まり、宗教活動の自由条項も政府が「内心の自由」を直接的あるいは間接的に侵害することを禁じているにすぎないことになる。すなわち、宗教活動の自由条項は「特定の宗教を信仰しているというだけで、個人ならびに集団を処罰したり、差別することは許されないし、また、特定の宗教を信仰するように強制することも許されない」ことを意味することになる。 しかしながら、宗教というものは、信仰という内心領域における精神活動だけではなく、人の生活様式に浸透し、宗教的儀式や祝典さらには信仰実践などの「外面的な行為Jを伴うものであろう。宗教をこのように捉えるならば、宗教活動の自由条項は、単に内心領域における信仰の自由を保障するだけではなく、信仰に結びついたこれらの行為の自由をも保障する趣旨の規定であると解されなければない。日本国憲法第19条「信教の自由」もアメリカ合衆国憲法修正1条「宗教活動の自由」も等しく、こうした外面的な行為の自由をも保障していると一般に解されている。 では、「宗教的行為の自由を保障する」とは「同種の行為であっても、他の動機に基づく行為とは区別して信仰と密接に関係する行為に対しては、何らかの便宜を図る」ということを意味するのであろうか。しかし、信仰に基づく行為に対して「特別の便宜」を認めることは、政府が特定の宗教(あるいはすべての宗教)を有利に扱うことになり、もう一つの宗教関連条項である「国教樹立禁止条項(Establishment Clause) 」と抵触する可能性が生じてくる。両条項とも一般的な見方をすれば、「政府が宗教に干渉あるいは関与してはならない」と解することができ、抵触の可能性はないように思われるが、国教樹立禁止条項からは「政府の宗教的中立性の要求」が導き出され、宗教活動の自由条項からは「宗教的実践に対する便宜の要求」が導き出されると解するならば、両条項の間には抵触の可能性が生じる。 この問題に関しては、本来、「国教樹立禁止条項」及び「宗教活動の自由条項Jの両条項の解釈が問題となるが、本稿では、特に宗教活動の自由条項の問題に焦点を当ててみたい。国民の大多数からは奇異に見える宗教的行為に対して、憲法はどのような保障を与えていると解すべきなのか。建国当初から宗教的多元主義を余儀なくされたアメリカにおいて、アメリカ合衆国連邦最高裁がいかなる解釈を施してきているのか、その歴史的変遷を概観し若干の考察を加えたい。
著者
有田 伸
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社會科學研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3/4, pp.77-97, 2011-03-15

非正規雇用という概念の具体的な意味内容は, 社会によって大きく異なり得る. 本稿は, 韓国社会にこの概念がどのように適用され, 何が「非正規雇用」とされてきたのかを現実の雇用構造と照らし合わせながら検討することで, 韓国労働市場における「格差」の性格を明らかにしていく. 韓国においてこれまで非正規雇用として読み替えられることが多かった経済活動人口調査の臨時・日雇カテゴリーは, 確かに労働市場における雇用の安定性や報酬等の格差をすくいとっているが, 分類基準の「土着化」故に, これらの格差は韓国に根強く存在する企業規模間格差の反映ともなってしまっている. これらを考慮すれば, 韓国では正規/非正規雇用の区分が日本ほどには自明でなく, その影響もそこまで独立的なものではない可能性が高い. 以上の韓国の事例と比較すると, 日本の非正規雇用は自明性/標準性と独立性が強く, それが非正規雇用の認識・分析枠組にも影響を及ぼしているという点で特徴的といえる.
著者
刈間 文俊 若林 正丈 村田 雄二郎 クリスティーン ラマール 生越 直樹 伊藤 徳也 代田 智明 瀬地山 角 高橋 満 古田 元夫 若林 正丈 黒住 真 代田 智明 深川 由紀子 生越 直樹 クリスティーン ラマール 高見澤 磨 楊 凱栄 谷垣 真理子 伊藤 徳也 瀬地山 角 田原 史起 有田 伸 岩月 純一
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

中国では、漢字が、簡略化や教育によって、血肉化され、作家達も、前近代的なものを凝視し続けた.戦前の日中関係では、日本の漢学者と漢字紙が大きな役割を果たした.戦後韓国は、漢字を駆逐する一方、伝統的な同姓不婚制度を再構築させ、台湾は、漢字を簡略化せず、80 年代以降には、多文化主義的な社会統合理念を形成した.それに対して、中国大陸では今や、漢字文化からも消費文化からも疎遠な農村が、自律と国家による制御の間で揺れ動いている.本研究は以上を実証的に解明した.