著者
伊東 栄志郎
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.1, no.4, pp.437-452, 1999-12-31

ジェイムズ・ジョイスは、『ユリシーズ』に関してこう語った : 「もしダブリンが破壊されても、この小説を読めば再建が可能だ」。ブルームを乗せた葬式馬車は確かにサックヴイル通りを進んでいるのに、なぜか彼は有名な中央郵便局や賑やかな通りの様子を伝えようとしない。また、グラスネヴィン墓地での葬式参列中には、彼は土葬死体が腐乱する様子を次々と妄想していく。本稿では、この挿話に1916年の復活祭蜂起をはじめとする独立戦争の祥子(愛国主義)を読み込んでいる。
著者
黒岩 幸子
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.27-62, 2004-09-30

1955-56年の日ソ交渉を契機として、日本政府は、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した千島列島に南千島(択捉・国後)は含まれないとの立場をとり始め、それ以降、択捉、国後、色丹、歯舞は「北方領土」と呼ばれるようになった。「北方領土」が四島を指す固有名詞として定着すると同時に、千島列島は切断され、カムチャッカと道東を結ぶステッピング・ストーン(踏み石)としての役割も、かつて列島全体に居住していた先住民の歴史も捨象されてしまった。千島列島には、先史時代から現在までに、先住民共同体・日本人社会・ロシア人社会という三つのトポス(場所)が生成している。本稿は、日本とロシアという近代国家の邂逅と国境画定のプロセスの中で崩壊していった千島の第一のトポス、主にアイヌ共同体の盛衰をたどることによって、北方領土問題の歴史的側面を明らかにするものである。
著者
米地 文夫 佐野 嘉彦
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.63-75, 2004-09-30

宮沢質治の作品に頻出する「スケッチ」という語について、自然科学の立場から検討を加えた。賢治にとって「スケッチ」とは、自然科学におけるフィールドワークの「スケッチ」に類するものであった。一般には詩と呼ばれている賢治の「心象スケッチ」は、彼自身は詩ではなく、科学的な「スケッチ」であり、彼の心象に映じた心理学的世界像を科学的に記載し、後日の分析のための論料(証拠)としようとするものであった。賢治の「スケッチ」が描く世界は、現実の世界から彼の心象に投影されたものであり、賢治にとっては、真の世界像を構築するための論料(証拠)であった。 特に「心象スケッチ」の名のもとに書かれた作品における天空の表現を例にとりあげ、すなわち、賢治の「スケッチ」の特性の一端を明らかにした。すなわち、空や雲の色を、鉱物、特に宝石、貴石を比喩に用いて描写し、それによって色相のみならず、彩度や明度まで的確に表現しようとしたのである。そのような比喩は、一般の読者には難解で衒学的と受け取られがちである。しかしながら、賢治にとって、宝石、貴石などの名称を絵の具のように選んで用いるのは、科学的に最も的確に表現するために必要なスケッチ技法として、当然のことなのであった。
著者
佐藤 智子 岩手県国際交流協会
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.115-131, 2013-05

2011 年3 月11 日の東日本大震災以降、254 の国・地域・国際機関(2011 年5 月2 日現在)から人的、物的、精神的な支援が日本に寄せられた。これまで幾十年に渡り外国の特定の都市と交流を続けてきた自治体にも、相手の都市から見舞の手紙や義援金・寄付金等が届けられた。震災から7ヵ月後に岩手県の各市町村を対象にして実施したアンケート調査をもとに、海外からの支援の詳細を明らかにするとともに、支援によって住民の国際交流に関する意識がどのように変容したかを考察した。
著者
三浦 修
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.115-136, 2011-07

宮沢賢治の作品研究や読解には、岩手県の風土の研究や理解が不可欠といわれる。童話「虔十公園林」は、この風土を主要な舞台とし、当時の都市公園の景観が背景に描かれている。風土は自然環境と社会環境で捉えられる。ここでの論考は、次の3点にまとめられる。1)この短篇に出現した人口林の種スギと自然林の種ブナについて、作品にどのように描かれているかを分析し自然景観の植生景観を復元した。ここで復元されたスギ優占の屋敷林、社寺林などは、地域の人々が生産や生活のために造った、人文景観の集落景観でもあった。一方、宮沢賢治が、自然林のブナをどのような生態学的特性をもつ植物と捉えていたかは解明できなかった。2)短篇の題名にもなった術語「公園林」は、1912年に出版された林学者本多静六著『造林學本論』に由来し、農村のスギ植栽林を都市の児童公園の緑地に変換するこの物語において、重要な役割を果たす科学的内容をもっていた。しかしながら、その概念を作品に適用した宮沢賢治には、科学的中身の吟味や用法の適否を検討することなどの関心が薄かった。3)「虔十公園林」は児童公園の機能を付与されている。このアイディアは、日本の都市公園成立に関わる文献と報道情報や、東京などの都市公園から構築された。とくに、1924年の関東大震災復興事業案に提示された小公園は、この短篇成立に重要な役割を果たした。
著者
アーメド M.ファリドウヂン ラハマン S.M.ルトフォル アーメド A.S.M.メスバーウヂン アリ M.エムラン
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.239-250, 0000
被引用文献数
1

本研究はバングラデシュ、Gazipur地域(以前はDhaka地域と称していた)の最小行政地区(uapzmas)としてのGazipur,Kapasia,Kaliakairを対象とし、各地区から30戸の農家を選定して調査したものである。調査にあたり、農家菜園の構造、作物構成、作物の多様性、農家の食糧確保に対する貢献、作物種類の維持、作物の生産性の制約、社会経済的な農業森林体系維持上の重要性に着目した。農家菜園の平均規模は8アールで、農家規模が大きくなると菜園も大きくなる傾向が認められた。土地なし農家と小規模農家の菜園では、樹木並びに疎林は狭小である。調査地域平均では、43種類の有用樹木(果樹並びに木材用樹木)が確認された。すべての農家で果樹が最重要であり(Shanonの多様性指数はH=7.25)、ついで木材用樹種となる(H=4.83)。全43樹種のうち28種は園芸用であり、15種は用材、燃料用である。農家経営規模が大きくなると農家所得も多くなる。調査地域では多岐にわたる野菜(32種)が生産されているが、多くは自家消費むけである。ジャックフルーツ、マンゴー、ナツメヤシ、ライチ、マホガニー、ナンバンサイカチの下作としてアマランサス、インド・ホウレン草、アロイド、カボチャ、唐辛子、パイナップル、ウコン、豆類、蕪などが栽培されている。まだカントリー・ビーン、苦ひょうたん、スポンジひょうたん、ささげ、しょうがなどはジャックフルーツ、マンゴー、ライチ、マホガニー、ナンバンサイカチに這わせて栽培している。農家は菜園で生産した樹木、果物、野菜の一部を販売して所得を得ている。大規模農家では樹木からの所得が大きく、この5年間の平均で22,458カタ(バングラデシュ通貨単位:1タカは約2円に相当)に達し、ランドレス・ファーマーでは6,150タカにとどまる。総所得も農業経営規模が大きくなるにつれて多くなる。ジャックフルーツはとりわけ収益性の大きい樹種である。多くの農家は用材、燃料材より果樹を好んで栽培する。樹木の栽植にあたって問題となるのは獣害であり、調査農家の68%に及んでいる。虫害も多く、27%がその被害を報告している。菜園は、より適切な管理、調査、協力体制の整備と普及によって改善の余地がある。また、低生産性の作物を生産性の高い作目に転換することにより改善できる。
著者
米地 文夫
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.25-42, 2001-07

磐梯山1888(明治21)年噴火は,水蒸気爆発とそれに伴う岩屑なだれによる大災害であったが,噴火地点に近い磐梯温泉,中の湯の滞在客鶴巻良尊は奇跡的に助かり,詳細な手記を書簡として残した。この鶴巻の証言には噴火直後の噴石による被災の状況と,その後の避難行動が記されており,岩屑なだれを起こしたと思われる"破裂"が3度にわたり発生したことなども記載されていて,きわめて重要なものである。にもかかわらず,この噴火の学術的報告として研究者に引用されている関谷・菊池両氏の論文等は,この書簡を掲載した点は評価できるものの,証言の内容自体は黙殺したり改変したりして十分に活かしているとは言い難い。この論文では鶴巻証言から,噴石による災害は喧伝されたほど劇甚ではなかったこと,岩屑なだれ発生は山体の多段階崩壊によるものと推定できること,などを読み取り,同種災害時の避難行動に役立てようとしたものである。
著者
米地 文夫一 一ノ倉 俊一 神田 雅章
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.49-63, 2013-11

筆者等は「北上平野にとって、南部北上山地西縁は東方の異界との境界として生き続けてきたという時空間認識」を賢治が持っていた、という仮説を立て検証を行なった。賢治が北上平野に対する南部北上山地を、中国の平野に対するチベット高原(賢治のトランスヒマラヤ高原)に見立てたその背景には、この地域がかつて大和朝廷勢力軍事首長下の西の平野、奥六郡に、東のエミシの地、閉伊が対峙した時代があり、アテルイや安倍貞任などの伝説や、様々な郷土芸能、祭礼などにその歴史が変容し伝承されてきたことがある。たとえば、南部北上山地西縁部に位置する兜跋毘沙門天像を祀る寺社の配列は東方に対する結界であり、その西方は谷権現(丹内社)信仰などを持つ異界となる。しかし西側が設けたこの結界はむしろ、後々東側の西に対する結界となった。賢治もその結界は中立的な境界線というより、むしろ異界の始まりであると感じていた。
著者
米地 文夫
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.109-125, 2010-05

宮沢賢治の未完の作品「銀河鉄道の夜」の多くの登場人物のうち、燈台守は最も印象的なキャラクターの一人である。この燈台守はヘルクレス座の近くで銀河鉄道の客室内に現れる。彼は黄金のリンゴを持ってくるヘラクレスであるとともに、賢治と同郷の花巻出身の農業技術者・島善鄰博士でもあり、なおかつ北上河畔に一人立つ賢治自身でもあった。ヘルクレス座には燈台のような変光星もあり、島博士はゴールデンデリシャスを北国から日本に初めて導入している。この燈台守挿話は賢治作品における重層的世界の典型例の一つなのである。
著者
根本 理 本田 智明 高橋 誠 竹内 正人 杉山 喜則
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.35-47, 2007-12

巣外育雛期初期(巣立ち後1ヶ月間)のイヌワシAquila chrysaetosの幼鳥の生存にとって重要な親鳥からの餌の受渡状況を解明するため、2000年と2002年に福島県の同じ営巣地から巣立った幼鳥各1羽を対象に目視調査による巣外育雛期初期の餌受渡状況調査結果とビデオ撮影による巣内育雛期後期(巣立ち前10日間)の餌搬入状況調査結果との比較を行った。その結果、餌受渡回数で評価した場合、幼鳥は巣内育雛期後期と同様に巣外育雛期初期もその生存に必要な餌を親鳥からの受渡に依存していることが明らかになった。餌受渡および同じ幼鳥を対象に分析した幼鳥の飛翔能力の発達状況のそれぞれの解析結果から総合的に考察すると、ハンティング能力が未発達な巣外育雛期初期の幼鳥の生存を確保するためには、親子関係が維持できるように、この時期に幼鳥の中心的利用エリア(営巣地から半径1.2kmの範囲)で工事などを行う場合には、巣内育雛期の親鳥に対する保護対策に準じた保護対策を講じることが必要であると考えられた。
著者
黒岩 幸子
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.179-196, 1999-07-31

1992年4月、ビザ無し渡航が始まり、根室花咲港がロシア船に対し解禁になると、根室と四島の交流は急速に進んだ。相互訪問の中で、四島の現状が明らかになり、現島民であるロシア人との親交も生まれた。根室に上陸するロシア人船員の数は年間延べ2万人に達し、海産物の水揚げとともに根室経済の活性化の新しい要因となっている。1997年11月、クラスノヤルスクで行われた日露非公式首脳会談で、2000年までの日露平和条約締結を目指し、双方が全力を尽くすとの合意が達成された。根室住民は、四島との自由往来や一体化した経済圏としての繁栄など、現実的な利益をもたらす領土問題の解決を望んでいる。領土問題の解決に不可欠と考えられている、信頼醸成、経済関係の強化、さまざまな協力関係の促進などの要因は、根室と四島の間で、日露国家間に先行して進んでいる。
著者
黒岩 幸子
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.185-197, 0000

岩手県久慈市とリトアニアのクライペダ市は、琥珀を産出する小規模な沿岸都市という共通点から1989年に姉妹都市提携した。当時、ソ連邦離脱による独立回復を目指すリトアニアは、ソ連政府と対立して制裁を受けていた。久慈市は、日本政府に先んじてクライペダ市の支援活動に踏み切り、大胆な自治体外交を展開する。その結果、両市民間に友情と連帯が生まれ、両市は距離や体制の差異を超えてユニークな交流を育んでいる。
著者
細谷 昂 米地 文夫 平塚 明 佐野 嘉彦 小林 一穂 佐藤 利明 劉 文静 山田 佳奈 吉野 英岐 徳川 直人
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.1-73, 2004-01-16

中国河北省〓台市〓台県の前南峪村は、1995年以来「前南峪経済試験区」となって、模範村として全国的にも注目されるにいたっている。その理由は、(1)「生態農業」を、(2)集体経営で実施し、成功を収めたからである。つまり、(1)村を取り囲む山地に、栗やりんごなどを植林して緑化し、洪水を防ぎながら、果樹作によって経済的にも村を豊かにしたのである。しかも(2)これらの事業を、村全体の集体経営としておこなっている。人民公社時代の集体農業の非効率性を解決するために、中国では生産請負制を導入した。その具体的なやり方はさまざまであったが、一般的には、土地を個人に分配して請け負わせるという、個別化の道であった。しかし前南峪では、村民のきびしい議論を経て集体経営の道を選び、成功したのである。現在では、この集体経営のなかに工業をも導入し、その収入が畑作や果樹作を上回るにいたっている。しかし、(1)環境保全と生活の向上との両方を追求してきた「生態農業」が、経済発展のいっそうの追求のなかで環境破壊に至るのではないかという問題、そしてまた(2)集体経営におけるる「個と集団」の問題が、生活水準の向上、とくに学歴水準の向上によって「個の」自己主張という形で顕在化するのではないかという問題を抱えていることを見逃すわけにはいかない。
著者
芝田 耕太郎 岩田 智
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.17-26, 2004-09-30

長期的地価動向によれば、バブル経済崩壊以降13年間、大都市(政令指定都市以上の都市)と地方都市(人口50万人以下、中でも人口20万人以下の都市)との地価は、力格差 ^<(1)>を反映し、住宅地、商業地ともその格差が拡大している。また、東京と地方都市を比較すると、東京では、中心部ほど商業地地価が回復しているのに対し、地方都市ではむしろ中心部の方が地価下落が激しい。地方都市は東京に比較して、景気回復が遅れているだけでなく、中心部の空洞化という共通の構造的問題を抱えている。バブル経済崩壊後の大幅な地価下落を経て、現在の不動産市場は、投機需要から実需^<(2)>中心の市場へ構造的に変化した。この結果、利便生や収益性の差により、地価形成され、商業地では特に土地利用による収益力を反映し地価形成される。したがって、今日、不動産投資の主体であるREIT^<(3)>やグローバル化による外国資本は、まさにキャッシュフローによる収益性、利回りで投資判断する。東京などの大都市圏の収益性の高い物件中心に投資が行われ今後、東京とその他の大都市、さらに地方都市との地価格差は、ますます拡大しよう。 規制緩和をより促進する方向と地方への権限移譲の方向性は大いに歓迎すべきであるが、一方・経済効果のある大都市、中でも東京中心の政府の都市施策は、今一度再検討すべきであるといえる。
著者
窪 幸治
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.213-222, 2014-03

本稿は、復興過程における土地の利用調整のための制度の今後の発展可能性を探るため、現行法制上の限界がどこにあるかを導き、立法上の指針を示すため、憲法上の制約、現行各法制とのバランス、東日本大震災における都市法制の刷新について概観した。まず、憲法29条は公共の福祉への適合という制約の下、財産権の形成の自由を立法府に与え、それを具体化した土地基本法は、土地の特性を踏まえた適正・計画的利用、開発利益の社会還元や受益者負担を土地に関する原則として掲げており、未だ抽象的ではあるが、土地利用調整の可能性は相当広いものと言える。さらなる具体化には、従来の法制における規制の目的、程度、手続保障等との均衡をとる必要があり、各法制から今後の検討素材を抽出した。都市法制の刷新としては、復興特区法により都市計画がない地域、農業利用が中心となる農業振興地域も含め、復興ニーズを起点とした復興整備計画の下、土地の計画的利用の途を開いた点が評価されよう。もっとも、復興まちづくりを住民主導で果たすための集団的な自己決定や、個人への直接的な支援をもたらすための生存権の論理(憲法25条)の強調など、残された課題が浮かび上がった。
著者
米地 文夫
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.1, no.3, pp.289-302, 1999-07-31

「東海」は多義的な地名である。現在では,東海道,東海地方,東海工業地帯など,本州中部の地名として用いられることが多い。いうまでもなく本来の「東海」は,日本列島の東側の海域の名である。歴史的には,日本をとりまく海を東海,南海,西海,北海とした4区分が明治維新まで用いられていた。「東海」の範囲は伊勢湾沖から津軽海峡まで,もしくは北海道南西岸沖までであった。現在の「東海」の用例は,本来の「東海」の西半に偏っている。筆者は本来の「東海」の東半,北東日本の海岸や沖合を環境重視型の「新東海国土軸」とすることを提唱したい。
著者
信夫 隆司
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.43-90, 2001-07-01

松尾鉱山は、かつて、東洋一の硫黄鉱山であるとか、「雲上の楽園」と言われた。閉山からすでに30年以上が経過し、松尾鉱山の栄華を知る人も数少なくなってきている。今日では、松尾鉱山から出る強酸性の坑廃水の処理問題だけに関心が行き勝ちである。しかし、この問題が登場する背景をわれわれはきちんと理解しておく必要がある。そのため、本稿では、1914(大正3)年に松尾鉱業が創立される由来にまで遡り、松尾鉱山の歴史を紐解いてみた。また、松尾鉱山の生みの親である松尾鉱業初代社長中村房次郎の事跡をたどりながら、第2次世界大戦までの30年あまりにわたる松尾鉱山の歩みを跡づけた。
著者
伊東 栄志郎
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.89-102, 2012-05

T. S.エリオットは、「『ユリシーズ』、 神話と秩序」で、ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』を「神話的方法」で書いたと説明した。しかしながら、ジョイスは単に1904年のダブリンを『オデュッセイ』に平行して書いたのではなかった。彼は多くの非ヨーロッパ的要素をテクストに織り込み、ダブリンを多国籍化/国際化したのだ。本稿は、ジョイス作品群におけるユダヤ、アラビア的要素を含めたオリエンタル・モティーフを再考することを目的とする。とくに『アラビアン・ナイト』とコーランへの引喩は独立した章で分析される。キリスト教徒は聖書に描かれたユダヤ民族の歴史や民話に馴染んできた。ユダヤ人はオリエントとヨーロッパの境界に生きてきた。中世以来、ユダヤ人は西洋において、西洋人としてもオリエンタルとも見なされてきた。ユダヤ的あるいは他のオリエンタルな要素を考察することが、ジョイスの文学的東方への旅を理解する第一歩となり得るのである。「食蓮人たち」挿話の最後で、ブルームはトルコ式風呂でくつろぐ自分の姿を想像する。『ユリシーズ』では預言者ムハンマドが3度、『アラビアン・ナイト』のいくつかの物語も言及される。『フィネガンズ・ウェイク』では、ショーンはシェムのことをこう言う:「おれはやつの姿全部のコーラン定足数を、おれの網膜歳入に入れてるんだ、ムハンマドーン・マイク」(FW 443.1-2)。ジョイスは、ジョージ・ラッセルやW.B. イェーツに影響されて、神智学やオリエント研究にダブリンで興味を持った。大陸へ亡命して、彼はユダヤ人に興味を持った。そのことは『ジァコモ・ジョイス』や『ユリシーズ』に反映されている。ジョイスのトリエステでの蔵書はユダヤ人に関する数冊やアルマンド・ドミニチスによる『アラビアン・ナイト』の伊語訳も含んでいた。1920年ジョイスはパリへ行き、不特定多数の非ヨーロッパ人に出会うことができた。ジョイスのパリでの蔵書(1930年代後半)は、アングロ・アイリッシュの著名なオリエント学者リチャード・F・バートンの英訳『千夜一夜物語』やJ.-C. マードルの仏訳コーランも含んでいた。外国に暮らし、生涯を通してジョイスはダブリンを多国籍化手法で描いたが、部分的には、それは彼のキリスト教に対する双価性と東洋の他宗教の容認のおかげなのである。
著者
細谷 昂 小野寺 敦子
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.187-216, 2006-03-01
被引用文献数
3

近年農産物直売所が、関心をよんでいる。岩手県内でもあちこちの道路際に、果物や野菜を並べた直売所をよく見かける。しかし、ひるがえって農産物直売所とは何か、と考えると、答えはそう簡単ではない。いわゆる「産直」には違いないが、「産直」にもさまざまな形態がある。近ごろでは、スーパーマーケットにさえ、「産直コーナー」が開設されているほどである。さらに、農産物直売所は何を目指すべきか。農産物直売所にとって成功とは何か、となると、いっそう問題は難しくなる。農家の所得を増やすためであることはむろんだが、売れればよいかというと、問題はそう簡単ではないように思う。販売高からすれば、スーパーマーケットに到底かなわないのが多くの実情であろう。それにもかかわらず生産者側からも消費者側からも広く関心をよんでいるのはどのような特性にあるのであろうか。この稿では、まず前提的な作業として日本の青果物流通のなかでの直売所の位置づけ、その特質についてやや理論的な考察をおこなった上で、岩手県内の直売所に対するアンケート調査および面接調査の結果によってその実態を明らかにし、農産物直売所は何を目指すべきか、農産物直売所にとって成功とは何か、という問いに対する回答を模索してみたい。得られた結論はこうである。青果物直売所の成功は、売上高だけで測定されるようなものではなく、個別生産者のそれぞれの生産物の消費者への直接販売という特質が、そのことによる人格性、個別性の発揮という特質がどれだけ生かされているか、その基盤として小経営の小規模生産の特質がどれだけ発揮されているか、という観点から評価されるべきであり、さらにいえば経済的意義だけでなく、消費者との、あるいは生産者相互のパーソナル・コミュニケーション、そして地域活性化への寄与、などさまざまな社会的意義をも含めて、多面的な観点から評価されなければならない。
著者
佐藤 智子 佐々木 肇
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.115-133, 2007-03

1989年5月、松尾村は村制百周年記念行事の一つとして、八幡平音楽祭を開催した。招かれた音楽家は、オーストリア音楽大学のピアニスト、エリカ・ディヒラー教授と、オーストリア在住の声楽家佐藤喜美子氏で、招聘の仲介をしたのは松尾村の誘致企業であるグローバル伸和製薬の工藤忠利社長であった。松尾村の国際交流を考察するにあたっては、オーストリアという国と音楽、そして佐藤氏と工藤氏の存在が大きな意味をもつ。さらに、「国際交流は、音楽を通じて行うのが効果的であり、しかも感性豊かな子どもの時に行うのが理想的である」と主張し、中学生海外派遣事業を推進した石羽根重志村長の見識も重要である。本論では最初に、音楽と中学生海外派遣事業が、どのようにして松尾村とアルテンマルクト町を結びつけたのかを解き明かした。そして次に、友好都市提携後どのような交流へと発展していったのか、その軌跡を辿った。最後に、1994年の友好都市締結後10余年が過ぎた両町村の交流は、2005年8月20日の松尾村閉村式へのアルテンマルクト町民の参加を除いては、ここ3年間休止状態に陥っているが、その原因はどこにあるのかを考究した。