著者
濱田 雄太
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.8, pp.529-534, 2022-08-05 (Released:2022-08-05)
参考文献数
18

重力の量子化は,素粒子物理学最大の難問の1つとして,長年横たわっている.弦理論やホログラフィー原理を使って,様々な状況下での理解が進んでいるが,未だ完全な定式化には至っていない.そこで,少し視点を変えて,仮に重力の量子論が完成したとして,我々の世界にどんな示唆があるのか,という問いを考えてみよう.量子重力理論が完成すれば,時空の曲率がプランクスケールにまで大きくなった場合を取り扱うことができる.したがって,インフレーション期以前に存在したかもしれない超初期宇宙の超高温状態や宇宙の始まり,ホーキング輻射によりプランク長さ程度まで小さくなったブラックホールの運命,が分かると期待される.次に,重力以外のセクターについてはどうだろうか? すなわち,なぜ我々の世界は標準模型で記述されるのか,暗黒物質の正体は何なのか,電弱スケールとプランクスケールの階層性はどこからくるのか,といった疑問に量子重力理論は何か役立つのであろうか?これらに直接答えることは難しい.ここでは,このような問いに迫るための第一歩として,「量子重力理論は理論の非重力セクターに非自明な制限を与えるか?」を問いたい.仮に重力を量子化せず,古典的に扱うならば非自明な制限は得られないだろう.プランクスケール以下の低エネルギー有効理論は,古典重力理論と結合した有効場の理論で与えられる.この低エネルギー有効場の理論の立場からは,アノマリーを生成しないことにだけ注意すれば,どんな物質場や相互作用を導入しても良い.ところが,近年の発展により,一見無矛盾だけれども,量子重力と結合できない有効場の理論の集合(沼地(Swampland)と呼ばれる)が存在し,さらにそのような理論の数は,量子重力と結合できる有効場の理論の数よりも遥かに多いことが明らかになりつつある.このように,低エネルギーの立場からは一見明らかでない制限を見出そうとする研究は,量子重力の沼地問題と呼ばれ,最近研究が進展している.もちろん,完全な量子重力理論を手にしない限り,沼地は確定できないのだが,ブラックホール,弦理論,あるいはホログラフィーが正しいと仮定して,様々な角度から量子重力理論が持つべき性質を議論できる.こうして得られる(あるいは予想される)制限は,沼地条件または沼地予想と呼ばれる.最近,著者らは,低エネルギー有効理論の無矛盾性条件の詳細を注意深く調べることで,一見明らかでない隠された沼地条件を見出せることを発見した.具体的には,次の2つを考えた.1つ目は,散乱振幅の無矛盾性条件である.場の理論の基本的性質であるユニタリー性や因果性は,散乱振幅がある種の条件を満たすことを意味する.そこから,広いクラスの理論で弱い重力予想を示すことができた.2つ目は,理論に存在する位相欠陥の無矛盾性である.欠陥の動力学を記述する場の理論が無矛盾に存在することを要請して,元々の理論のゲージ群に強い制限が与えられることが分かった.さらに,我々は,様々な沼地条件をブラックホールエントロピーの有限性の一般化として理解することも提案した.また,いくつかの沼地条件とブラックホール物理との関係を明らかにした.提案は,これまで独立と思われてきた沼地条件を,より基本的な1つの原理から理解できる可能性を示唆している.今後の更なる発展により,量子重力理論の隠れた無矛盾性条件,背後にある原理が明らかになっていき,現象論への示唆,あるいは量子重力の定式化そのものへの示唆が得られることを期待する.
著者
西奈美 卓 白木 賢太郎
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.192-200, 2020-04-05 (Released:2020-09-14)
参考文献数
64

プリオンは遺伝情報をもたずに感染するタンパク質のことをいう.プリオン病は18世紀には文献として確認されていた疾患である.当時,ヒツジの個体間で感染する神経変性疾患として確認されていた.この疾患は脳組織に海綿状の異常がみられるため,伝達性海綿状脳症(TSE)と総称されていた.20世紀の半ば,放射線生物学者のTikvah Alperらは,核酸を損傷させることができる放射線をもちいてTSEに照射したところ,TSEに耐性があったことから感染因子が核酸ではない可能性を疑っていた.1982年になり,Stanley Prusinerらは,核酸を特異的に壊す5つの処理とタンパク質を不活性化する処理による結果を比較することで,TSEは核酸をもたずに感染するという仮説を発表した.タンパク質の立体構造の変化が感染するという“タンパク質単独仮説”である.この感染因子は,核酸をもつウイルスやプラスミド,ウイロイドなどと区別するためにプリオン(proteinaceous infectious particles)と名付けられた.しかし,プリオンの概念は,“核酸を介して情報を伝達する”という分子生物学のセントラルドグマに反するほか,“タンパク質の天然構造はそのアミノ酸配列にしたがって熱力学的に最も安定な構造をとる”という,アンフィンセンのドグマにも従わず,長いあいだ科学の世界に受け入れられなかった.プリオンの概念が大きく進歩したのは,1994年の酵母プリオンUre2やSup35の発見であった.出芽酵母S. cerevisiaeでは,メンデルの法則にしたがわない奇妙な遺伝現象が知られていた.Reed Wicknerらは,その現象が哺乳類プリオンの概念で説明ができるのではないかと提唱したのである.その後,いくつかの研究グループによって,Sup35の構造変化が酵母の表現型を変化させることが証明されていった.酵母プリオンは感染の評価が速やかにでき,また,ヒトへの感染も起こらないため,扱いやすい研究モデルになった.そして,酵母には他にもプリオンがあること,原核生物であるボツリヌス菌もプリオンをもつことなどがわかっていった.このようにして,プリオンの概念は,原核生物から真核生物まで進化的に保存されていることが明らかとなったのである.その間にも,プリオンに似た機構で神経変性疾患を引き起こすプリオン様タンパク質の発見や,概念としてのプリオンに迫るアミロイドの研究が著しく発展した.しかし,疾患に関わる可能性のあるプリオンの現象が,なぜ多様な生物種にわたり進化的に保存されているのだろうか?最近の相分離生物学の台頭によって,プリオンの存在理由をうまく説明できる仮説が登場している.何億年も前に別の種に分かれた出芽酵母S. cerevisiaeと分裂酵母S. pombeのどちらにも保存されてきたプリオンタンパク質として,Sup35がある.Sup35は翻訳を終結させる働きがある.酵母が飢餓状態に陥ると細胞内が酸性になるが,そのときSup35は不可逆な凝集体の形成を防ぐために液–液相分離して液滴を形成することがわかった.つまり,Sup35のアミロイドを形成してプリオンを引き起こす領域は,同時に,液滴を形成して細胞の飢餓ストレスに応答するために働いていたのである.このように,タンパク質の溶液物性に還元して生命現象を理解するのが相分離生物学の見方である.
著者
深井 有
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.354-360, 1993-05-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
34
著者
五十嵐 靖則
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会講演概要集 71.2 (ISSN:21890803)
巻号頁・発行日
pp.3155, 2016 (Released:2017-12-05)

前回は、電磁誘導起電圧の発生機構の説明について誤解や混乱を回避する方法を提案した。今回は、「電磁誘導起電圧の働き」についての高校や大学の物理テキストに見る誤解や混乱を指摘するとともに、正しい理解の仕方を具体例を示し提案する。
著者
早川 竜馬 Tuhin Shuvra Basu 若山 裕
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.5, pp.298-303, 2022-05-05 (Released:2022-05-07)
参考文献数
29

単分子を集積回路の構成要素とする分子デバイスのアイディアは,1974年にAviramとRatnerによる分子ダイオードの提案に始まる.その後,単分子接合を効率的かつ再現性よく形成する技術が確立され,単分子トランジスタや単分子メモリなど興味深いデバイス提案がなされてきた.しかしながら,50年近く経った現在でも,未だ実用化には程遠いのが現状である.分子の持つ“優れた量子機能”を如何に実用デバイスの中で発現するかが重要な鍵となる.一方で現在のエレクトロニクスを支えるシリコンデバイスも大きな転換点を迎えている.素子の微細化によるトランジスタの高性能化は限界を迎え,従来とは異なる新しい動作原理で駆動するトランジスタの開発が求められている.そのため,ソース電極からドレイン電極へ流れる電荷の流れをトンネル効果により制御するトンネルトランジスタは,高速動作,低消費電力を兼ね備えた次世代トランジスタとして期待されている.しかしながら,“0”と“1”の2値動作という点では従来のトランジスタと変わらない.上記背景から,筆者らは現在のシリコンプロセスに適合した分子トランジスタを開発するため,分子を量子ドットに用いた縦型トランジスタを提案している.分子は,原子レベルで厳密に規定された均一な粒子であり,サイズ分布の無い理想的な量子ドットとして機能する.分子の持つ離散準位(分子軌道)を利用した単電子トンネル伝導を誘起できれば,低消費電力化に加え,多値化が実現でき,トランジスタのさらなる高性能化が期待できる.これまで,トランジスタの基本構造である金属–絶縁体–半導体構造の絶縁膜にC60分子を始め様々な分子を集積し,2重トンネル接合として機能することを示してきた.本研究では,上記トンネル素子をさらに縦型トランジスタのチャネル層に応用し,分子軌道を反映したトンネルトランジスタ動作を実証したので報告する.C60分子は3重縮退した最低空軌道と5重縮退した最高被占軌道を持つ.そのため,単一電荷が縮退した分子軌道へ注入されると帯電エネルギーにより縮退準位がシフトし,異なる準位として観測される.実際,20 Kにおいて測定したドレイン電流–ドレイン電圧特性において,縮退した分子軌道が等間隔に観測され,単電子トンネル伝導を確認した.オーソドックス理論を用いたシミュレーションから導出したトンネル接合容量を用い,量子ドット径を算出したところ1.3~1.9 nmとなった.これは,C60分子1~2個分に相当する.チャネル層には104–105個の分子が存在しているが,各分子が孤立分散しているため,少数分子に起因するトンネル伝導を観測できる.また,300 Kにおいても上記伝導機構が維持されており,室温動作も視野に入る.さらに僅か5 nmのチャネル長であるにもかかわらず,4桁にわたるドレイン電流のゲート変調に成功した.これは,分子軌道の変調効果に加え,シリコン基板内に形成される空乏層によりドレイン電流が効果的に制御された結果で,分子をシリコンデバイスに集積する一つの利点と言える.今後,様々な機能性分子を用い,無機材料では実現できない“分子固有の機能”を兼ね備えた次世代トランジスタが実現できると期待される.
著者
東辻 浩夫
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.10, pp.637-640, 2020-10-05 (Released:2020-12-10)
参考文献数
8
被引用文献数
1

物理教育は今 国際物理オリンピック過去問シリーズ落ちないばねの不思議――国際物理オリンピック2019の理論問題
著者
湯浅 年子
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.273-291, 1979-04-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
10
被引用文献数
1

(希望は夜の空の如きもの. それは, ひたすら, みつめる瞳が探す星を見出せない程の真の闇ではない. -Octave Feuillet) 1932年頃から幾多の切断はあり乍らも辛うじて続けて来た研究について書く機会を与えられた. その際, 私の第一の希望がこれまで発表した論文のリストを日本にも残しておきたいという事なので, 当欄の趣意には添わないが解説で述べる「少数核子の問題」以外については付記した原論文を参考にしていただく事にして, 幾つかの研究を記述するに止める. 私のして来た事が果して研究といえるか, 諸賢の御批評を仰ぎたい.
著者
矢島 達夫 清水 忠雄
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.78, no.10, pp.613, 2023-10-05 (Released:2023-10-05)

追悼霜田光一先生を偲んで
著者
金子 邦彦
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.43, no.9, pp.689-697, 1988-09-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
44
被引用文献数
1

自然現象の中には, 自由度の大きい系がもたらす, 時間的にも空間的にも複雑な振舞が数多く見られる. 流体系での乱流現象はむろんのこと, 固体物理の非線形現象や化学反応や光学系, 更には生命現象にも例は挙げられる. ここでは, そのような現象を自由度の大きいカオスとして捉え, その為のプロトタイプとしてのモデル, coupled map lattice (CML) を提唱する. そのsimulationをもとに, 時空力オスの諸現象を概観し, 更に, 定量的記述法, 非線形素子としての可能性などについても触れたい.
著者
岩沢 宏
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.20, no.6, pp.424-426, 1965-06-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
19
著者
菊池 誠 永田 新太郎
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会講演概要集 71.2 (ISSN:21890803)
巻号頁・発行日
pp.3136, 2016 (Released:2017-12-05)

進化的に作られた生命現象がどれほど珍しいかを考える試みの一つとして、タンパク質折れたたみのファネル的エネルギー景観の珍しさを検討した。折れたたみ過程を抽象化したランダム・グラフ上のランダム・エネルギー・モデルを考える。エネルギーが下がるノード間遷移だけで変性状態から天然構造へ到達できるものを理想ファネルと呼ぶ。グラフに対する理想ファネルの実現確率を求め、その分布から「珍しさ」を議論する。
著者
菊池 誠
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会講演概要集 72.1 (ISSN:21890803)
巻号頁・発行日
pp.3121, 2017 (Released:2018-04-19)

生命現象の「珍しさ」を理解する第一歩として、タンパク質のFolding Funnelがどれくらい珍しいかを調べている。タンパク質折れたたみの構造空間をランダムネットワークで表現し、各ノードにランダムにエネルギーを与えたモデルを考える。たくさんのネットワークに対し、エネルギー構造がファネル的になる確率を数値計算によって求め、分布を調べる。分布を厳密に数え上げられるサイズを扱った前回に続き、より大きなネットワークをモンテカルロ法で調べた結果を発表する