著者
福田 泰子
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.1-31, 2006-06-30

本稿は,「言語論的転回」以降,カルチュラル・スタディーズを含む社会科学のフィールドで力を持つ「構築主義(constructionism)」に半ば賛同しつつ,そのアンチ実在論的スタンスに対し,身体という問題領域から疑問を投げかける。むしろ構築主義は拡張され,言説が物質的次元に至るまで構築することを記述するべきではないか。また,実在の身体と言説の相互交通的な関係のダイナミズムが,実際の現実を構成していることを従来の構築主義が隠蔽する恐れを指摘する。本稿は,こうした方法論に基づき,今日の欧米型消費社会,およびグローバリゼーションによるその世界的展開において,身体についての多元的な言説が身体的な現実をいかに構築してゆくかを明らかにする。「多元的自己」に対応するよう身体も複数の<意味>を生きるよう強いられている。これは単に表層に留まらず,身体性の深層にまで影響を持つ。ホメオスタシス・フィードバック,解離,変性意識状態といったターミノロジーとの接合により,今日の文化状況に向けて発信する。
著者
水野 均
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.273-294, 2004-12-31

『朝日新聞』は1970年における日米安保条約の延長問題について,「ベトナム戦争での米軍の在日基地使用や核持ち込み疑惑等,安保条約に対して世論の抱く不満を解消する」ことを条件に同条約を容認するという姿勢で臨んだ。具体的には,日本の対米軍支援が行き過ぎないように警鐘を発する一方で,世論や安保条約反対勢力には安保条約の廃棄を求めるような運動を沈静化するように務めた。これは,安保条約の自動延長及び1972年における沖縄の「核抜き・本土並み」返還をもたらすこととなった。しかし,「極東」の範囲,「事前協議」の対象,「非核三原則」の実効性等,安保条約上の問題は曖昧なまま残った。その結果,「日本が対米防衛を明示しないまま米国に対日防衛を依存する」という構造を残したまま,日米安保条約は期間と適用地域を延長することとなった。
著者
近藤 恭子
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.1-77, 2004-09-30

本論文は「日本はどのように西洋(特に英国,米国)のメディアによって報じられているか」に関する観察と分析である。娯楽用としか思えない歪曲,誇張された内容の記事が一流の高級紙の紙面をかざることを問題とする。そうしたソフト・ニュースを対象とした論文である。外国報道には様々な思惑としたたかな計算とがある。こういった記事が何故書かれるのか。どうしてその国の人々にとっての「娯楽」となり得るのか。そこに散りばめられているステレオタイプ・イメージはどういう歴史を持っていて,なぜ再生されて生き続けるのか。New Journalismと名付けられるこういったメディアの特徴を整理する。ここに登場する日本は外国が手に掲げる「歪んだ鏡」に写し出された日本である。日本はそれを放置すべきか,また何らかの手を講ずるべきか。

3 0 0 0 IR 奪われた王妃

著者
花田 文男
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.13-44, 2011-03
著者
花田 文男
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.17-38, 2004-12-31

殺害者がいると死体は血を流す,血を流して殺害者を告発することは中世人にとってはあり得べきことであった。古くから受け継がれた伝承,信仰であると同時に事実の認識であった。中世の歴史家はたびたびその事実を報告している。おそらく死者にも意思が存在するという信仰の名残りであろう。とりわけ非業の死をとげた者ほど強い意思,うらみが残った。このモチーフを文芸作品の中ではじめて用いたのは12世紀後半のクレチアン・ド・トロワである。『イヴァン(獅子の騎士)』では,イヴァンは致命傷を負わせた騎士を追ってかえって城の中に閉じこめられる。魔法の指輪によって姿の見えなくなったイヴァンの前を騎士の遺体が通ると,遺体から血が噴き出す。遺体から血が流れているのに,犯人が見当らないことに周囲の者は不思議に思う。作者がどこからこの想を得たかは不明にしても,殺害者が自ら殺した者の葬列の場に居合わせざるをえないという状況がこのモチーフを用いさせた動機となったのではなかろうか。彼の追随者たちは好んでこの主題を取り上げるが,師ほどの成功を収めることはなかったようだ。