著者
杉浦 一雄
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.78-62, 2006-12-31

光源氏は、スサノヲノミコトをはじめとする「異郷をめざす物語」の主人公として描かれながら、俗世に身を置き、現実の世界に重きを置いている点で、かぐや姫、在原業平、そしてスサノヲノミコトの生き方とは明らかに様相を異にしている。このような光源氏の人物像は、一体何を模範として造型されたのであろうか。私はその最も強固な源泉の一つに聖徳太子があると考える。光源氏と聖徳太子とのかかわりは指摘されて久しいが、実は二人を結ぶ決定的な共通点こそ、「異郷」に深く心を寄せながらも、俗世に身を置き、現実の世界に「異郷」を現出しようと努めた点にあると私は考えたい。すなわち光源氏は、一面で、スサノヲノミコトには見られない現世尊重の精神を聖徳太子から受け継いだ人物であったと言うことができよう。その意味で聖徳太子は、光源氏の数あるモデルの一人というだけでなく、『源氏物語』を支える二本柱の一つとして、スサノヲノミコトに匹敵する重要な存在だったと結論することができるのである。
著者
中村 壽雄
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大論叢 (ISSN:03854558)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.317-326, 2014-09
著者
石山 嘉美
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大論叢 (ISSN:03854558)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.61-71, 2008-03

株式リターン(キャピタルゲインと配当の和を株価で割ったもの)の研究の歴史は長い。その中でメインテーマとなってきたのは,それが予測可能かという問題である。予測は不可能とする研究者が使ってきたモデルはランダムウォークのモデルであり,これは明日,来月のリターンをサイコロを振ったときに出る目の数と同じようにランダムな変数と考える。データによってこのモデルを検証すると棄却されることが多いので,ランダムウォーク説は否定されていると見ていい。これに対立するものとして,株式リターンの時系列データの中に系列相関があるという見方があり,その検証も行われてきた。大多数の研究は,期間のとり方に応じ,正または負の系列相関があることを示している。これは一定の予測可能性の存在を示すものである。
著者
関口 雄祐
出版者
千葉商科大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2010

目的は,幼児における活動と睡眠が精神的安定にどのように影響を与えているのかを明らかにすることである.保育園児を対象に,午睡制限(通常2時間を,1時間に変更)が精神的行動的にどのような影響を与えるのか,CBCLを用いて評価した.その結果,年齢別では,3歳児クラスは午睡制限が問題行動の増加を引き起こし,4・5歳児クラスでは,問題行動の減少が見られた.また,5歳児クラスについては,周辺環境の異なる複数の保育施設で比較しても,共通して午睡制限は問題行動の減少を示した.これらの結果は,4・5歳児クラス(すなわち4~6歳児)では,QOLの観点から,午睡時間を減らした生活リズムを考えることが必要なことを示唆する.
著者
平井 友行
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大論叢 (ISSN:03854558)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.23-30, 2007-12

本稿では,最近期,個人の資産運用においても,少しずつ取り上げられるようになったオルタナティブ投資について論じてみたい。「絶対リターンを追及する」等々オルタナティ投資ついては様々なフレーズで表現される。こういった環境の中,オルタナティブ投資を我が国において先行的に開始した確定給付型企業年金運用の運用手法の在り方を参考にしつつ,今後,個人がオルタナティブ投資に取り組むにあたって冷静に留意すべき点を抽出しようとした。オルタナティブ投資において,最近期,我が国で喧伝されているフレーズにはその資産特性を十分に検討すること無く,過去のヒストリカルトラックレコードなどをベースに投資が行われることが多い。確定給付型企業年金のような機関投資家ですら,例えば,ヘッジファンドの特つリターン・リスク特性については,非常に詳細な検討を施し,投資を実施しようとしている。個人投資家にとっては,ヘッジファンドにおいてもファンドオブファンズの投資が限界だとした場合,個別のシングルファンドの運用機関選択は専門的なゲートキーパーに依存せざるをえない。ただ,しかし,自身のポートフォリオを構成する場合には,現資産であるシングルファンドが総体としてどのような特性を有する投資対象群であるかを十分に検討する必要がある。最近期,生じているサブプライム問題も,証券化という手法を通じて,原資産の特性を変化させた,恰も,原資産の特性を離れた,リスク・リターン商品が出来上がるような誤解の中で問題が深くなりはじめている。更に,過剰流動性を背景にレバレッジを生じることで,表面上のリスク・リターンは大きく生じているように見えるというものである。伝統的資産の分散投資においても,最適化計算によって「魔法の」資産配分が導かれるわけではないこと,やはり,内外株式,内外債券といった伝統的資産の特つリターン・リスク特性を十分に把握するといった投資対象の検討が重要である。オルタナティブ投資といっても,何か特別な資産がある日突然生じたわけではないこと,何といっても,資産の特つ特性についてじっくりとした検討を経て初めて投資対象となることを我々は肝に銘じて置くべきである。
著者
岩間 一弘
出版者
千葉商科大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011

本研究は、(1)日本人の上海観光と上海の観光都市化、(2)上海におけるクリスマス消費のユニークな大衆化過程、(3)上海における日本式食文化の現地化に関して、それぞれ具体的な研究成果を得た。 日本での中国趣味は 1920~30 年代に盛んとなり、当時の日本人旅行者が抱いた西洋的な上海の幻想は 1980 年代に継承された。1920 年代から上海でクリスマスディナーやクリスマスプレゼントが普及したが、それに対する消費者の認識や位置づけは欧米や日本と異なった。また、現在の上海の和食チェーンレストランでは日本と異なるメニューが提供され、日本と異なる食べ方によって受け入れられている場合が多い。
著者
森本 三男
出版者
千葉商科大学
雑誌
CUC view & vision (ISSN:13420542)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.6-9, 2007-09

企業のM&A (merger & acquisition,合併・買収)については、戦略・金融・財務論からの研究が多く、内容的にもかなり充実し蓄積が進んでいる。最近では、三角合併の解禁や投資ファンドによるM&Aに関係させた企業防衛策や企業統治からの論考も少なくない。しかし、M&Aの実質的効果を問題にすれば、M&Aの戦略的・計量的な経営的効果もさることながら、その持続的効果としての組織統合がより重要であることを看過すべきでない(林、1989)。モノではなく人の集団である企業のM&Aの7割は失敗しているとの指摘(産経新聞07.6.6)もある。そこで以下では、after mergerないしpost M&A managementの中心課題である組織統合を、組織文化の視点から考察する。
著者
戸村 幸一
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.13-32, 2007-12

現代日本語の,ここ数十年にわたる史的変移を探る,これが本稿の目的である。世代間のコトバの違いに対し,旧世代は新世代のコトバを「乱れ」と片づけてしまいがちだ。だが,乱れとは,消えてゆく,あるいは消えてゆかざるをえないコトバと,生まれてくる,あるいは生まれてこざるをえないコトバとのせめぎ合いである。乱れ,と言うよりは,それは,史的必然性をもった変移である。発音,語彙,語義,語法,表記などあらゆる範躊での変移の様子を探ってみる。
著者
馬上 紗矢香
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.123-149, 2004-03-31

Kate ChopinによるThe Awakening(1899)にはEdnaの生まれ育った土地,そしてクレオール社会の二つの文化が登場する。本稿ではそれら二つの異なる文化,そして作品中の舞台の変化について精読した上で,Ednaの目覚め,入水についての分析を行う。まず対比点について考える前に,面文化の女性に対する共通意識について論じている。アメリカ人であるEdnaの文化背景とアメリカ的と言うよりはるかにフランス的であるクレオールの文化の共通点を探るために本稿では19世紀アメリカ社会で女性に求められていたいくつかの概念とクレオール社会の比較を行う。続いてクレオール文化とEdnaの育った文化の違いについて考察を試みる。Ednaの回想,そして彼女の父の様子などから,Ednaの故郷では何事にも真剣であること,自己の感情を表に出さないことなどをうかがうことができ,Ednaも家族同様,これらの性質を持った人物として描かれている。一方クレオール社会は貴族的生活,騎士道愛,女性の美,そして開放的性格などによって特徴づけられる。二文化を比較してみると対照的な点が目立っており,これらの違いからEdnaはクレオール社会で孤立するが,一方でそのロマンスや自由に感情を表現する性格にEdnaは惹きつけられ,自己の内面に気づき,社会の女性観に逆らって行くのである。また,Ednaの変化に寄与したのは文化間の相違だけではなく,作品中の舞台の変化も大いに役立っている。クレオールの女性社会であり,Ednaがそれに触れることで自己に気付くGrand Isle,幻想的な雰囲気の中,おとぎ話のような描写やEdnaの本能的行動が強調されて描かれるCheniere Caminada,そして家事や社会慣習といった制約が多く存在し,女性は家の中に閉じ込めてしまうNew Orleansといった3つの舞台の比較も行う。これら二つの文化の共通点と相違点,さらには舞台の変化といった文化背景について確認した上で,本稿では最後に主人公Ednaの「目覚め」について論じている。Ednaは確かに自己の本質と欲望には目覚めたが,いくつかの点で目覚めていないと言う事も確認できる。文化的差異,舞台の変化がEdnaを何に目覚めさせ,何に対して盲目であったのか。これらを明らかにすることで彼女の結末について分析を試みる。
著者
鎌田 光宣
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大論叢 (ISSN:03854558)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.31-40, 2007-12

This paper is a part of my study on drawing methods for computer graphics to make Japanese cartoon. I suggest a technique to illustrate hair by using toon rendering method. Firstly, I outline the relation between the toon rendering and animation. Secondly, I explain a technique to write hair on a three-dimensional computer graphics (3DCG), and consider about problems we face when applying it to animation. Finally, I suggest a method to make a contour model for hair automatically to solve the problems.
著者
本間 靖夫
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大論叢 (ISSN:03854558)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.1-30, 2006-09-30

本稿は1956年(昭和31年),当時の日本火災海上保険株式会社がひきおこした架空契約事件,いわゆるテーブル・ファイア事件(机上火災事件)の顛末とそれがもたらしたものについての事例分析を通して,損害保険会社の公共的性格と社会的責任を検討したものである。ここでは事件をできるだけ事実に則して具体的に多面的に示すこと,また本来の補償機能とともに金融仲介機能や貯蓄機能を併せもつようになった金融機関としての損害保険会社と銀行の公共的性格と社会的責任を,業務と経営,ならびに法的側面から比較検討することを心がけた。ここでいうテーブル・ファイア(机上火災)とは,損害保険会社の代理店に対する規定を超える手数料支払いの財源を確保するため,帳簿上で架空の火災保険契約が罹災したことにして資金を捻出する方法をいう。この事件を契機に損害保険業界は戦後の混乱期を脱して,高度成長期の損害保険事業の正常化と健全な発展に資する1つの革新をなしとげ,秩序ある市場構造が確立したと評価することができる。本稿の事例分析は,経済環境の変化に伴い現在,金融機関のみならず一般の企業の公共性と社会的責任のあり方を検討する広範な課題のための素材を提供するものともなる。本稿の構成は以下のとおりである。はじめに 1.損害保険の仕組みと損害保険事業の法制 2.戦後損害保険事業の発展と正常化 3.「日本火災事件」の経過 4.事件の結果と争点 5.事件をもたらしたものと事件の意味 むすびに代えて一銀行の公共的性格との比較
著者
師尾 晶子
出版者
千葉商科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、2004年~2006年度の科研費補助金による研究課題「古代ギリシアのポリスにおける碑文慣習文化に関する研究」(課題番号16520450)の継続研究である。前研究においては、碑文文化がどのように成立してきたか、どのように展開されたかについて焦点を当ててきたが、本研究ではポリスの中心聖域に建立された大部分の碑文が外交に関わる碑文であることに注目し、とくにデロス同盟関連の碑文について決議年代の再考を含めて再検討し、それを碑文文化の展開というより大きな枠組みの中に位置づけることを試みた。古代ギリシアの碑文文化をめぐっては1980年代末ころより研究が活発になってきており、今日まで続いている。史料の時代的な偏在、場所的な偏在から、その議論の中心は古典期のアテナイにあるが、そのうち前5世紀については、20世紀前半にはその歴史像が固められたデロス同盟研究に多くを負っている。一方、デロス同盟関連の個別碑文については,いくつかの重要な碑文の決議年代について再考を迫る研究成果が多く出されている。にもかかわらず、デロス同盟史の記述には反映されず、結果として碑文文化の研究にも反映されてこなかった。本研究では、新しい研究成果を取り入れた上で、また自身もその新しい研究動向に貢献する中で、アテナイにおいて決議碑文を建立する文化がどのような歴史的経緯の中で成立したのか、またそれがアテナイにおける外交のあり方をどのように反映したものであるのかを考察した。安易にアテナイ民主政と関連づけられてきた碑文文化をめぐる議論に警鐘を唱えるとともに、アクロポリスの変遷の歴史をふまえて決議碑文建立の文化の成立について考える必要のあることを示し、アクロポリス再建事業の一つの結果として外交に関わる決議碑文をアクロポリスに建立するという文化が成立したことを明らかにした。