- 著者
-
師尾 晶子
- 出版者
- 千葉商科大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2007
本研究は、2004年~2006年度の科研費補助金による研究課題「古代ギリシアのポリスにおける碑文慣習文化に関する研究」(課題番号16520450)の継続研究である。前研究においては、碑文文化がどのように成立してきたか、どのように展開されたかについて焦点を当ててきたが、本研究ではポリスの中心聖域に建立された大部分の碑文が外交に関わる碑文であることに注目し、とくにデロス同盟関連の碑文について決議年代の再考を含めて再検討し、それを碑文文化の展開というより大きな枠組みの中に位置づけることを試みた。古代ギリシアの碑文文化をめぐっては1980年代末ころより研究が活発になってきており、今日まで続いている。史料の時代的な偏在、場所的な偏在から、その議論の中心は古典期のアテナイにあるが、そのうち前5世紀については、20世紀前半にはその歴史像が固められたデロス同盟研究に多くを負っている。一方、デロス同盟関連の個別碑文については,いくつかの重要な碑文の決議年代について再考を迫る研究成果が多く出されている。にもかかわらず、デロス同盟史の記述には反映されず、結果として碑文文化の研究にも反映されてこなかった。本研究では、新しい研究成果を取り入れた上で、また自身もその新しい研究動向に貢献する中で、アテナイにおいて決議碑文を建立する文化がどのような歴史的経緯の中で成立したのか、またそれがアテナイにおける外交のあり方をどのように反映したものであるのかを考察した。安易にアテナイ民主政と関連づけられてきた碑文文化をめぐる議論に警鐘を唱えるとともに、アクロポリスの変遷の歴史をふまえて決議碑文建立の文化の成立について考える必要のあることを示し、アクロポリス再建事業の一つの結果として外交に関わる決議碑文をアクロポリスに建立するという文化が成立したことを明らかにした。