著者
長田 年弘 木村 浩 篠塚 千恵子 田中 咲子 水田 徹 金子 亨 櫻井 万里子 中村 るい 布施 英利 師尾 晶子 渡辺 千香子 大原 央聡 中村 義孝 仏山 輝美 加藤 公太 加藤 佑一 河瀬 侑 木本 諒 小石 絵美 坂田 道生 下野 雅史 高橋 翔 塚本 理恵子 佐藤 みちる 中村 友代 福本 薫 森園 敦 山本 悠貴
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01 (Released:2013-05-15)

本研究課題は、研究代表による平成19-21年度基盤研究(A)「パルテノン神殿の造営目的に関する美術史的研究―アジアの視座から見たギリシア美術」の目的を継承しつつ再構築し、東方美術がパルテノン彫刻に与えた影響について再検証した。古代東方とギリシアの、民族戦争に関する美術について合同のセミナーを英国において開催し、パルテノン彫刻をめぐる閉塞的な研究状況に対して、新しい問題提起を行った。平成21年開館の、新アクロポリス美術館の彫刻群を重点的な対象とし撮影と調査を行ったほか、イランおよびフランス、ギリシャにおいて調査を実施した。研究成果を、ロンドンの大英博物館等、国内外において陳列発表した。
著者
浦野 聡 師尾 晶子 太記 祐一 草生 久嗣 中谷 功治 小笠原 弘幸 深津 行徳 益田 朋幸
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01 (Released:2012-04-24)

北翼廊の床面を開き、第1室、北1号墓から北4号墓までの4基の墓の存在を確認し、床面モザイクの状況を確かめた。引き続き、保存作業を行った。得られた知見の要点は以下のとおり。1, 北1、3、4号墓は、北翼廊を3つに分かつ仕切り壁のうち、仕切り壁1と3と構造的に一体の物であり、同時期に作られたと考えられる。また、これらの構造体が作られた際には、床面が撓曲したり、火災により剥がれており、これらの構造物は床面の撓曲や剥がれを修復する作業と同時に築造されているということが判明した。これら3つの墓の下には、古い段階の墓の存在は確認されず、したがって、第1室は、現地有力者、あるいは、聖職者の墓室とするために、ある時期(おそらくビザンツ中期)に、墓とともに築造されたことが推定される。これらの墓は、のちに盗掘にあっており、埋葬されていた人骨は、床面に打ち捨てられていた。被葬者は不明である。北2号墓は、床下に築造されていたが、簡易な蓋石をかけられ、また、床上に墓があったことを想定させる側板が原位置に近い場所に発掘されたので、もともとの2号墓が盗掘にあったのち、わざわざ床を壊して新たに築造されたものと考えられる。2, 床面モザイクは、側廊から翼廊の第1室と第3室に連続する形のモチーフを持っており、第二室を占めるモザイクと、制作時期には違いがないと思われるものの、テッセラの大きさが大きく、より安価な作りになっていた。外縁部への投資が中心部分への投資に比べて少なかったことを示している。これらのモザイクは、現存する聖堂が建てられた時期(5世紀から6世紀)に属するものと考えられる。3, 第1室と第3室からは、羊蹄類を中心とする動物骨が多数発見された。これは、聖堂のこの部分が、聖堂放棄後にも、宗教的用途とは別の用途で使用され続けたことを示す。4, 年度末にこれまでの知見を総合して、国際シンポジウムで発表を行った。
著者
桜井 万里子 橋場 弦 師尾 晶子 長谷川 岳男 佐藤 昇 逸身 喜一郎
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007 (Released:2007-04-01)

古代ギリシア世界、とりわけポリス市民共同体において、前古典期までに成立、発展してきた社会規範と公共性概念に関して、その歴史的発展の様相を明らかにするとともに、古典期におけるそれらのあり方、とりわけ公的領域と私的領域の関係性を、法や宗教など諸側面から浮かび上がらせた。
著者
師尾 晶子
出版者
千葉商科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007 (Released:2007-04-01)

本研究は、2004年~2006年度の科研費補助金による研究課題「古代ギリシアのポリスにおける碑文慣習文化に関する研究」(課題番号16520450)の継続研究である。前研究においては、碑文文化がどのように成立してきたか、どのように展開されたかについて焦点を当ててきたが、本研究ではポリスの中心聖域に建立された大部分の碑文が外交に関わる碑文であることに注目し、とくにデロス同盟関連の碑文について決議年代の再考を含めて再検討し、それを碑文文化の展開というより大きな枠組みの中に位置づけることを試みた。古代ギリシアの碑文文化をめぐっては1980年代末ころより研究が活発になってきており、今日まで続いている。史料の時代的な偏在、場所的な偏在から、その議論の中心は古典期のアテナイにあるが、そのうち前5世紀については、20世紀前半にはその歴史像が固められたデロス同盟研究に多くを負っている。一方、デロス同盟関連の個別碑文については,いくつかの重要な碑文の決議年代について再考を迫る研究成果が多く出されている。にもかかわらず、デロス同盟史の記述には反映されず、結果として碑文文化の研究にも反映されてこなかった。本研究では、新しい研究成果を取り入れた上で、また自身もその新しい研究動向に貢献する中で、アテナイにおいて決議碑文を建立する文化がどのような歴史的経緯の中で成立したのか、またそれがアテナイにおける外交のあり方をどのように反映したものであるのかを考察した。安易にアテナイ民主政と関連づけられてきた碑文文化をめぐる議論に警鐘を唱えるとともに、アクロポリスの変遷の歴史をふまえて決議碑文建立の文化の成立について考える必要のあることを示し、アクロポリス再建事業の一つの結果として外交に関わる決議碑文をアクロポリスに建立するという文化が成立したことを明らかにした。
著者
長田 年弘 篠塚 千恵子 水田 徹 金子 亨 師尾 晶子 櫻井 万里子 櫻井 万里子
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2007 (Released:2007-04-01)

本研究課題は、水田徹(当時の研究代表)によって平成6年に開始されたパルテノン彫刻共同研究を発展的に継承するものである。ギリシア、アテネにおいて築いた各美術館との協力関係を土台としてパルテノン彫刻に関する総合的研究を進めた。アジアを視座とするギリシア美術史研究を推進した。