著者
山田 瑞紀 ヤマダ ミズキ Yamada Mizuki
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.260, pp.120-136, 2013-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第260集『境界と差異の社会学』 米村 千代 編"Sociology of Boundary and Difference" Report on the Research Projects No.260
著者
大内 郁 オオウチ カオル OOUCHI Kaoru
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.16, pp.66-79, 2008-03

ドイツの精神科医プリンツホルンが精神疾患患者による絵や彫刻作品を研究して著した書物『Bildnerei der Geisteskranken』は、1920~30年代の日本で度々の紹介や同様の実践がなされて受容された。精神科医の式場隆三郎や野村章恒ら、当初積極的にこの受容に関与した少数の自然科学系学者たちの行動の背景には、当時の領域横断的な新しい思考としての「科学」への期待があり、プリンツホルンの「精神病理学的」取り組みは先進的研究として受容されている。しかし、この精神病理学的な芸術作品の解釈は、1930年代半ばより、一方でナチス・ドイツの「退廃芸術」理論に取り込まれるなど、逆説的に前衛芸術排斥の言説としても現れはじめる。それらの言説が日本の美術界に移入されることを一つの機にして、式場らのプリンツホルン受容が「沈黙」に転じていった姿が見られるだろう。
著者
石井 宏典 イシイ ヒロノリ ISHII Hironori
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.21, pp.108-121, 2010-09

2009年衆議院総選挙では「脱官僚・政治主導」の旗印の下、歴史的政権交代が行われた。これまでわが国においては、官僚機構が最大のシンクタンク機構として時の政権の政治行政における知恵袋として機能してきた。しかし近年新たな民間非営利のシンクタンク、また政党シンクタンクの創設など日本のシンクタンク文化が大きく変化しつつある。シンクタンクの定義は各国の事情に即したものであり一概に確定しきれないが、本稿ではその歴史と動向を紹介し、萌芽期にある日本のシンクタンクの現状と今後の可能性を公共哲学の理念からシンクタンク論へと結びつけ、これまで調査委託研究が主であった調査型から提案型・提言型による「新しい日本型シンクタンク」の導入可能性について言及する。その実現への大きな三段階の柱を〈公共〉〈政策理念〉〈実践〉として、日本型シンクタンクの独自性を明らかにしたい。
著者
大塚 萌
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.30, pp.158-176, 2015-03

近年海外から日本のサブカルチャーへの注目が高まり、マンガやアニメ作品が次々と輸出・翻訳されている。ドイツでも日本のマンガが数多く翻訳・出版されている。マンガが翻訳されるとき、日本語独特の表現や語彙をどのように翻訳するかが問題となる。本論では呼称表現のドイツ語版の翻訳語選択について、特に日本語語彙流入の変遷を考察する。分析対象として、日本のマンガブームの初期から長期にわたってドイツ語版が翻訳・出版された『新世紀エヴァンゲリオン』を使う。まず、先行研究を参考に、マンガにおける文字テクストの定義・分類を行い、さらにドイツのマンガを取り巻く環境を見る。その上で、家族に対する呼称表現と呼称接尾辞を使った表現のドイツ語翻訳例を調査し、分析する。その結果、年代が下るに従って日本語語彙をそのままドイツ語版の翻訳語として採用する傾向があることが分かった。
著者
佐竹 彬 サタケ アキラ SATAKE Akira
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.203, pp.57-66, 2011-02

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第203集『哲学的自然主義の諸相の展開』田島正樹 編"Recent developments of the philosophical naturalism" Report on Research Project No.203
著者
小林 美紀
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.17, pp.199-214, 2008-09

アイヌ語では名詞を抱合した動詞形というのが見られる。先行研究では他動詞の主語抱合、他動詞の目的語抱合、自動詞の主語抱合があり、抱合される名詞の意味役割は他動詞の対象、自動詞の対象、充当接頭辞によって道具や場所も可能であり、名詞+自動詞の場合、その動詞は非対格自動詞であることがすでに指摘されている。本稿ではこれを踏まえ、動詞に名詞が抱合され結果として、名詞句を一つ取る一項動詞が形成される場合、残りの一つを埋める名詞はその意味役割が動作主である場合、対象である場合、(抱合された名詞の)所有主である場合もあり、ときには基本形の項ではない場合もあるが、いずれの場合も格表示は主格となり、主語となることを述べる。そして、一項動詞が使役接尾辞を取らずに名詞を抱合する際には、一項動詞に名詞が直接抱合される場合であっても、動詞に充当接頭辞が接頭した上で名詞が抱合される場合であっても、その動詞は対象を主語とする非対格動詞であることを述べる。
著者
王 書[イ]
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-14, 2011-03

大正作家と中国との関連を言うとき、すぐ思い浮かぶのは谷崎潤一郎、佐藤春夫、芥川龍之介、木下杢太郎などといった作家ぐらいで、その数が明治時代と比べるとずいぶん少ないが、しかし、右の作家たちはいずれも大正時代においての大家であることは事実である。これらの作家たちは大正時代において、いわゆる「支那趣味」を持つ作家たちである。「支那趣味」という言葉が生活の西洋化が進んだ大正時代に生まれたのは興味深いことである。明治維新以来、文学者を含む日本人が、社会における各分野で欧米を追う中で、これらの文学者たちは、どうして中国に関心を寄せたのだろうか。また、当時の中国はどのように彼らの眼に映ったのであろうか。そして、彼らの「支那趣味」の内実はどのようなものであろうか。本論文では、谷崎潤一郎と芥川を例にあげ、大正作家の「支那趣味」を見ていきたい。
著者
田川 史朗 タガワ シロウ TAGAWA Shiro
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.280, pp.95-111, 2014-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第280集 『新しい働き方とコミュニケーション』尾形 隆彰 編"The New type of Work and Communication", Chiba University Graduate School of Humanities and Social Sciences Research Project Reports No.280ロックバンド「ミドリ」で人気を博し、バンド解散後の現在はソロ活動をしている後藤まりこが次の発言を自身のTwitterアカウントに書き込んだのは2013年9月であった。最近のロックバンドは保守的すぎる。自分のCDを売りたいのなら、それなりにがんばろうよ。もうCDは勝手に売れる時代じゃあないよ。アイドルを見習おうよ。アイドルちゃんめちゃくちゃ攻めてるよ。とあるバンドのスタッフのアカウントがTwitterに書き込んだバンドのイベント参加告知の文面に反応したのを皮切りに、いくつかのツイートで自身の考えを表したのだ。後藤の言の通り、CDの売り上げ高は最盛期と比べて大きく低下し、代わっての台頭が 期待されている音楽配信にもCDに取って代わるほどの伸びはないのが現状である。それでは、「もうCDは勝手に売れる時代」ではなく、「どうすればCDが売れるのかを自らが考えなければならない」時代だとして、ミュージシャンは何を考えどのように活動していけばよいのだろうか。本論ではこの点について事例を取り上げて考察し、課題や着目すべき点を挙げることで今後の日本社会における音楽と「人の流れ」「お金の流れ」の関係性について考えていく一つの手がかりとしたい。なお、本論では創作活動や演奏を自ら行う当事者については「ミュージシャン」を、それ以外の楽器演奏を行わない当事者には「アーティスト」の呼称を用いるものとする。
著者
高橋 孝次 タカハシ コウジ TAKAHASHI Koji
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.32, pp.13-28, 2016-03

〈文壇〉からの孤立というイメージによって強く価値づけられてきた稲垣足穂だが、大正末から昭和初期にかけては、〈文壇〉という文学場において、「新時代」を代表する作家として登記された存在だった。本稿では作家自身の証言に依拠するのみでほとんど検証されてこなかった〈文壇〉時代の稲垣足穂の姿を当時の時評や合評、新たに発見された資料、同時代言説などから再構築することを目的とする。滝田樗陰と「中央公論」、佐藤春夫との破門問題、中村武羅夫と「新潮」、新感覚派と「文芸時代」といった稲垣足穂と〈文壇〉を繋ぐ人々との関わりを再検証し、当時の足穂がいかにして〈文壇〉での位置を獲得していったかを裏付ける。加えて石野重道と猪原太郎という二人の友人をめぐる「オリジナリティ」の問題を採り上げ、足穂の送った二つの抗議文と、それに対する〈文壇〉の反応から足穂の「新しさ」がどのように認知、受容され、消費されていったのかを明らかにする。
著者
阿部 学 アベ マナブ Abe Manabu
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.257, pp.18-30, 2013-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第257集『都市コミュニティにおける相互扶助と次世代育成』水島治郎 編"Sustainable Urban Communities: Communality and Generativity" Report on the Research Projects No.257
著者
牧野 悠
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.23, pp.46-60, 2011-09

藤沢周平は、活動の初期から、武芸者を描いた作品を多数発表している。「隠し剣」シリーズは、そのような武術をテーマとする作品群の代表とすることができる。シリーズの一編である「必死剣鳥刺し」は、近年映画化されたように、時代小説がかつての勢いを失った今日でも、コンテンツとしての命脈を保つ作品である。しかし、本作の解釈にあたり、描かれた剣や武士道を考察する際の補助線として、外的情報を導入した場合、物語の破綻を余儀なくされる。主人公の倫理観や剣法は、作者が作品生成に利用していたという史料から得ることのできる武士のイメージや、それまでの時代小説で描かれた剣法観からは、逸脱したものと判断せざるを得ないからだ。しかし、作品を相対化し得る能動的な読みを、事前に回避する構造を本作は有しており、示された剣術流派の無名性や、三人称でありながら主人公の視線に寄り添う語りの方法に、その一端を見ることができる。
著者
石井 宏典
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.23, pp.64-75, 2011-09

政治学の経験的手法と規範的手法を架橋する熟議民主主義の試みは政治学の再生を掲げる重要な分野であるとともに、民主主義の形を新たに捉えなおす好機となっている。加えて、民主社会の問題解決を提案する学問である政策科学・公共政策学においても民主主義ともにキーワードとなっている「熟議」は、政策形成の仕組みを捉える点で重要な論点であり、ともに形は違えどもどちらも根源的な学問の存在意義の重要性において接近している。熟議民主主義の思想史的総括を終えて実証的・実態的側面への研究が求められる現在、熟議そのものをどう解釈するかには蓄積された実践例の分析が必要不可欠となる。本稿ではその分析に政策科学分野における一領域である「政策類型論」を用いて、政策の分類・類型化を試みたい。その意図するところは、熟議民主主義思想と実際の熟議事例の対応関係を表すとともに、政策類型により漠然として一括りにされている熟議の質、事実-価値関係と熟議民主主義に親和的な政策分類を捉えることにある。この結果は、政治学においては熟議研究の新しい切り口に、政策科学においては古典とされた政策類型論の理論的拡張と政策形成と熟議の一体化を確認することとなる。この政策類型区分には公共的観点、いわゆる公共哲学の理念を加味しており、「熟議-政策-公共」をつなぐ民主主義の形を構築するその為の一試論としたい。
著者
黒田 加奈子 クロダ カナコ KURODA Kanako
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.16, pp.42-51, 2008-03

北部イタリアのコムーネであったパドヴァによって建造された市庁舎兼裁判所であるパラッツォ・デッラ・ラジョーネの存在意義について再検討を行う。従来の研究史ではあまり問われることのなかった、北中部イタリアの各コムーネに共通するトポスとしての公共建築群の位置づけからパドヴァのそれを捉えなおすことにより、その特異性を明らかにする。また、共和国条例集等の同時代史料の精読によって、パラッツォ・デッラ・ラジョーネというタームの含む意味と問題性について論じる。同時に、都市の中心において市民と密接にかかわる場の状況を史料分析から明らかにする。
著者
岩城 克洋 イワキ カツヒロ IWAKI Katsuhiro
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.20, pp.85-98, 2010-03

いまだ研究対象として取り扱われるようになってから日が浅いCeramica comune da fuoco は、その膨大な出土量にも関わらず、報告書に記載される情報はごくわずかであり、かつまた形状変化にも乏しいことから、胎土分析による産地同定という手法が主流を占め、編年研究にはあまり関心がはらわれてこなかった。特にイタリア半島中北部は、エトルリア研究が盛んな土地柄もあって、他地域に比べて一段と研究が立ち遅れている。本論では、比較的研究が進展し情報量も多い、中南部ヴェスヴィオ山周辺地域の資料と中北部の内陸テヴェレ川沿岸地域の資料を活用し、そこに独自資料として、筆者本人が分析した、タルクィニア市所在別荘遺跡出土の膨大な土器資料を新たに加え、特に情報不足の著しい4世紀から6世紀頃を重点的に、新たな地域編年を構築するものである。
著者
南雲 大悟
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
no.250, pp.58-75, 2012-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第250集「近現代東アジアにおける相互認識と表象-「脱亜」と「アジア主義」-」山田 賢編