著者
安 貞美 AHN Jeongmee アン ジョンミ
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.16, pp.196-210, 2008-03

本論では、日本における韓国大衆文化の受容について考察を行う。中でも、ここ数年間の日本における韓国大衆文化ブームに火を点けたと言われている『冬のソナタ』を中心に、どうして日本女性たちは韓国の大衆文化に沸きかえって韓国スターに熱狂するのか。そして、韓流ブームが彼女たちに与えた影響力は日本人の日常生活においてどのような変化をもたらしたのか。このような疑問を明らかにして、大衆文化を積極的に受容、消費している受容者であり、消費者である日本の女性について考えてみたい。

1 0 0 0 IR ケアを考える

著者
武井 秀夫 タケイ ヒデオ TAKEI Hideo
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.19, pp.1-17, 2009-09

本稿はケアという現象を民族誌的に記述するとはどういうことなのか、という問いから生まれたものである。社会学領域でのケア研究に比し、文化人類学領域ではケアという現象への関心は最近になって形を成したものであり、また、文化人類学的なアプローチがどのような貢献をケア研究になしえるのかを考える上でも、この問いに答える必要があったからである。先行研究におけるケアのとらえ方には、ケアを行為に重点をおいて捉えようとするものと、ケアの関係性に重点をおいて捉えようとするものがあるが、それらは研究の場に存在する問題群に拘束されていると考えられ、またそうした場の既存の関係性を前提としているために、ケアの生成に焦点をあてるものはなかった。最終節では、むしろケアの生成を見ていくことで開かれる見通しを提示した。
著者
菅家 和雄 カンケ カズオ KANKE Kazuo
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.17, pp.63-77, 2008-09

近年多くの論文で相関係数が時変動しない仮定が棄却されている結果が示されている。このような中、従来より相関係数が時変動するモデルは数多く提案されているものの、強い制約条件が付加されている場合や推定しなければならないパラメーター数が多くなる等の問題点があった。Engle(2002)等はこのような問題点をある程度軽減したDynamicConditional Correlation (DCC)モデルを考案し、その後もDCC モデルを対象とした研究が徐々に増加している。一方でポートフォリオを考えた場合、市場を観察すると、しばしば個別要因リターンを打ち消す以上の大きな市場要因リターンが発生すると、非常に多くの資産が一斉に同方向へ変動し、個々の資産の変動の相関が高まる場面が見られる。そこで本稿ではDCC モデルに同方向へ変動する資産数を組み込み、東証業種別株価指数を用いて実証検証を行い、代表的なDCC モデルと比較したところ、対数尤度等において改善が見られた。
著者
崔 昌玉 Choi Chang Ok
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.13, pp.27-44, 2006-09-28

先行研究において,ヴォイスは形態論,統辞論,意味論的な観点から考察されてきた.これらの観点だけでなく,語用論,認知論的観点からもヴォイスを考察しようとする研究も現れている.能動対受動に議論を限定するのであれば,形態論的には能動形が無標形であり,受動形が有標形である.また,統辞論的には能動文における主語や目的語が受動文では能動文の目的語が主語の位置に昇格し,能動文の主語が斜格の位置に降格する.更に,意味論的には能動文と受動文は言語外的事実には何ら相違がない.本稿の目的は一般言語学における意味論的役割について言及するところにある.意味論的役割とは,動作の主体(動作主あるいは動作の源泉)や動作の客体(受動者あるいは動作の受け手)に関わるものである.今までの研究では,意味論的役割について曖昧な議論を続けてきたが,本稿では,その議論を整理し,現代朝鮮語に適用し得る方法論を提示する.
著者
野村 正實 ノムラ マサミ NOMURA Masami
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
公共研究 (ISSN:18814859)
巻号頁・発行日
vol.3, no.3, pp.25-46, 2006-12

千葉大学公共研究センター21世紀COEプログラム「持続可能な福祉社会に向けた公共研究拠点」
著者
Wang Shuwei WANG Shuwei オウ ショイ
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.18, pp.1-12, 2009-03

日本近代文学館発行の『芥川龍之介文庫目録』を見ると、和漢書四六五点一八二二冊のうち、五十七点の漢籍は、一九一二(民国元)年から一九二六(民国十五)年の間に出版されたものである。これらの近代中国書を分類してみると、詩に関する蔵書は十六点の七十六冊があり、近代書の約四分の一を占めていることが分かる。小説・物語集に関する蔵書は、十六点の一五八冊もあって、その数が『芥川龍之介文庫目録』にある近代蔵書の中で、もっとも多い。書道に関する本が十二点ある。それから以上の種類以外の本であり、全部で十三点がある。周知の事実であるが、芥川は種本を使って創作する作家であるため、芥川文学を理解するために、彼の読書経歴を明らかにすることは必要な作業である。本論文は、近代以後に出版された蔵書を対象とし、芥川の一九二一年の中国旅行と、近代に対する彼の態度を読み取りたい。
著者
王 書瑋 WANG Shuwei オウ ショイ
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.18, pp.1-12, 2009-03-20

日本近代文学館発行の『芥川龍之介文庫目録』を見ると、和漢書四六五点一八二二冊のうち、五十七点の漢籍は、一九一二(民国元)年から一九二六(民国十五)年の間に出版されたものである。これらの近代中国書を分類してみると、詩に関する蔵書は十六点の七十六冊があり、近代書の約四分の一を占めていることが分かる。小説・物語集に関する蔵書は、十六点の一五八冊もあって、その数が『芥川龍之介文庫目録』にある近代蔵書の中で、もっとも多い。書道に関する本が十二点ある。それから以上の種類以外の本であり、全部で十三点がある。周知の事実であるが、芥川は種本を使って創作する作家であるため、芥川文学を理解するために、彼の読書経歴を明らかにすることは必要な作業である。本論文は、近代以後に出版された蔵書を対象とし、芥川の一九二一年の中国旅行と、近代に対する彼の態度を読み取りたい。
著者
中村 隆文 ナカムラ タカフミ NAKAMURA Takafumi
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-17, 2008-09-24

現代哲学思想において「ヒューム主義(Humeanism)」というものは、反実在論(anti-realism)、あるいはそれに准ずるような、性質に関する「非.認知主義(non-cognitivism) 」として、一般的には主観主義に近い形で理解される傾向にある1。そのような傾向のもと、或る種の反実在主義者(そして、そのほとんどが非-認知主義者であり、たとえば、A.J. エアーのような表出論者やS. ブラックバーンのような投影論者たち)はヒュームの主張を好意的に取り上げる一方、或る種の実在論者たち(たとえば、J. マクダウェルのような認知主義者)はヒュームの主張それ自体を批判しながら反ヒューム主義を提唱するという対立の図式が出来上がっている。しかし、そもそもそうした反実在論vs. 実在論の対立が、あたかもヒューム思想を認めるかどうかであるように図式化されていることについて、私はそこに違和感を感じる。もちろん、その対立図式のもとで生み出された各種議論はそれぞれ重要な意味をもっているのであるが、そもそもヒューム思想がそのような二分法によって理解されるべきものであるかどうかについて、本論考全体を通じて考えてゆきたい。 本論考で紹介するヒューム主義的思考法とは、簡単にいってしまえば、通常は当たり前とされるような関係(いわゆる「分かっている」)を分析し、それが必然的なものではないこと(しかし、同時にそれが不可欠な形で採用されてしまっていること)を論じる手法である。そうした手法を通じて、我々が通常当たり前のように用いている「私」「われわれ」の概念を分析しながら、ヒューム主義というものが奥深く、かつ非常に哲学的な態度であることを論