著者
石橋 茂登 イシバシ シゲト ISHIBASHI Shigeto
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.21, pp.219-232, 2010-09

銅鐸の発見は古代以来、史書や縁起の類に記されてきた。また銅鐸の中には寺社に所蔵されているものが多数ある。本稿は、銅鐸が出土後にどのように扱われたかに注目し、銅鐸出土の事実がどのような意味づけをされたのかを考察する。 古代では律令の規定によって銅鐸が官に届けられた。それとともに銅鐸は阿育王宝鐸と見なされて寺院造営の際の瑞祥とされた。また、中世以降の梵鐘には地中・水中から出現したものや龍宮など他界と結びつく伝承をもつものが数多くみられ、異界とつながる特殊な力があるとされていた。銅鐸にも異界と結びつく伝承をもつものがあり、人々から銅鐸の出土は梵鐘の出土と同様なことと見られた可能性が高い。梵鐘と同じく銅鐸が異界とこの世をつなぐ特殊な力をもつ器具と観念されたことによって、寺社の造営に際しての銅鐸出土はその地の聖性を証明することにつながった。転じて、関係のない銅鐸が寺社縁起に取り込まれて出土伝承を付会された場合もあると考えられる。史料に記録された銅鐸出土の記録や伝承は、そのような偏りを含んでいる。近世では出土した銅鐸を官に届け出た事例が多数あり、出土後の扱われ方を知ることができる。
著者
レーベルク アウグスト・ヴィルヘルム 栩木 憲一郎
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.30, pp.207-216, 2015-03

本翻訳は、ドイツの思想家アウグスト・ヴィルヘルム・レーベルク(1757-1836年)が、カントがベルリンの雑誌『ベルリン月報(Berlinische Monatschrift)』の1793年9 月号に発表した論文「それは理論においては正しいかもしれないが、実践については役立たないという決まり文句について(Über den Gemeinspruch: Das mag in derTheorie richtig sein, taugt aber nicht für die Praxis)」を受けて、同じ『ベルリン月報』の1794年2 月号に発表した「理論の実践に対する関係について(Über das Verhaltnisder Theorie zur Praxis)」の日本語訳である。この論文においてレーベルクは前年に出されたフリードリッヒ・ゲンツのカントに対する批判と同様にカントの議論に対してその意義を認めつつも、それのみでは現実の国法論や市民社会への応用に対しては不十分であることを、フランス革命において展開された議論を背景にしながら論証している。
著者
高光 佳絵
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.29, pp.1-13, 2014-09

本稿は、1934(昭和9 )年の近衛文麿貴族院議長の訪米を、官民一体の対英米関係改善の試みと位置づけ、その民間主導性と日本政府との役割分担を明らかにするものである。近衛が訪米中に接触した相手は、大きく分けて、アメリカ政府関係者、メディア関係者、メディア以外の民間団体関係者の3 つであったが、このうちメディア以外の民間団体関係者との接触には日米のIPR人脈が大きな役割を果たしていた。近衛訪米に対する日米IPRの協力における中心人物は岩永裕吉と高木八尺であった。彼らは、民間レベルの満洲国「承認」模索の延長線上で近衛訪米を支援した。すなわち、彼らの目的は、政府レベルにおいては踏み込むことができないが、長期的な目標としてはアジア・太平洋情勢安定のために不可欠であると日本側が考えていた満洲国承認問題にその「非政府性」を盾にとって接近することであった。
著者
栩木 憲一郎 トチギ ケンイチロウ TOCHIGI Kenichiro
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.28, pp.258-263, 2014-03-30

本書では、グローバル化の進展する現代社会において避けて通ることの出来ない国際社会の諸問題が取り上げられ、それらが「世界正義(Global Justice)」の問題として論じられている。筆者はまず世界正義なるものの理論上の成立可能性をめぐる議論から出発し(第一章・第二章)、続いて具体的な問題として、国家体制の国際的正統性条件と人権との関係(第三章)、世界的規模での貧困問題の解決を目的とした世界経済における格差是正の問題(第四章)、さらには国際社会における武力行使の正当性をめぐる戦争における正義の問題(第五章)を論じ、最後に今後のあるべき世界統治秩序を構想している(第六章)。本書ではこれらの問題をめぐる現在の代表的議論と筆者の見解がきわめてよくまとめられており、今後の世界秩序を規範的に構想する際の良き手引書となっている。
著者
白井 久美子 シライ クミコ SHIRAI Kumiko
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.276, pp.123-132, 2014-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第276集 『型式論の実践的研究II』柳澤 清一 編"Pratical Study of Typology II", Chiba University Graduate School of Humanities and Social Sciences Research Project Reports No.276前方後円墳は、日本独特の王陵の形態である。それはまた、ヤマト王権の象徴でもあり、前方後円墳が日本各地の豪族の墓として採用されていく過程は、王権の勢力拡大の軌跡を最も端的に表している。一方、前方後円墳が出現する古墳時代は、日本が東アジア世界の外交を本格的に開始した時期であり、前方後円墳の出現は激動の時代を象徴する出来事であったともいえる。また、長い間、前方後円墳の研究は、箸墓古墳や大仙古墳(仁徳陵古墳)などに代表される近畿地方の巨大な墳丘や埋葬施設、豪華な副葬品を対象に進められ、地方の前方後円墳の情報が全国的に伝わることはほとんどなかった。ところが、1991年~2000年にまとめられた全国の前方後円墳集成の結果によって意外な事実が浮かび上がった。その集成を監修した近藤義郎氏は、はしがきで次のように述べている。「日本全土のうちでもっとも数多くの前方後円墳が作られたのは千葉県であり、それは奈良県の約2.5倍、京都府の約6倍の数という事実の解明は、これまでの理解を大きく変え、前方後円墳とはなにかを考えるひとつの手掛かりとなる。」特に、関東地方の前方後円墳の盛衰は、近畿地方とは大きく異なる。近畿地方で前方後円墳の巨大化が進む前期には、関東では「前方後方墳」を豪族の墓に採用し、近畿地方で大型前方後円墳を作らなくなる後期の6世紀後半以降になって盛んに大型前方後円墳を築造している。千葉県はその代表的な地域であり、このことが全国一多い前方後円墳を創出しているのであるが、関東地方にとって前方後円墳の築造とはどのような意味をもっていたのか、改めて検証することにしたい。
著者
尾形 まり花 オガタ マリカ OGATA Marika
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.30, pp.79-91, 2015-03

ドナルド・デイヴィドソンは、人が他者の言わんとするところを理解する時、前もって持っていた知識だけでは相手の言うことを理解できないことがあると言う。言い間違いや不明瞭な発話などを理解しようとするとき、われわれが用意する発話の解釈理論をデイヴィドソンは、当座理論(passinng theory)と呼ぶ。だが、この当座理論という概念は多くの哲学者から批判されてきた。本稿は当座理論に対する批判とその批判に対するデイヴィドソンの反論はどちらもうまくいってはいないと考える。そして、当座理論とは、単に話者の話す言葉を理解するのではなく、話者と解釈者を含んだその場の出来事全体に対する解釈であると論じ、当座理論が成立する概念であることを示す。本研究はJSPS科研費24652001 の助成を受けたものです。
著者
千葉 和矢 チバ カズヤ CHIBA Kazuya
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.231, pp.24-37, 2011-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第231集『社会運動と新しい働き方に関する研究』 尾形隆彰 編"Social Movement and New Types of Working" Report on Research Project No.231
著者
古舘 嘉 フルダテ ヨシミ Furudate Yoshimi
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.268, pp.62-77, 2014-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第268集『文化における想起・忘却・記憶』三宅晶子 編" Remembering , Forgetting , and Memory in Culture " Report on Research Projects No.268
著者
sarangowa Sarangowa
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.17, pp.339-345, 2008-09

本書の著者、奇文瑛は、中国の北京にある中国最大の民族大学である中央民族大学歴史学部の女性準教授である。研究テーマは明と清代の北方民族史、特に満洲族の歴史を研究している。本書は中国のアルタイ学シリーズ研究書編集委員会の要請を受けて執筆したものである。著者は、後書きに、「文化の視点から民族の歴史を検討することに興味をもっている」と書いている。奇文瑛は、また宗教の変容と民族史を結合して研究することは、その民族の宗教を動態的に把握することができるだけでなく、民族史を深く研究するにも重要な意義があると主張する。本書はこうした視点で書かれたものである。奇文瑛『満-通古斯語族民族宗教研究-宗教と歴史』(中国語)中央民族大学出版社(北京)、283ページ、2005年11 月
著者
小沢 修司 オザワ シュウジ OZAWA Shuji
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
公共研究 (ISSN:18814859)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.46-63, 2007-03

千葉大学公共研究センター21世紀COEプログラム「持続可能な福祉社会に向けた公共研究拠点」
著者
池田 直子 イケダ ナオコ Ikeda Naoko
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.13, pp.14-26, 2006-09

インドのイスラーム政権であるムガル朝(1526-1858)第4 代皇帝ヌールッディーン・ジャハーンギール(Nūr al-Dīn Jahāngīr, 在位1605-1627)統治下において、1615-1618年頃に制作されたビチットゥル作《スーフィーに本を贈るジャハーンギール》の図像分析を行う。この作品は、これまでにムガルとオスマンの関係の視点から分析されたことはない。したがって、オスマン朝との政治的・文化的状況との関連について調べ、《スーフィーに本を贈るジャハーンギール》において、その状況がどのように反映されているのか、試論を行う。また、この絵画における三日月と太陽から構成された円光の霊感源を特定する。
著者
栩木 憲一郎
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.23, pp.148-159, 2011-09

本論文は1790年代のドイツにおけるカントとフィヒテという二人の政治思想家の永遠平和にむけた政治理論の展開に焦点をあて、その一定の概説を試みる。前者であるカントは平和論の古典とも言うべき『永遠平和のために』(1795 年)で政治思想史上著名な人物であり、その永遠平和に向けた議論に対する後世の注目はきわめて高い。しかし他方、後者であるフィヒテが1790年代においてカントの問題意識を引き継ぎ、カントと同様に永遠平和に向けた政治思想を独自の形で展開しようとしていたことは、あまりこれまで注目されては来なかった。本論文では1790年代におけるカントの『永遠平和のために』における議論の展開と、このカントの著作に対するフィヒテの書評を取り上げ、当時のドイツにおける政治思想の展開の一端を明らかにしようとするものである。
著者
Namula ナムラ NAMULA
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.18, pp.111-128, 2009-03

シリーンゴル盟大草原は、古くから内モンゴルにおける代表的な草原地域であり、自然と伝統文化が保たれていると言われていた。しかし、近年になって、自然生態が破壊され、砂嵐の発生する回数や規模が酷くなっている。こうした状況の中で、政府は破壊された草原を取り戻し、牧畜民たちの生活水準を向上させるために、牧畜民たちを移動させ、彼らの営んで来た伝統的な牧畜業を止めさせる「生態移民」政策を実行している。そこで、本論文は、現在の草原地域で行われている「生態移民」政策の実施されている状況と移住されてきた生態移民たちの生活を人類学的な方法(フィールドワーク)で捉え、生態移民たちの視点から問題点を見つけだした。そして、生態移民たちの生活・文化的な変化を考察したものである。
著者
牧野 悠
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.23, pp.46-60, 2011-09

藤沢周平は、活動の初期から、武芸者を描いた作品を多数発表している。「隠し剣」シリーズは、そのような武術をテーマとする作品群の代表とすることができる。シリーズの一編である「必死剣鳥刺し」は、近年映画化されたように、時代小説がかつての勢いを失った今日でも、コンテンツとしての命脈を保つ作品である。しかし、本作の解釈にあたり、描かれた剣や武士道を考察する際の補助線として、外的情報を導入した場合、物語の破綻を余儀なくされる。主人公の倫理観や剣法は、作者が作品生成に利用していたという史料から得ることのできる武士のイメージや、それまでの時代小説で描かれた剣法観からは、逸脱したものと判断せざるを得ないからだ。しかし、作品を相対化し得る能動的な読みを、事前に回避する構造を本作は有しており、示された剣術流派の無名性や、三人称でありながら主人公の視線に寄り添う語りの方法に、その一端を見ることができる。
著者
石井 宏典
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.23, pp.64-75, 2011-09

政治学の経験的手法と規範的手法を架橋する熟議民主主義の試みは政治学の再生を掲げる重要な分野であるとともに、民主主義の形を新たに捉えなおす好機となっている。加えて、民主社会の問題解決を提案する学問である政策科学・公共政策学においても民主主義ともにキーワードとなっている「熟議」は、政策形成の仕組みを捉える点で重要な論点であり、ともに形は違えどもどちらも根源的な学問の存在意義の重要性において接近している。熟議民主主義の思想史的総括を終えて実証的・実態的側面への研究が求められる現在、熟議そのものをどう解釈するかには蓄積された実践例の分析が必要不可欠となる。本稿ではその分析に政策科学分野における一領域である「政策類型論」を用いて、政策の分類・類型化を試みたい。その意図するところは、熟議民主主義思想と実際の熟議事例の対応関係を表すとともに、政策類型により漠然として一括りにされている熟議の質、事実-価値関係と熟議民主主義に親和的な政策分類を捉えることにある。この結果は、政治学においては熟議研究の新しい切り口に、政策科学においては古典とされた政策類型論の理論的拡張と政策形成と熟議の一体化を確認することとなる。この政策類型区分には公共的観点、いわゆる公共哲学の理念を加味しており、「熟議-政策-公共」をつなぐ民主主義の形を構築するその為の一試論としたい。
著者
久保 勇
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-12, 2012-09

明治期の『平家物語』研究として,注目されることが少ない福地桜痴(源一郎)の事績に注目する。関連資料を紹介しながら,桜痴架蔵・参看の『平家物語』異本,平曲伝習とその人脈などを検証し,明治末年に大成する館山漸之進『平家音楽史』・山田孝雄『平家物語考』の前史としての研究史的位置を提示した。
著者
牧野 悠 マキノ ユウ MAKINO Yu
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.16, pp.16-28, 2008-03

柴田錬三郎が生み出した戦後時代小説最大級のヒーロー、眠狂四郎。その必殺剣、刀身をゆるやかに旋回させることによって、対手を一瞬の眠りに陥らしむる魔技「円月殺法」は、いわゆる剣豪小説ブームに乗り、現在に至っても高い知名度を保っている。しかし、その研究は、一定の強度を備えて描写に踏み込んだ考証となりえず、登場以降半世紀に亘り、典拠考察すらされてこなかった。円月殺法の描写は、同時期の剣豪小説の方法と同様、剣術資料を典拠とし、想像上の秘技を紙上に現出させるための、リアリティ向上に用いていた。そればかりか、その典拠は、円月殺法という魔剣そのものを着想させる可能性すら秘めるものであった。また、典拠の性質を鑑みると、作家がそれをいかに利用するかによって、遣い手である剣士の性格形成にも影響を与え、剣豪小説の双生児とも云うべき二人のキャラクターの誕生をもたらすことにつながった。
著者
犬塚 康博 イヌヅカ ヤスヒロ INUZUKA Yasuhiro
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.18, pp.15-25, 2009-03

新京動植物園は、満洲国の首都新京特別市にあった。上野動物園園長古賀忠道の指導のもと1938年に着工され、仙台動物園園長を辞した中俣充志が園長に就いた。広大な敷地に設けられた同園は、動物園と植物園の総合という分類学展示から生態学展示への転換、動物展示における無柵放養式の全面的採用、動物の北方馴化、教育と研究の主導と娯楽の後退、産業への応用など、斬新なテーマを多くもりこんで計画された。指導に際し古賀が「あまり日本の動物園のまねはしないで下さい」と主張したのに即せば、同園は〈日本ならざる未来〉であったと言える。無柵放養式と北方馴化はドイツのハーゲンベック動物園をモデルとしており、狭義には〈極東のハーゲンベック〉を目指したと言うこともできるだろう。同園は完成することなく1945年に終焉するが、北方馴化のテーマは北海道の動物園へ、無柵放養式のテーマは多摩動物公園での本格的採用へと、それぞれ継続した。
著者
望月 由紀
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
no.185, pp.24-32, 2010-03-31

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第185集『犯罪・修復・責任』嶋津格 編