著者
和田 恵美子
出版者
大阪府立大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究の目的は、患者・家族の相談活動・自己決定支援の具体的方策、精神的支援をめざすツールとして闘病記の活用可能性を明らかにすることである。闘病記文庫を有する施設における地域住民の活用度を調査するとともに、看護師との闘病記朗読会を行い、彼らの反応およびインタビューデータを分析した。その結果、市民の闘病記に対する関心度は高く、利用環境について更なる整備が必要であること、また闘病記朗読は患者へ活用できる可能性があるが、それ以前に看護師に与える影響が大きく、教育ツールとして意義があることが示唆された。
著者
趙 傑剛 青山 ヒフミ 羽山 由美子
出版者
大阪府立大学
雑誌
大阪府立大学看護学部紀要 (ISSN:18807844)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.85-91, 2007

本研究は中国における看護系大学の兼任教員がどのような環境におかれているのか,どのように専門的発達に向けて取り組みをしているのかを明らかにすることと,兼任教員の専門的発達を支援するための示唆を得ることを目的とする。中国都市部にある四つの大学病院に所属する兼任教員14名を対象とし,半構成的質問による面接法を実施した。その結果,【技術的熟達者志向の教育背景】,【看護師として満足の得られにくい臨床現場】,【整えられていない教員養成教育体制】,【看護教育に従事することによるほこり】,【教員として未熟であるという認識】,【教育実践における試行錯誤】,【教育実践への支援体制の不備による困惑】,【専門的発達における自助努力】,【専門的発達への支援体制の不備による困惑】,【専門的発達への願望】の10カテゴリーが抽出された。これらのことにより,兼任教員への支援にあたり,教員に関わる支援体制の整備とともに,現状に基づき,且つ兼任教員の専門的発達に繋がる継続教育プログラムの開発が必要であることが示唆された。
著者
滝野 哲郎
出版者
大阪府立大学
雑誌
言語文化学研究. 英米言語文化編 (ISSN:18805922)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.15-27, 2008-03

タバコ・プランターが台頭していたヴァージニア植民地において、18世紀初頭から約30年間、誰にもまして富を蓄積し強い政治権力を握っていたのが、ロバート・カーター(1663-1732)である。当時、彼は"キング"・カーターと呼ばれていた。カーターは、若くして、莫大な遺産を手に入れた。父ジョン・カーターは、1640年ごろにイギリスからヴァージニアに移り住み、土地を獲得して財を成し、植民地政治にもかかわって、カーター家の地歩を固めた。長男ジョンがその資産の多くを引き継いだが、1690年に他界してしまったため、次男であったロバートがその残された財産を受け継ぐことになった。ロバート・カーターは、この遺産をもとにして精力的に土地を取得し、プランテーションを拡大し、急速に収益を増やしていった。地域社会では、治安判事、教区委員、民兵隊大佐、代議員を務め、植民地政治においては32年間にわたって参議会の一員、のちにその議長となり、イギリス本国からの総督が1年あまり不在となったときには総督代理として植民地の統治にもあたったのである。カーターが屋敷を構えていたのは、植民地の首都ウィリアムズバーグから北東50キロにあるランカスター郡コロトマンである。父親が1650年ごろに移り住んだこの地は、カーターが生まれ育ち、若い頃に渡英した6年間のあと、晩年まで暮らしたところである。ここで彼は、2度結婚し、多くの子どもを育て上げた。またこの場所には、タバコを栽培する広大なプランテーションがあって、多数の奴隷が労働力として使われていた。コロトマンで暮らすカーターの様子について知る手がかりとなるものは、当時彼が書き送った数多くの書簡である。現存しているもののほとんどは1720年代以降のもので、そこには60歳代の頃のカーターが、家族・使用人・奴隷とかかわりながら暮らしている様子が記されている。カーターは、妻や子どもだけでなく、コロトマンで生活する使用人や奴隷すべてを含めて「自分の家族」という。彼は、コロトマンの主人としてこの「大きな家族」の「世話」をしていたのである。小論では、ヴァージニアのプランターとして富と権力を極め"キング"と呼ばれたカーターが、コロトマンでいかに「家族」の「世話」をしていたかについて1720年代の書簡を中心に考察してみたい。
著者
矢吹 万寿
出版者
大阪府立大学
雑誌
Bulletin of the University of Osaka Prefecture. Ser. B, Agriculture and biology (ISSN:03663353)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.113-146, 1958-02-15

水稲栽培において水田水温は重要な生産能となつているが,寒地では灌漑水温の上昇が,暖地ではその低下の必要が強調せられている.この人為的な水温制禦の確立は水温成立機構の解明によつてなしとげられるものと言えよう.本論文は斯る見地から最も基礎的研究として主に水稲の植つていない湛水田について行つた実験的研究であつて,2篇よりなり,第1篇は湛水田水温につき,第2篇は漏水田水温について述べられた.I.湛水田水温1.湛水田における太陽エネルギーの使途配分を明らかにし,その熱経済図を描いた.(第2表,第1図)2.(1)と同様な方法により水稲田の水稲繁茂期の熱経済を調べた.(第4表,第2図)3.湛水田の熱経済方程式より簡単な水温成立の理論式を導いた(33式).それによると平均水温は湛水深に応じて高く,振巾は湛水深に逆比例し,且日変化の位相は湛水深が深くなるにつれてずれる.この事は最低水温は湛水深が大きい程高温を示すが,最高水温は湛水深が浅いほど高温を示すとは限らず,湛水深が大なる方が高温を示す場合もあることを意味する.4.湛水深と水温とについて一年間の観測の結果は興味ある上述の結論が確められた.(第7,8,9図第7表)5.水底面の吸収能と湛水深とより水田の吸収率を計算し(第13図),水田熱吸収率を異にした場合の水温を測定した.水温は勿論水田熱吸収率に応じて異るが,現実の土壌吸収能の差は小さく水温の差は少い.(第14図)6.最高水温と最高気温との間には明瞭な関係があり,年間を通じて整理すると両者の間にはループをなしたグラフが得られた.(第15,16,17図)7.最低水温と最低気温との間には直線的な関係があるが,気温が0℃以下になり,水面が氷で覆れると水温は殆んど一定となる.(第18,19,20図)II漏水田水温8.水が地中に滲透することにより地中に熱量を輸送するため,見掛け上の温度伝導率が増大するが,特に設計された水田にて温度伝導率を測定し,理論値と実験値が可なりよく一致する事が確められた.(第22,23図第8表)9.見掛け上の温度伝導率を測定することにより,自然状態の水田土壌の比熱或は密度の計算が可能であり,これを求めた.10.水が滲透するからこれに応じて水を補給しなければならないが,補給方式に間断灌漑と連続灌漑とがある.間断灌漑は急激な水田水温の変化を与えるが,灌漑後の水温は灌漑水温並に水量だけでなく,気象条件を考慮した熱経済の面から決定されうるものである(61,63式第10表 25,26図)11.間断灌漑後の水温が灌漑しない等しい湛水深の区の水温と等しくなるのは,早朝に灌漑したものほど早く,午後に行つたものは回復がおそい.(第28,29図)12.間断灌漑は時間の経過に伴い灌漑の影響は少くなるが,連続灌漑は水温分布特性が常に維持せられる処に両者の本質的特徴の差がある.13.連続灌漑の影響は昼間よりも夜間の水温に顕著である.又灌漑水温,灌漑水量及び水田水温との関係を実験的に求め,関係図を作製した.(第31,32,33,34,及び35図参照)