著者
武笠 俊一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.352-368, 1986

有賀喜左衛門が若いころ白樺派の一員であったこと、その後柳田国男と出会い、民俗学をへて農村研究へと進み、日本農村社会学の創設者の一人となったことは、よく知られている。しかし西欧的な個人主義への憧憬を基調とする白樺派からその対極にある柳田民俗学への転進は、まだヨーロッパ文化への憧れの強かった大正末期には、きわめて特異な出来事であった。そのギャップの大きさを考えると、この転進は有賀の学問形成史における一つの「飛躍」であったと言ってよいであろう。学説史の第一の課題は、画期となった「飛躍」の連続面と不連続面の二つを、統一的な視点で分析することにあるといわれる。本稿では、有賀喜左衛門の日本文化研究の出発点を、この二つの側面から再検討してみたい。
著者
菅原 祥
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.20-36, 2013 (Released:2014-09-10)
参考文献数
26

本稿は, ポーランドのクラクフ市・ノヴァ・フータ地区を研究対象として, 社会主義ポーランドにおけるノヴァ・フータがかつてそこの住民にとってどのように体験され, また現在ポーランドの言説空間の中でどのように扱われているか, また, ポスト社会主義と言われる現在において, 社会主義的「ユートピア」建設という過去とどのように向き合いうるかを検討することを目的としている. かつて「社会主義のユートピア」として讃えられ, 現在では社会主義の負のイメージを全面的に背負わされているノヴァ・フータという場所は, 当時の社会主義体制がめざした「ユートピア」像に対して実際にそこに住む住民たちはどのように反応・対処したのかを考え, さらに, ポスト社会主義の現在において, 社会主義の「過去」の経験がどのようなアクチュアルな意味をもちうるのかを考える際に格好のフィールドである. 本稿は, 雑誌資料や出版物などの二次資料をおもに扱いつつも, 適宜筆者が行ったインタビュー調査を参照しつつ, ポスト社会主義の「現在」における生の中でかつての社会主義的「ユートピア」の記憶と体験がもつ意味と, そうした過去を今あらためてアクチュアルなものとして問い直すことがもつ可能性を探求することをめざしている.
著者
藤田 結子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.519-535, 2013-03-31 (Released:2014-03-31)
参考文献数
35
被引用文献数
1

本稿は, 文化生産におけるナショナル・アイデンティティの構築について考察することを目的とする. 考察のため, 「欧米都市のアート・ワールドにおいて, どのような要因により『日本らしさ』の構築が促されているのか」という研究の問いを設定し, ファッション, インダストリアル・デザイン, 現代アートの各分野を対象に調査を行った. 調査方法にはマルチサイテッド・エスノグラフィーを用い, パリ, ロンドン, ニューヨーク, 東京などで参与観察とインタビューを実施した.調査の結果, 欧米都市のアート・ワールドでは異なる職業・役割をもつ人々を結びつける弱い紐帯が, さまざまな利益を生む活動に影響を及ぼしていた. しかし国境を越える人のフローが活発化し, アジア系のデザイナーやアーティストの活動が顕著になっている現在でも, バイヤーやコレクター, 記者・編集者など重要な判断や権力を行使する職業・役割においては, 白人が多数派を占めていた. この状況のもと, 白人性を「標準」とした価値観を基に, 日本出身のデザイナー, アーティストとその作品が本質的な「日本らしさ」と結びつけられていた.結論として, 制作者の「日本らしさ」への愛着によってナショナル・アイデンティティが再生産されているのではなく, アート・ワールドの職業・役割に見られる特徴的な人種関係と, その人種関係に基づく作者・作品への評価のあり方が「日本らしさ」の再構築を促していることが明らかになった.
著者
保坂 稔
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.70-84, 2002

本稿は, 『権威主義的パーソナリティ』を踏まえて, 権威主義的性格と環境保護意識の関係について検討することを目的とする.権威主義的性格の多くの側面のうち, どのような側面が環境保護意識と関係しているのだろうか.検討にあたっては, 権威主義的性格の「過同調と潜在的破壊性との共存」といった特徴に着目する.まず「過同調」と「破壊性」が, 環境保護意識とそれぞれどのような関係にあるかを検証した.結果は「過同調」については負の, 「破壊性」については正の相関関係が, それぞれ環境保護意識と見られた.次に, 「過同調」と「破壊性」が共存した場合の権威主義的性格と, 環境保護意識の関係をみた結果, 権威主義的性格の人々が高い環境保護意識を持つことが判明した.最後に, 権威主義的性格の人々が持つ環境保護意識について, ナチズムにおける環境保護への取り組みを参考にして検討した結果, 「権威主義的な環境保護意識」が今日存在することが明らかになった.
著者
細谷 昂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.2-15, 2005-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
23
被引用文献数
3 2
著者
苅谷 剛彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.491-497, 1997-03-30 (Released:2009-10-13)
参考文献数
4
著者
堀 智久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.57-75, 2007-06-30 (Released:2010-03-25)
参考文献数
27

本稿の目的は,先天性四肢障害児父母の会の運動の展開を追い,そのなかで親たちが,いかにしてその主張の有り様を転換させてきたのかを明らかにすることである.先天性四肢障害児父母の会は,1975年に設立され,環境汚染がさまざまに問題にされた時代にあって,子どもの障害の原因究明を訴える運動として始められた.親たちは自らを被害者家族として位置づけ,一方では国・厚生省に催奇形性物質の特定・除去を求め,他方ではシンポジウムや写真展の活動を通じて,障害をもった子どもが二度と生まれないように社会啓発を展開していく.こうした訴えはそれ自体,親たちにとって,解放の効果をもつものであった.だが,1980年代に入ると,この原因究明の訴えは次第に行き詰まりを見せるようになる.とりわけ,障害者本人による原因究明活動への違和感の表明や「障害をもっていても不自由ではない」という主張は,この運動の質の転換を決定的なものにした.親たちはその後,親と子どもの当事者性の相違を認識し,親子の日常生活に立脚した活動を展開していく.子どもが主役のシンポジウムや子どもの生き生きとした姿の写真が並べられた写真展の活動を通じて,「障害をもった子どものいる暮らしはけっして不幸ではない」ということを示していく.本稿では,こうした先天性四肢障害児父母の会の運動の展開から,1970年代および80年代における運動の質の相違を明らかにしていく.
著者
小林 伸行
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.805-820, 2009-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
16

本稿の目的は,N. ルーマンの教育システム論を他の機能システム論と比較可能な「特殊でない」機能システム論へと再構築することである.ルーマンの教育システム論が他の機能システム論との比較可能性を損なっている要因は複数ある.包摂がすべての個人に及んでいない,固有メディアや二分コードを欠いたまま機能システムとしての自律性などが説明されてきた,コードとプログラムが明確に区別されない等である.本稿では,その淵源を主に「学校(教育)」に偏向した説明に求めつつ,そうした説明からの脱却を通じて他の機能システム論との比較可能性を教育システム論に付与するとともに,社会システム論全体の一貫した説明力を向上させる可能性を模索する.そのために,教育システムのメディアを「ライフコース」から〈能力〉に,形式を「知識」から「手本/模範」に変更し,二分コードを「有能/無能」とすることを提案する.また,相対評価にも絶対評価にも変更されうるような従来の「選抜コード」を,有能か無能かの判断基準となる可変的なプログラムの一環として位置づけ直し,「有能/無能」コードとともに学習者だけでなく教育者にも向けられるものと見なしたうえで,教育システムの機能を「何かが〈できない〉ために諸人格の参入が不可能であるとの判断を延期させ,いずれ〈できる〉ようになって包摂が可能になると予期を変質させること」すなわち「包摂不可能性の認知的予期化」と規定する.
著者
安田 雪
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.417-427, 1996

本研究の目的は, 「企業集団とは, 各企業が市場からの拘束を軽減することを目的として連結しあう, 市場 (取引) と組織 (内製) との中間的な形態である」ことを提唱し, 社会ネットワーク分析の手法を用いて日本の六大企業集団の形成要因を分析することである。第1に, 日本の六大企業集団に属する企業の業種別構成をとりあげ, 企業集団においては企業が相互に紐帯により連結しあっており, 個々の集団内部に異業種の産業間を連結させるネットワークが形成されていると論ずる。第2に, 企業間の取引は, 産業連関構造を形成する産業間ネットワークより拘束されており, 産業ネットワークから個々の産業・企業に拘束 (market constraint) が課されていると論ずる。第3に, 企業集団に属する企業のダイアド (dyad) 関係を分析し, 産業間ネットワーク上で高い拘束・被拘束関係にあるような産業間を連結させるように企業集団内では紐帯が分布していることを実証する。
著者
宮本 直美
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.375-391, 2011-12-31 (Released:2013-11-22)
参考文献数
23
被引用文献数
1

オーセンティシティ概念がツーリズム研究の中で中心的な議論を形成して久しいが, 本稿は, クラシックの音楽祭の分析を通して, この概念をめぐる議論に新たな局面を拓こうとするものである. そもそも, この概念は, 西洋化, 近代化, 商業主義化にさらされる非西洋地域の文化について, つまりエスニック・ツーリズムの文脈で議論されてきたのだが, この概念がさまざまな検討を経てより複雑で新しい意味を獲得した現在, 西洋側の文化であるクラシックの音楽祭を分析することが可能であり, それによって新たな意味を加えることができる. 半世紀にわたる日本の音楽祭の傾向からは, 西洋音楽に無縁な日本の土地が場所としてのオーセンティシティを獲得しようとする努力が見出される一方で, そこでは一貫して「一流の演奏家」といった宣伝文句が見られるように, 高い演奏水準がアピールし続けてきた. この普遍的な質への要求に見えるものが, じつは西洋の伝統的な演奏スタイルの継承によって保証されていることを考察するとき, 質の高さもまた, オーセンティシティへの要求であることがわかるのである.
著者
丸木 恵祐
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.24-44,129, 1986
被引用文献数
1

人間の日常経験の形態とその意味を社会的状況との関連で考察する人びとにとって、E・ゴッフマンのドラマツルギーは、きわめて刺激的である。ドラマツルギーは演劇の比喩を用いて、社会的相互作用の主観的事実と客観的事実を同時に記述するアプローチである。それは、舞台上の「人物」が劇場外の広い世界と何のかかわりもなく既成の台本の産物と見なされるように、「自己」を劇場、つまり社会的状況という閉鎖的体系の中に呈示された人工物と見なす。本稿では、行為者が状況適合性のルールにふさわしく自己を呈示し、自己の行為を他者に有意味なものにするために利用する「形態」に注目する。そのことによって、ゴッフマンが行為者の創造的主観性を強調するシンボリック相互作用論の流れをくみながら、なぜ禁域とされてきた状況の客観的側面にふみこみ、社会的事実の拘束性を説くデュルケムの偏見に染まって行ったのかが明らかにされる。その際、外見上の個々の経験の背後に潜み「形態」に意味を付与する「構造」が確認できよう。
著者
梶田 孝道
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.70-87, 1981
被引用文献数
1

多くの近代化論者たちは、業績主義が現実化してゆくにつれて属性主義は次第に消滅するか、たかだか例外的な形で残存するにすぎないと考えた。しかし、業績主義が社会の主要な配分原理となりほとんどのメンバーが業績主義者と化した現在、純粋な意味での業績主義はむしろ例外的な存在であり、かえって属性主義に起因する社会問題群が新たに生み出されてきたという事実に気づく。一方ではアチーヴド・アスクリプション (業績主義の属性化) が、他方ではアスクライブド・アチーヴメント (属性に支えられた業績主義) が発生している。本稿では、業績主義・属性主義についてのリントンの定義およびパーソンズの定義の問に存在する微妙なズレに固執することによって、上記の二つの問題領域を社会学的にクローズアップさせ、あわせて両領域に属する問題群の整理とそれへの対策の検討を試みる。