著者
鹿又 伸夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.283-299, 2017

<p>日本の世代間所得移動と貧困の世代間連鎖に関する研究では, 成育家庭の経済状態から始まる影響の経路そして成育家庭の貧困から始まる地位の経路が, 貧富の世代間再生産傾向を作りだすことに焦点をあてている. しかし, 親の学歴や職業など他の成育家庭要因にくらべて, 成育家庭の経済状態から始まる影響経路が子世代の経済的格差を作りだすのかは, 検証されるべき問題である. その検証を, 全国調査データをもちいて, 経済状態を家計水準として測定し, 無職を対象に含めて行った. 分析結果は, 成育家庭の経済状態を始点とする影響経路だけが, 子世代の経済的格差を作りだす顕著な経路とはいえないことを示した. 子世代の経済的格差を作りだす主要な影響経路は, 成育家庭の経済状態, 親の学歴と職業がそれぞれ本人学歴に影響し, その本人学歴から離学後職業へ, 離学後職業から現職へ, そして現職から本人の経済状態へとつながる連鎖的影響経路だった. 男性での貧困に到達しやすい地位経路は, 成育家庭の貧困だけでなく親の低学歴からも始まっていた. しかし, 女性では現職から本人の経済状態への影響が男性ほど強くないため, 明確な地位経路はなかった.</p>
著者
北澤 毅
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.38-54, 2017

<p>本稿の目的は, 教育社会学領域における構築主義研究の展開をレビューするとともに, 今後の課題を論じることである. そのためにまずは, 本稿における構築主義に対するスタンスを明らかにした. 簡潔に述べるなら, OG批判を受けて, 言説実践は実在するが, 言説が想定する社会問題の実在性は問わないという方法的立場を採用した. それを受けて「実在/構築」という分類軸を設定し, 教育社会学領域における構築主義研究の特徴と課題を浮き彫りにすることを目指した.</p><p>まずは構築主義前史として, 山村賢明と徳岡秀雄の研究に着目し, それらがどのような意味で構築主義の前史として位置づくかを論じた. そのうえで, 1980年代から始まる教育社会学領域における構築主義研究の系譜を, 教育問題の構築過程の研究と教育問題言説研究とに大別し, それぞれの研究系譜を「実在/構築」という軸から論じた. なかでも, 教育問題言説研究を, 言説とは別に状態の実在性を想定する「言説批判分析」と, 言説が現実を作り出すという言語論的転回以降の言説観に基づく「言説分析」とに峻別し, それぞれの特徴を論じることに力点をおいた. それを受けて最後に, 言説が現実を作るというテーゼは, 構築主義が研究対象とする日常生活世界に適用されるだけでなく, 構築主義研究それ自体にも当てはまることを強調し, 構築主義研究の発展のためには新たな分析概念の創出が不可欠であると論じた.</p>
著者
松木 洋人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.25-37, 2017
被引用文献数
1

<p>日本の家族社会学における構築主義的アプローチは, 近代家族をモデルとして家族を定義する核家族論的な研究枠組みの刷新が求められるという学説史的文脈のなかで受容された. その結果として, 構築主義的アプローチへの期待は, このアプローチが人々は家族をどのように定義しているのかに目を向けることによって, 「家族とは何か」を問うという点に寄せられることになった. しかし, 人々による家族の定義を分析の対象とする初期の研究例は, その文脈依存的な多様性を明らかにするものではあっても, 新たにどのような家族の定義が可能なのかを提示したり, 「家族とは何か」という問いに答えを与えたりするものにはなりえなかった. また, これらの研究が, 人々が家族を定義するために用いるレトリックに焦点を当てたことは, 多くの家族社会学者の研究関心との乖離をもたらすことになった. このため, 家族社会学においては, 構築主義的アプローチによる経験的研究の蓄積が進まず, アプローチの空疎化が生じた. このような状況から脱却するためには, 家族の定義ではなく, 人々の家族生活における経験に注目すること, そして, 家族の変動という家族社会学のいわば根本問題と結びつくことによって, 構築主義的アプローチが家族社会学的な関心を共有した研究を展開することが重要になる.</p>
著者
濱西 栄司
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.55-69, 2017

<p>本稿の課題は, 「社会運動」研究領域において, 構築主義的研究が何を明らかにし, いかなる貢献を果たし, そこにどのように受け入れられ位置づけられてきたのかを検討することにある――構築主義と社会運動研究の重なりをふまえ, 本稿では後者から前者への影響についても検討する.</p><p>まず1節では, 検討の前段階として社会運動研究を, 方法論的に, 説明アプローチ (「社会運動」と同定された社会的事象の因果的メカニズムを説明するアプローチ) と解釈アプローチ (社会的事象の意義を「社会運動」を中心とした概念枠組みに基づいて解釈するアプローチ) に区分する. その上でまず2節では構築主義が, 初期資源動員論 (説明アプローチ) に影響を及ぼし, フレーミング論や特性分析を生み出してきたことを示す. また3節では構築主義が, 歴史的行為論 (解釈アプローチ) に影響を与え, 「特徴的な連帯」水準中心の解釈や社会問題/制度下の個人の経験分析を可能にしてきたことを指摘する.</p><p>次に4節では, 構築主義が焦点をあてるとする「語りと相互行為という人々の不断の働きかけ」それ自体が「社会運動」と重なることをふまえ, 初期資源動員論 (説明アプローチ) が構築主義の方法論的明確化を, また経験の社会学 (解釈アプローチ) が構築主義の相対化・複数化をもたらしうることを示す. 最後に構築主義の, (広義の) 社会運動研究への回収可能性にも触れる.</p>
著者
上藤 文湖
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.369-384, 2006-09-30

ドイツでは移民法成立に向け, 数年にわたり外国人の社会への統合が論じられるなか, たびたび〈多文化社会〉が論争となってきた.多文化社会を現実として肯定し外国人の統合を推進するのか, これを幻想として否定するのか.論争はこうした二重性をもっている.1980年以降ベルリンでは, 国家レベルに先行して文化的多様化が進行し, 外国人の包摂への取り組みとドイツ社会の変革を志向する政策が進んでいった.そして1989年以前には, 〈多文化社会〉はその現実が争われ, 東西ドイツの分断という政治的状況が, 現実としての〈多文化社会〉に対する肯定と否定双方を生んでいった.しかし東西ドイツが統合し大量の難民を受け入れた1990年以降, 現実として多文化が受容されはじめる.そして1998年の〈多文化社会〉論争では, 〈指導文化〉とされるドイツ文化と多文化の関係が論じられたが, 文化的多様性に対する一定の承認のもと, 文化的多様性の認知としての〈多文化社会〉から, どのような成員がどのような共通の基盤のもとで社会を形成するのかを問う〈多文化社会〉へと, その議論が変化したのである.ベルリンにおける〈多文化社会〉をめぐる議論は, 外国人によって社会が問われ変化していくことを示している.都市における〈多文化社会〉をめぐる葛藤は, 都市という空間の中で外国人と社会との関係が構築されていくプロセスの中に位置づけられる.
著者
保田 卓
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.2-18, 2002-09-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
24
被引用文献数
2

本稿の目的は, ルーマンの教育システム理論の変容を概観し, その再構築に向けての足掛かりを得ることである.ルーマンはかつて, 教育システムのメディアは「子ども」であると考えていたが, 晩年に至ってこの考えを捨て, そのメディアを「ライフコース」に取って替えた.その意味はこうである.マスメディアがライフコースの比較可能性を飛躍的に増大させた現代にあって, 「ライフコース」メディアは, 教育システムにおいて伝達される知識の被教育者にとっての意味を示すようにはたらき, それによってコミュニケーションを文字通り媒介する, と.この地点から翻って考えると, 教育のメディアは「子ども」でありそれは二値コードをもたないというルーマンの従来の見解も再考されなければならない.ルーマンによれば, 教育システムにおける選抜には二値コードがあるが, それは教育それ自体のメディアすなわち「子ども」には適用できないのであった.しかしこの主張は, 彼のいう意味すなわち評価という意味での選抜なき教育は不可能であるという現実にそぐわないのみならず, 彼の一般社会システム理論枠組に照らしても論理的に矛盾している.それゆえ, 教育システムのメディアは「ライフコース」であり, それは他の機能システムのメディアと同様に二値のコードを, すなわち被教育者のライフコース形成にとって「促進的/阻害的」というコードをもつとするのが妥当である.

1 0 0 0 OA 音楽の合理化

著者
和泉 浩
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.54-69, 2002-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
21

音楽という芸術を, 合理化の視点からとらえることはできるのであろうか.もしそれが可能であるとすれば, 音楽の合理化の西欧近代における固有の特性とはいったいどのようなものなのであろうか.未完の草稿として残された『音楽社会学』においてマックス・ウェーバーが探求しようとした, この西欧近代音楽の合理化の過程を, 西欧音楽における二重の合理化という視点から読み解くことが本稿の試みである.ウェーバーが音楽を社会学の対象にしたのは, 音楽に用いられる音組織が歴史的に構築されるなかで, 理性がきわめて重要な役割をはたしてきたことを見出したためである.ウェーバーは, この音組織を歴史的に構築してきた原理を, 間隔原理と和声的分割原理という2つの原理に区別する.この2つの原理にもとづき, 音組織は間隔的に, あるいは和声的に合理化されてきたのである.この2つの合理化は互いに対立するものであり, 他方のものに非合理, 制約, 矛盾をもたらす.ウェーバーの議論は一見, 近代の西欧音楽を和声的合理化においてとらえ, それ以外の音楽を間隔的合理化において特徴づけているようにみえる.しかし, 西欧近代の音楽の合理化の特性は, この対立する2つの合理化の交錯においてかたち作られているのである.この西欧近代音楽の合理化の矛盾した関係を明らかにすることこそ, ウェーバーの音楽社会学の試みである.
著者
竹中 克久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.780-796, 2006-03-31

本稿では, 組織戦略という概念に焦点をあて, 社会学的な見地からアプローチを試みる.組織戦略概念は組織を軍隊に喩えることから提起された概念であり, 市場という環境のなかで組織がほかの組織と合理的に争う側面を分析するために提起されたものである.ただ, 戦略概念の登場とその発展とともに, それを専門とするディシプリンとして戦略論という学問分野が独立したため, 組織戦略について論じつつも, 組織が主題となることは少ない.また, この概念は組織の経済的な競争という側面を重視するものであるために, 自ずと経済学や経営学からのアプローチが支配的であり, 社会学からのアプローチはほぼ皆無であるといっても過言ではない.ところが, 今日の社会状況に鑑みれば, むしろ社会学的な見地から, この組織戦略概念を再考することの意義ならびに社会からの要請があるように思われる.<BR>そこで本稿では, 戦略概念に代替可能な概念を模索する.その1つは企業倫理であり, もう1つはアカウンタビリティである.とりわけ本稿では後者を支持し, その概念の有効性を合理性ではなく<理解可能性>という基準で立証することを試みる.その際に参考となるのが, 近年着目されている組織アイデンティティや表出的組織という概念である.<BR>このような視座に立つことで, 現代組織にとっての新たなレゾン・デートルを提起できるとかんがえられる.
著者
西澤 晃彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.248-260, 1990-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
14
被引用文献数
1 1

日本の大都市においては、旦雇い労働者が集まり仕事口を得る場、「寄せ場」が形成されている。そしてまた彼ら-「寄せ場労働者」は、都市社会において排除の対象とされている。この論文では、東京の寄せ場・山谷に集う寄せ場労働者の寄せ場における社会生活の記述が目指される。その際、彼らの社会あるいは「集まり」の状態を、寄せ場労働者の社会関係を規制する規範から生じた一つの「社会秩序」として把握を試みる。さらには、そのような社会秩序の下での寄せ場労働者相互の関係、そして寄せ場を取り巻く外部社会との関係の中で彼らが見いだすアイデンティティについて述べられる。即ち、居住集団としての寄せ場・山谷における道徳秩序とそこでの寄せ場労働者のアイテンティティの内容が、具体的な社会関係の諸相の解釈を通じて導き出されるのである。
著者
周東 美材
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.262-280, 2008-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
17
被引用文献数
1 1

本稿は,1918年創刊の雑誌『赤い鳥』に所収された童謡を対象として,メディア論の視座から考察し,近代日本における「声」の文化の一端を描き出すものである.童謡は,初期の『赤い鳥』において音楽としてではなく,詩として創作されていた.童謡が文字で表現されながら歌謡として成立しえたのは,それが読者によって声に出して読まれ,自由な節を付けられていたためであった.童謡を歌うという営みは,伝統的な社会において歌われ伝承されていたわらべうたを,詩という複製技術を手段にすることによって復興させようとする北原白秋らの論理に支えられていた.童謡からみてとれるのは,近代において声の文化なるものを想像するときに逃れることのできない文字の位相である.声と文字は,それぞれ自律したシステムとして存在するのではなく,むしろ一方の内に他方が潜み,相互に重なり合うような関係にある.声と文字とは技術的な媒介や当該社会における実践や想像力など,多様な要因によってさまざまに分節される.とりわけ印刷技術は,近代社会において声の文化の形成の重要な一要素となる.本稿は童謡の検討を通じて,文字や声の文化の関係を一義的に決定する要因としてメディアを捉えるのではなく,声や文字を新たに関係付ける再編の契機として,さらに多様な文化を生み出す生成の契機としてメディアを捉え直す.
著者
鈴木 努
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.564-581, 2006-12-31
被引用文献数
1

山岸俊男は『信頼の構造』 (1998) において, 見知らぬ他者を信頼する人は単なる「お人好し」ではなく, 相手を信頼することで, 社会的不確実性と機会コストに対処しているのであるという信頼の解き放ち理論を展開した.その論証には主に実験心理学的方法が用いられたが, その後の社会調査による検証では必ずしも理論を支持する結果は得られていない.その原因として, 信頼の解き放ち理論は実験室状況を越えた実際の社会状況に適用するにはいまだ理論的整理が不十分であること, また実証研究において用いられたモデルが理論を適切に形式化しえていないことが考えられる.本稿では, 社会ネットワーク分析とカタストロフ理論を用いた数理モデルによって個人の社会環境とその個人が示す不特定の他者への一般的信頼の関係を形式化し, 信頼の解き放ち理論とそれに向けられた諸批判を総合した理論仮説を提示する.<BR>本稿のモデルは, 個人のエゴ・ネットワークとその属するホール・ネットワークの特性により個人の一般的信頼がどのように変化するかを示すカスプ・カタストロフ・モデルである.そこでは個人のもつ多層的なネットワーク領域を想定することで, 高い一般的信頼と緊密なコミットメント関係の両立が可能となっており, それにより実験的方法と社会調査から得られた対立的な知見を総合的に理論化する1つの枠組が提出される.