著者
上野 千鶴子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.31-50, 1980

異常とは「集団が境界の定義のために創出する有標記号のうち、マイナスのサンクションを受け、かつ状況的に発生するもの、こと、ひと」であり、異常の成立する諸次元には、 (1) ユニット・レベル (個体内の自己防衛機制) 、 (2) 間ユニット・レベル (個体間の協働、共犯的な状況の定義) 、 (3) システム・レベル (集団アイデンティティの防衛と維持) の三つを区別することができる。<BR>異常の創出が個人および集団の自己防衛機制に関わっているなら、そのために解発される攻撃性のターゲットが何であるかによって、異常を類型化することができる。それには (1) 葛藤の当事者である (同位の) 他者、 (2) 攻撃性を転位した「身代わりの他者」、 (3) 自己自身の三類型がある。それは二つの葛藤回避型の社会、葛藤をルール化した多元的な競争社会と、社会統合を代償に葛藤を物理的に回避した離合集散型の社会とを両極にした、一元的でリジットな社会統合から多元的でルースな社会統合に至るまでの、統合度のスペクトラムを分節している。即ち、異常の類型は、集団の統合の類型と対応しており、現実の諸社会は、このスペクトラム上のいずれかの地点に分布している。だとすれば、異常の表現型をインデックスとして、それを創出する集団の特性を推論することができる。<BR>異常の一般理論は、異常を扱う諸学の間に対象と方法の一貫性を導入し、異常の通文化的分析を可能にする。
著者
大久保 遼
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.179-195, 2018 (Released:2019-09-30)
参考文献数
47

明治期に活躍した元良勇次郎は, 東京帝国大学で初めての心理学担当教授であり, 心理学実験室の開設に尽力するなど, 一般的には日本における近代心理学の祖として知られている. しかしながら, アメリカ留学中の学位論文において, 元良は社会学に焦点を当てたことがわかっており, 帰国後も黎明期の社会学や社会心理学, 社会調査について論文を執筆するとともに, 1898年には社会学研究会の設立に発起人として加わるなど, 一貫して学術分野としての社会学の確立に貢献した.本稿では, これまで比較的知られてこなかった元良の活動の社会学的な側面に焦点を当て, 膨大な業績のなかからその「社会の学」の構想を再構成することを目指す. 社会学史において元良が果たした役割は, アメリカ社会学を中心とする心理学的社会学, および統計を用いた実証的な研究手法の導入といえるだろう. 元良の構想において, 実験心理学と社会学, 感覚の理論と社会の理論は, ともに総合的な「社会の学」のなかに位置づけられる. こうした元良の立場は, 当時の主流派を形成していた建部遯吾らの国家主義的な社会有機体説に対し批判的な役割を果たした. 日本における最初期の社会調査の実施にも尽力し, また社会学研究会等を通じて後進の育成に努めたことも考え合わせるならば, 「日本社会学の源流の1つ」として, 元良の業績を位置づけることが可能である.
著者
村上 あかね
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.319-335, 2011-12-31 (Released:2013-11-22)
参考文献数
43
被引用文献数
2 1

本稿の目的は, 離婚による女性の生活の変化を, 縦断的データを用いて明らかにすることにある. 家族と格差の問題を考えるうえで離婚は重要なライフイベントである. しかしながら, 日本では離婚の発生自体があまり多くはなかったこと, ライフコース研究に適した縦断的データの蓄積が少なかったことなどの理由から, 離婚に関する研究は決して多くはなかった. しかし, 今後, 経済の低迷や価値観の変化に伴って, 離婚が増えることが予想される. 子どもが貧困状態に陥る大きな要因の1つは親の離婚であり, 貧困が子どもの発達, 教育達成・職業的達成などその後のライフチャンスに及ぼす影響は社会的にも大きな関心を集めている. 離婚と社会経済的格差について検討することは, 今後重要性を増すといえよう.1993年から実施されている全国規模のパネル調査データに対して, 固定効果モデル・変量効果モデルを用いて分析した結果, 離婚によって等価世帯収入が大きく減少することが明らかになった. 夫からの養育費や児童扶養手当などの社会保障給付も決して多くはなく, 離別女性は経済的自立を迫られているが容易ではない. 母親が就労していても母子家庭の経済状況は苦しく, 離婚後の生活を支える仕組みをどのように構築するか検討が求められる.
著者
稲津 秀樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.185-202, 2012-09-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
30

本稿は, 国家間を移動する人びと/エスニシティのフィールドにおける出会いの過程に着目し, 調査者のを通じた問いを提出する意味と意義を考察した. 筆者の調査過程を振り返ると, 可視性に基づく問いと関係性に導かれる問いという2つの問い方が提出された. 前者では, 彼らと居合わせた空間における視覚の対象として捉えることで「外国人」として対象を措定し, 反対に自己を対象化せずに調査が行われる. このため調査者のまなざしが問われずに, 多様な関係性は「外国人」と「日本人」の二者関係へと集約され, 当の認識を生みだす場の力学自体が不問に付されていた. だが筆者は, 現場の人びとの関係性に導かれた場所での出来事から自己の存在論的な問い直しと共に, 彼らのことを「外国人」としてまなざす権力自体を捉え直す契機を与えられる. グローバル化により変容する「生きた人間同士の出会い」に立ち返り, その内実を上述の観点から再考することで, 彼らの存在を「外国人」として差異化する権力作動の問題を, 関係性が問われる場所の次元から批判的な議論の対象とする方向性が開かれる. その意義は, グローバル化がもたらす社会状況――多様な背景をもつ者が居合わせている「日常」――が在りつつも, なお成員間を差異化させる力とは何かという問いに対し, 結果としての二者関係認識を反復せずに越え出ていくような, フィールドワークの可能性と課題を導くからにほかならない.
著者
佐藤 慶幸
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.588-589, 2012-03-31 (Released:2013-11-22)
著者
中村 健吾
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.138-149, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
55
被引用文献数
1 1
著者
田中 裕
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.72-87, 2018 (Released:2019-06-30)
参考文献数
40

本稿は空間における抵抗の契機を考察することを目的とする. アンリ・ルフェーブルによって提出された不生産的消費という概念を出発点に, 空間の領有に向けた身体的実践のあり方を論じた. この概念はモノの生産や交換を目的とする生産的消費とは異なり, 断片化された空間を「生きられた経験」によって再編することを狙いとしている. また, 不生産的消費は使用価値に基づいており, 語りや聴取などの身体的行為として想定される. それゆえ不生産的消費は, 身体を媒介した対象の把握とその日常的実践として措定可能である. この行為のプロセスを明らかにするため, ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの「感性的知覚の界」を援用し考察を進めた. それにより, 私たちはその時々に応じて複数の感性的知覚を関連させることで対象を理解しているが, その対象は以前と異なる対象として立ち現れる可能性を潜在的に有していることが明確となった. ただし, このプロセスでは特定の理解を排除ないし無効化する権力的な秩序が背後で作動している. そこで, これらの感性的知覚を異なった2つの実践として捉え直し, 権力的秩序に基づく理解を受動的な「翻訳的実践」, 新たな理解の創出を能動的な「翻訳的実践」と位置づけた. ここから, 物理的空間としての場所を想像力に富む感性的知覚の1つとするならば, 翻訳的実践は空間領有の可能性を有するものとして考えられることが明らかになった.
著者
稲上 毅
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.365-371, 1995

中心が崩れ落ち, 周辺への意志が増幅されている。ディシプリンが曖昧でそれだけ個人芸に頼りがちな社会学がこの時代のモメンタムから自由でいられるわけもなかった。いくつかの「イズム」が虚空に舞い, 個体性のドキュメンテーションに拍車がかかった。いたるところで音信不通と立枯れが生じた。日本に限ったことではないが, この四半世紀ほどのうちに浮き彫りにされた現代的な風景である。病理ばかりが封印されているわけではないだろうこの中心喪失とパラレルな断片化 (Fragmentation) は, いったいどこまで進むのか。<BR>そんな捉えどころのない思いに駆られていたとき, 『都市社会学のフロンティア』 (全3巻) に出会った。何人かの友人が寄稿していることも手伝って, 一遍に喉の乾きを覚えた。それがいけなかった。まったくの門外漢であることも忘れて書評まで引き受けることになってしまった。それでも, 私の大きな期待は, 壁頭におかれた倉沢進の「都市社会学のフロンティア」を読んで一層膨らんだ。彼を含む「第 2世代」の「ミクロな世界がその主題であった」都市社会学を超えて, 「都市そのものの発展を説明する巨視的な新しい理論図式がいまや都市社会学に課せられており」, その課題を担って立つだろう「都市社会学の第3 世代のマニフェスト」が本シリーズにほかならない, と明記されていたからである。
著者
崎山 治男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.440-454, 2011-03-31 (Released:2013-03-01)
参考文献数
44

本稿は,心理主義化の批判のあり方と,感情労働と心理主義化との関連を示すことをめざすものである.従来の心理主義化批判は,基本的には「あるべき」感情を措定しそこからの疎外を心理学的な知がもたらすと批判するものであった.だがそれは論理的な困難をもつばかりではなく,人々が感情労働といった場で進んで心理学的な知を求めたりする現実をあらわすことはできない.感情労働が進んで求められるのは,実は常にそれが多様な自己感情の感受に開かれていることと,感情の互酬性に起因した,感情のやりとりの中での肯定的な感情の感受がありえることに起因する.そして,肯定的な感情の感受を支えるために,EQに代表されるような心理主義的な知が動員されていく.そこに潜む心理主義の現代的陥穽が,多様な感情経験を肯定的なそれへと縮減してしまう現象なのである.
著者
浜 日出夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.64-77, 1982-06-30
被引用文献数
2

A・シュッツの「現象学的社会学」についてはすでに多くの解釈や批判が提出されているが、それらは必ずしもひとつの像を結んでいないように思われる。本稿は、シュッツの思想の輪郭を明確にし、彼の「現象学的社会学」についてまとまりのあるイメージを回復することを狙いとする。<BR>そのための戦略として、シュッツがT・パーソンズとE・フッサールの両者に対して行なった批判を取り上げ、両者との接点を利用することによってシュッツの位置を明らかにすることを試みる。<BR>これによって明らかになるのは、「現象学的社会学」が実証主義と超越論主義の双方に対する否定としてそのアイデンティティを確立していることである。そして、この二重の否定を通して、「現象学的社会学」固有の対象領域としての<日常生活の世界>が姿を現わしてくる。
著者
西川 善介
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.43-62, 1951-08-30 (Released:2009-11-11)
被引用文献数
1
著者
森久 聡
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.392-410, 2011-12-31 (Released:2013-11-22)
参考文献数
25

伝統的な地域社会において, 地域社会の基層はそこで生じた地域問題の様相をどう規定するのだろうか. 福山市鞆の浦では, 鞆港の埋め立て架橋・道路建設計画をめぐる地域論争が続いている. そこで本稿ではこの地域論争を手がかりに鞆の浦の社会結合の編成原理を解明するために, 村落構造分析の年齢階梯制の視点を導入し, 鞆の浦の地域社会構造と鞆港保存問題の特徴である合意形成の長期化と世代別の意見形成の要因を分析した. まず鞆の浦における若者組等の存在を史料的に確認し, 口述記録では祭礼行事の役割分担や若衆宿のような習慣など, 年齢階梯制の名残りと思われる観察データを検討した. その結果, 厳密に論証することは難しいが, 鞆の浦に年齢階梯制が存在した可能性は高いと思われる. さらに年齢階梯制の知見を補助線に引くことで, 世代によって計画への賛否が異なること, 年長者に対する尊重の意識, 「生徒会長」「PTA会長」の役職が世代別の指導者層のステータス・シンボルであること, 話し合いを重視する住民意識などの観察データは, 年齢階梯制の社会意識の断片として解釈できる. 現代の日本では, 年齢階梯制社会とすでに認められた地域以外で年齢階梯制を論証できる分厚いデータを入手することは難しいが, 地域問題の分析で年齢階梯制の視点を用いることは, この制約を乗り越え, 年齢階梯制研究の蓄積を現代に活かすという意味で, 一定の現代的意義があると思われる.
著者
永吉 希久子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.19-35, 2012
被引用文献数
5

日本の排外意識の研究においては, 外国人住民の規模が排外意識に与える効果が, その国籍によって異なることが指摘されてきた. しかし, なぜそのような差が生じるのかについては, 十分に検証されていない. 本稿は, 外国人住民と日本人の間の労働市場の分断に注目することにより, この国籍による効果の差の説明を試みる.<br>労働市場分断仮説によれば, 外国人住民がホスト社会住民よりも低い賃金の職に集中している場合に, ホスト社会住民の賃金や労働環境の悪化への懸念が生じ, 排外意識が高まると説明される.<br>この仮説のもと, 日本版総合的社会調査の2006年度のデータ (JGSS-2006) を分析したところ, 以下の結果がえられた. 第1に, 労働市場の分断状況と排外意識には関連がみられ, 労働市場の分断状況が顕著であるほど, 排外意識が強くなる傾向があった. 第2に, 労働市場の分断状況をモデルに投入することにより, 国籍別の外国籍割合の効果が有意でなくなることから, 先行研究において指摘されてきた国籍別の外国籍割合の効果が, 労働市場の分断の程度によって説明されることが示された. 本稿の結果からは, 日本人の排外意識を考えるうえで, 個々人としての日本人側の要因だけでなく, 日本の労働市場の構造とそこにおける外国人労働者の位置づけという, マクロな視点をとる必要があることが示唆される.
著者
川崎 賢一 藤村 正之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.601-613, 2005

本稿の目的は, 1992年11月に出版された『社会学の宇宙』 (川崎賢一・藤村正之 (共編), 恒星社厚生閣) という社会学テキストがどのように編集・出版されたのかを, 編者自身がその当時に考えていたことにできる限り忠実に, 紹介することである.その当時は, バブル経済崩壊直後の日本社会にあって, 社会学教育自体にも変革の波が押し寄せようとしていた.その波への1つの回答として, 編者たちが念頭に置いたのは, 大まかにいうと, 従来考えられていた〈教養としての社会学〉から, 〈普通に使える社会学〉あるいは〈DIY (Do It Yourself) の社会学〉へ, 大きくその方向を変えることを目指そうということであった.その意図がうまくいったかどうかはわからないが, 少なくとも, その後の社会学のテキストはさまざまな種類のテキストが出版されるようになった.その意味で, われわれのテキストが果たした何がしかの役割があったのではなかろうか.
著者
中野 卓
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.114-127, 1960-03-30

In the year before the Meiji Restoration (1867), there was a series of ecstatic dancing throughout Japan. This movement was apparently originally inspired by some political agitators who had been intending to capitalize on the discontent among the masses which had been expressed in the very severe peasant riots of the previous years. In order to carry out this plan, at first they put some amulets into several fairly wealthy homes, unknown to the people there. Afterwards, the same incidents began to occur in large numbers of houses, not only the wealthy but the ordinary houses as well. When the people discoverd the amulets, they assumed that some supernatural spirits had selected their houses as an indication of some particular virtue, which would be rewarded with divine protection. <BR>This led to a series of movements which took place in different parts of the country at different times, from August of the year till the next January. <BR>This particular research is based on <I>Kyoto</I>, the Imperial capital, where the movement had paticular political significance. It began here around October 20th, as soon as several samurai started from <I>Kyoto</I> to their Daimyo with a secret Inperial order that the shogunate should be destroyed. They must gain time, and thought of, perhaps, the miracle. <BR>The people responded to the discovery of the amulets in a very ectatic way. They placed the deities on the alter in their houses to make a religious service, inviting their <I>Dozoku</I> and affinal families, the members of their <I>Chonai</I> (institutional neighborhood groups), and their friends to join in those religious servises, large feasts, drinking rice-wine, and dancing. There were also mutual invitations between those houses where &ldquo;the amulets had descended from the heaven&rdquo;. Even if uninvited, people who visited the alter to worship and to offer congratulations where welcomed. Later, some uninvited people took advantage of the festival by forcing themselves into the feasts, which sometimes led to aggressive mob behavior. <BR>The festivity soon extended beyond their houses, into the streets, and was characterized particulary by the frenzied dancing. At first, the people of the same <I>Dozoku</I> and the same <I>Chonai</I> etc. danced whithin the street of the <I>Chonai</I>, and later the dancing extended out from there. <BR>This type of dancing, &ldquo;<I>ee-ja-nai-ka odori</I>&rdquo; (literally, a dance with the refrain meaning &ldquo;eveything's 0. K., isn't it ?&rdquo;) had a history in the periodic pilgrimage made by commoners to <I>Amaterasu-O-mikami's</I> shrine at <I>Ise</I> about evey 60 years. This pilgrimage included ecstatic dancing and served as a release for the frustration of the common people under the feudal system of the <I>Tokugawa Shogunate.</I> Actually, 1867 was too early for the time of the periodic pilgrimage, but the special critical situation, directly &ldquo;the descent of the deity&rdquo; caused the analogous movement to develop at this time, even without the long pilgrimge to <I>Ise.</I><BR>Although for the first few days of this ecstatic celebration the deities were limited to <I>Amateras-O-mikami</I>, after this time, the celebration spread widely and included not only this <I>Shinto</I> goddess of the &ldquo;Imperial Ancestor&rdquo; which had been used by the original agitators to prove the divine protection on the Restoration, but also large numbers of other Shintoistic and Buddhistic folk gods as well. In those days, unidentified people, who put amulets, might be divided into various social classes : <I>samurai</I>, common people, priests etc..
著者
竹内 里欧
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.745-759, 2005-12-31
被引用文献数
1

本稿では, 明治期から大正期の, 処世本, 礼儀作法書, 雑誌記事を資料に, 「西洋化」・「近代化」・「文明化」を象徴する人間像として機能した「紳士」という表象をめぐる言説を分析する.特に, 「紳士」を揶揄するレトリックや論じ方に注目し, その類型の整理を試みる.それにより, 近代日本において, 「西洋」, 「文明」の有していた力やそれへの対応について明らかにする.「紳士」をめぐる言説においては, 「真の紳士」に「似非紳士」を対置し, 「真の紳士」の視点から「似非紳士」を批判するレトリックが多くみられる.「西洋の真の紳士」という理念型から「日本の似非紳士」を揶揄する (=「『似非紳士』の構築」) のも, 「真の紳士」の対応物を「武士道」, 「江戸趣味」に見出すなど過去に理念型を求める (=「『真の紳士』の改編」) のも, どちらも, 現在の時空間ではないところにユートピアを設定しそこから批判することを通じて「現実」を構成するという論理構造を共有している.「真の紳士」という「理念」と「似非紳士」という「現実」を共に仮構するという理想的人間像への対応は, 抽象化された (それ故「武士道」などと等値可能になる) 「西洋」という目標に向かい邁進する日本の近代化の構造を反映している.それは, 近代化・西洋化の要請と, 「日本」のアイデンティティの連続性の創出・維持という, 当時の矛盾を含んだ2つの課題に対応する文化戦略であったことが透視される.