著者
古賀 優子
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
ラテンアメリカ・レポート (ISSN:09103317)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.26-40, 2019 (Released:2019-03-07)
参考文献数
3

2018年コロンビア大統領選挙は、FARCとの和平合意後に実施された最初の大統領選挙であった。当初は和平合意履行の是非が争点になるのではないかとみられていたが、実際は和平よりも急進左派の是非にたどり着いた。これまでみられなかった左派の躍進はコロンビアにあって注目すべき現象であったが、左派候補が勝利するには至らなかった。その背景には、歴史的に急進的な政治を好まない国民の意識が挙げられる。また、既成政党の組織票が力を失う一方で、SNSはまだ十分な影響力を獲得していない。今回の大統領選挙の背景には、このような政治の変化があったのではないか。政党離れは進行しており、右派・左派に関わらず、カリスマのある候補が出現すれば、将来的に大統領選挙で勝利する可能性もあると考えられる。
著者
網中 昭世
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
アフリカレポート (ISSN:09115552)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.56-66, 2016-04-27 (Released:2020-03-12)
参考文献数
23

モザンビーク社会は2000年代を通じて高いマクロ経済成長率を記録する一方で、2008年、2010年、2012年には経済的困窮に対する都市部住民の不満が暴動という形で表出した。モザンビーク人の雇用が促進されず、貧困率の悪化を伴うような経済成長は「雇用なき成長」と非難されてきた。近年の暴動の主体は、経済成長を実感できぬ貧困層であった。彼らは野党の支持者となりうるだけに、FRELIMO政権は、貧困層に対して、いかに雇用を提供するかという課題を抱えている。本稿では、FRELIMO政権による雇用政策について次の3つの観点から考察を加える。第1に、近年の経済成長をもたらすことになった経済政策を振り返る。第2に、経済成長にも関わらず、雇用を通じた貧困状況の改善がなされない要因を探るため、経済活動人口の教育水準を確認し、低就学歴者層を対象とした政府の雇用政策に焦点をあてる。第3に、低就学歴者に対する雇用政策の実績と意義について検討する。
著者
日臺 健雄
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
アジア動向年報 (ISSN:09151109)
巻号頁・発行日
vol.2019, pp.23-36, 2019

<p>国内政治面では,大統領選挙でプーチン氏が再選され,2024年までの通算4期目の任期に入った。</p><p>経済面では,原油価格の上昇により1%台ながらもプラス成長が継続し,連邦政府の財政も収入の増加と支出の抑制方針により黒字に転じた。</p><p>対外関係では,アメリカなど西側諸国による経済制裁が強化された一方で,ドイツやフランスとの経済関係やトルコとの経済・軍事関係を強化するなどによってそれに対抗している。日本との関係では,首脳会談が4回開催され,9月にプーチン大統領が平和条約の年内締結を唐突に提案するなどの動きがあった。中国との関係では,首脳の往来や合同軍事演習,北朝鮮核問題での共同歩調などで引き続き関係の強化がみられる。朝鮮半島との関係では,金永南最高人民会議常任委員長が来訪し,マトヴィエンコ上院議長が北朝鮮を訪問するなど,韓国の文在寅大統領のロシア訪問とあわせて,朝鮮半島情勢への積極的な関与がみられる。東南アジア諸国との関係では,主に安全保障面での関係強化がみられた。南アジア諸国との関係では,インドとパキスタンの両国とそれぞれ軍事演習を行い,アフガニスタン和平会議を主催するなど,積極的な政策が展開されている。</p>
著者
村井 友子
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
ラテンアメリカ・レポート (ISSN:09103317)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.86-92, 2022 (Released:2022-01-31)
参考文献数
15

ラテンアメリカでは、過去およそ20年にわたり、研究成果をオープンアクセスで提供する学術情報インフラを構築し、維持・発展させてきた。そのあいだ、数多くの学術情報プラットフォームが発足し、ラテンアメリカの学術情報のオープンアクセス化を推進してきた。本稿は、このうち、学術機関が学術雑誌を電子ジャーナルとして刊行する際に活用できる共同出版プラットフォームを提供し、ラテンアメリカにおけるオープンアクセスジャーナルの発展を牽引してきたSciELOとRedALyC、および、国を超えてラテンアメリカ諸国とスペインの学術機関の機関リポジトリを繋ぐオープンアクセス・リポジトリネットワークLA Referenciaの活動を伝える。
著者
Ferdowsi Ali
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー
巻号頁・発行日
vol.2, pp.122-137, 2015

<p>ハッジ・サイヤーフ(1836-1925年)は広く19世紀中葉の欧米を見聞した旅行家であり、またイラン人として最初にアメリカ合衆国の市民権を得た人物である。彼がその生涯で訪れた国や地域は順にコーカサス地方、イスタンブール、ヨーロッパ諸国、米国、日本、中国、シンガポール、ビルマ、インドなどに及ぶ。またメッカは9度巡礼しており、エジプトも数度訪れている。だが彼の本領は単なる世界旅行者というよりも、彼が卓越した旅行記作家だったところにある。</p><p>本論は前半においてサイヤーフの生涯を改めて簡潔に紹介し、後半部では彼の記録から典型的な事例を4つほど引用してその個性的な自己認識と自己形成を跡付ける。それは総じて非ヨーロッパ系のアジア出身者として西欧的な「市民」概念とどう対峙し、それを自らの属性として血肉化したかを具体的に物語っている。</p><p>これを読むとハッジ・サイヤーフは欧米の一流の政治家・知識人と交流を持っていたことが理解される。またサイヤーフは当時の著名な汎イスラミスト、ジャマール・アッディーン・アフガーニー(1838/9-97年)とも親交があった。最後に筆者はサイヤーフが明治維新直後の1875年に日本(横浜)を半年ほど訪れ、ハッジ・アブドッラー・ブーシェフリーなる人物と邂逅したことを紹介している。上記4番目の事例はサイヤーフが日本を訪れる直前インタビュー記事だという。</p><p>(文責・鈴木均)</p>