1 0 0 0 OA 視覚の因果説

著者
前田 高弘
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.103-109, 2002-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
25

知覚の因果説は知覚に関心を持つ哲学者や心理学者によって広く受け容れられているように見えるが, 反対する者もいる。哲学的テーゼに反対者は付き物であるから, そのことは不思議ではないとも言えようが, 私にはやや奇妙に思えるところがある。知覚の因果説は基本的に知覚の概念に関するものであるが, 事実として知覚が生起するための因果的機構が科学的にある程度説明され, かつ反因果論者たちもその種の因果的機構の存在を否定するわけではなく, さらに一般常識も知覚の因果説的な捉え方を抵抗なく受け容れることができる (あるいは現に受け容れている) ように見えるのに, なぜ反因果論者たちは, 知覚の概念そのものは因果説的ではない (あるいは因果説的に捉えるべきではない) と敢えて主張する必要があるのか。実際, 私にはその理由が見当たらない。むしろ, 知覚の概念は因果説的であると考える方が理に適っているように思われる。そのことを論ずるのが本稿の目的であるが, 以下の議論は専ら視覚を問題にしている。反因果論者たちはすべての感覚様相について因果説を批判しているわけではなく (cf. [9] p.295), 批判の対象になるのは基本的に視覚か聴覚であり, 私が視覚の因果説を擁護するために持ち出す論点が視覚以外にも当てはまるわけではないからである。いずれにせよ, 私がここで論じたいことは, 敢えて控えめに言えぼ, 少なくとも視覚に関して因果説を拒否すべき理由は見当たらないということである.
著者
本橋 信義
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.111-115, 2002-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
2

1 0 0 0 OA 書評

著者
竹尾 治一郎
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.117-119, 2002-03-25 (Released:2010-05-26)
著者
福井 謙一
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.27-33, 2001-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
5

信念や知識といった命題態度を表現する文の意味論は, 言語哲学の中心的問題のひとつである.この問題をめぐっては, 命題態度の対象を, 何らかの抽象的対象 (とりわけ命題) と見なす立場と, それを文や発話といった何らかの言語的対象であると考える立場が存在するが, 『意味と必然性』におけるカルナップの信念文の分析は, 後者の系統に属する先駆的な業績である.本稿は, この分析に内在する, ある論理的・意味論的な問題点を明らかにし, それを解決することを試みる.カルナップの分析は, 信念文に限定され, 他の命題態度は扱われていないため, 本稿でも信念文に議論を限定するが, 以下で指摘される問題点は, カルナップの信念文の分析と同様の観点からの, 他の命題態度の分析にもあてはまる.
著者
中山 康雄
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.61-67, 2002-03-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
24

Quine (1951) の後半部は, 経験主義的全体論の構想を描いている.クワインの描いた描像は全体論の一つの形を示している.デイヴィドソンは, 概念枠と内容の二元論を否定し経験主義的でない全体論の道を取ろうとしたが (Davidson (1974) 参照), 科学活動の発展に注目する時, それがクワインの描いた全体論を超えるものとは必ずしも言えない.それは, デイヴィドソンの全体論には, 発展し変貌していく信念のダイナミズムが欠けているからであり, この点に関してはクワインの全体論の方が優れているからである.しかし, クワインの経験主義的全体論は, この立場が取りうる一つの形態にすぎない.それは, 信念変更に関する保守主義を含んだ経験主義的全体論である.本稿では, 'ローダン (Larry Laudan) が唱える進歩主義を経験主義的全体論に取り入れることができることを示し, これにより経験主義的全体論者が複数の戦略を取りうることを示したい.
著者
角田 譲
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.1-5, 2001-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
4
被引用文献数
2 2

「設計する」ということを通常我々は「ある目的を具体化する作業」 (広辞苑) を意味すると捉えるであろう.ある目的を具体化すると言うことは, 個人あるいは複数人の意志が, ある要求を満たそうという目的のため, その要求を満たすものの作り方を明示することであろう.工学設計の場合, 大抵の場合, 要求を満たそうとしているものがある場は我々が生息しているこの物理空間である.従って, 工学において「設計する」と言うことの要件は, 要求を構成する基本要素を欲求として捉えると (従って, 要求はこれこれしかじかの欲求を満たし, これこれしかじかの欲求を満たさないものとして明示されると考える), 欲求の場からこの物理的空間への情報の流れ-ここでは, 目的を具体化する作業-が確立されることである.本稿においては, 情報の流れという観点から設計というものを捉えることが目的である.
著者
須長 一幸
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.9-14, 2000-12-25 (Released:2010-01-20)
参考文献数
4
著者
津留 竜馬
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.15-21, 2000-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
5

クリスピン・ライトらが提唱する「フレーゲ的プラトニズム」の立場は, 数などの抽象的対象の存在を擁護する果敢な試みであるが, またそれゆえに, 多くの批判的議論を呼ぶものでもあった.様々な批判の中で特に重要なものとして, ダメットに拠る議論 (Dummett [1991]) を挙げることができるだろう.また, ライトとダメットとの間には, その後この問題を巡っての議論の応酬もあった (Wright [1998a], Dummett [1998], Wright [1998b]).この小論では, 「フレーゲ的プラトニズム」の是非を巡る彼らの間の論争を検討したい.
著者
町田 一
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.37-42, 2000-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
10

ライプニッツは証明可能性と可能性を等しい概念と考えている.つまり, 証明可能な命題と可能な命題は等しいと考えている.一方, ライプニッツは可能であるということを「矛盾を含まない」ことであると規定するので, 通常, ライプニッツの言う証明とは無矛盾性の証明であると言われている.しかし, ライプニッツは, 「矛盾を含まない」ということと無矛盾ということを区別しているように思われるため, この論文ではライプニッツの言う証明とは必ずしも無矛盾性の証明ということにはならないと主張したい.そこで, 「矛盾を含まない」とはどういうことかを検討し, 証明可能性と可能性が等しい概念であるということの意味を明らかにしたい.
著者
小澤 正直
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.79-85, 2000-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
8
著者
金杉 武司
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.87-92, 2000-03-31 (Released:2010-05-26)
参考文献数
6
著者
斎藤 正彦
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.99-103, 2000-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
2

この論文はふたつの部分から成り, どちらも根源的な空間認識の様式が, 言語の形成におよぼした影響について論ずる.どちらの部分も仮説を含む提言である.
著者
石垣 壽郎
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-7, 2000-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
9

量子力学における観測命題の全体は, プール束を構成しない。したがって, 量子力学的系にすべての物理量の値を確定的に付与し, そのことによって確定的世界の描像を与え, 量子的確率を古典的確率として解釈しなおすことはできない.しかし, 物理量それぞれに関する観測命題全体はプール束を構成する.よって, 何らかの理由 (たとえば観測, あるいはそれ以外の理由) によって物理量を1つ固定すると, この物理量に関する観測命題は真偽が確定し, これらの命題についての確率を古典的確率と見なすことができる, と考えられている.この観点から, Bub and Clifton (1996) と Bub (1997) は, 量子力学に対する, 波束の収縮を含まない様々な解釈を整理し, これらの解釈には特定物理量 (apreferred observable) が一意に対応していることを示した.その基礎になっているのが, 「一意性定理 (Uniqueness Theorem) 」である.しかし, 彼らは, この定理の証明および適用に際して, 有限次元ヒルベルト空間を扱い, 無限次元ヒルベルト空間の場合は, 有限次元からの類推にとどめている (Bub (1997).122).これに対して, 以下に示すように, 無限次元ヒルベルト空間の場合は, 有限次元からは類推のできない特有の状況が現われてくる.本稿では, 無限次元ヒルベルト空間における物理量 (オブザーバブル) について, 観測命題の真偽が確定するという意味での確定的世界 (「真偽確定世界」), 物理量の値が確定するという意味での確定的世界 (「値確定世界」), さらに観測命題についての量子的確率を古典的確率として表現するという考え (「古典的確率としての表現」), これら3者間の関係を検討する.Bub and Clifton (1996) と Bub (1997) が真理値確定と見なした命題がなす部分束は, そのときどきの量子力学的状態にも依存し, 特定物理量の観測命題全体の集合よりも大きくなる場合がある.しかし, 量子力学的状態が特定物理量に関する (0以外の) どの観測命題の確率をも0としないとき, この部分束は, 特定物理量の観測命題全体がなすプール束と一致する.よって, 本稿においては, この特殊な場合に注目することにして, 物理量の観測命題がなすプール束をとり上げる.