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投稿一覧(最新100件)
もし、当該例文が遊塾教授「鎌倉佛教における悪とその超克」の文中のそれであるならば、「だから煩悩は人間の身膿性の底にうごめく盲目的な生の衝迫ではなくて、」とあって、語句は「うごめく」であることが確認できます。
参照:
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/7/2/7_2_518/_pdf/-char/en
表外訓にもいろいろありますが、この「詩」の場合は、千年以上前の漢和辞典「類聚名義抄」に動詞の「ウタフ」と名詞の「ウタ」がすでに記載されています。
参照:「類聚名義抄. [6] 34頁」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2586895?tocOpened=1
芋や栗を洗う目の粗い笊(ざる)のことを岐阜県吉城郡では「山家(やまが)しょーけ」と呼ぶようです。また、同地では口の笊を連濁させた「口(くち)じょーけ」といいます。ですから、穀類選別の農具として使う箕の形をした笊笥(そうけ)のことも連濁で「箕(み)じょーけ)」とも呼び分けたものでしょう。
そもそも、箕(み;穀類選別の農具)や竹製の笊(ざる・いかき(笊籬))、また食(け)に盛る竹製の目の細かい食 ...
十四五歳の頃、漱石は「漢学塾二松学舎」で、また露伴は「漢学塾迎㬢塾(げいぎかん)」と湯島聖堂の東京図書館で、共に漢学の習得と漢籍の読破に集中した時期がありました。
鴎外も進文学社でドイツ語を学んでおりながら、その内にも依田学海を訪ね漢学の指導を受けています。
三人三様ながら、その十代半ばでの漢学への異常なまでの集中と傾倒ぶりについては、心中に文芸創作分野への関心傾斜があったとしか思えません ...
基本的には連濁した「ねんじゅうむきゅう」です。
大正4年刊の夏目漱石「硝子戸の中」でも「年中行事」は「ねんぢうぎやうじ」と濁音で仮名振りされています。
参照:「硝子戸の中」岩波書店(大正4年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954129/6
熟語「年(ねん)がら年中(ねんじゅう)」も濁ります。
苗字の「年中」さんも「ねんじゅう」です。
戦国期 ...
これは次の道歌の一番最後の句が後に独り立ちしたものです。
「一休禅師道歌集」
「生まれては 死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子も」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/822846/9
ここでの対比は、同類の列挙とピンからキリまでの組み合わせを指しています。
最高のお方であれ、形が似ているだけで別にどうでもいい下らないものであれ、「おし ...
江戸期に魚肥として「乾魚」を「ほしか」と呼んだようです。
小魚全般でしたが、最も良質な「ほしか」が「乾鰮(ほしイワシ)」だったことから、明治期以降「ほしいわし(乾鰮・乾鰯・干鰮・干鰯)」を特に「ほしか」と呼ぶようになったようです。
参照:
今関常次郎「簡易肥料鑑定法」(明治43年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/838194/68?viewMode=
日本土 ...
江戸期に魚肥として「乾魚」を「ほしか」と呼んだようです。
小魚全般でしたが、最も良質な「ほしか」が「乾鰮(ほしイワシ)」だったことから、明治期以降「ほしいわし(乾鰮・乾鰯・干鰮・干鰯)」を特に「ほしか」と呼ぶようになったようです。
参照:
今関常次郎「簡易肥料鑑定法」(明治43年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/838194/68?viewMode=
日本土 ...
この写真版の方は、漢文の読み下しにあたっての区点付けが細かい一方で文章としては長く続く読み下し方のようです。
「因習、俗を成す。庶僚百揆概ね其職を世々にして」の箇所も「俗ヲ成シ。庶僚百揆。概子其職ヲ世々ス。而シテ…」と読ませるようです。
ですから当該箇所も「衣冠ヲ襲ヌル所謂武門武士トイウモノニ未ダ嘗テ有ラザルナリ」のような長い読み下しになっているのではないでしょうか。
どちらが正しいというもので ...
古事記にも「以爲人有其河上而」あるように、古来「人」は「ひと」として用い、万葉集では万葉仮名で「比等(ヒト)」などとも記しました。
一方、「人間」は伝来の仏典により十界の一つ「人間界」を意味し「ニンゲン」と呉音読みしていました。
そして平安期には「人間界に生まれた者」という流れから「人」の意味も加わりました。
例)「天人は目瞬かず、人間(ニンゲン)は目瞬く」(「今昔物語 1-15」)
一方で平安 ...
横山青娥「引例枕詞正解辞典」交蘭社(昭和8年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242879
栗田書店出版部「隠語辞典」(昭和8年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056977
横山青娥「引例枕詞正解辞典」交蘭社(昭和8年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242879
栗田書店出版部「隠語辞典」(昭和8年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056977
実際にご自分でご確認ください。
以下の「言海」で、7頁「名詞」から97頁の「接尾語」まで、「語法指南」という形で詳細に記載されています。
参照:
大槻文彦 編「言海 : 日本辞書. 第1-4冊」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992954
こちらがそれです。
大田南畝 編「三十輻. 巻之十五 源氏外伝 上下」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945829/249?tocOpened=1
一般的には「送り来(こ)し」と読まれています。
岩波版「子規歌集」では「下総の結城の里ゆ送り来(こ)し春の鶉をくはん歯もがも」と振り仮名されています。
下のURLの切り抜きの通り、もちろん新聞発表の際には一切の仮名振りはされていません。
あくまでも編者の土屋文明と岩波書店の見識なのでしょう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532407
一 ...
一般的には「送り来(こ)し」と読まれています。
岩波版「子規歌集」では「下総の結城の里ゆ送り来(こ)し春の鶉をくはん歯もがも」と振り仮名されています。
下のURLの切り抜きの通り、もちろん新聞発表の際には一切の仮名振りはされていません。
あくまでも編者の土屋文明と岩波書店の見識なのでしょう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532407
一 ...
>その数字特有の熟語という意味
:
一般に「名数」と呼びます。
参照:
「名数辞典」
http://doing100.com/jiten/
「重要名数」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955903/136?viewMode=
下に挙げた書籍の記載では、見出しや地の文では「ほんとう」と仮名振りしていますが、明治天皇のお言葉の箇所ではキチンと「ほんたう」と振っています。
引用:
明治天皇聖徳会 纂「隠れたる明治天皇の御聖徳」(昭和13年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1093199/11?viewMode=
これには昭和初期には既に「ほんと」という会話語的簡略表現が用い ...
下に挙げた書籍の記載では、見出しや地の文では「ほんとう」と仮名振りしていますが、明治天皇のお言葉の箇所ではキチンと「ほんたう」と振っています。
引用:
明治天皇聖徳会 纂「隠れたる明治天皇の御聖徳」(昭和13年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1093199/11?viewMode=
これには昭和初期には既に「ほんと」という会話語的簡略表現が用い ...
江戸期「米の他領移出を差し留める役人」を「米留役人」と呼んでいました。
参照:
「古文書こぼればなし」
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10223138_po_komonjokurabu16.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
本来は「篇(ヘン)」で①文の区切り(章の一つ上位)、②ある性質を持った一つの文学作品、③文学作品を数える数助詞でしたが、戦後の漢字規制でそれらもすべて「編(ヘン・あむ)」として、いわゆる「書き換え字」となった経緯があります。
「代用字による書き換え」
http://www15.atpages.jp/sa2700v/tojo-daiyo-.htm
このプラトン「対話篇」では、大正10年の翻 ...
ラテン語のcaput(カプト)云々以前に、そもそも「カブト」という言葉自体が百済からの伝来語であろうと新井白石が喝破しています。
出典:新井白石編「東雅(巻之10)」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993109
どうやら「麦稈紙(むぎわらがみ)」の代用字のようです。
比較参照:麦稗⇔麦稈
官報第2181号「麦稗細工物及び価格」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945434/6?viewMode=
官報第5554号「紐育麦稈真田商況」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948856/7?viewMode=
「む ...
どうやら「麦稈紙(むぎわらがみ)」の代用字のようです。
比較参照:麦稗⇔麦稈
官報第2181号「麦稗細工物及び価格」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945434/6?viewMode=
官報第5554号「紐育麦稈真田商況」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948856/7?viewMode=
「む ...
元の記載「子之子為」の後の「子」の一字が脱落したため不明になったものでしょう。
中国最古の辞書「爾雅」によれば「子の子を為(し)て」「孫」で、音読みは「尊(ソン)」、和名では「無萬古(むまご)」、と。
参照:「倭名類聚抄一」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544216?tocOpened=1
もちろん誤植です。
幸にして、1918年に松屋の原稿用紙に認められた芥川龍之介の自筆原稿が残されていますからご自分でもご確認ください。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532516
>「たずねる」と読む理由は本当にそれだけなのでしょうか?
:
三国時代の何晏の編んだ「論語集解」の「温は尋なり、故者を尋釋す」に基づき、朱子が温故(フルキヲタヅネテ)と注したことに由来するとされます。
参照:無適会 編「儒教小見 : 無適講述. 第1輯」(昭和7)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031758/99?viewMode=
これを金 ...
服部宇之吉 編「大漢和辞典」(春秋書院)では呉音「ツ」を立て、意味の③に「つぐ、ついづ」を載せています。
ですから呉音読みながら、そのの動詞化で「続(つ)ぐ/継ぐ」と同様に、また「継ぎつ」の変化形「序(つい)ず/叙ず」と同様の用法があると示唆しているようです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018382/645?viewMode=
もともと、奈良町初期に伝来した最初の物は、まずは薬用の「烏梅」の方で、当時はそれを「ウメ」もしくは「ウメイ」と呼んだようです。
参照:
「初め薬用の烏梅の必要より、その生実・苗木等をシナより取り寄せて烏梅を字音にて烏梅(うめ)と読み烏梅(うめ)の木と称せしが樹名となりしといふ。」(「大辭典」平凡社)
「万葉集品物図絵. 上巻」「うめ」
http://dl.ndl.go.jp/info:nd ...
もともと、奈良町初期に伝来した最初の物は、まずは薬用の「烏梅」の方で、当時はそれを「ウメ」もしくは「ウメイ」と呼んだようです。
参照:
「初め薬用の烏梅の必要より、その生実・苗木等をシナより取り寄せて烏梅を字音にて烏梅(うめ)と読み烏梅(うめ)の木と称せしが樹名となりしといふ。」(「大辭典」平凡社)
「万葉集品物図絵. 上巻」「うめ」
http://dl.ndl.go.jp/info:nd ...
「文選(モンゼン)」の「枚乗(バイジョウ)」の「上書。重諫呉王」の項には「泰山之霤(リュウ(溜);雨垂れ・滴り)穿石殫極(タンキョク;使い古し)之綆(コウ;釣瓶縄)断幹(カン(倝と木の合字);檣を築く時の端にある井桁・また木の車(滑車)との解釈も)」とあります。
引用:蕭統 撰[他]「文選正文. 9」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/895911/10 ...
この句については、子規が丹念に清書した「寒山落木 巻四(明治28年)」において「着綿」と自筆されており、高浜虚子選「子規句集」(岩波文庫)では「きせわた」と仮名振りされています。
「子規全集 第2巻」アルス(大正13-14)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978836/207?tocOpened=1
「きせわた」自体は本来、重陽の節句の「菊の著せ綿 ...
「湯たんぽ」は暖足瓶の「湯婆」の唐音「たんぽ」が意味が分かりにくいので「湯」を説明に加えたものですが、往時は「とうば」と漢音読みをしたり、意味が分かるように音を合わせた「暖甫」や漱石のように「煖甫」と記したりもしていました。
参照:「徳利暖甫参葉薪代…」(年番方(両溜修覆見廻同心)筆録)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2548605
>蕭蕭ではなくてはいけないんですか?
:
出典となる三好達治「大阿蘇」(詩集「覊旅十歳」)で「雨は蕭蕭と降つてゐる」とあるからです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1139407/21?viewMode=
戦後の漢語規制が及び出す前の辞典が望ましいですね。
私はわざわざ昭和30年刊行の広田・鈴木編「類語辞典」東京堂を古書で探してきて使っていいます。漢字の類語だけでなく、和語の古語や方言さえ載っているのが魅力です。
http://www.tokyodoshuppan.com/book/b88814.html
大正11年刊のこちらの「現代大辞典」中の「類語辞典」も勉強になります。
htt ...
ドイツ語の"Onanie"を「手淫」と漢字を当てた文献としては1908年刊の次の書籍があります。
平井成 編「最新生殖器健全法 」明41.10
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/835796/35?viewMode=
それらは「名数」と呼ばれます。
「めいすう【名数】いつもある数を添えていう名称。「二王」「三羽烏」「四天王」「五常」「七福神」など。」(「国語大辞典」小学館)
参照:
「第十八 主要なる名数」(「漢文解釈の総仕上げ」三省堂)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457598/60?viewMode=
「第二節 名数」(竹内水哉「漢文捷径」)
...
それらは「名数」と呼ばれます。
「めいすう【名数】いつもある数を添えていう名称。「二王」「三羽烏」「四天王」「五常」「七福神」など。」(「国語大辞典」小学館)
参照:
「第十八 主要なる名数」(「漢文解釈の総仕上げ」三省堂)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457598/60?viewMode=
「第二節 名数」(竹内水哉「漢文捷径」)
...
「弦(つる)」と漢語をあてるようです。
出典:
大鋸のない時代には「ツルカケ」という技法があり、「大木の根には三方から斧を入れ、鼎の脚のやうに三つの脚を残す。之を弦掛けといふのである。」(柳田国男, 倉田一郎 共編「分類山村語彙」)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1824821/60?viewMode=
1.樗牛の傾注した平家物語など、中世には「あこがる」が用いられています。
「あこがる【憧る・憬る】「あくがる」に同じ。」(「古語大辞典」小学館)
2.姉崎正治の説からすれば、早くとも帝大在学中、およそ1895年頃に当たるでしょうが、それが公然となった「文は人なり」で「第一期 憧憬の時代」であるとすれば、上梓されたのは1902年です。
3.中村古峡「迷信」(作中に「二、神秘の憧憬」の小 ...
明治22年に刊行された日本最初の国語辞書には次のような仕分けがされています。
1)景(日(か)気(げ))
火のかげ(灯光)、月のかげ(月光)
2)影(景で映し出された姿)
障子に人影(映った姿)、影も形もない(人の姿)
3)陰(影に当たる処)
山陰(日の当たらない処)、陰口(知られない悪口)
4)蔭(人の蔭に頼る)
蔭と頼む(人の助けを当てにする)。お蔭。
参照:
大槻文彦 編 ...
種々のスイス理学書を学んだという宇田川準一が、米人カツケンボス氏と仏人ガノー氏の著作を折衷して訳述した「物理全志.8」(1875年)において、「積電器(コンデンセル)及ビ放電器(ヂスチャーヂャー)」と呼称を訳出しています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/830435
一方、蒸気機関の復水器の訳語については、1864年の「博物新編 1」では「冷水櫃(コ ...
文化6年(1810年)刊の古書によれば「住吉(スミノエ):日吉の社をひえの社とよみし哥、拾遺集に見ゆ。吉の字、ともにえとよむを、中世より、住よし、日よしと転訛す。」(池永秦良 著[他]「万葉集目安補正」古今書院)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970583
「この「エェ」という語は、日本語本来の格であり、今の標準語の「ヨイ」はそれよりも新しく、さらに ...
柳田國男の調査記載では「タウチザクラ 秋田県では辛夷即ち南部などで種蒔桜または糸桜というものを、古くから田打桜と呼んで居る。これもまた一つの農候であった。」
柳田国男「分類農村語彙」信濃教育会
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453425/18?viewMode=
興味深いのは南部の田打ち桜について、続けて「彼岸桜と近い紅の濃い一種の山桜のことだっ ...
明治15-6年に刊行された「歌舞伎十八番 : 市川団十郎お家狂言. 下」(紅英堂)によれば、変体仮名で、次の通りです。
「阿のなげ志の長なぎ刀者多が奈可゛長刀ぞ」
(あのなげしの長薙刀は誰がなが長刀(なぎなた)ぞ)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/858201/20?viewMode=
原文は「広大哉此郷也。宜名碩田国。」ですから、そのまま訓読すれば「ひろくおほいなるかもこのくに。おほきた(一説;おほきだ)のくにとなづくべし。」でしょう。
参照:
1.塚本哲三 校「古事記・祝詞・風土記」有朋堂文庫
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174126/302?viewMode=
2.武田祐吉 編「風土記」岩波書店
http://dl.nd ...
原文は「広大哉此郷也。宜名碩田国。」ですから、そのまま訓読すれば「ひろくおほいなるかもこのくに。おほきた(一説;おほきだ)のくにとなづくべし。」でしょう。
参照:
1.塚本哲三 校「古事記・祝詞・風土記」有朋堂文庫
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174126/302?viewMode=
2.武田祐吉 編「風土記」岩波書店
http://dl.nd ...
仏に救いを求める祈りの言葉がそのまま感動詞となった「ナムサンボー」は、必ず濁音「ボー(boo)」で発します。
不意の出来事でビックリした時や進退窮まった土壇場で発する語です。
「近松の作品を読むと、しばしばこの「南無三宝」という言葉に出会う」(「仏教の全貌 第8章南無三宝」)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040221/22?viewMode=
...
これは「倭名類聚抄」の「竜魚部第十八」中の「鮎」の項にて、「春生夏長秋衰冬死、故年魚也」とあるくだりです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991791/29?tocOpened=1
鮎を年魚と呼ぶ由来について、原文は漢文ですから漢音読みで「春生シュンセイ(春に生まれ)夏長カチョウ(夏に育ち)秋衰シュウスイ(秋に衰え)冬死トウシ(冬に死す)」の一生だか ...
室町中期の「壒嚢鈔」では「狸」の漢字を「タタゲ」と読み、また「子(ネ)コマ」とも読むのは「子(ネ)コ」と同事であり、「狸」は「猫」なるべしと。だから「狸(タタゲ)」を「猯(タヌキ)」と用いるのは心得違いの僻事なのだと断じています。
参照:行誉「壒嚢鈔」日本古典全集刊行会
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1025075
ただそれより400年ほど前の平安 ...
漢方には煮出す「煎薬(センヤク)」、振り出す「振薬(シンヤク/ふりぐすり)」、浸す「泡薬(ホウヤク/ひたしぐすり)」があるとされています。「外邪・食傷・霍乱」には自然に出て来るヒタシが良く、「振薬」はカスを絞ることになるので濁りが混じるため用いるべからずと「養生訓」に在るようです。
参照:小泉栄次郎「漢法方剤の新研究 : 総論」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/p ...
室町期の歌学書「蔵玉和歌集」(別名:「草木異名抄」)において、男がその女の他の男への心変わりと思い嫉妬に荒れ狂った経緯から、女の心を奪い取ってしまうほどに魔力をもつ牡丹であることに因んで、汝(な:おまえ)を取り(奪い取る魔力の)草⇒名取草と呼んだ話に由来するようです。
参照:「群書類従 : 新校. 第十三巻」の「名取艸」の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid ...
その信憑性のほどは分かりませんが、次の本に詳細な記載がなされています。
それによれば、会田小次郎幸元は信濃守幸継(中善寺殿)の次男です。
一方、海野持幸の方は代がより遅く、「幸義三世後の小太郎は、鎌倉公方足利持氏公から生前の名の一時をもらい持幸となる」とされています。
参考書:加沢平次左衛門 著「加沢記 巻之一 滋野姓海野氏御系図」上毛郷土史研究会
http://dl.ndl.go.jp/ ...
デジタルデータ(PDF)で閲覧可能です。
松岡静雄「日本古語大辞典. [正] (語誌篇)」刀江書院
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870643
松岡静雄 「新編日本古語辞典」刀江書院
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207239
デジタルデータ(PDF)で閲覧可能です。
松岡静雄「日本古語大辞典. [正] (語誌篇)」刀江書院
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870643
松岡静雄 「新編日本古語辞典」刀江書院
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207239
次のネットのPDFデータ「近代デジタルライブラリー」にて閲覧可能です。
幸田露伴 著「露伴史伝小説集. 巻2」225頁~
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1134119/116
大正末に刊行されたこちらの書籍には詳細な記述がなされています。
ご覧ください。
福井久蔵 著「日本新詩史」立川書店(大正13)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968911/89
「増補柳荒美談 : 今古実録. 1-3」中の「沢庵和尚座禅の事」の條によれば、「既に一休禅師も正月の門松を目出度いという愚を説き、其身の骸骨に近付を考へれば目出度いは笑うべき事なり」として竹の先にしゃれこうべをぶら提げながら京都市内を巡り、彼の歌を詠ぜられたと記されています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/881474/11(11/88コマ)
...
物の本には、秋の七草の中で撫子だけは「常夏」という別名があるように、連俳においては夏であり、秋の場合は「秋撫子/残り撫子」などと、さらに冬においても「霜降撫子」などと、特に断るならいになっているようです。
参照:四時堂其諺 編「滑稽雑談. 第1」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945826
「言泉」(大正10-11年)はこちらのスキャンにて閲覧が可能です。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/gensen/
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/gensen/gensen45.pdf
また、その前身である一巻本とその増補版ならすべて閲覧できます。
「ことばの泉 : 日本大辞典」( ...
「言泉」(大正10-11年)はこちらのスキャンにて閲覧が可能です。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/gensen/
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/gensen/gensen45.pdf
また、その前身である一巻本とその増補版ならすべて閲覧できます。
「ことばの泉 : 日本大辞典」( ...