冬の波 (@fuyunonami)

投稿一覧(最新100件)

RT @gerogeroR: ちなみにいつまでたっても「日本の性犯罪は暗数が多く欧米と比べても遜色ない性犯罪がおこっているんだ」という人、マジで龍谷大学のある教授がめっちゃ手間かけて研究した事例とかあるのにガン無視だもんなぁ。 https://t.co/cGzAotP9aU
RT @IiyamaAkari: テロ組織PKKへの資金供与でトルコ当局から資産凍結されたワッカス・チョーラク氏は、東京外国語大学所属の研究者として文科省から科研費を支給されている。「ハマスは福祉団体」で知られる東大准教授・鈴木啓之氏らと共同で4年間に1716万円。今年は754…
RT @teruskywalker: @akiaki2272 水道水中の塩素を利用するアイデアですが ・水素ガスと水に溶けきらなかった塩素ガスが放出されるリスク(塩素ガスは毒ガスの上にあちこち腐食させる) ・洗浄に必要な次亜塩素酸を確保できるほど水に塩素入ってない ・次亜塩素酸…
RT @Prof_Nogita: 僕の博士論文も、この高燃焼度に関する研究。 「Microstructural evolution of radiation damage in high burnup fuels for light water reactors」 DOI: 1…
RT @machi82175302: 今からちょうど158年前、元治1年12月2日、「鹿児島藩討幕の意ありて、内大臣近衛忠煕之に同意すとの説、廷臣間に行はる」。拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩-西郷吉之助の動向を中心に-」(神田外語大学日本研究所紀要8号、2016.3)を参照…
RT @terimakasih0001: 『731部隊 悪魔の人体実験』として有名なこの写真。 実は100年前に満州でペスト撲滅のために戦っていた日本人で、オリジナルは『鉄嶺(満州)におけるペスト屍體(死体)の解剖 』 つまり悪魔どころか、感染症から人々を救おうと戦っていた…
RT @SPMK35: @terimakasih0001 本当だ https://t.co/or8OPcb9vk https://t.co/p9pDhKWzzZ

53 0 0 0 OA 食行脚

RT @itaru_ohyama: 「蕎麦屋で丼飯の歴史は左程古くはない、大正元年、新宿武蔵野館裏の船橋屋で、天丼と親子丼とを売り出したのが、そも〳〵の初りで、当時、新宿の船橋屋は飯屋になつたと軽蔑する同業者も随分あつたものだ」 https://t.co/8KjfolzykT
RT @enumura: 飯島章「戊辰戦争期旧幕府軍通行の一考察」 https://t.co/6l24OCWiMX 「旧幕府軍は移動に際して(中略)輜重隊のようなものを保有していなかった」「沿道の宿村の人馬を徴発し運搬させるしか手立てがなかった」
RT @itaru_ohyama: 「其後如何なる手続を経て国歌を御制定に為りしか、其辺の事は承知して居らぬ」 https://t.co/10zq3OhNOz
RT @yoshiasakawa: もっと詳しく知りたい方は 日本の資料 https://t.co/8W3UtOlEyR アメリカの資料 https://t.co/5rueWU4z12 国際トウモロコシ・コムギ改良センター(CIMMYT)の資料 https://t.co/…
RT @oukaichimon: https://t.co/6Y5kGOy0Sh この論文の中で、「犯罪被害に対する不安からセキュリティタウンに移住するが、アンケートの結果、移住したところで不安は解決しない」(意訳) ってのもあった。不安は事象ではなく心象なんだろうな
RT @itaru_ohyama: 崩すとこんな感じ https://t.co/jhNCkeYGSr
RT @terimakasih0001: これおパヨクさんに教えてもらったんだけど、勉強になった。 日本軍は悪で日本は豪州に取って代わり植民地支配しただけだ!って結論ありきで、いろいろツッコミどころもあるけど、割と公平に情報を載せておられるので、読む人によって捉え方は分かれる…
RT @ganbare_amechan: プチバズしてる!!! こちらの骨についての論文は以下URLからどうぞ〜 https://t.co/aBIpeMV8O2 あと科博はネットでの事前予約が必要なので行かれる方はご注意を
RT @zasetsushirazu: 大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の…
RT @SatoshiFukami: 20世紀に九州内陸を震源とする地震で唯一M7以上を記録した桜島地震。1920年刊行の震災予防調査会報告書は必読。 #桜島の日 #鹿児島 #大正噴火 https://t.co/7vLfuhuKlT
RT @tkasasagi: I bought an automata robot kit that can serve a cup of tea. The kit was created based on Edo period automata book “Karakuriz…
RT @kasasu2004: 『SHARAKU』を著したドイツのクルトが考証ミスで写楽の活動の時系列を逆に捉えていたことは知られているんですが、細々と根拠を挙げているおかげで考証ミスが発生した道筋は辿り易いのですよ。 一方、日本のTV局は根拠を示さずに断定的にデマを流した。…
RT @machi82175302: 続き)このあたり、拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に― 」を参照ください。以下、ダウンロードも可能です。https://t.co/in1GB6YkW2…
RT @zasetsushirazu: 慶応2年6月18日(1866年7月29日)、西郷隆盛が寺島宗則らを伴い、鹿児島滞在中の駐日英国公使パークスと会談した。町田明広「慶応二年政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』13、2021年)によれば、「薩英間の本格的…
RT @rekishi_info: 恐らく、今回の青天を衝けの薩摩藩の動きは、町田明広先生の『慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―』(神田外語大学日本研究所紀要)が参考になりそうです! https://t.co/upjt9qfq5i #青天を衝け
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @TatsuUwa: 今日は来島又兵衛も登場。来島を狙撃したのは川路利良と聞いたことがあります。個人的な話ながら私は来島の生誕地近くで育ちまして、現在生誕地には石碑があります。長州の馬屋原二郎が大正になり語った『元治甲子禁門事変実歴談』 はなかなか面白いです。 #青天を衝…
RT @zasetsushirazu: 慶応2年1月8日(1866年2月22日)、木戸孝允が上京。薩長同盟に繋がるが、手引きした薩摩藩士・黒田清隆の行動は、独断によるものだった可能性が高い。町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9)、同『薩長…

21 0 0 0 OA 武士道

RT @itaru_ohyama: https://t.co/aZOFhbKCf5 初出は万延元年
RT @zasetsushirazu: 安政5年3月24日(1858年5月7日)、幕臣の岩瀬忠震と福井藩の橋本左内が、初めて会った。その後、交流は活発になり、「外交問題や一橋派の運動を通じて、両者は信頼できる同志」になった(別所興一「幕末・維新期の対外観の転回」『愛知大学綜合郷…
RT @kirinosakujin: 平川新さんは出羽国(現・山形県高畠町)の道場主、武田軍太の自伝をもとに「出羽国の庶民剣士―武田軍太「武元流剣術実録」の世界―」を発表した。まさに出羽の近藤勇という感じです。PDFで読めます。 https://t.co/fWOIK9lXqn
RT @TatsuUwa: 維新後の井伊直弼の評価は複雑なものがありましたが、旧彦根藩士たちが直弼の顕彰に取り組んできたことは多くの先行研究で明らかになっていますね。横浜の銅像のことはよく取り上げられます。下記の論文は、相馬永胤ら彦根出身者の動向を明らかにしたもので参考になりま…

10 0 0 0 OA 鉄舟言行録

RT @itaru_ohyama: 山岡鉄舟は武士道を「神・儒・仏、三道融和」だとしている。 https://t.co/ezTHVq6wBz 「鉄太郎、之を名付けて武士道と云ふ」 武士道という概念を提唱したのは俺だ! そうなんだけど、それって通俗道徳も中味は同じでしょ

236 0 0 0 OA 維新史料綱要

RT @itaru_ohyama: 『維新史料綱要』巻7 p54 幕府、征夷大将軍徳川慶喜の音称「よしひさ」を布告す https://t.co/rsDm1pDemz
RT @itaru_ohyama: 箱館を榎本軍に占拠されたことは、諸外国に通知している。 https://t.co/gBs4cSpTRi

9 0 0 0 OA 月照物語

RT @bu_bu_bu__: 西郷隆盛が博多の福萬醤油に来た虚説ですが、「体が大きい人」が来たとの白木家の伝承が唯一の根拠です。体の大きい人がイコールで西郷になのか?答は自明の理ですね。この虚説流行してるので、西郷が月照と別行動であった史料的典拠を2冊紹介します https:…
RT @bu_bu_bu__: 西郷隆盛が博多の福萬醤油に来た虚説ですが、「体が大きい人」が来たとの白木家の伝承が唯一の根拠です。体の大きい人がイコールで西郷になのか?答は自明の理ですね。この虚説流行してるので、西郷が月照と別行動であった史料的典拠を2冊紹介します https:…
RT @kokeshinookimon: https://t.co/T06yFdRlzb https://t.co/1phrkAPAbO 海防掛の概要を論じているのが、前掲書の1・2章部分。このベースとなった論文は上記の2論文なのだが、加筆修正もあるので掻い摘んで読みたい場合も…
RT @kokeshinookimon: https://t.co/T06yFdRlzb https://t.co/1phrkAPAbO 海防掛の概要を論じているのが、前掲書の1・2章部分。このベースとなった論文は上記の2論文なのだが、加筆修正もあるので掻い摘んで読みたい場合も…
RT @zasetsushirazu: 慶応2年2月5日(1866年3月21日)、木戸孝允の手紙(薩長同盟の6か条)に、坂本龍馬が内容を保証する裏書きをした。町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9)曰く、龍馬が長州藩要路の一部から薩摩藩士と…
RT @zasetsushirazu: 青山忠正「王政復古前後の政局と公議-新発田藩を事例に-」(『歴史学部論集』10、2020年)曰く、王政復古政変前後の政局では、「その他大勢」の在京諸大名勢力が京都政局の多数意見を形成し、政局の方向性を掣肘した。長州藩毛利家の官位復旧の問題…
RT @machi82175302: このあたり、拙稿「慶応二年前半の政局と薩摩藩―「小松・木戸覚書」以降の動向を中心に」をご覧ください。 https://t.co/jW0JUjCOHp
RT @kokeshinookimon: 昨日の青天を衝けで出てきた狐憑きについての論考。 近世中後期から武蔵において尾裂き狐が社会問題化していったからこそ、栄一の家はあんな騒動になったわけで… https://t.co/JMeaFo5lmW
RT @machi82175302: この間の事情にご関心がある方は、拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 (日本研究所主催講演会 要旨)」をご参照ください。#青天を衝け https://t.co/4aFWiVFAYN

22 0 0 0 OA 維新史料綱要

RT @itaru_ohyama: 四日 征夷大将軍徳川家茂、特使ヲ彦根藩邸ニ遣シ、朝鮮人参ヲ大老井伊直弼ニ賜フ https://t.co/uwp94gEntI ほらぁ、将軍様から見舞の特使が来てるくらいだし、再生しかけてたんだよ。
RT @okuboko_osouji: 大久保利通公主導の第一回内国勧業博覧会にて褒状を受けている物品と人物、団体についてはこちらで閲覧ができます。かなり読みにくいですが、拾い読みするだけでもとても面白いです☺️ https://t.co/AYFktGIenP
RT @zasetsushirazu: 昭和43年(1968年)4月21日、『ウルトラセブン』第29話「ひとりぼっちの地球人」が放送された。プロテ星人が登場。学習院大学が撮影に使われた回で、天皇陛下が徳仁親王時代に、講演「目白キャンパスの思い出」(『学習院大学史料館紀要』16、…
RT @zasetsushirazu: 佐野静代「近衛家別邸「御花畑」の成立とその政治史上の役割」(『人文学』205、2020年)は、幕末の薩摩藩家老の寓居で、薩長同盟の舞台として注目されている近衛家別邸・御花畑について、「それ以前の実態」も含めて考察。薩土盟約の舞台となったこ…
RT @machi82175302: 佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。 https://t.co/…

10 0 0 0 OA 由利公正伝

RT @itaru_ohyama: 金札の件は1月7日の夜に発議されとる。 https://t.co/0P6hWxUuMu 負けて逃げるはずの鳥羽伏見、意外にも勝ってしまって軍資金どうすんだってところか。で、太政官札発行に踏み切るんだけど、マニフェストくらい示さないと引き受けて…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @machi82175302: 拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩-西郷吉之助の動向を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要8号』、2016年)は以下を参照下さい。 https://t.co/bR9OnAxGwv
RT @zasetsushirazu: 明治26年12月5日、松平容保が死去。幕末期、京都守護職を務めた。中西達治「孝明天皇の松平容保宛て宸翰」(『金城学院大学論集 人文科学編』16-2、2020年)は、孝明天皇が容保に与えた宸翰を明治天皇が把握していたかもしれないという、白石…

14 0 0 0 OA 明治天皇御一代

RT @itaru_ohyama: https://t.co/xU5cLH2s89 又或時は侍臣を捉へて「お前は賊となれ、朕は新田義貞となつて朝敵を征伐する」と仰せられ御苑中を追ひ廻はし給ひしと。 富岡福寿郎, 大井徹翁『明治天皇御一代』柴合名会社 大正二年 p306
RT @itaru_ohyama: 嗚呼天の仁に與みして不仁を惡む是以知る可きなり https://t.co/VQtnzgoAT4
RT @zasetsushirazu: 元治元年10月24日(1864年11月23日)、徳川慶勝(第1次長州征伐の総督)が西郷隆盛に意見を諮問した。町田明広「第一次長州征伐における薩摩藩」(『神田外語大学日本研究所紀要』8)曰く、慶勝は西郷を信頼し、西郷は「事実上の総督府の参謀…
RT @itaru_ohyama: @aoba_mandolin @T_urade1987 @machi82175302 関山村へ向かった館林藩兵の戦記です。9月3日、会津兵の待ち伏せに遭って大混乱に陥ったとあります。このとき、山田司が戦死しています。 https://t.co…

5 0 0 0 OA 薩藩出軍戦状

RT @itaru_ohyama: @T_urade1987 @aoba_mandolin @machi82175302 薩藩出軍戦状に私領三番隊 山田司「戦死」とありますね。 https://t.co/Zkdxl4DGe7
RT @zasetsushirazu: 大正2年11月22日、徳川慶喜が死去。大庭邦彦「幕末政局と徳川慶喜」(『国学院大学研究開発推進機構紀要』7)曰く、慶喜は有能だが、「逆境の中で頑張ることはしない。あえて泥をかぶっても逆境を挽回しようと粘らない」点が特徴で、その点が西郷隆盛…
RT @T_urade1987: 『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba

96 0 0 0 OA 震災美談

RT @itaru_ohyama: 『震災美談』 https://t.co/Y4oPumficS 朝鮮人を虐殺から守った"美談"を集めたもの。たしかに美談なんだけど、裏返せば虐殺が行われていた事実をも伝えている。
RT @zasetsushirazu: 明治44年6月15日、大鳥圭介が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争・箱館戦争で新政府軍に抗戦。学習院の院長、清国公使などを歴任。長佐古美奈子「大鳥圭介関係史料について」(『学習院大学史料館紀要』18)は、大鳥の関係史料が孫の大鳥蘭三郎から寄贈さ…
RT @zasetsushirazu: 大正10年8月11日、前田正名が死去。薩摩藩出身で、大蔵省や農務省で活躍。多久島澄子「前田正名の「上州出張記憶書」と「卑見」」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)は、幕末の長崎で始まった大隈重信との関係を軸に、前田の国内…
RT @kuwashihoko2019: #島津義弘 のピンチを幾度となく救ったと言われるお稲荷さんは今日まで東京 #玉里島津家 邸内でお祀りされておりましたが #島津義弘公 #没後四百年 を機に #精矛神社 内に遷座されることになりました。その造営工事が着々と進んでおります。…

70 0 0 0 OA 福翁自伝

RT @itaru_ohyama: おまけに総ルビだし https://t.co/98gsYbBVTz
RT @machi82175302: 今からちょうど154年前、慶應1年4月25日、「浪士坂本龍馬「直柔・元高知藩士」大坂を発し、鹿児島に向ふ。五月朔日鹿児島に著す」。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年…
RT @nagisanoyuki: 「今日の大久保利通の手紙を読む」講座で読んだ「維新史」に、明治になって春嶽公が岩倉卿に対し、今後は中宮ではなく皇后と称すべきと建議したことが書いてあって、またひとつ春嶽公に関する蘊蓄を入手しました。 https://t.co/JbWlkNxe…
RT @machi82175302: 続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https…
RT @hkakeya: 国会会議録に基づく短命議員・短命大臣の特徴分析 知能と情報 vol.31 No.2 pp.617-625 https://t.co/FeTMvEOrtx おととし天声人語に引用され、昨年ニコニコ超会議で話題になった研究成果が、学術論文誌に採択・掲載さ…
RT @fzk06736: こういう論文が京大の紀要に載るのはたいへん結構だが、「現時点で、京都の神社仏閣を破壊したおそらく唯一の特撮作品が、テレビドラマ版『日本沈没』」と書かれてる。 沢水男規「『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(1999年)における京都 : 怪獣映画における都…

120 0 0 0 OA 萬葉集 20巻

RT @katotoru1963: 「令和」の出典は奈良時代の『万葉集』です。和歌の部分は万葉仮名による日本語ですが、「令和」の出典となった序文は #漢文 なので、唐や新羅の人も意味を完全に理解できます。奈良時代は国際的な時代だったのです。 https://t.co/npGfR…
RT @machi82175302: 「ヘダ号の奇跡 日本とロシア 幕末交流秘」拝見。面白かった。ちなみに、拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 」(日本研究所主催講演会 要旨)は以下でダウンロード可能です!https://t.co/4aFWiVFA…

4 0 0 0 OA 復古記

RT @itaru_ohyama: コイツを読もうという話になるのよね。 https://t.co/2EZ3rdZHY2
RT @bu_bu_bu__: @QcwvAR0BRQS7Fio 西郷は下関で月照・有村ら一行と別れて別行動をとり、下行中の島津斉興を追いかけます。西郷は上方での挙兵を計画しており、島津から許可を得ようとして失敗します。戦前に西郷研究の大家勝田孫弥により編纂された史料でも月照は…
RT @machi82175302: 佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。https://t.co/q…
RT @zasetsushirazu: 慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満休之助が…
RT @zasetsushirazu: 明治33年1月5日、秋月悌次郎(秋月韋軒)が死去。幕末の会津藩士で、文久3年8月18日の政変で重要な役割を果たした。中西達治「秋月悌次郎の公用局復帰」(『金城学院大学論集 人文科学編』15-1、2018年)は、慶応2年に勤務していた蝦夷地…

10 0 0 0 OA 西郷南洲書簡集

RT @naaringo: @kirinosakujin 朝鮮に了解を得て測量をしてたのにいきなり発砲されたなら、敵とみなしてもいいが そうじゃないなら、たとえ相手が発砲してきても話し合うべきだ ただ相手を蔑視して、発砲してきたから応砲した、では、これまでの友情上、天理において…
RT @zasetsushirazu: 安政6年9月24日(1859年10月19日)、儒者・佐藤一斎が死去。林述斎(岩瀬忠震の祖父)の門人で、昌平黌の教授を務めた。表向きは朱子学を講じたが、実際は陽明学を奉じていた。下記PDFは、中村安宏「林述斎と佐藤一斎の皇統意識について」(…
RT @machi82175302: 続き)このあたり、拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に― 」を参照ください。以下、ダウンロードも可能です。https://t.co/in1GB6YkW2
RT @machi82175302: 拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。https://t.co/in1GB6YkW2
RT @machi82175302: その後、「三月二日御沙汰書」(薩摩藩が企図した参勤交代・諸侯妻子在府の復旧および毛利父子・五卿の東行の中止)が幕府側に渡された。拙稿「慶応元年中央政局における薩摩藩の動向―将軍進発と条約勅許を中心に―」参照。https://t.co/e1w…
RT @zasetsushirazu: 須賀忠芳「ストーリー化された歴史観光素材の功罪をめぐって-「幕末会津」をめぐる言説を中心に-」(『観光学研究』17、2018年)は、白虎隊像などの「定番化された「幕末会津」をめぐるストーリー」に関する問題点を、大河ドラマ『八重の桜』の話も…
RT @machi82175302: その後、「三月二日御沙汰書」(薩摩藩が企図した参勤交代・諸侯妻子在府の復旧および毛利父子・五卿の東行の中止)が幕府側に渡されることになるが、ちょっと先走り過ぎた。拙稿「慶応元年中央政局における薩摩藩の動向―将軍進発と条約勅許を中心に―」参照…

16 0 0 0 OA 防長近世史談

RT @busyo3: すいません。アドレスがちごとります。https://t.co/uwjzg0CfkQです。

16 0 0 0 OA 防長近世史談

RT @busyo3: 昨今、桐野作人さんや町田明広さんが使用されている「廃幕」という用語であるが、1927年刊行の村田峯次郎『防長近世史談』に「排幕」が使用されていることを確認(大小社、261頁)。以下➡https://t.co/9kaiO3OciR
RT @kazuigarashi: 総説原稿の校正を英文校正業者に依頼したら、全く別のグループから勝手に投稿され掲載されていた、、、、Tohoku Journal of Experimental Medicineに出た驚きのリトラクション告知です。 https://t.co/…
戦後会津における「観光史学」の軌跡Tourist History in Postwar Aizu https://t.co/Xj0W7uLR4u
RT @kagopic: この中の「元治元年前半の薩摩藩の諸問題―小松帯刀の動向を中心に」に、西郷隆盛が沖永良部島から召還された経緯が記されています。 無料でDL・閲覧できるので、是非。 #西郷どん https://t.co/hm7apkpySE https://t.co/…
RT @usa_hakase: AIによる火山噴火研究は、もう私が四半世紀も前に手をつけていたのだ。いま考えるとすごい先駆的研究だなw https://t.co/RSyyafCpyS
RT @zasetsushirazu: 梶原良則「安政期福岡藩における西洋軍法の導入と抵抗」(『福岡大學人文論叢』35-3、2003年)は、安政2年頃から福岡藩主・黒田斉溥は西洋軍法による軍事改革を企図し、徐々に成果を挙げたが、その方針に反対する家臣も多く、後の激しい政争の原型…
RT @zasetsushirazu: 大正3年1月15日、中原尚雄が死去。西郷隆盛殺害の密命を帯びて鹿児島に帰郷したと疑われ、西南戦争のきっかけを作った。秋山博志「中原尚雄の官歴再考」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』45、2017年)は、中原が到達した警部長という役職が…

116 0 0 0 OA 大隈伯演説座談

RT @1059kanri: 大隈重信の、木戸孝允を語るときの熱量と、西郷を語るときのそれを比べてみるのも面白いですねw木戸公はリベラル https://t.co/pNPCqKhhxo https://t.co/kEX5cJRupa
RT @zasetsushirazu: 昭和9年5月30日、東郷平八郎が死去。幕末の薩摩藩出身で、薩英戦争や戊辰戦争に参加。妻は海江田信義の娘。宮永孝「イギリスにおける東郷平八郎」(『社会志林』46-3・4、2000年)は、明治初期の英国留学で海軍技術のみならず、英国流の敬虔主…

10 0 0 0 OA 関西巡回記

RT @nagisanoyuki: 前もつぶやいたんですが、村田氏寿の関西巡回記は、彼の観察眼の鋭さや当時の武士の旅行の様子を知ることが出来る、とても興味深い内容だと思います。 https://t.co/ZUczbJ8JFz
RT @daisuzu: 数学分野の科研費のROI高すぎワロタ(査読付き海外論文)。政治学の科研費に対する業績がショボすぎ(20分の1って酷すぎ) 科研費340万円で査読付き海外論文6本 https://t.co/cAPCg3KjMA 430万円で同7本 https://t…
RT @daisuzu: 数学分野の科研費のROI高すぎワロタ(査読付き海外論文)。政治学の科研費に対する業績がショボすぎ(20分の1って酷すぎ) 科研費340万円で査読付き海外論文6本 https://t.co/cAPCg3KjMA 430万円で同7本 https://t…
RT @daisuzu: 数学分野の科研費のROI高すぎワロタ(査読付き海外論文)。政治学の科研費に対する業績がショボすぎ(20分の1って酷すぎ) 科研費340万円で査読付き海外論文6本 https://t.co/cAPCg3KjMA 430万円で同7本 https://t…
RT @kouteipengin14: お陰さまでゲットできました! この紀要の主要な所蔵機関は https://t.co/LCGH2osH3f で確認できるし、「近くに図書館ない!」って方でも、頼めば郵送で送ってくれる図書館もあります。(その都道府県・市町村に住んでるなど条件…
RT @machi82175302: 続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https…
RT @ssomurice_round: 山口二郎氏に4.5億の税金(科研費) https://t.co/W0N85z5WEG これは、「安倍を叩き切ってやる」と発言した山口二郎氏に投入された科研費です。 この内容を見て、科学研究費と思う方がどれくらいいるのでしょう? こ…

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拙稿「慶応元年中央政局における薩摩藩の動向―将軍進発と条約勅許を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要』10号、2018.3)がリポジトリで公開されました。ダウンロードも可能です。よろしければ、ご覧ください。https://t.co/e1wRWgUnqy
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできますが、如何せん70ページ超の大作、ご覚悟あれm(_ _)m https://t.co/A65OnLMHFg
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできますが、如何せん70ページ超の大作、ご覚悟あれm(_ _)m https://t.co/A65OnLMHFg
中村萬里「江戸幕末期の薩摩アクセント-安政3年生まれ岩山トク氏の談話録音テープをもとに-」(『筑紫女学園大学紀要』16、2004年)は、鹿児島市の維新ふるさと館に保存されている、安政3年生まれの女性の昭和27年の談話録音を分析。 https://t.co/gjuNKCRIbF

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