桐野作人 (@kirinosakujin)

投稿一覧(最新100件)

平川新さんは出羽国(現・山形県高畠町)の道場主、武田軍太の自伝をもとに「出羽国の庶民剣士―武田軍太「武元流剣術実録」の世界―」を発表した。まさに出羽の近藤勇という感じです。PDFで読めます。 https://t.co/fWOIK9lXqn

11 0 0 0 OA 賤のおたまき

ちなみに、『賤(しづ)のおだまき』は明治期の刊行物なら、ネットで読むことができます。国会図書館のデジタルコレクションに何種類かあります。これもそのひとつ。https://t.co/btTWf3LDAA https://t.co/fpFgoDivz9
汾陽理心こと郭国安の系譜なのはたしかです。国安の家督は二男光昌が継ぎました。一方、長男の光程が薩摩藩士から養子(光東)をとって分家した家の子孫が幕末期の次郎右衛門光遠のようです。これに少し系譜的な記事あり。https://t.co/YPW7ai2Wrv https://t.co/NI2mxargOS
汾陽理心こと郭国安の系譜なのはたしかです。国安の家督は二男光昌が継ぎました。一方、長男の光程が薩摩藩士から養子(光東)をとって分家した家の子孫が幕末期の次郎右衛門光遠のようです。これに少し系譜的な記事あり。https://t.co/YPW7ai2Wrv https://t.co/NI2mxargOS
RT @machi82175302: 拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。 https://t.co/in1GB6YkW2
RT @zasetsushirazu: 長野栄俊「元治二年(慶応元年)の橘曙覧と松平春嶽」(『若越郷土研究』59-2、2015年)は、松平春嶽と歌人・橘曙覧の交流を分析。「御用日記」という、春嶽の日常を記録した史料(御側向頭取という役職の者が書いたとのこと)を活用する。 ht…
RT @zasetsushirazu: 河内八郎「伊達宗城とその周辺-岩瀬忠震とその書翰-」(『茨城大学人文学部紀要 人文科学論集』22、1989年)は、宇和島伊達家文書中の、伊達宗城宛岩瀬忠震書簡の分析を通じて、両者の関係性を考察する。2人は同じ文政元年生まれ。 https…
RT @zasetsushirazu: 藤井甚太郎は、『徳川慶喜公伝』や日本史籍協会叢書の編纂に携わり、吉野作造を初代会長とする明治文化研究会に参加した歴史家である。『法政史学』11(1958年)に、「藤井甚太郎先生追悼・略年譜・著作目録」が掲載されている。 http://t…
RT @machi82175302: 今からちょうど151年前、元治1年4月20日、元治国是によって大政委任がなされた。拙稿「元治国是の確立と大政委任」(『神田外語​大学 日本研究所紀要 第6号』)でこの間の政情を分析しています。こちらからご覧ください。 https://t.c…
RT @nknatane: 松本和也氏の博士論文『イエズス会宣教師が見た中近世移行期日本の国王と国家』(2009年)、全文閲覧できるようになっているのか→http://t.co/Bg2h66TX3H

お気に入り一覧(最新100件)

3 0 0 0 OA 官武通紀

>RT 玉虫左太夫は『官武通記』の編者ですね。 黒駒勝蔵による甲府城襲撃計画(風聞)は、ここに収録されています。 メモ魔な玉虫に感謝
関西学院大学の河上繁樹さんが「豊臣秀吉の日本国王冊封に関する冠服について」で妙本院伝来の明代官服について言及してますね。 https://t.co/5GPWrPbXfs https://t.co/O8GmyKyBrp
笠谷和比古「幕末の「不平等条約」問題に関する一考察」(『大阪学院大学法学研究』47-1・2、2021年)によれば、「日米修好通商条約をはじめとする一連の国際条約は、その締結当初は決して不平等条約ではなかった。それが明治の時代に移行するなかで不平等条約化」した。 https://t.co/Q4um91vNEU
昭和19年10月7日、中川小十郎が死去。西園寺公望の秘書を長く務めた人物で、立命館の初代総長。親族が、戊辰戦争で山陰道鎮撫総督の西園寺に仕えた縁もある。最新の研究に、長谷川澄夫「中川小十郎編の未刊維新史稿本について」(『立命館史資料センター紀要』4、2021年)。 https://t.co/ijSz520JkV
平成28年(2016年)7月27日、歴史家の安岡昭男が死去。講演「明治日本と万国」(『法政史学』50、1998年)で、朝鮮に使節を派遣しようとした将軍・徳川慶喜の外交について、「鎖国から開国した幕府が、今度は逆に外国のことを第三国として調停に乗り出そう」としたと評価。 https://t.co/01TqbmWgPk
今日はあんまり凌雲先生に関する話は思いつかないのですが。強いていえば凌雲先生は本格的に医術を学ぶため、昭武公のお傍を離れて木村宗三とともに下宿生活に入ります。地名がわからないのですが、リウサンはル・サンでしょうか… 『巴里御在館日記』 https://t.co/ThYC8DvGvD https://t.co/zsffkDjN56
ふと思い立って村田さんの名前で検索してみたら、警保頭時代の書類が出てきた。警察制度といえば川路大警視があまりにも有名なんですが、村田さんの功績も少なくないと思います。 https://t.co/7Z6AEhRf7i
文久2年4月23日(1862年5月21日)、寺田屋事件が発生。京都所司代襲撃などを企図した有馬新七らと、島津久光が鎮撫のため派遣した大山綱良らが薩摩藩士どうしで斬り合った。工藤憲一郎「藩屏概念の具現化をめぐる相剋」(『国士舘大学政経論叢』27-1)は、有馬の建言を分析。 https://t.co/BpgjFQee0n
大正11年5月19日、江原素六が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争で新政府軍と戦った後、沼津兵学校設立の中心人物。麻布尋常中学校(麻布学園の前身)を創設。久木幸男「江原素六教育勅語変更演説事件」(『教育学部論集』4)は、「教育勅語を批判」した1人として江原を分析。 https://t.co/nQTqBCQKgE

11 0 0 0 OA 水府名家手簡

烈公の書は品がある隷書が多いですけれど、躍動感溢れる書翰の文字はアートと言っても過言ではないと思います。 https://t.co/HJIhpEasrw https://t.co/vjVhVkmIAe
大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R

25 0 0 0 OA 下学集 : 2巻

『言経卿記』に書かれている天気の「下米」は雨を指すとは言われていたが、典拠がこんなところにあったとは。https://t.co/AshpH7kc8W

48 0 0 0 OA 関ケ原

「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。
この前の桐野先生の講座でいまいち理解が及んでいなかった、幕末~明治初期~征韓論に至るまでの日朝関係。この論文を読んで、少し頭の中が整理できたかも。 明治初期日朝交渉における書契の問題 https://t.co/xHG210h9sT
長屋隆幸「尾張藩海防史料「赤心秘書」についての紹介・翻刻」(『愛知大学綜合郷土研究所紀要』64、2019年)は、伊藤直之進藤景(大垣藩出身で尾張藩に仕官した)が、尾張藩の重臣に宛てた上書を紹介したもの。異国船漂着に際して陸戦の備えも必要であることなどを論じた。 https://t.co/iDFXtbkGzy

4 0 0 0 OA 神人と魔人

随分と前に春嶽公の名前で検索してひっかかった本。昨晩副島さん付近をウロウロしていたら再び行き当たったので、改めて目次を確認したらなんだか面白そうな人選でした。時間あるときに通読してみようかな。 https://t.co/HNiGD1DSpt https://t.co/rtMcN1pSo5
中川邦昭「知恩院・京都写真発祥の地-堀内信重の業績-」(『日本写真学会誌』67-2)は、慶応元年の堀与兵衛が京都における写真撮影の先駆者だという説を疑問視し、『越前藩幕末維新公用日記』(福井県郷土誌懇談会)の口絵写真などを手がかりに堀内信重の方が先とする。 https://t.co/fSOI62qJq9
明治20年4月15日、伊地知貞馨(伊地知壮之丞、堀次郎、堀仲左衛門)が死去。幕末の薩摩藩出身で、島津久光の側近として重きをなした時期がある。薄培林「近代日中知識人の異なる琉球問題認識」(『関西大学東西学術研究所紀要』47)は、琉球処分に関わった伊地知に言及。 https://t.co/b1Q6imZ0Ds
明治9年1月29日、戸塚静海が死去。シーボルトに学び、将軍家の侍医を務めた初の蘭方医。薩摩藩主の島津斉興と島津斉彬に仕えた時期もあり、田村省三「薩摩藩における蘭学受容とその変遷」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)曰く、薩摩藩士の蘭学修行を斡旋していた。 https://t.co/wRrCUR9ATA

5 0 0 0 OA 会津藩庁記録

会津藩庁記録、有名な本ですが検討されたことがなさそうな情報が多く載っていまして、池田徳太郎のあまり語られない元治元年の動向が追えたりします。忠海村に帰っていたようですね。 https://t.co/F5e347qrgi
慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体改革意見書を島津久光に提出したことを言及。 https://t.co/UHsSFHSX1v

4 0 0 0 OA 啓発録

本日の福井新聞の記事にあった明治22年に出版された啓発録活字本は、国会デジタルコレクションでも閲覧可能です。 https://t.co/BwLX6TjdRZ
「今日の大久保利通の手紙を読む」講座で読んだ「維新史」に、明治になって春嶽公が岩倉卿に対し、今後は中宮ではなく皇后と称すべきと建議したことが書いてあって、またひとつ春嶽公に関する蘊蓄を入手しました。 https://t.co/JbWlkNxeNp
勝海舟関係文書「伊藤甲子太郎建言書」。おや、と思う方もいるでしょう。しかし、末尾を見てください。慶応四年三月、既に新選組のその人は死んでいます。更に「臣重固」とあるのにご注目を。伊東の諱は武明ですよね。そう、伊東甲子太郎がもう一人、幕末期にはいたんです。 https://t.co/Wb9SPAbrJ1

4 0 0 0 OA 防長回天史

私は軍事方面にてんで弱いんですが、講座で丁度会津のところをやっているので防長回天史読んだら母成峠で土佐と一緒に猿岩口の方に回ったのが梨羽隊で、隊長の梨羽時起は有地くんと兄弟で更に寺島家(テラチューのお兄ちゃん)とも縁戚だったと知ってネットワークの狭さ…… https://t.co/FHSTl6aPF8
先日某図書館で『信長公記』の英訳本があるのを知ったが、これはそこそこ所蔵がある。https://t.co/oVuTnnJR0s
明治18年11月27日、小曽根乾堂が死去。坂本龍馬の活動を支援した長崎の商人で、篆刻家・書家としても著名。明治4年、勅命で御璽と国璽を刻した。神野雄二「日本印人研究-小曽根乾堂の生涯とその系譜-」(『熊本大学教育学部紀要. 人文科学』55)が、ほかの事績も紹介。 https://t.co/lPEP0wda0X
須賀忠芳「ストーリー化された歴史観光素材の功罪をめぐって-「幕末会津」をめぐる言説を中心に-」(『観光学研究』17、2018年)は、白虎隊像などの「定番化された「幕末会津」をめぐるストーリー」に関する問題点を、大河ドラマ『八重の桜』の話も交えながら分析する。 https://t.co/HaVdMdT50H

16 0 0 0 OA 防長近世史談

昨今、桐野作人さんや町田明広さんが使用されている「廃幕」という用語であるが、1927年刊行の村田峯次郎『防長近世史談』に「排幕」が使用されていることを確認(大小社、261頁)。以下➡https://t.co/9kaiO3OciR
『史学雑誌』の「回顧と展望」号が出たらしい。自分の関心ある分野で、前年にどんな研究書や論文が出ていたか概観する上で有用。ちなみに、古い号はネットに公開されているものもある。 CiNii 論文 -  二 幕末・維新期(近現代,日本,二〇一〇年の歴史学界-回顧と展望-) https://t.co/iITGHlORHI #CiNii
明治14年5月26日、斎藤利行(渡辺弥久馬)が死去。幕末の土佐藩重臣で、坂本龍馬が最後に帰郷した慶応3年に、コンタクトした人物。明治政府の参議を務めた。坂本保富「明治初期における教育近代化の問題状況」(『教職教育』2)は、明治期の小林虎三郎との交流を紹介。 https://t.co/K6OgWc7VmU
1894年1月22日、幕末の薩摩藩と縁の深いモンブラン(ベルギー貴族)が死去。1867年のパリ万博への薩摩藩の参加に協力。一時期、明治政府がパリの日本総領事に任命したこともある。宮永孝「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」(『社会志林』47-2、2000年)が詳述。 https://t.co/NxdbwHTKLw

11 0 0 0 OA 鶴寿録

浦出卓郎@小説家になろう連載中 @T_urade1987 さんより情報提供をいただきました。 明治41年10月発刊の鶴寿録という書籍で、宮城県内の80才以上の高齢者の氏名を収録した書籍のようです。 同書籍に寺嶋金三郎の名前を見つけていただきました。 https://t.co/9V4apgCcEA

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

本日は閑叟公の旧暦の御命日ですね。鍋島直正公伝には、薨去から葬儀に至るまでの詳細が記されています。 国立国会図書館デジタルコレクション - 鍋島直正公伝. 第6編 https://t.co/ky1PgcxdqW
@nknatane なお、豊臣政権の奉行発給文書については、谷徹也氏の博士論文『近世成立期の統治構造』(2016年)https://t.co/EQ4EuzJ9eW に「豊臣氏奉行発給文書考」という新稿が含まれており、発給文書の集成と年次比定がおこなわれている(らしい。未読のため)。
伊藤真昭「前田玄以発給文書集成(1)」(『歴史文化研究』5号、2016年3月)https://t.co/PuBczIU3HT この史料集成は未読だが、伊藤氏は著書『京都の寺社と豊臣政権』(法蔵館、2003年)において玄以発給文書を集成されている旨を述べていたはず。

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