中村武生 (@busyo3)

投稿一覧(最新100件)

高橋秀慧「幕末京都の政治都市化と寺院の生存戦略―宗派横断的な視点から」(『宗教研究』95巻1輯、2021年)を読んでたら、拙稿「幕末期政治的主要人物の京都居所考」(御厨貴・井上章一編『建築と権力のダイナミズム』、岩波書店、2015年)が典拠(注23、25、38)に挙がってた。https://t.co/8TjSU9rfVO
参考文献として、椎名慎太郎「伊場訴訟から学んだこと」(2017年)のPDFをはっておきます。https://t.co/2sF9sObPwd
RT @zasetsushirazu: 元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新』(清文…
『於杼呂我中』は国会図書館デジタルコレクションで公開されてるんやね。ええ時代ですね。30年前、竹下喜久男先生からお借りしてコンビニでコピー中、装丁を壊してしまったつらい思い出がある。https://t.co/y2wbDco4gP
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治33年1月5日、秋月悌次郎が死去。幕末の会津藩出身で、文久3年8月18日政変の立役者の1人。明治期に熊本で教師となり、同僚の小泉八雲から敬愛された。中西達治「会津藩降伏と秋月悌次郎」(『金城学院大学論集 人文科学編』16-1)は、戊辰…
RT @zasetsushirazu: 『アーカイブズ学研究』19(2013年)に掲載の、宮間純一氏による、箱石大編『戊辰戦争の史料学』(勉誠出版、2013年)の書評。複数の執筆者による多彩な切り口の論考が収録されたことを評価している。なお、宮間氏には著書『戊辰内乱期の社会』(…
RT @shibawankok2: 京都守護職松平容保公が藤本鉄石を招き諮問。在京浪士を束ねる事のできる者を自藩に所属させようと考えていた…。 先日の中村先生のご講演メモを纏めながらこの論文の存在を思い出した。 CiNii 論文 -  天誅組挙兵直前の藤本鉄石と岡山藩 htt…
RT @zasetsushirazu: 田中悟「戦後会津における「観光史学」の軌跡」(『国際協力論集』17-1、2009年)は、同氏の著書『会津という神話』(ミネルヴァ書房、2010年)第5章の元になった論文。会津における「戊辰戦争の語り」や観光資源としての白虎隊などを巡って、…
RT @zasetsushirazu: 慶応3年10月3日(1867年10月29日)、土佐藩が大政奉還を建白。井上勲「大政奉還運動の展開過程」(『学習院大学文学部研究年報』20)曰く、徳川慶喜は土佐藩論に、幕府から離反しつつある勢力を議院制に組み込み、「幕府もしくは徳川氏の政治…
RT @zasetsushirazu: 町田明広「長州藩処分問題と薩摩藩」(『神田外語大学日本研究所紀要』11、2019年)によれば、長州再征をめぐる薩摩藩の抗幕姿勢を気にかける幕閣に対して、中根雪江の意見に見られる越前藩の方針は薩摩藩に友好的で、薩摩藩と会津藩の確執が国政混乱…
RT @muku069: CiNii 論文 -  近世初頭の都市における町人地の形態と内部構造 : 堺環濠都市の改造に見る中世都市から近世都市への変容 (元禄『堺大絵図』に示された堺の都市構造に関する総合的研究) https://t.co/EsqaT5il7Y
RT @muku069: CiNii 論文 -  茨木市大岩平松尾所在の石切場跡 https://t.co/PeiPV0Qa65
これデビュー論文なんですが、中村武生で検索したら引っかかれへんのですわ。なぜなら名前が誤っているから。サイニーにこれ訂正依頼でけへんのですか。「京都惣曲輪「御土居」跡の推定」 https://t.co/U2OO1BIgIG
RT @muku069: 中世前期都市の空間構造と都市像 13世紀豊後国府を中心として 山村 亜希 https://t.co/WkQYjLFKhw

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

RT @mia66sa_ga: 一方で、長州侯については「直接会ったこともなく話たこともないが」と断りを入れつつも、「自国の藩士を統御できないのだから無理だろ」と辛辣です…( ̄∀︎ ̄;) それにしても斉彬公ってどこで見てもベタ褒めですよね。それだけ名君だったと言うことでしょう…
RT @zasetsushirazu: 明治6年9月27日、沢宣嘉が死去。文久3年8月18日政変の際の「七卿落ち」の公家の1人で、生野の変に参加した。吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)曰く、大隈重信を新政府の徴士参与に…
RT @zasetsushirazu: 能川泰治「幕末維新期における政治・社会の変動と大阪城」(『金沢大学歴史言語文化学系論集 史学・考古学篇』12、2020年)は、幕末期に来日した外交官が、見学対象として大阪城に興味を持っていた事実を紹介。オールコックなど、豊臣秀吉ゆかりの城…
RT @zasetsushirazu: 井上勝也「山本覚馬と妹八重」(『新島研究』105、2014年)は、幕末の会津藩士・山本覚馬が、17歳年下の妹である八重にどのような影響を与えたのか、そして八重はどのような人生を歩んだのか、江戸時代の会津の歴史や教育制度の概略と共に語ったエ…
RT @zasetsushirazu: 呉永台「幕末期肥後における〈藩是〉確立とその意味」(『年報地域文化研究』23、2020年)は、文久2年4月、藩是を決定した肥後藩政府には「徳川恩顧の大名としての自己認識があった」と指摘し、藩是の確立を要求した肥後勤王家とは、将軍家への距離…
RT @zasetsushirazu: 上田長生「維新期陵墓政策の特質と展開」(『待兼山論叢 史学篇』42)は、幕末期に創出された陵墓が、近代天皇制の形成と共にどのように管理されたのか、神仏分離の内実を含めて分析。上田氏の著書『幕末維新期の陵墓と社会』(思文閣出版、2012年)…
RT @zasetsushirazu: 昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の中で、最後の生き残り。幕末期の海外留学で得た造船技術を活かして活躍した。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(上)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)は、海外留…
RT @zasetsushirazu: 1929年8月26日、アーネスト・サトウが死去。幕末・明治の日本で通訳や公使として活躍した英国人で、神道や国学を研究するぐらい日本語が堪能。兪三善「日本語の教材としてのアーネスト・サトウ『会話篇』」(『實踐國文學』96)は、サトウの著作を…
RT @zasetsushirazu: 上田純子「萩藩文久改革期の政治組織-政事堂の創設と両職制の改編-」(『史学雑誌』109-11、2000年)は、いわゆる長州藩の本藩である萩藩の文久改革期を分析。それによれば、文久期の藩権力中枢は、「自藩士に限らず「有志」を優遇」し、言路洞…
RT @zasetsushirazu: 平成24年(2012年)8月3日、哲学者の上山春平が死去。その研究対象は歴史や文化など多方面に及び、『明治維新の分析視点』(講談社)などの著作もある。山口輝臣「哲学者による維新」(『史淵』152)は、上山による遠山茂樹や井上清といった維新…
RT @zasetsushirazu: 森本峰子「江戸時代の古地図に見るオーストラリア」(『英米文化』30)曰く、「鎖国の世の日本人にとって海外の国々は生涯決して訪れることのない、幻の世界であった」。その時代の地図における豪州の描き方について、地図製作者を仏教系、朱子学系、蘭学…
RT @shibawankok2: 詳しくはこちらの論文を読んでみてください(^^) CiNii 論文 -  <論説>箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) https://t.co/qVEeiASimk #CiNii
RT @zasetsushirazu: 池田勇太「元田永孚における開国論への転換」(『異文化研究』11、2017年)は、「攘夷は和親との対で和戦の問題、開国は鎖国との対で国交・貿易の問題」と整理し、鎖国体制下での和親や開国を見据えた破約攘夷論などの外交態度があったことを前提に、…
RT @zasetsushirazu: 間瀬久美子「近世後期の朝廷と幕府の災害祈禱」(『千葉経済論叢』61、2019年)によれば、幕末の京都朝廷が行う祈祷は攘夷問題が大半となり、一方で幕府は地震災害に関連する祈祷を推進。内憂外患で権威を喪失した幕府は、祈祷の発令で権威の回復を企…
RT @zasetsushirazu: 佐藤麻里「将軍の死と「自粛」する江戸社会」(『学校教育学研究論集』24、2011年)は、江戸時代後期の将軍死去による鳴物停止などをめぐる「自粛」と「強制」の問題を分析。特に、商売停止は町奉行の命令ではなく、町名主の「申合わせ」から始まった…
RT @senryusai: https://t.co/A72mXDLFnY 真辺将之(2011)「明治期『旧藩士』の意識と社会的結合 : 旧下総佐倉藩士を中心に」。
RT @shibawankok2: 氷上真光院に関する論文。近世中期に成立した「真光院差図」と「宝乗坊差図」を基にそこに描かれている諸堂の特徴を明らかにしたもの。 これも読んでおかねば・・・。 CiNii 論文 -  近世氷上山境内の広域差図とその細部構成 https://…
RT @shibawankok2: 七卿、吉川経幹公関連で氷上真光院について検索してたら見つけた論文。 ええの見つけた(*´ω`) CiNii 論文 -  周防国氷上山興隆寺の旧境内とその堂舎配置 https://t.co/xMLvqNF09v #CiNii
RT @enshujoukaku: 2018年10月大阪大谷大学博物館にて開催された「大阪陣屋サミット」の発表と討論の要旨がPDF公開。 #PDF公開城郭論文 馬部隆弘・中西裕樹・田村正孝・吉井克信・尾谷雅彦・若林幸子「大阪陣屋サミット ー陣屋の魅力と歴史的価値ー」(『大阪大…
RT @zasetsushirazu: 中川邦昭「知恩院・京都写真発祥の地-堀内信重の業績-」(『日本写真学会誌』67-2)は、慶応元年の堀与兵衛が京都における写真撮影の先駆者だという説を疑問視し、『越前藩幕末維新公用日記』(福井県郷土誌懇談会)の口絵写真などを手がかりに堀内信…
RT @shibawankok2: 長州藩の藩政史料や関係史料に基づいて、西洋兵学者であり尊王攘夷派でもあった松島剛蔵の実像を解明することを研究目的とした論考。 CiNii 論文 -  松島剛蔵と洋学 : 長州藩洋学者が歩んだ尊王攘夷派への道 https://t.co/urK…
RT @zasetsushirazu: 上野大輔「幕末期長州藩における民衆動員と真宗」(『史林』93-3、2010年)によれば、村田清風は海防のために宗教も利用しようと考え、長州藩内の真宗僧侶たちもキリスト教や排仏論への対抗から要請に応じた。月性の門下・大洲鉄然の僧兵隊結成の動…
RT @zasetsushirazu: 久住真也「「日本史」授業における考える習慣について」(『教職課程センター紀要』1)は、明治維新の始期と終期の考え方を巡り、「学説史においては,明治維新と言った場合,幕末を含むのが常識」だが、教科書の記述では「幕末と明治維新は別れている印象…
RT @zasetsushirazu: 明治24年4月22日、吉井友実が死去。幕末の薩摩藩士で、西郷隆盛や大久保利通が京都不在の際に代役を果たすこともあった。坂本龍馬とも親しかった。中川未来「雑誌『国光』の創刊と吉井友実」(『愛媛大学法文学部論集 人文学編』46)は、帝国議会開…
RT @zasetsushirazu: 昭和43年(1968年)4月21日、『ウルトラセブン』第29話「ひとりぼっちの地球人」が放送された。プロテ星人が登場。学習院大学が撮影に使われた回で、天皇陛下が徳仁親王時代に、講演「目白キャンパスの思い出」(『学習院大学史料館紀要』16、…
RT @merontomikan: 複雑で何とも形容し難い、この微妙なあり様を、とても繊細に描いてくれるだろうと思っています。 今日の参考文献は「戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開」です▼ 特に第1章・第3節「道三・義龍の二重権力」をご参照ください。 https://t.c…
RT @zasetsushirazu: 明治2年3月7日(1869年4月18日)、公議所が開設された。三村昌司「公議人の変遷について」(『東京未来大学研究紀要』7)曰く、「各藩の代表が一堂に会し、法律制定権が制度化されるなど、日本における近代的議会の嚆矢ともいえる」議事機関だっ…
RT @zasetsushirazu: 工藤憲一郎「藩屏概念の具現化をめぐる相剋-寺田屋事件の思想的一断面-」(『國士舘大學政経論叢』27-1)は、島津久光の率兵上京に関して、久光と有馬新七らの間で基本目標はほぼ同じだったが、軍事力行使に対する考えに隔たりがあったと指摘。 ht…
RT @zasetsushirazu: 坂西友秀「鎖国前後における日本人の西洋人観・黒人観の心理」(『埼玉大学紀要 教育学部 教育科学』51-2)は、近世の長崎出島には黒人奴隷もいたが、黒人を遊女屋に手引きした者が処罰された事例などから、日本人側に黒人を「人間以下」と見なす意識…
RT @yaduki_bm: 私は英語が壊滅的なのでありがたいことに研究者の方が訳してくれた記者の記述がこの論文で読めます https://t.co/MZ2uU2LzCC
RT @Naga_Kyoto: 『学会名鑑』記載の団体を統計的に分析した研究。参考になります。 埴淵 知哉・川口 慎介「日本における学術研究団体(学会)の現状」E-journal GEO 15(1), 137-155, 2020 https://t.co/7xvXmayB55…
RT @zasetsushirazu: 元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新』(清文…
RT @zasetsushirazu: 1865年4月2日、リチャード・コブデンが死去。英国の政治家で、熊谷次郎「『書簡集』にみるコブデンの急進的自由主義(上)」(『桃山学院大学経済経営論集』60-4、2019年)曰く、薩英戦争で鹿児島の市街を砲撃した点について「恐ろしい残虐行…
RT @zasetsushirazu: 明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題…
RT @Naga_Kyoto: これは好きな人多そう。城下町の構造を比較した論文。 横尾 実「東北地方の城下町起源都市における地域構造の移行:江戸時代から第2次世界大戦時まで」https://t.co/F7LAreFUqT https://t.co/qEnscbO9r2
RT @wadakogorou: 内山京子「木戸孝允と明治初期の新聞界」は『日本歴史 』727 (吉川弘文館 2008年12月)所収です。 https://t.co/RlEUc031Uz
RT @machi82175302: 拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 」(日本研究所主催講演会 要旨)は以下でダウンロード可能です
RT @zasetsushirazu: 松尾晋一「アヘン戦争情報と幕府対外政策」(『東アジア評論』11、2019年)によれば、老中・水野忠邦は長崎から入ってきたアヘン戦争情報のみに依拠して条件反射的に対応を行い、対馬などを経由して届いた情報が活用されなかった。また、幕閣内で情報…
RT @washou3956: PDF公開&メモ。清水克行「室町期畿内における町場の構造」(『比較都市史研究』30-2、2011年)副題にもあるように、「経覚私要鈔」に描かれた大和国古市郷の構造を検討。『経覚〈人物叢書〉』に参考文献として引用されていたもの。ネット公開していたの…
RT @minzokunokai1: 国立国会図書館のデジタルで「山口史蹟概覧 皇政復古七十年記念」を見つけて、かぶりつきで読んでる。山口市役所発行 そうとう、面白い。各支藩のあった場所とか、諸隊会議所の場所とか まだ、あのころの記憶を持った人たちが生きている時代だからくわしい…
RT @zasetsushirazu: 森谷秀亮「王政復古の大号令について」(『駒澤大学文学部研究紀要』26、1968年)は、慶応3年の王政復古について武家政治のみならず、摂政・関白の廃絶を宣言した意義を強調。森谷氏は、日本史籍協会叢書『伊達宗城在京日記』(東京大学出版会)の解…
RT @zasetsushirazu: 明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。討幕の密勅の受領に関わった。末木孝典「明治二十五年・選挙干渉事件と立憲政治」(『近代日本研究』32)曰く、第1次松方正義内閣の内相時代の選挙干渉で、「選挙に成果を出す責任と治安を維持する責任との間で…
RT @washou3956: PDF公開。竹中友里代「石清水八幡宮神人家文書にみる連歌師紹巴と細川幽斎」(『京都府立大学学術報告.人文』71、2019年12月)旧石清水八幡宮寺神人の橋本家に伝わる連歌資料を、地域の歴史に位置付ける試み。https://t.co/dkEG0lB…
RT @washou3956: 坂口太郎『大正・昭和戦前期における徳富蘇峰と平泉澄』(第19回松本清張研究奨励事業研究報告書、北九州市立松本清張記念館、2019年)読了。官学アカデミズムと民間史学が交錯した近代史学史の一断面を、平泉と徳富に注目して描き出す。圧巻。史料編の四一号…
RT @merontomikan: 戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例にThe Domination of Mino Province by the Toki Clan and the Go-Saitoh Clan in the Sengoku Period :…
RT @merontomikan: なんかバズっている!300いいねを超えそう!Twitter始めて以来初めて
RT @zasetsushirazu: 上田純子「安政五年萩藩における「会議」と政治機構」(『史学雑誌』107-6)は、「藩政改革派と称された人物の出身階層が一〇〇石前後の大組士であった事実」や、「三〇〇石以上の比較的上級家臣団が、政治的意思決定からは実質的に阻害された存在であ…
RT @zasetsushirazu: 三好彰「アメリカ人が見た川﨑道民-万延元年遣米使節団のアメリカ最新医療体験-」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13、2018年)は、万延元年の遣米使節団や文久遣欧使節団に随行した佐賀藩の医師・川崎道民に関して、米国の新聞と…
RT @zasetsushirazu: 明治26年1月10日、杉田仙十郎が死去。政党政治家・杉田定一の父親で、幕末期には越前の大庄屋だった。元治元年には、敦賀で投降した天狗党の助命を嘆願した。文献に、家近良樹『ある豪農一家の近代』(講談社)がある。下記は、柳澤芙美子氏の書評(『…
RT @zasetsushirazu: 山本志乃「旅日記にみる近世末期の女性の旅」(『国立歴史民俗博物館研究報告』155)は、清河八郎の母親や松尾多勢子など、女性たちの旅行を分析。幕末期にはすでに一般化していた無手形による違法の関所抜けが、流動人口の増加や宿場への経済効果をもた…
RT @Naga_Kyoto: 米島 万有子「二条城堀の蚊の発生問題にみる歴史的景観「堀」に対する住民意識」日本地理学会発表要旨集 2014a(0), 16, 2014 https://t.co/NDMdwuEXqD 彦根城の堀はマラリア防疫のために埋め立てられた
RT @zasetsushirazu: 明治2年10月20日(1869年11月23日)、大村益次郎襲撃犯の神代直人について、斬首が決定された。処刑が執行された正確な日付は不明。下記リンクの論文、伊藤一晴「神代直人の捕縛-大村益次郎襲撃犯に対する山口藩の対応-」(『山口県文書館研…
RT @zasetsushirazu: 安政6年10月6日(1859年10月31日)、三条実万(三条実美の父親)が死去。安政期の朝廷内で影響力があった。笹部昌利「幕末期公家の政治意識形成とその転回」(『仏教大学総合研究所紀要』8)曰く、息子の三条実美は実万の「体制改革意識の影響…
RT @g9e1o7: 「人文地理 第44巻第3号(1992)『学界展望(1991年1月~12月)』」において「徳仁親王『18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について』(地学雑誌100-1)」が紹介されています https://t.co/bF22nOmoI3(学界展望)…
RT @g9e1o7: 「人文地理 第44巻第3号(1992)『学界展望(1991年1月~12月)』」において「徳仁親王『18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について』(地学雑誌100-1)」が紹介されています https://t.co/bF22nOmoI3(学界展望)…
RT @animemitarou: 卒論やレポートに取り組んでいる学生の皆さん。「背景」の先行研究のまとめの部分、苦労してませんか? 「先行研究探せったって、調べても無いもの!!」という方、以下の「資料のえじき」という文章を読んで、探してみてください。きっといい先行研究、見つ…
RT @zasetsushirazu: 大賀郁夫「「御用日記」にみる幕末の宮崎」(『宮崎公立大学人文学部紀要』20-1)は、延岡藩の庄屋・湯地栄四郎の日記を分析。薩英戦争の風聞や、延岡藩も参加した第2次長州征伐の話題、暴風雨の災害対策と同時に干ばつ対策のための雨乞い祈祷も必要だ…
RT @zasetsushirazu: 明治17年10月12日、川路高子が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の妻で、慶応4年に夫が自殺した後も明治の世を生きた。揖斐高ほか「国立国会図書館蔵『川路高子日記』-翻刻と解題および人名索引-」(『成蹊人文研究』19)は、夫が奈良奉行を務めていた…
RT @zasetsushirazu: 安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的支柱」と…
RT @zasetsushirazu: 高木俊輔「幕末期中部地方の地域情報-平田門国学者を中心として-」(『立正大学人文科学研究所年報別冊』16、2006年)は、「歴史と文学」を主題とした共同研究の成果としての論文。島崎藤村『夜明け前』の歴史的背景を論じる。 https://…
RT @zasetsushirazu: 明治18年9月27日、都築温(都築荘蔵)が死去。慶応3年10月、大政奉還の趣旨が二条城で諸藩重臣に説明された際、宇和島藩代表として出席。将軍・徳川慶喜にも謁見。大政奉還が勅許されたことを帰国して報告(三好昌文「幕末期宇和島藩の動向(13)…
RT @washou3956: PDF公開。ありがたい。「院宣は院司奉書、綸旨は蔵人奉書という形式が、いずれも原則であるが、本稿に紹介する「御奉行所候也」の院宣・綸旨は、かかる普通の院宣・綸旨をさらに下位の庁務主典代や蔵人所出納がもう一度奉じて、宛所に伝達するという二段構えの奉…
RT @tonmanaangler: 「すなわち当年の賄料に関しては、家康側に収納にあたっての煩が無く、収納分だけを得ることができるということであり、家康への秀吉の気遣いをみることができる。」(天正年間における家康への近江在京賄料について)著者は片山正彦氏。 https://t…
RT @zasetsushirazu: 明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家…
RT @KanoYasuyuki: 特別セッションS23「オープンデータと地震学」で,歴史地震史料や歴史記録に関連した史料や資料(主として紙のもの)をどううまく利用するか(したいか)という話をします. 日本地震学会2019年度秋季大会/オープンデータと歴史地震・歴史記録 ht…
RT @KogachiRyuichi: 昔、勝村先生が「カルピスというのは、ありがたい会社なんや」と言っていて、若かった私は、何だろうと不審に思っていました。 https://t.co/aKMvsgTs8K
RT @zasetsushirazu: 奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力』(敬文…
RT @zasetsushirazu: 慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体改革意見…
RT @zasetsushirazu: 大島明秀「十九世紀国学者における志筑忠雄訳『鎖国論』の受容と平田国学」(『日本文藝研究』57-1)は、平田篤胤以降の国学者が志筑忠雄の『鎖国論』を「西洋人ケンペルによる日本讃美論」として読み解き、その後の国内で日本の優秀さを説く古典として…
RT @zasetsushirazu: 安政2年6月28日(1855年8月10日)、中島棕隠が死去。綿本誠「中島棕隠の『鴨東四時雑詠(鴨東竹枝)』をめぐる一考察」(『21世紀アジア学会紀要』3)曰く、「日本近世の漢詩人の中で最も著作の多い詩人」。足利三代木像梟首事件に関与した徳…
RT @zasetsushirazu: 文久2年7月12日(1862年8月7日)、大橋訥庵が死去。田中有美「坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩」(『立命館言語文化研究』23-3)は、坂下門外の変の首謀者で、過激な攘夷論者として知られる大橋が、討幕は志向せず、あくまで幕府の枠組…

3 0 0 0 OA 中岡慎太郎

ただ古高はそれを得られなかったため、中岡自ら中沼に弟子入りしたというのが尾崎卓爾『中岡慎太郎』(1926年、80頁、以下サイトのコマ番号55)以来の説なのだが、これは信用できる史料で裏づけられてはいない。https://t.co/GOxlhfJPAm
RT @usa_hakase: @tigers_1964 ハザードマップの中身を本当に伝えたいのなら、作られた過程を見せることが最も効果的、が私たちの結論。https://t.co/8ZyDcYIshs

17 0 0 0 OA 執金剛神縁起

RT @fzk06736: 全国の平安時代ファンの皆様、本日は、東国で「新皇」を名乗った平将門が蜂に刺されてあえない最期を遂げるシーンをお送りしますのでどうかご査収ください。国立国会図書館デジタルコレクション「執金剛神縁起」より。 https://t.co/mLxV8aFemy…
RT @urakkun26: 1997年のこの論文では豊臣政権内での源氏徳川将軍萌芽が見られる可能性が言及されているが同時に北条領平定の尖兵として豊臣政権が徳川に源氏を名乗らせた可能性についても触れられており、当方としては後者の意味しか無かった様に思う。 https://t.c…
RT @zasetsushirazu: 慶応4年5月22日(1868年7月11日)、益満休之助が死去。江戸の撹乱工作を主導した。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50)は、江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件で逮捕され、勝海舟に引き…

1 0 0 0 OA 姉小路公知伝

@machi82175302 @oonoucyuu まあ、ここで無料で読めるんで。#姉小路公知伝 https://t.co/ClrH1M18Cd
RT @zasetsushirazu: 奈倉哲三「史料蒐集の醍醐味-戊辰戦争期の江戸民衆意識解明を目指して-」(『跡見学園女子大学人文学フォーラム』15、2017年)は、慶応4年閏4月に大村益次郎が江戸府民の「民心朝廷離叛」を把握したことや、民心掌握に天皇の東幸が有効とした大久…
RT @zasetsushirazu: 廣岡守穂「詩とは何か-幕末の漢詩と明治の新体詩から考える-」(『中央大学政策文化総合研究所年報』21、2018年)曰く、「詩は行動する者たちによって書かれ、心をつたえあい思想を共有する媒体として作用した」。特に、幕末期に至るまで読まれ続け…
RT @zasetsushirazu: 大島明子「一八七三(明治六)年のシビリアンコントロール-征韓論政変における軍と政治-」(『史学雑誌』117-7)は、初期太政官制で長州出身者が軍事官僚として選ばれた理由を、幕末期の敗戦や脱退騒動の経験などから、地域や階級の利害から比較的自…
RT @Tdr_moeguti4065: 3、正則・加藤家(清正死後)の改易は、家康・秀忠による豊臣恩顧大名へのいちゃもん まあこれは論文を読んでね CiNii 論文 -  徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察-1- https://t.co/0ch2rGtUgA #CiNii
RT @zasetsushirazu: 吉田忠「柴田収蔵の蘭学修業」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』12、2017年)は、佐渡出身で、幕末の蕃書調所に所属した地理学者・柴田収蔵の日記を分析。柴田が入門した蘭方医・伊東玄朴の塾の、嘉永3年と安政3年の様子を紹介。古…
RT @zasetsushirazu: 岩淵令治「明治・大正期における「江戸」の商品化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』197、2016年)は、伝統の創出という観点から近代の「江戸」の発見を分析。旧幕臣復権に尽力した戸川残花は元禄会を結成し、福地源一郎や本多晋(彰義隊の生き残り…
RT @zasetsushirazu: 井上泰至「文禄・慶長の役を記憶する-「復古」/「維新」の前提としての武家説話-」(『日本文学』59-10、2010年)は、同氏の著書『秀吉の対外戦争』(笠間書院、2015年)第9章の元論文。幕末期に洋学者や幕府の外交担当者を含めて、秀吉を…

お気に入り一覧(最新100件)

防災・災害復興に向けた地図・絵図資料の歴史GISデータ化 https://t.co/06395dGf1m
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え 鎌倉時代の願文(神仏に対して願い事を記した文書)に、地頭に仏罰が下るように祈った願い事をバレないようにジグザグ読みにして暗号化したものがある。https://t.co/V7C0nd9Mel https://t.co/2dtblFOOrb
拙稿「慶応期後半の中央政局と薩摩藩―幕薩・薩長融和と薩英戦争を中心に」(『神田外語大学日本研究所紀要』15号)は「KUIS学術情報リポジトリ」で公開されました。 https://t.co/AMFvBExx7b
ゲストハウス増加の影響については例えばこちら↓ 池田千恵子(2020)「町家のゲストハウスへの再利用と地域に及ぼす影響——京都市東山区六原を事例に——」地理学評論 Series A 93 (4), 297-313 https://t.co/KbTHRIHPPE
『史学雑誌』131編2号に掲載された拙稿「D.B.マッカーティと『琉球処分』問題ーー清朝在外公館における外国人館員の私的活動とその意義をめぐって」はJ-Stageからダウンロードできるようになりました。皆様の忌憚のないご批評をお待ちしております。https://t.co/ebPVLOJxOZ https://t.co/3iKrcytOcD

3 0 0 0 土佐史談

松村巌のとさ史談68号「坂本龍馬」 近江屋の奥さんに取材してて「妻の談によれば、中岡は焚飯を食いたいというてこれを近江屋の妻に求め、近江屋の妻は為めに焚飯を拵えて進めたりと云う」に 奥様レシピ教えてください!の突撃したい。 https://t.co/6FM4LNmnwL

15 0 0 0 OA 死生の境

新選組の隊服が黒ずくめと言ったのは渡辺昇という人らしい 元ネタはこの辺かな? 黒装束云々の前に、話が理解できないよぉ https://t.co/mn7xuTwFMm
こちらの遠藤茂平とは画風が違うような気がする…けど 画像は遠藤茂平編『京都名所案内図会』 ※国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/OFLvsBNaY1 https://t.co/Bzsu8BMIMf
宮川 禎一『描かれた古墳出土品ー明治十四年の発掘調査ー』 https://t.co/67VMCVHPdU 図はこちら(解像度低い) https://t.co/keQRO5VoSy
拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩-西郷吉之助の動向を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要8号』、2016年)は以下を参照下さい。 https://t.co/bR9OnAxGwv……
日本水文科学会誌第35巻,第 3号 .129 -136 (2005) 「洪水の復原方法とその事例」吉越昭久 https://t.co/VKj086NEl1 歴史水文環境としての「鴨川の洪水」に影響した3件 ①11世紀頃と考えられる段丘崖の形成 ②17世紀後半 「寛文新堤」の建設 ③昭和 9・10年の洪水による内務省の鴨川|改修工事

17 0 0 0 OA 活文字

@sinsenlove0505 ff外から失礼します

2 0 0 0 土佐史談

https://t.co/Z2siElvzZg 今年読んだ中で面白いな~と思った近江屋、 とさ史談「坂本龍馬先生事蹟余聞」の 「高知県人で土佐史談会員の市村梅太郎君が、少壮の時この今井信郎氏に面会し、親しく暗殺当時の物語を聞いたことがあった」の談話で 藤吉と龍馬が刺客に抗戦してるところ
『関西商工録並ニ人物誌』、「関西」とあるの京阪中心かと思ってたら、ほぼ奈良でした。 #なら学文献 ヤフオクで気になってたけど、デジコレ個人送信で閲覧可能だっという。。。 『関西商工録並ニ人物誌』(関西毎日新聞社、昭和2)| NDLデジコレ(個人送信資料) https://t.co/YSibhxVQ3R
https://t.co/5NVZI46ASp 『「坂本龍馬」の誕生』著者の博士論文 国会図書館に行かないと読めないかと思っていたらNDL経由でも公開されてたんですね
京都市市街地の地下水関連資料 京都の水辺の歴史的変遷と都市防災に関する研究 https://t.co/ty7sL9O4Aa 1904 年西洞院川が暗渠化 1917 年今出川が暗渠化 二条城周辺水路や御土居の水堀も消滅 堀川源流の大徳寺周辺の水路がこの時代までに消滅し、水源を賀茂川の他に琵琶湖疏水分線に頼るようになる https://t.co/iqqzzFP8vm
赤松啓介に「万引赤松」なるエッセイがある。どうも当時、赤松啓介に本を貸すと盗まれるし古本屋は代金を踏み倒されるみたいな噂があったらしく、皮肉たっぷりに反撃している。この性格の悪さから噂が立ったんだろうなと思わされるなhttps://t.co/6JGlmkkRC7 https://t.co/r8KeIRF9Y6

10 0 0 0 OA 中等地理教科書

明治27年の教科書では五畿七道ごとに説明されている 中等地理教科書. 上巻 総論及ビ日本全誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/BwMp4agQHD https://t.co/FOXcz6HwIC
⇨舘氏の論文は <https://t.co/4PRfkwZN3v>からダウンロード可能です。
PDF公開。鍛代敏雄「戦国時代の古文書修理:石清水八幡宮社務検校・田中奏清の場合」(『東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報』13、2022年6月)※注3に同「石清水八幡宮文書の概要」(『石清水八幡宮研究所報』創刊号、2022年)を確認(未読)。https://t.co/KXuE78YSy8 #こんな論文が出ていたようです

4 0 0 0 交野町史

この地域(河内国交野郡)は土御門家の歴代組が点在している地域の一部なので https://t.co/b50MFGOsbb 、 石を牽牛とみなしていたのは彼等なのかも?とは考えています。 https://t.co/pGZGMHKZdv
これネット公開されてたんですね… 「国葬ってどんなもんなんや」状態の私でも普通に読めて、本当に分かりやすかったので、改めてお勧めしておきますぞ。 前田修輔「戦後日本の公葬-国葬の変容を中心として」(『史学雑誌』130巻7号 2021年) https://t.co/FpvvumerPc
1870年7月19日、普仏戦争が始まった。フランスが宣戦布告し、ドイツが勝利した。日本からは大山巌、品川弥二郎、林有造らが視察のために派遣された(通訳は中浜万次郎)。ドイツ軍によるパリ包囲を実体験した日本人の記録に、渡正元『巴里籠城日誌』(東亜堂書房)がある。 https://t.co/Dt85ilwXyV

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

https://t.co/msrzDzNgNa 容堂が小南さんに激怒した話し、最近容堂新書で知って 『よーどー公遺稿』上の閏8/25付近を探しても出典が見つからないな~
中世前期における東国武士の教養に関する最新の研究。  杉橋 隆夫・上島 理恵子「「かな」「まな」と「和字」「漢字」―北条泰時書状を手掛かりに―」(『立命館白川靜記念東洋文字文化研究所紀要』14、2021-03) https://t.co/TOY1fFRTX3
是非参考にされてください(何か見た)。 小島道裕「近世初期の風俗画に見える「うどん屋」について」(『国立歴史民俗博物館研究報告』200集、2016年) https://t.co/kAtaV4kEAg
水子供養の発生と現状 : 森栗 茂一 _ 国立歴史民俗博物館研究報告 - 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ https://t.co/oFY68kilLT
どの組織でも言えることだけれども、学芸員の非正規雇用や短期雇用が常態化するとこうなるのよな 出典論文↓ https://t.co/hOtit98qmc https://t.co/KySQjd2zal

1 0 0 0 幕末維新

https://t.co/o0t88Z6PMX 個人送信で『山内家史料 第十六代豊範公紀 幕末維新』の慶応元年から明治19年まで読めるようになったのはあまりにも強すぎる
J-STAGE Articles - (研究)中世後期における武士の京都在住の構造 https://t.co/9vq1wgmgCE

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO
京都の展覧会も10名ほどのチームを組んで、写真の読み取り作業を行なっておりました。よろしければこちらもご参考までに。「写真撮影地点同定方法一般化の試み:占領期のパーソナル写真を事例として」 https://t.co/OdSXv7Oa3z https://t.co/aEaiunCOHD
町田明広「慶応二年政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』13、2021年)曰く、薩摩藩は抗幕姿勢を貫くためにパートナーとしての英国との関係を重視していて、一旦ぎくしゃくした両者の関係を改善するためにも、英国公使パークスの鹿児島訪問を推進した。 https://t.co/wLdjTW1HSq

9 0 0 0 OA 高野山文書

今回の展示品のうち、3「六巻書 第1 金剛三昧院草創子細」、4「六巻書 第2 大仏殿領等」、5「金剛三昧院住持次第」は、高野山史編纂所編『高野山文書』第5巻(高野山文書刊行会)に翻刻されております。国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できます。 https://t.co/431AIN95GT
平成6年(1994年)4月4日、歴史家の佐藤誠朗が死去。下記リンクで、著書『近江商人幕末・維新見聞録』(三省堂)について高部淑子氏の書評(『史学雑誌』100-3)を読める。ほかの著書に、『幕末維新の民衆世界』(岩波新書)、『近代天皇制形成期の研究』(三一書房)など。 https://t.co/ip1YlhVJrk
『立教史学』5号に「御成敗式目の現代語訳はどうして難しいのか : 立法技術・語彙・本文に関する覚え書き」を書きました。以前、学部のゼミで扱って試訳をつくったのですが、どうにも難しくて、どうして難しいのか、自分なりに考えたことのメモです。リンク先にPDF。https://t.co/VHdvurxfwQ
総合研究大学院大学博士論文(2021年3月、西山氏は本文有) 篠崎敦史『平安時代の国際関係と外交の研究 ―古代から中世移行期における東アジアとの交流の歴史的意義―』https://t.co/ie8bfTTEzO 西山剛『中近世における職能集団と権威―駕輿丁・力者・輿舁の存在形態を通して―』https://t.co/2TzGzHvvlM
総合研究大学院大学博士論文(2021年3月、西山氏は本文有) 篠崎敦史『平安時代の国際関係と外交の研究 ―古代から中世移行期における東アジアとの交流の歴史的意義―』https://t.co/ie8bfTTEzO 西山剛『中近世における職能集団と権威―駕輿丁・力者・輿舁の存在形態を通して―』https://t.co/2TzGzHvvlM
平成5年(1993年)3月19日、歴史家の吉田常吉が死去。著書に『安政の大獄』(吉川弘文館)や『井伊直弼』(吉川弘文館)などがある。死後に刊行された『幕末乱世の群像』(吉川弘文館)は既発表の論考の再録で、小泉雅弘氏の書評(『駒沢史学』49)をネット上で読める。 https://t.co/lVaSxQmADH
平治の乱後の源義朝縁者の流刑にかんする論文。 在京活動を行っていた武士が流人の身柄を引き受けていたことや朝廷とは別に平氏独自の流刑が存在したことを指摘。 渡邉 俊氏「中世前期の流刑と在京武士」(福岡女子大学国際文理学部紀要『文芸と思想』80号、2016年) https://t.co/X6a8s16tSb
慶応2年1月21日(1866年3月7日)は、町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9)曰く、18日に小松帯刀・木戸孝允らの会談で概要が決まった薩長同盟の内容を、坂本龍馬(長州藩から薩摩藩士と認識されていた)を証人として確認した日。 https://t.co/Vz75SjD6eh
大正3年2月28日、漢学者の岡鹿門(岡千仭)が死去。幕末の仙台藩出身で、昌平黌で知り合った友人・松本奎堂(後に天誅組の総裁)と共に塾を開いた。閻秋君「明治初期の日本における米国史の受容について」(『中国文化 研究と教育』77)は、岡が翻訳した『米利堅志』を分析。 https://t.co/XNLsI2glMW
波田永実「別格官幣社再考」(『流経法學』20-2、2021年)曰く、明治維新に際して、「「御一新」 を実感させ将軍や大名に勝る天皇の絶対的な尊貴性とその意思を「国民」に分かりやすく「可視化」する」手段の1つが、湊川神社など「別格官幣社の創建と列格であった」。 https://t.co/9LmSF3xjdt
@fzk06736 これが今上天皇が卒業論文をもとに作成された論文だろうと思います。 https://t.co/GNMHD5I5QU
大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の重要性について考察。 https://t.co/llVIzrnJpP
文久2年12月22日(1863年2月10日)、国学者・塙忠宝(塙次郎)が死去。塙保己一の長男で、『続群書類従』などを編纂した。久田信行「盲唖学校の成立と山尾庸三(補遺)」(『群馬大学教育実践研究』31)は、伊藤博文と山尾庸三が塙を暗殺したことは「ほぼ確実」とする。 https://t.co/WwIBcyl1u9
佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。 https://t.co/qtxOT4vv0S…
明治29年2月2日、川田甕江が死去。幕末期に板倉勝静(幕府の老中を務めた)に仕えた漢学者で、明治期に修史局などに出仕し、東京大学教授にも就任。古賀勝次郎「安井息軒の門生たち(2)」(『早稲田社会科学総合研究』10-3)は、近代史学の形成に功績のあった1人として分析。 https://t.co/7aqj1e3WFb

1 0 0 0 OA 岸和田志

https://t.co/SAPz9Kty2K ​『岸和田志』(1931)​。 ​「日常語中他国人の聞きて特に異とすべきは、他の男子を兄さんと呼び、女子を姉さんと云ふ事にして​、如何程紳士と奥様を自任するものも、斉しく斯の兄さん姉さんを以て呼ばるる​」
小千谷談判辺りのことを改めて見直していると「なぜ?」「もしこうだったら違う結果になってた?」とか色々疑問が湧いてきたところで、この論文を見つけたので読んでみようと思う。 CiNii 論文 -  「岩村高俊自傳草稿」の翻刻と解題 https://t.co/ImeVlscwXR #CiNii

16 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

明治24年1月12日、妻木頼矩(妻木多宮、妻木田宮、妻木棲碧)が死去。幕末の幕臣で、鳥羽・伏見の戦いの後、大坂城を新政府に引き渡す役目を担った。大塚武松編『維新日乗纂輯』第3巻(日本史籍協会)に、「妻木頼矩手記 戊辰正月大坂城引渡始末」が収録されている。 https://t.co/4HgLjditE1

21 0 0 0 OA 関八州名墓誌

有名人の墓を巡る人を掃苔家というが、昨今は墓マイラーとも言うらしい。大正時代の時山弥八もそんな趣味を持った人物。関東大震災で原稿を失う悲劇の乗り越えて大正15年『関八州名墓誌』を上梓した。来年の大河の主人公北条義時、宮本武蔵、吉田松陰、近藤勇など多士済々。https://t.co/dAcbZSjlWC
坂本弘毅「安政期の老中家臣による蝦夷地調査の背景」(『駿台史学』171、2021年)は、安政2年〜3年にかけて幕府による蝦夷地直轄の決定→松前藩の引き渡し完了後、老中の堀田正睦が家臣たち(佐倉藩士)を蝦夷地に派遣したことの意義を分析。その後の幕政への影響にも言及。 https://t.co/V3HI2RVrFr
明治5年11月16日(1872年12月16日)、岩倉使節団がパリに到着。福井憲彦「岩倉使節団の見たパリ」(『学習院史学』34)は、使節の一員だった久米邦武の『米欧回覧実記』にパリがどのように描かれているか、また当時のパリがどんな状態だったのか概要を紹介した講演録。 https://t.co/1ng2fC5AfY

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

「農商務大輔時代の品川弥二郎が高知県に来訪した際、瑞山の遺家を訪ねて獄中自画像をもらい受け、石摺りして周囲に配布した。原本は畏れ多くも宮内省に献上した」 と『勤王史』さんにあるので、やじの来高が気になってる。 明治14年に高知県へ樹を贈った時とは別みたい? https://t.co/pLoV9Tc5cf https://t.co/argDtxY3Ff
『立教大学日本学研究所年報』20号(2021年)に「卒業論文題目からみた近代歴史学の歩み : 東京帝国大学国史学科1905-1944の事例報告」を発表しました。レポジトリでPDFをご覧いただけます。データが膨大なので間違いなどあると思います。ご指摘いただけると助かります。https://t.co/WOmrAv2TVz

136 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

慶喜の伝記『徳川慶喜公伝』は東洋文庫全5冊として刊行(同じく劇中の慶喜を囲んで関係者が話を聞いたのをまとめた『昔夢会筆記』も同文庫に入っている)されているが、龍門社刊行のものが国会図書館デジタルでも読める。しかし、栄一の序文、長すぎwww #青天を衝け https://t.co/rT0nRfCiOL https://t.co/3TOYi0R051
関西学院大学の河上繁樹さんが「豊臣秀吉の日本国王冊封に関する冠服について」で妙本院伝来の明代官服について言及してますね。 https://t.co/5GPWrPbXfs https://t.co/O8GmyKyBrp
大正13年12月10日、谷森真男が死去。香川県知事などを歴任した官僚。父親は国学者の谷森善臣。高重久美「歴史学者谷森饒男と芥川龍之介」(『文学史研究』57)曰く、芥川龍之介が歴史学者・谷森饒男の父を、誤って谷森真男と書簡に書いている。実際は、真男の甥が饒男らしい。 https://t.co/jM1h2fleki
メモ:矢嶋翔「〈史料紹介・翻刻〉東北大学附属図書館狩野文庫所蔵『相国寺供養日記』」(『人文研紀要』100、2021年9月) #こんな論文がありました https://t.co/DVlio17k2c
明治35年12月3日、根岸武香が死去。吉見百穴の調査・保存に尽力。父は幕末の浪士組参加者で、近藤勇や土方歳三らと共に京都に残留した豪農・根岸友山。下記リンクで、大沼宜規「ある好古家のコレクション 根岸武香と冑山文庫」(『国立国会図書館月報』620)をPDFで閲覧可能。 https://t.co/g6nkXluJzQ

3 0 0 0 OA 台湾遊記

@busyo3 こちらにも同文が掲載。 https://t.co/VPEVZ44y4I
@busyo3 明治27年11月下旬、旅順要塞占領後の情勢下、元老松方正義が参謀次長川上操六に対して、「台湾占領の急務は、独り小生一個の管見のみに止まらず、天下有識者の公論」と書き送っている。確かに「管見」について『新明解国語辞典』の定義通りの用例。 https://t.co/hHgZ6CUfCX

58 0 0 0 OA はゝその落葉

穂積(渋沢)歌子の『はゝその落葉』には、その時の話が書いてあります……。 https://t.co/dcwRIAWoxw #青天を衝け https://t.co/AJq32tgo2O
調べてたら某番組の内容と関わりそうなことを書いてる論文を見つけたので、興味のある方は是非。 片山正彦2018「大坂冬の陣における堤防の役割ー主に「文禄堤」と京街道を事例として」『交通史研究』93 巻 https://t.co/f139h9msQD
安政6年10月7日(1859年11月1日)、頼三樹三郎が死去。梅田雲浜らと交流し、安政の大獄で処刑された。遺体は大橋訥庵が埋葬。任萌萌「頼三樹三郎が頼山陽を偲ぶ詩」(『比較日本文化学研究』14、2021年)は、文人としての面に着目し、父・頼山陽を手本としたことなどを分析。 https://t.co/I4WG2QhC4o
笠谷和比古「幕末の「不平等条約」問題に関する一考察」(『大阪学院大学法学研究』47-1・2、2021年)によれば、「日米修好通商条約をはじめとする一連の国際条約は、その締結当初は決して不平等条約ではなかった。それが明治の時代に移行するなかで不平等条約化」した。 https://t.co/Q4um91vNEU

11 0 0 0 OA 世外井上公伝

「青天を衝け」で井上馨の顔に傷があるのですが、今まででこのことに気づいてツイートしたのは、FFでは中村武生さんだけだった。 https://t.co/PcBvP74KbM 写真だとわかりにくいこともあって、やや薄目の目立ちにくい傷になった。

13 0 0 0 OA 漂民御覧之記

寛政5年9月18日(1793年10月22日)、漂流した末にロシアで数年を過ごして帰国した大黒屋光太夫が、将軍・徳川家斉や松平定信に謁見。光太夫は、ロシアで知られている日本人として、桂川甫周(その場にいた)と中川淳庵の名前を挙げた。桂川甫周『漂民御覧之記』より。 https://t.co/FzclTjTDlL
文久3年9月2日(1863年10月14日)、フランス陸軍軍人カミュが、横浜で殺害された(井土ヶ谷事件)。沢護「井土ヶ谷事件と遺仏使節池田筑後守」(『千葉敬愛経済大学研究論集』29)曰く、事件はフランスに対して、横浜居留地防衛のための軍隊を常時駐屯させる口実を与えた。 https://t.co/c1B7vDDuHO
文久2年閏8月20日(1862年10月13日)、本間精一郎が死去。安政期に、幕臣の川路聖謨に仕えたことがある。笹部昌利「「人斬り」と幕末政治」(『鷹陵史学』31)曰く、「越後出身の浪人で、義挙を企て、土佐の吉村寅太郎とも親交」があった。岡田以蔵らに暗殺されたと言われる。 https://t.co/irwGXHBXPI
これです。面白いですよ。 CiNii 論文 -  「それいけ! アンパンマン」の社会学 https://t.co/B5JVtolW0g
昭和19年10月7日、中川小十郎が死去。西園寺公望の秘書を長く務めた人物で、立命館の初代総長。親族が、戊辰戦争で山陰道鎮撫総督の西園寺に仕えた縁もある。最新の研究に、長谷川澄夫「中川小十郎編の未刊維新史稿本について」(『立命館史資料センター紀要』4、2021年)。 https://t.co/ijSz520JkV
民蔵分離はいいぞ! 民蔵分離については長南先生の論文がめっちゃおすすめ! CiNii 論文 -  民蔵分離問題をめぐる再考察 「下ヨリ迫ラレ」る政府 https://t.co/oHnt0hxUmn #CiNii
この科研費(https://t.co/xGoGCplull)の成果の一部として出版されます。私も今回、メンバーに入れていただいて準備しています。昭和天皇の生の声が聞けて興味深い史料ですのでぜひお手元に。 昭和天皇『拝謁記』12月から公刊へ 初代宮内庁長官が書き残す | NHKニュース https://t.co/Y2oD7g2XdW

16 0 0 0 OA 小牧陣始末記

好きな逸話だけど出典がわからなくて死蔵してた絵。一応ネタ元がわかった ( https://t.co/JfAHZ5unOF )ので、公開しようと思いました。『雨降りの傘に候』のがカッコよかったかも。
https://t.co/3np12akW8N 皇太子殿下御渡欧記念写真帖だし1巻だし毎日の発行だしデザインもおなじようにみえる
国会図書館のこれhttps://t.co/3np12akW8N とは違うんだろうか https://t.co/i5IQLIg7yg
こんなのあるんかすごいw 全部取っておいたのかなあ…… https://t.co/424S15gXVb
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の、最後の生き残り。幕末期には奇兵隊にも加入した。海外留学して帰国した後、造船技術者として活躍。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(下)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)が詳しい。 https://t.co/TZY3B5mDna
明治27年9月2日、柳原前光が死去。幕末の公家で、明治期には主に外交官として活躍。皇室典範の起草にも関与したが、笠原英彦「明治皇室典範の制定過程と柳原前光」(『法学研究』91-12)によれば、皇室典範に「譲位」を規定しようとした柳原案は伊藤博文によって退けられた。 https://t.co/mA2cuga0ot

22 0 0 0 OA 斃休録

彰義隊は成一郎と天野八郎のあいだで内部対立があって、成一郎たちは彰義隊と袂を分かつ。天野の史料については以下のものがある。 https://t.co/fhAd4Sc4RQ
元治元年7月20日(1864年8月21日)、平野国臣や古高俊太郎が死去。元治甲子戦争(禁門の変)の騒擾の中、六角獄で処刑。笹部昌利「幕末期公家の政治意識形成とその転回」(『仏教大学総合研究所紀要』8)は、三条実美が平野の論策に感銘し、影響を受けていた可能性を指摘。 https://t.co/ZE9L8zItRK
西島太郎「明治維新期の神社政策と地域社会」『松江歴史館研究紀要』8 2020 https://t.co/WxrDorEbjl #CiNii
CiNii 論文 -  江戸幕府天文方堀田仁助関係絵図調査記録 https://t.co/6YYA3xJzpA #CiNii
CiNii 論文 -  朝鮮通信使をめぐる研究動向 https://t.co/6Vk1JfwQO1 #CiNii
⑦天保元年・慶応・戊辰・明治十年二本松藩士人名辞典(国立国会図書館デジタルコレクション) 戊辰関係かと言われると微妙だが、とりあえず「二本松藩士略伝」には戊辰戦争期の人物が複数掲載されており、あいうえお順掲載なので探しやすい。 https://t.co/N2hxzQvweA
平成28年(2016年)7月27日、歴史家の安岡昭男が死去。講演「明治日本と万国」(『法政史学』50、1998年)で、朝鮮に使節を派遣しようとした将軍・徳川慶喜の外交について、「鎖国から開国した幕府が、今度は逆に外国のことを第三国として調停に乗り出そう」としたと評価。 https://t.co/01TqbmWgPk
文政12年6月16日(1829年7月16日)、近藤重蔵(正斎、守重)が死去。江戸時代後期の幕臣で、北方探検家として知られる。梅澤秀夫「近藤重蔵論ノート(2)」(『清泉女子大学人文科学研究所紀要』35)曰く、幕府内で蝦夷地幕僚化を支持する急先鋒の1人だった。 https://t.co/dwUtWAXRHf
文久3年5月29日(1863年7月14日)、中島名左衛門が死去。幕末の長州藩に雇用された洋式砲術家。上田純子「萩藩文久改革期の政治組織」(『史学雑誌』109-11)曰く、世子御前会議で「西洋諸国の軍事的優位を指摘し、下関の手薄な配備を痛切に批判した」後、暗殺された。 https://t.co/7f9iQ9RlY0
所蔵は53館。 https://t.co/s9iBULhZQy
明治15年7月6日、松田道之が死去。幕末期に鳥取藩の周旋方を務め、長州藩に親和的な立場で活動した。明治期には東京府知事などを歴任し、さらに琉球処分を担当。近年の研究に、馬場義弘「初代滋賀県令松田道之の人物と思想」(『滋賀大学教育学部紀要』69、2020年)がある。 https://t.co/qyZJ70CezV

43 0 0 0 OA 猪飼勝三郎届書

国会図書館憲政資料室所蔵「川村正平(恵十郎)関係文書」の「猪飼勝三郎届書」。 平岡円四郎が刺客に襲われたことを知らせる史料。 渡辺甲斐守の旅籠よりの帰路に襲われ、深手を負ったとある。 https://t.co/jPxUBSIutI #青天を衝け
慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)、武市瑞山(武市半平太)と岡田以蔵が死去。笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、武市ら「土佐勤王党による藩外交主導の状況」に対する土佐藩当局の対応などを分析。 https://t.co/WvTSa3GYHr
弘化3年閏5月8日(1846年7月1日)、徳川斉順が死去。第11代の紀州藩主で、第11代将軍・徳川家斉の子。また、幕末の第14代将軍・徳川家茂の父親でもある。三宅智志「大名の婚姻に関する一考察」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』39)は、将軍継嗣問題に絡めて斉順に言及。 https://t.co/qTBJZDfjh8
慶応3年5月24日(1867年6月26日)、兵庫開港が勅許。青山忠正「通商条約の勅許と天皇」(『佛教大学歴史学部論集』5)曰く、2年前の条約勅許で「現実に行われている外交・貿易と、その事実を国家のトップが認めていないというねじれ構造は解消」したが、兵庫のみ例外だった。 https://t.co/lV0aK3S2pd

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