著者
細野 衛 佐瀬 隆
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.323-339, 2015-10-01 (Released:2015-12-19)
参考文献数
91
被引用文献数
5

黒ボク土層はテフラ物質を主体とした無機質素材を母材として,湿潤かつ冷温・温暖な気候と草原的植生下で生成してきた土壌である.酸素同位体ステージ(MIS)3以降の黒ボク土層の生成史には人為生態系の観点から2つの画期が認められる.最初の画期(黒ボク土層画期I)はMIS 3後半,後期旧石器時代初頭における“突発的な遺跡の増加期”に連動し,後の画期(黒ボク土層画期II)はMIS1初頭の急激な湿潤温暖化により人類活動が活性化した縄文時代の始まりと連動する.いずれの画期も草原的植生の出現拡大にヒトが深く関わったと考えられるので,黒ボク土層は人為生態系のもとで分布を拡大してきたといえる.
著者
細野 衛 佐瀬 隆
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.79-93, 1989-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
42
被引用文献数
2 1

The old burial mound“Komatsu Kofun, ”which has been buried under the River Tone alluvial soil, was discovered at Hanyu City in Saitama Prefecture. The bottom of the chamber is situated 3 meters below the surface. It is considered that the mound was sunk by the Kanto Basin-forming movement, and has been buried by river sediments.In this study, the location of Kofun ground was defined by pedological analyses of soil just under the chamber. The following conclusions can be drawn by making a comparison between these data and the characteristics of nearby Kanto loam terraces.1) The basement of the burial mound is Tachikawa loam formation (tephra layer), which was formed in the Late Pleistocene, and Kofun was constructed on Kanto loam terrace. The formation is tephra in situ, not banked.2) As there is no soil horizon A (Kuroboku soil) at the bottom of the chamber, it is estimated that the chamber was set on Tachikawa loam formation, which acquires bearing capacity by stripping coarse structural Kuroboku soil.3) Tachikawa loam formation of the Kofun ground is air-borne and air-laid tephra, and non-tephra particles are also included in it. This mixed-particle tephra is not so extensive as to change the pedological characteristics of the Tachikawa loam formation.
著者
井上 弦 中尾 淳 矢内 純太 佐瀬 隆 小西 茂毅
出版者
一般社団法人 日本土壌肥料学会
雑誌
日本土壌肥料学雑誌 (ISSN:00290610)
巻号頁・発行日
vol.90, no.6, pp.424-432, 2019-12-05 (Released:2019-12-17)
参考文献数
22

茶の覆下栽培(被覆栽培)の発祥時期を明らかにする目的で,京都府宇治市の伝統的茶園,宇治七茗園のうち現存する唯一の茶園(奥の山茶園)において,在来種で古いとされる茶樹直下に試坑を作製し,土壌断面調査とともに,炭素含量,植物珪酸体組成,年代値を調べた.その結果,Bw層(試料no. 8)–AB層(試料no. 7)境界で炭素含量が増加をはじめ,AB層(試料no. 6)–A層境界(試料no. 5)から,土色の黒味が増し,炭素含量も急増した.植物珪酸体組成では,AB層でイネ属起源の植物珪酸体が明瞭に認められるようになり,AB層–A層境界からさらに同植物珪酸体の検出密度が増し,また,自然植生由来の植物珪酸体はAB層からA層への減少が示唆された.加えて,14C年代値は,AB層最上部(no. 6)で較正暦年代(2σ)1341~1396 cal AD(probability=56.9%,中央値AD1369),A層最下部(no. 5)で較正暦年代(2σ)1396~1440 cal AD(probability=90.8%,中央値AD1418)を示した.以上のことから,宇治最古の茶園(奥の山茶園)における覆下栽培は,文献資料が示す16世紀後半からさらに150年は遡り,少なくとも15世紀前半には発生していたと推定された.
著者
近藤 錬三 佐瀬 隆
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.31-63, 1986-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
246
被引用文献数
22 35
著者
佐瀬 隆 細野 衛
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.466-482, 1996-11-25
被引用文献数
7

東北日本とニュージーランド北島の累積する完新世火山灰土壌の植物珪酸体分析により土壌相と植生史の関係が明らかにされた.非黒色の土壌相は森林植生下で生成し,黒色の土壌相は草原植生下で生成していた.また,非黒色土壌相から黒色土壌相への移行が森林から草原への植生変化に対応して起きていた.東北日本における最も古いこの変化は南部軽石層(c. 8,600年)の堆積以前に生じたのに対し,ニュージーランドではタウポ軽石層(c. 1,800年)の堆積以降にならないとこの変化は起きていない.このことは,更新世にさかのぼる日本の人類史が約1.000年の長さしかないニュージーランドの人類史に比べはるかに長いことと対応している.黒色火山灰土壌相の生成を促した草原植生の拡大は人為による森林破壊の結果と考えられる.
著者
佐瀬 隆 近藤 錬三
出版者
帯広畜産大学
雑誌
帯広畜産大学学術研究報告. 第I部 (ISSN:0470925X)
巻号頁・発行日
vol.8, no.3, pp.465-483, 1974-03-20
被引用文献数
2

本研究では,まず現在の東北海道に生育するイネ科植物表皮細胞中の珪酸体の記載分類を行なった。次にこの分類に基づいて,北海道各地域に分布する約1,300B.P.年以降の埋没火山灰土について,そのA層中の植物珪酸体の形態別組成と含量を明らかにした。さらに,各地域で生成年代の明らかな火山灰土A層につき植物珪酸体生産量(g/cm^2/年)を算出し,主としてイネ科植物生産量の側面から,北海道の後氷期の古気候変遷について考察した。その結果は,次のように要約することができる。(1)イネ科植物表皮細胞中の珪酸体は,その形態的特徴と植物分類学グループとの関係から,I)ササ型,II)ヒゲシバ型,III)キビ型,IV)ウシノケグサ型,V)棒状型,VI)ファン型およびVII)ポイント型の7グループに分類することができる。このうちII),III),IV)およびV)の珪酸体グループは,TWISS et al.の分類を暫定的に採用したものである。これらの珪酸体グループのうち,I)はササ属,II)はヒゲシバ族,III)はキビ亜科,そしてIV)はウシノケグサ亜科の表皮細胞中に特徴的に含まれる。V),VI)およびVII)の珪酸体グループは,特定の植物分類学グループとの関係は認められなかった。しかし,ファン型グループの珪酸体は,ウシノケグサ亜科よりキビ亜科に一般的に多く含まれる傾向があり,とくにササに非常に多く含まれている。また,ヨシのファン型珪酸体は著しく粒径の大きいのが特徴である。(2)北海道各地の埋没火山灰土A層には,棒状型,ポイント型およびファン型グループの各植物珪酸体が,全試料に含まれていた。ササ型珪酸体は,5,000〜6,000B.P.年以降の埋没火口灰土A層に普遍的に認められた。ウシノケグサ型グループの珪酸体は,絶対年代に関係なく,道南渡島地域の試料を例外として,すべての地域の試料に含まれていた。キビ型グループの珪酸体は,数種の試料にごく少量認められたが,ヒゲシバ型珪酸体は,すべての試料にまったく含有されていなかった。これらの結果から推定される北海道の後氷期の火山灰地古植生は,5,000〜6,000B.P.年以前はウシノケグサ亜科のイネ科植物が優先し,それ以後はササが優先したものと推定される。5,000〜6,000B.P.年以降ササ植生が優先したという推定は,現在の北海道の火山灰地草地植生とほぼ一致するものである。(3)埋没火山灰土A層の珪酸体含量と,腐植含量の間には,正の相関(γ=0.64)が認められた。珪酸体生産量は,時代や地域の違いによって次のように変動したものと思われる。1)10,000〜7,000B.P.年,0.1〜0.2×10^<-4>g/cm^2/年(胆振,根釧地域)2)7,000〜4,500B.P.年,1.2〜1,9×10^<-4>g/cm^2/年(渡島,胆振地域)3)4,500〜2,500B.P.年,2.7×10^<-4>g/cm^2/年(渡島地域),1.3×10^<-4>g/cm^2/年(十勝地域)4)2,500〜1,500B.P.年,1.4×10^<-4>g/cm^2/年(渡島地域),1.0×10^<-4>g/cm^2/年(胆振地域),0.9×10^<-4>g/cm^2/年(十勝地域)イネ科植物の珪酸体生産量が,主に気候(とくに気温)によって規定されるという見地に立つならば,北海道の後氷期の古気候変遷は,ほぼ上記の珪酸体生産量の変動に対応したものと推定することが可能である。上述したように,埋没火山灰土A層中の植物珪酸体の形態組成および珪酸体生産量についての研究は,古植生のみならず,過去の気候条件を推定する有効な手段となることが明らかである。